2018年8月20日月曜日

米騒動についてのノート(8月)


  
 2018818日午前。
710分に名古屋駅を出発した高速バスは、1030分に富山駅に到着した。「米騒動」の連続学習会は午後1時から。まだ2時間ほど余裕がある。スマートフォンに装備されている音声検索に「ここから滑川まで何分でいける?」と尋ねると、電車で13分という回答。では学習会が始まる前に、滑川の港を歩いてみよう。
 富山駅から「あいの風とやま鉄道線」に乗って、新潟県に向けて日本海に沿ってすすむ。電車は富山駅を出発し、常願寺川を渡ると、水橋、滑川(なめりかわ)、魚津(うおづ)と停車駅が続く。この三つの町が、いまからちょうど100年前の米騒動、「富山の女一揆」の発火点である。

 電車が富山市の市街地をぬけると、進行方向右側には水田地帯が広がっている。新川(にいかわ)平野である。水田のなかに工場や住宅が点在し、ところどころに背の高い防風林のかたまりが見える。これは、教科書にでてくる「散居村」の痕跡だろう。村人が一カ所に集まって住戸を建てるのが「集村」、一戸一戸の家がばらばらに独立して建てられているのが「散居村」。富山県の散居村は、各戸の周りを囲むように背の高い樹木を植えていて、これを屋敷林という。水田の広がる平野部に、ぽつりぽつりと屋敷林が点在して見えるのが、富山の散居村の風景である。その歴史は古く、中世に遡ると言われている。新川平野にも、この散居村の痕跡が残っている。その特徴的な構えは、自作農民の独立性を印象付けるものだ。

 電車の進行方向左手には、どこにでも見られるような一般的な風景が広がる。鉄道と海に挟まれた地帯は、住宅、商店、工場、倉庫などが立ち並ぶ見慣れた風景である。米騒動の発端となったのは、この海岸端の町で荷役作業に携わっていた女性たちだ。彼女たちの仕事は「陸仲仕」(おかなかし)と呼ばれていた。
 まだコンテナもクレーンもなかった時代、港湾荷役はすべて人力に頼っていた。船に荷物を積み込む仕事を総称して「沖仲仕」(おきなかし)と言うが、沖仲仕の作業はさらに二つにわけられる。「沖仲仕」と「陸仲仕」である。大型の貨物船は海岸に直接に着けることはできないので、少し離れた沖に停泊している。海岸と船の間の水深の浅い部分は、艀(はしけ)というボートをつかって荷物を運ぶ。海岸にある荷物はいったん艀に積み込まれ、そこから沖に停泊する船に運ばれ、艀から船に積み替えられる。この沖で荷物を積み替える仕事が「沖仲仕」で、男性が雇われる。海岸で艀に積み込む仕事は「陸仲仕」で、女性が雇われていた。足元の悪い砂利の浜で、60kgを超える米俵を背負って運んだという。彼女たちはもちろん日雇いである。海岸端の粗末な長屋に集住しながら、陸仲仕で日銭を稼いで暮らしていた。

 新川平野でつくられた米は荷車にのって、水橋、滑川、魚津の海岸に集められ、そこで陸仲仕と沖仲仕によって船に積み込まれる。東の山から下りてきた水が何本もの川になって日本海に注ぐように、新川平野で作られた米は海岸に集積され日本海に出されていく。そして米を満載した貨物船は、神戸、大阪へと向かうのである。

 私がこの滑川を歩いて感じたのは、東端にある山脈と西端にある海が、意外に近く、地域の輪郭がとても見えやすいということだった。
山と海に挟まれた空間は、二つの層をつくっている。水田がひろがる散居村の地帯と、海岸沿いの集住地帯と。このふたつが、空間の構成の違いとしてはっきりと視覚化されている。土地を所有し屋敷林をもつ自作農たちの空間と、海岸端の港湾人足の空間とが、明確な対照をつくり、それが「層」として感覚的に捉えられるような風景がある。こうした風景の中で、米騒動は始まったのだ。

 空間的に示された二つの層がある。この境界とは、何の境界であったか。何の境界と考えるべきだろうか。自作農と下層プロレタリアとの境界? あるいは、近世的秩序と近代資本主義(無秩序)との境界? あるいは、境界というよりもその二つの複合?
うーん。
もうちょっと考えよう。
つづく。

2018年8月13日月曜日

連帯メッセージ

8月6日、広島県警による反核グループへの弾圧。

https://danatsu86.hatenablog.jp/entry/2018/08/10/185538

以下、私からの連帯メッセージです。

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勾留された女性を、全国で支援しよう
                   矢部史郎

 2018年8月6日、広島市では原爆被害者を鎮魂するために、内外から多くの人々が集まっていた。この日、総理大臣安倍晋三は、戦没者追悼式典に出席するため広島市を訪問した。警察による安倍晋三の警備は厳重なものだった。というのも、広島市と安倍首相の間には深い緊張が走っていたからだ。昨年までに122か国・地域の賛同を得ている核兵器禁止条約について、日本政府はいまも反対票を投じているからである。
 広島市と日本政府との緊張関係は、警察の過剰警備となってあらわれていた。首相を運ぶ車列は、大量の警察官を動員して道路をふさぎ、広島市民を威圧しながら移動していった。

 この日の午後、広島市の路上で反核のスピーチをしていた一人の女性が逮捕された。広島県警が告げた容疑は、器物損壊罪。彼女は、彼女たちの反核スピーチを非難しながら撮影していた男と小競り合いになり、カメラを破壊した、というものだ。
 問題は、この容疑が衆目の一致するところではない、疑わしい訴えに基づいているということだ。多くの通行人が足を止めて見守るなかで、彼らは誰も「小競り合い」を見ていない。このスマートフォンばやりの時代に、誰も衝突の様子を撮影していない。彼らギャラリーは口を揃えて、この容疑は事実無根だ、と言っているのである。
 男はカメラを壊されたと言い、女性はこの男と接触すらしていないと言っている。
 両者が認めている事実はただひとつ、この疑わしい「事件」が、反核運動の是非をめぐる対立のなかで生じているということだ。
 反核スピーチを妨害し、疑わしい被害届を出して女性を逮捕させた男が、いわゆる「右翼」であるのかどうかは、まだ確認できていない。この男が何を見て何を想ったのか、この男がどのような背景をもっているのかは、裁判の場で明らかにされるべきだろう。

 警察は、逮捕した女性にたいして10日間の勾留延長をおこない、彼女は現在も留置場に拘束されている。
彼女の怒りを想像すると、全身が熱くなる。
8月6日の広島で、反核を訴える者が力づくで制圧されて、黙っていられるか。
彼女の闘いのために、反核の志を同じくする全国の人々に、カンパを要請します。彼女の心が折れてしまわないために、彼女を孤立させないために、圧倒的な資金を集めて支援しよう。


2018年8月9日木曜日

本を三冊いただきました。


献本を一冊、見本を二冊いただきました。












以上三冊、ありがとうございました




 2018年8月の猛暑のなかで書き記しておきたいことは、いま私は、時代の変わり目をひしひしと感じているということだ。
たぶん私だけではないと思う。これまで自明視していた前提が、大きく変わり、あたらしい問題設定が要求されている。
そう。おそらく2011年以前までの作業は、予行演習だった。
これからさらに強い内容を持った権力分析と、戦略戦術の発明が、なされる。