数日前、平井玄さんからメールを頂いた。
そこで予見されているのは、「この都市で働かされる私たちは」、「「使い棄て原発日雇い労働者」に確実に近づいていく」という指摘だった。
私がここに批判的に補足したいのは、原発の被曝労働者はただ被曝をしているというだけでなく、放射線の被害を過小評価する洗脳教育を受けることで、自分だけでなく同僚を被曝させ、地域住民に原子力の脅威を与える存在であるということだ。
被曝労働者(労働者というよりは人材)という存在は、ただ被害者であるだけでなく、加害者・共犯者でもある。
いま東京の労働者が自らに問わなければならないのは、被害の問題ではなく、加害・共犯の問題だ。自分がいま選択すること/しないこと、意識すること/しないことが、誰を脅威にさらしているのか、落ち着いて考えることだ。
いま東京のテレビは、放射性物質の被害を過小評価し、大丈夫大丈夫と呼びかけあうことで、女性と子供を脅威にさらしている。首都圏4千万人の壮大なネグレクト(育児放棄)が始まっている。本当なら、児童の集団疎開を提起・実践するとか、教員が「教え子を被曝させない」と訴えてもよい時期だ。
日本民衆・大衆はかつて、戦争に勝てないことをうすうすわかっていながら、若者を特攻させて殺したバカ民族である。バカ民族の末裔のグズどもが、いまなにをできるか、私は悲観的だが悲観ばかりもしていられない。