2010年12月31日金曜日

12/30 救援会声明

検察決定をうけての救援会声明

 12月4日、渋谷駅周辺の路上で「在特会」「主権回復を目指す会」「排害社」らが、「黒い彗星」こと崔檀悦(チェ・ダンヨル)に行った集団暴行事件は、暴行の加害者が放置され、暴行の被害者が逮捕されるという前代未聞の事態を生みだしました。渋谷署の誤認逮捕に対して、東京地検は勾留を認めず被疑者とされた青年を釈放しました。
 まず私たちは、現場にあたった渋谷署の不当逮捕に抗議します。渋谷署が行った逮捕手続の不当性、被害者に対する指紋採取の不当性、被害者に対して必要な医療措置を怠ったこと、暴行加害者を充分に調べることなく帰宅させたことを、弾劾します。

 12月29日、東京地検は、不当に逮捕された被疑者に対し、不起訴処分(起訴猶予)という決定を下しました。
私たちは、東京地検の判断に抗議します。私たちは現場の映像をもとに、被疑者が暴行を加えていないことを明らかにし、被疑者の無実を訴えてきました。検察に対しては、弁護士からの意見書を通じて、「不起訴(嫌疑なし)」と決定するよう要請してきました。今回の「不起訴(起訴猶予)」という決定は、「在特会」ら暴行加害者の誤った主張を追認し、渋谷署の誤認逮捕を容認し、事実を曖昧にするものだと考えます。
 さらに私たちは、今回事件を担当した検事に、おおきな疑義を抱いてます。検事は被疑者との決定前日任意面談の際、容疑とされた暴行について触れませんでした。容疑の焦点となっているのは、被疑者がデモを妨害したかどうかではなく、暴行を加えたか否かであったはずです。なぜ検事は、暴行について触れることなく面談を打ち切り、はっきりしない曖昧な決定に至ったのか。誰が暴行し誰が暴行されたのか、検事ははっきりと分かっていたはずです。

 今回の事件は、日本社会と日本行政の腐敗・堕落を明らかにしました。現在の日本では、人間を不当に貶める差別表現が容認され、さらには、差別する者たちのおぞましい集団的暴力が容認されてしまっているのです。
 私たちはこうした現実に失望するとともに、大きな危機感を抱いています。不当な差別と暴力を許さない、けっして容認しないという決意をあらたにし、今後も多くの人々に問題を訴えていきたいと思います。
 何度でもくりかえし訴えます。
 私たちは絶対に差別を許さない。
 闘いは、これからだ。

2010年12月30日 「12.4 黒い彗星★救援会

2010年12月26日日曜日

WE'RE THE SAME ASIAN

今日は音楽ライターの二木くんと打合わせをした。
『VOL』誌の別冊という位置づけで『ANTIFA』を編集するってことで、企画を相談した。
最近の音楽シーンについて、いろいろと興味深い話を聞いた。
とくに良かったのはこれ。






WE'RE THE SAME ASIAN






HAIIRO DE ROSSI & TAKUMA THE GREATというラッパーが、日本の中国報道と右翼デモを批判している。
この曲に対して、反中・嫌中で脳をこじらせたガキが、「アンサーソング」をアップ(アンサーになってないが)。
この因縁つけに対して、HAIIRO DE ROSSI & TAKUMA THE GREATが応酬するという展開になっている。

がんばれ、HAIIRO DE ROSSI & TAKUMA THE GREAT。
奴らを黙らせるまで、私もがんばる。


おまけ(これいいね)

2010年12月24日金曜日

12/18海賊研報告「種子島神話」

 前回の海賊研究会は廣飯氏の研究報告。16世紀の東・南シナ海の海賊である。
 スペイン人によるフィリピン征服とこれに対抗した中国・日本海賊、南シナ海でイギリス船を襲撃した日本海賊、明の海禁政策とその実態、長崎(五島)を拠点にした密貿易と「鉄砲伝来」、豊臣秀吉がスペイン政府(フィリピン総督)に宛てた降伏帰順勧告などなど、話は多岐にわたったのでここでは要約できないが、これらは後日まとまった形で発表する予定だ。

 さて、今回私が印象的に感じたのは、鉄砲伝来にまつわる「種子島神話」の問題である。
 通常、我々が学校の教科書で習うのは、鉄砲伝来=種子島だ。
 1543年、種子島に難破したポルトガル人が鉄砲を持っていた。現地の種子島氏がこれを入手し、日本に鉄砲が伝わった。
 さてここで不勉強な私は、ポルトガル人=ガレオン船が漂着という絵を勝手に想像していたのだが、事実はそうではないらしい。ポルガル人が乗っていた船は、中国式のジャンク船である。船長は中国人の密貿易業者、というか、ばりばりの倭冦だ。明の海禁政策の下、彼らの一部は五島列島や長崎の平戸に拠点をおき、松浦隆信に保護されていた。松浦隆信というのはようするに海賊・松浦党だ。「鉄砲伝来」をもたらしたポルトガル人は、ポルトガル船に乗って漂着したのではなく、松浦党/倭冦のジャンク船に乗って漂着したのである。
 これは史学の専門家にとっては常識の部類なのかもしれないが、私はちょっと驚いた。
 ここからは私見だが、おそらく長崎の松浦党は、「種子島漂着事件」よりも以前に、鉄砲を入手していたのだ。ただ、彼らは鉄砲の製造をしなかった。鉄砲が日本で生産されてしまったら、貿易業者としてはうまみがなくなってしまうし、戦も大変なことになる。鉄砲という武器の性質を考えれば、水軍よりも山軍の方が有利になってしまうのは明らかだ。松浦党としては、鉄砲生産と軍事革命はできるだけ避けたい、避けられないとしてもできるだけ遅らせたいことだっただろう。おそらく彼らは誰よりも早く鉄砲を入手しつつ、棚にしまいこんでいた。そして多くの「日本人」は、種子島の漂着事件によって初めて鉄砲を発見したのだ。

 さて、「種子島神話」の何が問題なのか。
 鉄砲生産と軍事革命の契機になったのは「種子島漂着事件」である。鉄砲の生産に踏み出したという点で、またこの点に限って、鉄砲伝来=種子島という理解は正しい。
 問題は、伝来とは何かということである。なにかが、ここでは<鉄砲>が、あちらからこちらに伝来する。このとき、あちらとこちらを隔てる境界は、どこに設定されているのか。「ポルトガルから日本に伝来した」と言うのなら、それは史実として間違いである。「中国から日本に伝来した」というのも違う。「長崎から種子島に伝来した」というのも違うし、これならわざわざ「伝来」という必要はない。もっとも誠実な表現は、「東シナ海から種子島に伝来した」かもしれない。しかしここまで言うのなら、「伝来」という表現そのものを俎上にあげた方がよいのではないか。「伝来」という表現が前提する「国」の想像的輪郭、あちらとこちらを隔てる境界線の想像が、問題なのだ。海に国境はない。松浦党は日本人ではないし、倭冦は中国人でも日本人でも朝鮮人でも琉球人でもない。彼らはあちらにもこちらにも属していて、属していない。そういう人間はいつの時代もいて、「国」なんかよりもずっと古い歴史をもっているのだ。
 
て、ブログ書いてウダウダしてたらこんな時間になっちゃった。今夜はクリスマスイブなのに。
新宿に行かなくちゃ。




おまけ(本文とは関係ありません)

2010年12月22日水曜日

クリスマスのデモクラシー

 毎年この季節になると思うのだが、クリスマスっていいな。
 人間が公然と「好き好き」とか「淋しいよ」とか「とりあえず一緒に」などと言って色々なことをして、誰もそれを咎めないどころか、むしろ街中がそれを応援してくれる。こういうお祭りは、よい。クリスマスはキリスト教の例祭であるらしいのだが、キリスト教というのはつまるところ、人間の愛情表現に一般的な形式を与えたということになるのだろう。キリスト教の普遍主義と世界化は、その当初の意図を裏切って、自由恋愛を普及させてしまったのだ。こういうことを書くと、潔癖家族主義の原理主義者は怒るかもしれないが、結果としてはそうだ。こんな品のない馬鹿騒ぎをするのは東京だけだ、と言うかもしれないが、もう手遅れ。我々にとってクリスマスとは、人間の自由な恋愛感情をあけっぴろげに表現し実践するお祭りである。この日はひとりひとりが主人公なので、誰もこの例祭を取り仕切ることはできない。異性愛だろうが同性愛だろうが、家族愛だろうが不倫の愛だろうが、とりとめなくなし崩しにめいめい勝手に愛を謳歌するのだ。
恋愛デモクラシー万歳。
さあ、プレゼントを買いに行こう。

おまけ


おまけ(ちょっと古いけど名曲)

2010年12月21日火曜日

WINC(27日)の詳細

日程の詳細がきたので転載。府中市なんだね。



《新しい世紀の最初の10年の終わりに考える――『格闘する思想』を手掛かりとして》

■ 日時 2010年 12月27日(月)午後2時から
■ 場所 東京外国語大学海外事情研究所 研究講義棟四階 427    
※ 東京外国語大学の住所は「府中市朝日町3-11-1」です。西武多摩川線(中央線武蔵境駅にてのりかえ)多磨駅下車徒歩4分、あるいは、京王線飛田給駅下車北口からの循環バスで5分、「東京外国語大学前」下車です。心配な方は、東京外国語大学のホームページ上の案内図を参考にしてください。   
URLは、     
http://www.tufs.ac.jp/access/tama.html    
です。

■ 課題図書: 本橋哲也編『格闘する思想』(平凡社新書、2010年)
■ 司会:   本橋哲也さん(東京経済大学)
■ 提題者:  矢部史郎さん(思想家)/岩崎稔さん(東京外国語大学)
■ 応答者:  海妻径子さん(岩手大学)
        白石嘉治さん(上智大学)
        西山雄二さん(首都大学東京)

(WINC運営委員会)





おまけ(本文とは関係ありません)

2010年12月17日金曜日

よくある質問「なぜいま海賊なのか」

昨日は、週刊金曜日の不定期連載「格闘する思想」のインタビュー収録で、本橋さんと対談。
本橋さんから「なぜいま海賊なのか」という問いを受けて、しばし沈黙。
言われてみれば、海賊。なぜ私はこんなことを言っちゃってるのか。改めて考えてみた。
私からの回答は、我々の(または全般化した)「場所の喪失」ということなのだが、ここにもう一つ含意させておきたいのは「自治の再構築」である。

順を追って説明しよう。
資本蓄積がうみだす過剰資本は、国内外への「資本の輸出」を促す。第二次大戦後、高度経済成長を果たした日本では、蓄積された過剰資本は国内への都市開発・不動産投資に振り向けられてきた。金融資本が主導する都市開発は、短期的な収益をもとめて空間の商品化を押し進めてきた。この空間再編は、実体的な生活経済・生活文化を破壊し、「情報化社会」を促すおおきな要因となってきた。空間の商品化(情報化)の運動は、人間が住まう場所としての性格を「前進的粉砕」(ローザルクセンブルグ)する過程であったと言えるだろう。かつて、職場や学園には自治的性格をもった場所があり、人間はこれらの場所を通じて、社会的な(社会化された)知性を共有していたのだが、現在ではそうした場所に触れることは稀である。都市開発による空間再編が労働組合や学生自治会を掃討した後、現代の若年労働者と学生は、なんらかの自治空間に身を置く前にメディアを通じた情報(指令)にさらされ、実体と離れた観念的な議論に組み込まれてしまうのだ。
80年代以降に活発化するフリースペース運動、そして現在のソーシャルセンター運動は、都市開発(金融・不動産資本)への直接的対決という意図を含んでいる。そしてこうした運動が存続するために必要な前提となるのは、自治をめぐる明確なイメージを提示することである。想像される「自治」が宗派的傾向に陥らないために、また農民的共同性に陥らないために、必要なのは、我々が都市の海賊であることを自認し、海賊を宣言することなのだ。
いや、冗談で書いているのではない。私は真面目にこう考えている。
いまどんびきしただろう。いいよ、べつに。
おれはもう頭のネジがきれてんだから、そんなこといまさら言ったってどうしようもないのだ。


さて明日は今年最後の海賊研究会。
廣飯さんの研究報告。内容はまだ不明だが、おそらく近代(近世)の東シナ海についてとんでもない話が飛び出すでしょう。
12月18日15時から。新宿のカフェ・ラバンデリアに集合。





おまけ(本文とは関係ありません)


追記
 現代の都市的現象を特長づけている、観光・防犯・地域浄化は、場所の喪失に伴う「自治」の(想像的)回復と見ることができる。空間の商品化は、そこに住まおうとする人間にたいする監視・選別を惹起し、偽の「自治」を形成する。この文脈においてはじめて、現代の排外主義運動の土台を理解することができるだろう。かつて「同化主義」右翼が産業資本主義に対応していたように、現代の「排外主義」右翼は脱工業化した情報資本主義のスペクタクルに対応しているのだ。

2010年12月14日火曜日

ルネサンス研究所

市田良彦さんが「ルネンサンス研究所」というのを始めるということで、そのシンポジウムに行ってきた。
市田さんは「これは設立のための準備討論会」と言っていたが、学者と活動家と出版人が150人以上も集まってしまっていては、今後もしばらくは準備討論会が続くだろう。私も賛同人に名を連ねているのだが、なぜこの研究会に賛同しているのかというと、たんに断らなかったというだけだ。市田さんの説明はいまいちピンとこないものだったし、そもそも初期共産同(系)や川上徹(系)の人たち(60年安保を経験した高齢者たち)が集まったところで、なにができるのかは疑問だ。
自分も賛同しておいて言うのもなんだが、まったくうんざりする。いいかげんにしろと言いたい。


さて、前回の海賊研でテキストにしたクリストファー・ヒルは、イギリスの「ピューリタン革命」が「ブルジョア革命」であったのか否かという議論について書いている。ここで、ヒルは、革命の当事者たちの「自覚された意図を重視することの有効性」を否定している。ヒルは次のように言う。

「「ピューリタン革命」がピューリタンによってピューリタンの目的を達成するために行われた革命という含意をもつように、「ブルジョア革命」がブルジョアジーによって意図された革命という含意を持つとするならば、その用語にとって不幸なことである。あるいは、科学革命になぞらえてみる方がよかろう。なぜなら、その革命から立ち現れてきた科学の基準に照らして最も「非科学的」な多くの人々が、それに貢献してきたからである。ボイルとニュートンは錬金術を真剣に受け止めていたし、ロックとニュートンは千年王国論者だったのだ。」

 科学の始祖ともいうべき人々が、あらかじめ科学者であったはずがない。彼らは錬金術の思考の圏内で、物質に向かって呪文を唱えたり、病人に水銀を飲ませたりということをするなかで、自らの意図を裏切る科学を生み出してしまったのである。そしてここで重大なことは、もし彼らが「錬金術」を信じていなかったならば、彼らの科学的偉業は生み出されなかったかもしれない、ということだ。
 「ルネサンス研究所」に集まった共産主義者たちが、何を想い、何を意図しているかは、私にはあまり関心はない。重要なのは、共産主義思想がまだ充分に否定されていない、という事実である。いつかより根源的な思考の刷新がなされる日まで、共産主義は真剣に検討され続けるだろう。



おまけ

2010年12月13日月曜日

「WINC」がシンポジウムをやるそうです

東京外語大の研究会「WINC」が、年末にシンポジウムをやるそうです。本橋哲也さんからコメンテーターに出ないかと誘われたので、出席します。
12月27日(月)14:00〜 

本橋さんはデヴィッド・ハーベイ『ネオリベラリズムとは何か』の翻訳をした方ですが、雑誌『週刊金曜日』の書評委員としても知られている人。最近は、『金曜日』紙上でのインタビューをまとめた『格闘する思想』(平凡社新書)を出したそうです。

「WINC」に出るのは初めてなので、どういう話になるかわかりませんが、海賊についてどかーんと話してみようと思います。あ、でもコメンテーターだからそんなに時間はないか。でもシンポのあとは忘年会的な展開になるでしょう。海賊学生も一緒にいきましょう。

おまけ

2010年12月12日日曜日

「矢部史郎」、改名します。

今日はちょっと暇なので、駄文を書く。
あ、「黒い彗星」の激励メッセージを書いてから読んでね。

さて、もうかれこれ15年ちかく「矢部史郎」をやってきたのだが、そろそろ改名する時期かなと思う。
本来はまったく別のペンネームを考えるべきだろうが、「矢部史郎」というある程度定着した名前を手放すのは惜しい。しかし、15年も前に書いたものまで責任をもって対応するというのも、正直きつい。
これまでの「矢部史郎」とこれからの「矢部史郎」との、断絶と連続性を、同時に表す名前はないか。
というわけで、これから「後期・矢部史郎」と改名する。
だいたい2005年を境にして、1994〜05年の約10年間を「前期・矢部史郎」、2005年以後を「後期・矢部史郎」ということにする。
これで、05年以前に発表した文章について、責任がなくなるわけではないが少し軽減。「それは前期ですね」とドライに対応できる。ちょっと肩の荷が下りた気分だ。
そういうわけで、これから私は「後期・矢部史郎」、略して矢部史郎、です。
関係各位、よろしくお願いします。

おまけPV

「黒い彗星」への激励

排外主義リンチ事件は、誤認逮捕からの釈放をかちとり、次の段階へ向かう。
当面は不起訴処分(無実であることの確認)をもとめて、検察に働きかけていく。
救援会が激励メッセージを求めているので転載する。

http://d.hatena.ne.jp/free_antifa/


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★黒い彗星さんへの「激励メッセージ」をお寄せください★

 おかげさまで黒い彗星さんはぶじ早期釈放され、現在ケガの治療と生活の立て直しに専念しております。また支援カンパは12月10日現在で約25万円、すでにこれまでかかった費用をまかなうのに十分な額に達しております。みなさん、ほんとうに有難うございます。

 しかし事件は終わったわけではありません。黒い彗星さんを不当逮捕しておきながら、民族差別・排外主義デモ隊による集団暴行は不問にした渋谷署。その言い分をうのみにし検証もせずたれ流した産経新聞。そして事件を機に黒い彗星さんへの誹謗中傷、脅迫、デマを垂れ流し民族差別をまたも煽動するレイシストたちとそれを許容する日本社会。わたしたち12.4黒い彗星★救援会は、これらすべてに抗し、心を同じくする全国・全世界のみなさんとともに、黒い彗星さんの「不起訴処分」をかちとりたいと思います。

☆黒い彗星さんへの「激励メッセージ」を 800字以内 にてお寄せください。

 12.4黒い彗星★救援会ブログ(http://d.hatena.ne.jp/free_antifa/)にお載せいたします。

☆12.4 黒い彗星★救援会では、「激励メッセージ」のブログ掲載そしてその他の記事についても、当該の名前表記は「黒い彗星」に一本化することにしました。「黒い彗星」さん宛にお書きください。どうかご理解おねがいします。ほかの呼び名でのメッセージをいただいた場合は、ブログ掲載はひかえ、本人のみにお伝えさせていただきます。

☆激励メッセージ宛先:

 12.4黒い彗星★救援会 schwarzerkomet<@>gmail.com ※< > は外してください。

 メール件名:「(公表可)激励メッセージ」※コピペしてください

公表可のお名前、あるいはハンドルネームをお書き添えください。

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追記
 「埋め込み」というのをおぼえた。youtubeが貼れるんだね。
おもしろいからCHEHONのPVを貼ってみる。

2010年12月8日水曜日

「黒い彗星」公式ブログ

渋谷排外主義リンチ事件の続報。
黒い彗星★救援会の公式ブログが作られた。
http://d.hatena.ne.jp/free_antifa/

ちなみに「黒い彗星」は個人名ではなく、行動主体名。
渋谷で掲げられた横断幕は「阪神教育闘争の意志を引き継ぐ」だ。
阪神教育闘争は、民族学校への弾圧に抗して闘われた歴史的闘争。
この弾圧は、その後の朝鮮戦争とともに、公安条例(憲法違反)がつくられる要因の一つである。問題は民族問題であるだけでなく、冷戦期日本社会の基底に関わるものだ。
これから会議なので詳しく書いている時間はないが、各自検索して調べてほしい。
「阪神教育闘争」で検索だ。

渋谷リンチ事件の詳細動画

12月4日渋谷での排外主義リンチ事件について。
事件は産経新聞の誤報によって、抗議者が「デモ参加者に飛びかか」ったものとして片付けられようとしている。このような誤報が生み出されたのは、おそらく次のようなプロセスがあったと思われる。

1、排外主義デモの主催者が「男が飛び込んできた、暴行を受けた」と言う。デモ参加者もそれを信じて口々に被害を訴える。
2、渋谷署がこれを追認。「男が飛び込んできた」として発表する。
3、多くの報道関係者は無視。産経新聞だけが鵜呑みにして報道。

こうして事件は「男が飛びかか」ったことになってしまった。
しかし真相は違った。渋谷署は男を逮捕したが、東京地検はとても逮捕勾留できるものではないと判断したのだろう、地検調べの直後に釈放した。

事件現場を撮影した動画がでてきた。


http://www.youtube.com/watch?v=qvdXPdxFjt8
動画の3分15秒から、画面右端の男性に注目してほしい。ゆっくりと歩きながら近づいた男性に、デモ隊の男(西村修平)がタックルをする。
これが、渋谷署が発表し産経新聞が報道した「飛びかかり」の瞬間である。
嘘をまきちらした者すべてに、責任を追及していきたい。

2010年12月7日火曜日

凡庸なものとの対決

月刊現代の後継誌『g2』の6号を買った。
「行動する保守」ウォッチャーの間で話題になっているルポ『「在特会」の正体』を読むためだ。著者の安田浩一氏は、「在特会」桜井誠の周辺取材を重ね、ついには出入り禁止になってしまうほど彼らを調べ尽くした人。桜井誠の生まれ故郷である福岡まで訪ね歩き、すごい情報量。このルポは「在特会」研究のための基礎資料になるだろう。今後、第二弾第三弾が期待される。

安田氏のルポを読んだ感想。
まず問題点。
桜井誠の生まれ故郷を詳細に紹介しているのはよいが、そこに重心が置かれすぎているようにも見える(紙数の問題でそうしたのかもしれないが)。また、中高年が主体となっている「在特会」のなかで、あえて若年層に目を向けてしまう(若年層の言動から結論を導こうとする)傾向があるようにも思う。これはもしかすると「ネットカルチャー=ユースカルチャー」「ネット右翼=若者」という理解からきているのかもしれない。
良かった点。
桜井誠の上京前の生い立ちを調べることで、階層秩序における彼の中間的位置が明らかになっている。ネット上の桜井ウォッチャーのなかでは、「筑豊出身=下層階級」というちょっと旧い読みかたが大勢を占めているが、このルポをよく読むと、彼は下層ではない。桜井の出身高校は普通科。偏差値も普通程度。桜井の家は母子家庭であるが、母親は再婚していない。再婚せずに自分の店を持って子供二人を育てたということは、経済的に成功していると言えるだろう。もちろん裕福ではない。桜井は大学進学をしていないが、それは経済的な理由からだったかもしれない。しかし大学進学こそしていないが、桜井は読み書きができるのである。我々の読み書きの基準に照らせば、桜井はおそろしく下層に見えるのだが、それは相対的な見え方の問題であって、一般的な基準に照らしてみれば、彼は知的にも経済的にもまずまずの中途半端な階層に位置している。

凡庸なものとの対決
安田氏のルポを読んで腹におちたのは、彼らがもつこの中途半端な位置感覚である。「在特会」をはじめとする「行動する保守」の中高年を見ていて感じるのは、なぜこんなに愚鈍なのに文章を書けるのだろう、なぜ読み書きができるのにこの水準にしか届かないのだろう、という違和感である。あれだけ大量の文章を書いて発表しているのに、それに見合うだけの内容も評価も得ることができない。むしろ書けば書くほど内容が失われ、軽蔑されてしまう。いったいなんのために書いているのか。この出口のない中途半端な知性は、ぞっとするような不全感を抱えておかしくない。
ベルナール・スティグレールが『象徴の貧困』で問題にしているのは、こういうことなのだろう。スティグレールが明らかにするのは、メディア社会によって蔓延する「耐え難い凡庸さ」、「自己愛の喪失」である。自己愛が弱く、他人からの承認を求めてさまよっているのは、具合の悪い若い女性ばかりではない。排外主義右翼の中高年は「承認欲求」の虜となって、書けば書くほど軽蔑されるような内容を飽くことなく書き続けている。その内容は一見すると過激だが、よく読むとありきたりな視点しかない。彼らは「マスコミ」を批判するが、それは彼らが「マスコミ」と全く別の視点を持っているからではなくて、むしろ「マスコミ」以上に「マスコミ」的な視点に留まっていて「マスコミ」(の承認)にこがれているからである。「国民」「防衛」「防犯」、うんざりするほど凡庸な奴らだ。
 知性、暴力、性愛が、それぞれに特異な視点を構成している傍らで、なにをとってもいまひとつの中途半端な中高年たちがのたうちまわっている。かつての「国民」の残骸、あるいは「国民」のゾンビ。
これら凡庸なものと対決しなくてはならない。

12・4渋谷事件の詳報

先週末、東京・渋谷で起きた排外主義リンチ事件について。
リンチを受けた被害者が逮捕されるという前代未聞の出来事に慌てながら、彼の友人たちは迅速に弁護士接見を手配し、救援組織をつくった。私もこれに加わって、地検押送での激励街宣などに動いていたのだが、この日(6日)被害者は釈放された。あたりまえだ。そもそも渋谷署の逮捕・勾留が間違いなのだ。不起訴処分が確定するまでまだ警戒は続けなければならないが、ひとまず安心した。
これから反撃だ。必ずおとしまえはつけさせる。
以下、救援会からの報告と声明。




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【転送・転載歓迎】

12.4排外主義デモに抗議した「黒い彗星」
の不当逮捕にかんする声明(6日に釈放)

《追記: 以下の声明の発表日である6日の夜に、「黒い彗星」さんは釈放され、友人たちと再会することができました。釈放後の詳細などについては、あらためてお知らせします。》


 京都の朝鮮初級学校を排外主義団体「在日特権を許さない市民の会」が襲撃した日から、124日で一年になります。ちょうどこの日に「排害社」なる団体が、在日朝鮮人への差別と排斥をあおるデモを渋谷でおこない、またそれにたいして、差別・排外主義に抗議する個人やグループも渋谷に集まりました。ところが、その抗議者のひとりが不当にも逮捕されるという事態が起こりました。

 わたしたち救援会は、経緯を次のように確認しています。この日の午後に逮捕された「黒い彗星」は、排外デモにたいして単身で抗議の横断幕を正面から示すという、非暴力直接抗議をおこないました。それにたいして、排外デモ参加者のひとりがすぐさま飛びかかり、両者がかれと接触するやいなや、ほかの排外デモ参加者たちもいっせいにかれを囲み、袋叩きにしました。しばらくして、渋谷警察はかれを排外デモから引き剥がし、「保護」と称してかれを渋谷署に連行します。しかし、取調室に到着するや、前言をくつがえして「暴行による現行犯逮捕だ」とかれに告げ、そのまま署に勾留したのです。しかも、かれは排外デモの暴行により顔などをケガしていましたが、警察は同日の深夜までそれを放置し、病院に連れて行きませんでした。

 これがどういう事態かは誰にもあきらかでしょう。排外デモへのひとりの抗議者を、排外デモ参加者はよってたかって暴行したのです。しかも、あろうことか渋谷警察はその集団暴行をとがめることもなく、逆に暴行をたったひとりで受けた抗議者のほうを逮捕したのです。

 在日朝鮮人への差別を扇動し、朝鮮学校を襲撃したレイシストをまつりあげるような、とんでもない排外デモに抗議することは、100パーセント正当なことであって、そのような抗議への弾圧をわたしたちは許せません。そのうえで、暴行をおこなった排外デモは事情聴取だけで放免し、逆に集団暴行の被害者であるかれを「暴行」罪で逮捕した渋谷警察は、二重にも三重にも不当であると訴えます。そして、かれを袋叩きにし、自分たちはピンピンしていながら、被害づらをしている排外デモ参加者たちは、どこまでも徹底的に糾弾されねばなりません。

 したがって、わたしたちはこの不当逮捕を断固として糾弾します。


2010126日 12.4黒い彗星★救援会



【救援カンパをお願いします】

弁護士費用や「黒い彗星」さんのケガの治療・検査費のために、みなさまからのご支援が必要です。カンパへのご協力をお願いいたします。

ふりこみ先
ゆうちょ振替 口座番号:00180-2-338249 口座名義:カシワザキ マサノリ
※ 通信欄に「12.4救援」とお書きください。


問い合わせ先(メール) schwarzerkomet<@>gmail.com ※< > は外してください。


2010年12月6日月曜日

民族排外主義と闘うぞ

私はいま怒っている。
渋谷警察署と排外主義右翼だ。
詳細はまだ書かない。今夜から明日にかけて公式声明がでる予定なので、それまでちょっと待ってほしい。そのころには詳細な動画も出るはずだ。
いまはまだ初動段階なので、まだ救援会の人数は多くないが、みな怒っている。
今回渋谷で起きた事件は、もう、むちゃくちゃだ。
民族排外主義と闘う諸君、集合だ。
「主権回復」の右翼西村、「排外社」のチョロスケ、そして渋谷署。
君たちに重い後悔をさせてやろう。待ってろ。

12/4海賊研報告「カリブの清教徒革命」

知り合いがパクられて、私は救援に動くので、今後それ関連の身辺雑記が増えてしまうと思う。
で、海賊研究会。前回はどうにもアツいヤバい感じだったが、詳細を報告している時間がない。
レジュメをそのまんま貼るという暴挙にでようと思う。

次回は12月18日(土) カフェラバンデリアにて
廣飯くんの研究報告で、今年は締め。
そのころに釈放されてると良いのだが、こればっかりは予測できない。
以下、前回れじゅめ。
ーーーーーーーーーー

海賊研究会 れじゅめ 20101204 矢部史郎

・まずは清教徒革命のあらすじ

革命前の状況
政治 対外戦争による財政悪化、国王大権による徴発、国王と議会の対立
経済 資本主義的農場経営、貴族・富農のジェントリー化、人口爆発と貧困層の形成
宗教 国教会の権威低下、ピューリタン諸派の活性化、「千年王国」信仰

1628 議会からチャールズ1世に対して「権利の請願」
1629 議会の強制解散、チャールズ1世の専制(11年間の専制)

チャールズ1世は、王権神授説に基づく国王大権(徴発権)を行使して財政再建を進めようとしたが、王室は徴税を実行するための有効な官僚組織を持たなかった。現実には、地方貴族とジェントリーの協力がなければ、徴税と財政再建は不可能だった。

1640 国王が議会を招集。
1641 議会は、国王大権の制限、議会主権を主張する「大抗議文」を可決
1642 「大抗議文」をめぐって議会が分裂。国王逃亡。
国王派と議会派の内戦に突入。

議会派は、政治的に反国王であるだけでなく、国教会支配に対抗するピューリタン諸派の宗派闘争も含んでいた。また、普通選挙権や社会主義を目指す諸派(レヴェラーズ、ディガーズ、ランターズ)は、資本主義化によってうみだされた都市貧民や貧農を代表する階級的性格を持っていた。

1645 ニューモデル軍結成
議会軍の弱体を痛感したクロムウェルは、私兵を解散させて議会軍に編成し、ユニフォーム、食料、賃金を支給し、交戦規定、戦術などを記した軍事要理を配布することで、最強の軍隊を創設することを議会に提案した。ニューモデル軍と呼ばれたこの軍事組織のもっとも革新的な部分は、昇進が、出生や家柄、人脈によるものでなく、戦場の功績によって行われることだった。(http://gold.natsu.gs/WG/ST/226/st226i.html)
これはフランスにおけるナポレオン軍のようなもの。ニューモデル軍は、イングランドのサンキュロットであると考えてよいだろう。ヒルの表現では、クロムウェルとは、ロベスピエールとナポレオンが一つになったような人物。革命とその後の反動を一人で担うことになった人間である。

1648 チャールズ1世捕獲。議会派勝利。
1649 共和政宣言
長老派、レヴェラーズの粛正
議会の強制解散
1653 クロムウェル、護国卿に就任。護国卿体制。
第五王国派を粛正
議会と軍の主導権争いで大混乱するなか、クロムウェル死去
1660 王政復古(チャールズ2世)
1688 名誉革命



・航海条例と英蘭戦争

1623 アンボイナ事件。東南アジア・東アジアとの貿易をオランダが独占。
1651 航海条例 イングランドと植民地への輸入をイギリス籍船舶に限定
1652 英蘭戦争
1654 英蘭戦争講和。クロムウェル(護国卿体制)がジャマイカを占領。
1660 航海条例 イングランド圏の輸出入すべてをイギリス籍船舶に限定
1665 第二次英蘭戦争
1667 第二次英蘭戦争講和





ここから本題。

クリストファー・ヒル著 『17世紀イギリスの民衆と思想』
第8章 「急進的な海賊?」

「1640年以降の期間を扱う本稿の目的にそって、「急進的」という言葉は国家教会を拒否し、完全な宗教的寛容を支持し、この点を ーー世間で認められたピューリタニズムの範囲を越えるところまでーー 追求して民主的、共産主義的、反律法主義的理念の唱導にまでしばしばたちいたった人々のことを指すものとする。」(221)
「私たちをあれほど魅了した1640年代と1650年代のあのすべての素晴らしい理想や理想家たちはどうなったのだろうか。」(221)
「1660年以降の急進的な思想の消滅は、より厳格で包括的な検閲が復活したことによって生じた視覚的幻想なのかもしれない。」(222)

・イングランドからカリブへの移住
チャールズ専制期の移住
「1630年代に、プロヴィデンス・アイランド会社はカリブ海南米北部沿岸沖の島を奪取して、宗教上の問題で不満を持っている者の避難所、そしてスペインの中南米独占をこじ開けるための基地とした。この会社は(…)1630年代におけるチャールズ1世に対する反対の一つの台風の目となっていた。」

革命から反動期の移住
「レヴェラーズが敗北した年である1649年10月に、ジョン・リルバーンは政府が財政援助をしてくれるつもりがあるのなら、自分の信奉者を西インド諸島に連れ出してやろうと申し出た。
イングランドの驚くほど多数の急進主義者が1660年の直前あるいは直後に西インド諸島に移民した。ランターのジョウゼフ・サモンはバルバドスに行った。」(230)
(ジョン・リルバーンはレヴェラーズの指導者)

カリブに渡っていった宗派には、クエイカー教徒、ランターズ、マグルトン派、第五王国派、アナバプテスト派、ユダヤ教徒などがいた。
クエイカーは平和主義者で知られるが、カリブのクエイカーは平和主義者になる前の世代(1661年以前の移民)なので、平和主義者でない者たちが含まれる。また、実際にはクエイカーではない者が「変な奴はみなクエイカー」と一括りにされていたふしがある。
ランターズは、道徳律廃止論を唱える「千年王国」思想の一派。不道徳な人たち。
マグルトン派はランターズと同じく「千年王国」の一派。ウェブで調べたところ、「教会を否定してパブ(居酒屋)に集う宗派」であるらしい。ちょっとおかしい。
第五王国派は、クロムウェルの護国卿体制を支えた貧困層の「千年王国」派。護国卿体制確立後に弾圧・排除された。レヴェラーズ粛正に加担して最後には裏切られた人たち。
アナバプテスト派は、もっとも古くから政教分離を唱えた一派。カトリックからもプロテスタントからも迫害された。
「ピューリタン」と言っても、相当いろいろな宗派が乱立している。ここにユダヤ教徒と、国王派(国教会派)が加わる。あと、アイルランド人やフランス人(ユグノー派)がいて、島によってはマルーン武装勢力が控えている。この状況は、本国イングランドで終息した革命状況が、緩慢に継続した状態といえるかもしれない。

・宗教的寛容
「1660年以降西インド諸島は、計画的な統治政策の一環として、イングランド以上にずっと寛容な取り扱いを受けるようになった。リーワード諸島の主席総督は、1670年に忠誠と国王至上権の誓約はしなくても良いと特別に支持された。移住者を引きつけることが望ましかったということの他に、カリブ海地域にすでにいた者たちの性質が寛容を必要なものとした。」(233)
「(ジャマイカには)ほとんどのプロテスタント国よりも大きな自由がある、と1687年にある聖職者が主張した。1718年には、ジャマイカにおいては、罰金や罰則を課すことのできる教会法や司法権はないということが合意された。」(239)

・余剰人口
「1650年代に砂糖キビ栽培が拡大すると、急激に増加する奴隷人口がさらに大きな脅威の原因となり、それは1654年には6千人足らずであったが、1667年には8万人を超えると推定されている。」(234)
「1647年までには、契約期間を終えた年季奉公使用人が手にすることのできる土地はもはやなかった。(…)土地不足と過酷な課税は大量の移民流出を生み出したが、とりわけ1655年の征服以降のジャマイカに行く者が多かった。バルバドスの白人人口が最高に達した1643年以来、1667年までに1万2千人が他の島に移住してしまったと言われた。」(235)
ヒルは結論部分で、エリック・ホブズボーム(『素朴な反逆者たち』『盗賊』)を引用して言う。
「「盗賊行為は貧民化と経済危機の時代には風土病のようなものになる傾向があった」が、とりわけ「労働力の需要が比較的小さな……地方経済の形態において」それは顕著だった。(17世紀後半の西インド諸島は、大陸本土の植民地とは明確に異なり、自由労働の需要が下落していた)。盗賊行為は「他の収入源を探さなければならない」ような「地方の余剰人口」にとって「一つの自活形態」だった。」(250)

・航海条例による影響
「より小規模な農園主は自分たちの土地から追い出された。なぜなら、イングランド市場獲得のための競争において、大規模生産者についていくことができなかったからである。彼らの中のある者たちにとっては、海賊というのがそれにかわる唯一の職業だった。」(238)
二度の英蘭戦争と航海条例の徹底は、オランダの貿易船を排除することを目的としていた。そもそもオランダによる投資と貿易ではじまったバルバドス経済は、充分に成長した頃にイギリスに独占されてしまうのである。植民地の貿易は対イングランド市場に限定され、イギリス海軍は密貿易を取り締まった。この政策転換によって、カリブでは資本集中が進み、体力のない植民者がますますおちぶれていった。

・植民地経営を支えるインフォーマル経済
「短期的な観点から言うと、海賊行為は大農園主にとって便利な投資だったかもしれない。しかし長期的な観点から言うと海賊は厄介者であり、いったんカリブ海の治安警備が行われるようになると消耗品になった。海軍及び陸軍基地の維持に必要な定期的で恒常的な収入がイングランドからも西インド諸島からもないあいだは、カリブ海は密輸入業者と海賊の餌食になっていた。スチュアート王家が取り除かれることによって、イングランドにおける軍事的絶対主義の恐怖が取り除かれるまでは、西インド諸島にはそのような歳入も陸軍および海軍力もありえなかったのである。一方、戦争や非常事態において、西インド諸島の総督は海賊を必要としていた。1688年以降になってようやく、そのようなものなしでやっていくことが可能になった。」

2010年12月5日日曜日

産経新聞の誤報

朝鮮学校への抗議デモ参加者に飛びかかり妨害 27歳男を逮捕

http://sankei.jp.msn.com/affairs/crime/101205/crm1012050003000-n1.htm


知り合いのアナキストが逮捕された。
昨日、「主権回復を目指す会」という市民右翼ら100人が、民族差別デモをおこなっていたので、これに抗議したものだ。
報道では「デモ参加者に飛びかかり」となっているが、実際はそうではない。飛びかかったのは右翼の側である。
真相は、彼が抗議の横断幕を持って立ちはだかったところ、「主権回復」の代表(西村修平)が飛びかかってきたのだ。
ちょっと想像すればわかりそうなものだが、「横断幕を掲げ」ながら「飛びかかる」というのは、行為のプロセスとしてちょっと難しい。奴らに飛びかかってやろうというのなら、横断幕など捨ててしまうか最初から持っていかない。まあ、もみ合いになってしまえば誰が誰をどうしたかなどわからない状態になってしまうわけだが、最初の発端にどちらが先に手を出したかはとても重要だ。
西村たちは過去のデモなどでも、抗議者に暴行を加えてきた事実がある。 また、アナキストは先に手を出したことはない。やられたらやりかえすけどね。
というわけで、産経は嘘を書くな。訂正せよ。

2010年12月3日金曜日

2ちゃんねるの女たち

ずいぶんひさしぶりになるが、たまにはなんか書けよってことで、雑文。
この間、海上保安庁職員による尖閣ビデオの流出、警視庁公安の情報漏洩(クーデター?)などなどがあって、情報メディアはどうあるべきかみたいな正当な論議もまきおこりつつ、私は何をしていたかというと、もっぱら「2ちゃんねる」というサイトを見ていた。
深い意味はない。たんに、市民右翼がつるされる裁判(朝鮮学校の民事裁判、徳島県教組の刑事裁判)が進行していて、ヲチャ(ウォッチャー)のブログや、ヲチャの集まる2ちゃんの書き込みを読んでいるうちに、おもしろくなっちゃったのだ。
というわけで、いま、私は、ねらーだ。見てるだけだけどね。宿題もせずに「ねらー」。「仕事しろよ>俺」って感じだ。

さて2ちゃんねるのおもしろさは、短い一文だけの罵倒や中傷である。いや、おもしろいというのとは違う。非常に不快な書き込み、悪意むき出しの書き込みが多い。いま「政治思想板」を中心に見ているが、ブサヨ(不細工な左翼?)とか、草加(創価学会のこと?)などの、レッテル貼りのためのレッテル、中傷のための中傷が、極端に短い文で並ぶ。民族差別もおぞましいほど大量にある。あとはAA(アスキーアート)という文字を並べて描く絵。女の子の絵が描かれ、吹き出しに「おじちゃんたち、どうして働かないの?」という、ぐさっとくるセリフが。こうした短い文や絵で交わされる罵倒の応酬は、まったく噛み合っていないような、がっぷりと組み合っているような、不思議な流れ、かっこよくいえば旋律のようなものを形成している。これを読む作業というのは、ちょっと頭をひねるパズルのような要素がある。
いわゆる「ネットウヨク」が跋扈する「政治思想板」は、差別的な書き込みで溢れている。民族差別、性差別、失業者への差別、信仰の差別、部落差別などなど。しかし、どの種類の差別も均等に揃っているかというと、そうではない。頻繁に繰り返される差別と、まれにしか登場しない差別がある。
頻繁に登場するのは、民族差別、部落差別、創価学会など新宗教に対する攻撃、失業者・ニートへの差別、である。これらの差別が頻繁に繰り返されるのに対して、女性差別、学歴(職業)差別は、あまり登場しない。
たとえば平日の昼間に為された書き込みは、「ニート男性・失業者男性の書き込み」と見なされ揶揄される傾向が強く、「専業主婦」や「家事手伝」や「年金生活者」と見なされることは少ない。女性差別は「ブス」や「ババア」という表現であらわれるが、「女」とか「女のくせに」というむしろありそうな表現がほとんど見られないのである。
こうした差別表現・差別意識の微妙な偏りは、この板に書き込む「住人」の属性を反映しているのだと思う。おそらく我々が想像している以上に多くの女性、とくに中高年女性が、「政治思想板」に書き込んでいるのだと思われる。
彼女たちのどす黒い悪意を想像しながら、これは男、これは女、というふうに差別書き込みを読んでいくと、もう背筋がゾクゾクしてしまうのは私の悪趣味だろうか。他人を蔑み傷つけたくてしょうがない女たちがいて、それは知性やら批評性やらのかけらもないどうしようもなく卑しい表現なのだが、ここには、なんらかの力が解放されようとする前兆(あるいはその反動)があるのだと思う。

追記 書き忘れていたが、民族差別に次いで頻繁に出されるのが、知的障害者や病者(分裂症など)に対する差別表現。こういう衛生的な表現が執拗に登場するとき、書き手のおかれている社会的位置がどこにあるか、書き手の生活世界がどういうものであるか、想像してみるべきだろう。