2010年12月31日金曜日

12/30 救援会声明

検察決定をうけての救援会声明

 12月4日、渋谷駅周辺の路上で「在特会」「主権回復を目指す会」「排害社」らが、「黒い彗星」こと崔檀悦(チェ・ダンヨル)に行った集団暴行事件は、暴行の加害者が放置され、暴行の被害者が逮捕されるという前代未聞の事態を生みだしました。渋谷署の誤認逮捕に対して、東京地検は勾留を認めず被疑者とされた青年を釈放しました。
 まず私たちは、現場にあたった渋谷署の不当逮捕に抗議します。渋谷署が行った逮捕手続の不当性、被害者に対する指紋採取の不当性、被害者に対して必要な医療措置を怠ったこと、暴行加害者を充分に調べることなく帰宅させたことを、弾劾します。

 12月29日、東京地検は、不当に逮捕された被疑者に対し、不起訴処分(起訴猶予)という決定を下しました。
私たちは、東京地検の判断に抗議します。私たちは現場の映像をもとに、被疑者が暴行を加えていないことを明らかにし、被疑者の無実を訴えてきました。検察に対しては、弁護士からの意見書を通じて、「不起訴(嫌疑なし)」と決定するよう要請してきました。今回の「不起訴(起訴猶予)」という決定は、「在特会」ら暴行加害者の誤った主張を追認し、渋谷署の誤認逮捕を容認し、事実を曖昧にするものだと考えます。
 さらに私たちは、今回事件を担当した検事に、おおきな疑義を抱いてます。検事は被疑者との決定前日任意面談の際、容疑とされた暴行について触れませんでした。容疑の焦点となっているのは、被疑者がデモを妨害したかどうかではなく、暴行を加えたか否かであったはずです。なぜ検事は、暴行について触れることなく面談を打ち切り、はっきりしない曖昧な決定に至ったのか。誰が暴行し誰が暴行されたのか、検事ははっきりと分かっていたはずです。

 今回の事件は、日本社会と日本行政の腐敗・堕落を明らかにしました。現在の日本では、人間を不当に貶める差別表現が容認され、さらには、差別する者たちのおぞましい集団的暴力が容認されてしまっているのです。
 私たちはこうした現実に失望するとともに、大きな危機感を抱いています。不当な差別と暴力を許さない、けっして容認しないという決意をあらたにし、今後も多くの人々に問題を訴えていきたいと思います。
 何度でもくりかえし訴えます。
 私たちは絶対に差別を許さない。
 闘いは、これからだ。

2010年12月30日 「12.4 黒い彗星★救援会

2010年12月26日日曜日

WE'RE THE SAME ASIAN

今日は音楽ライターの二木くんと打合わせをした。
『VOL』誌の別冊という位置づけで『ANTIFA』を編集するってことで、企画を相談した。
最近の音楽シーンについて、いろいろと興味深い話を聞いた。
とくに良かったのはこれ。






WE'RE THE SAME ASIAN






HAIIRO DE ROSSI & TAKUMA THE GREATというラッパーが、日本の中国報道と右翼デモを批判している。
この曲に対して、反中・嫌中で脳をこじらせたガキが、「アンサーソング」をアップ(アンサーになってないが)。
この因縁つけに対して、HAIIRO DE ROSSI & TAKUMA THE GREATが応酬するという展開になっている。

がんばれ、HAIIRO DE ROSSI & TAKUMA THE GREAT。
奴らを黙らせるまで、私もがんばる。


おまけ(これいいね)

2010年12月24日金曜日

12/18海賊研報告「種子島神話」

 前回の海賊研究会は廣飯氏の研究報告。16世紀の東・南シナ海の海賊である。
 スペイン人によるフィリピン征服とこれに対抗した中国・日本海賊、南シナ海でイギリス船を襲撃した日本海賊、明の海禁政策とその実態、長崎(五島)を拠点にした密貿易と「鉄砲伝来」、豊臣秀吉がスペイン政府(フィリピン総督)に宛てた降伏帰順勧告などなど、話は多岐にわたったのでここでは要約できないが、これらは後日まとまった形で発表する予定だ。

 さて、今回私が印象的に感じたのは、鉄砲伝来にまつわる「種子島神話」の問題である。
 通常、我々が学校の教科書で習うのは、鉄砲伝来=種子島だ。
 1543年、種子島に難破したポルトガル人が鉄砲を持っていた。現地の種子島氏がこれを入手し、日本に鉄砲が伝わった。
 さてここで不勉強な私は、ポルトガル人=ガレオン船が漂着という絵を勝手に想像していたのだが、事実はそうではないらしい。ポルガル人が乗っていた船は、中国式のジャンク船である。船長は中国人の密貿易業者、というか、ばりばりの倭冦だ。明の海禁政策の下、彼らの一部は五島列島や長崎の平戸に拠点をおき、松浦隆信に保護されていた。松浦隆信というのはようするに海賊・松浦党だ。「鉄砲伝来」をもたらしたポルトガル人は、ポルトガル船に乗って漂着したのではなく、松浦党/倭冦のジャンク船に乗って漂着したのである。
 これは史学の専門家にとっては常識の部類なのかもしれないが、私はちょっと驚いた。
 ここからは私見だが、おそらく長崎の松浦党は、「種子島漂着事件」よりも以前に、鉄砲を入手していたのだ。ただ、彼らは鉄砲の製造をしなかった。鉄砲が日本で生産されてしまったら、貿易業者としてはうまみがなくなってしまうし、戦も大変なことになる。鉄砲という武器の性質を考えれば、水軍よりも山軍の方が有利になってしまうのは明らかだ。松浦党としては、鉄砲生産と軍事革命はできるだけ避けたい、避けられないとしてもできるだけ遅らせたいことだっただろう。おそらく彼らは誰よりも早く鉄砲を入手しつつ、棚にしまいこんでいた。そして多くの「日本人」は、種子島の漂着事件によって初めて鉄砲を発見したのだ。

 さて、「種子島神話」の何が問題なのか。
 鉄砲生産と軍事革命の契機になったのは「種子島漂着事件」である。鉄砲の生産に踏み出したという点で、またこの点に限って、鉄砲伝来=種子島という理解は正しい。
 問題は、伝来とは何かということである。なにかが、ここでは<鉄砲>が、あちらからこちらに伝来する。このとき、あちらとこちらを隔てる境界は、どこに設定されているのか。「ポルトガルから日本に伝来した」と言うのなら、それは史実として間違いである。「中国から日本に伝来した」というのも違う。「長崎から種子島に伝来した」というのも違うし、これならわざわざ「伝来」という必要はない。もっとも誠実な表現は、「東シナ海から種子島に伝来した」かもしれない。しかしここまで言うのなら、「伝来」という表現そのものを俎上にあげた方がよいのではないか。「伝来」という表現が前提する「国」の想像的輪郭、あちらとこちらを隔てる境界線の想像が、問題なのだ。海に国境はない。松浦党は日本人ではないし、倭冦は中国人でも日本人でも朝鮮人でも琉球人でもない。彼らはあちらにもこちらにも属していて、属していない。そういう人間はいつの時代もいて、「国」なんかよりもずっと古い歴史をもっているのだ。
 
て、ブログ書いてウダウダしてたらこんな時間になっちゃった。今夜はクリスマスイブなのに。
新宿に行かなくちゃ。




おまけ(本文とは関係ありません)

2010年12月22日水曜日

クリスマスのデモクラシー

 毎年この季節になると思うのだが、クリスマスっていいな。
 人間が公然と「好き好き」とか「淋しいよ」とか「とりあえず一緒に」などと言って色々なことをして、誰もそれを咎めないどころか、むしろ街中がそれを応援してくれる。こういうお祭りは、よい。クリスマスはキリスト教の例祭であるらしいのだが、キリスト教というのはつまるところ、人間の愛情表現に一般的な形式を与えたということになるのだろう。キリスト教の普遍主義と世界化は、その当初の意図を裏切って、自由恋愛を普及させてしまったのだ。こういうことを書くと、潔癖家族主義の原理主義者は怒るかもしれないが、結果としてはそうだ。こんな品のない馬鹿騒ぎをするのは東京だけだ、と言うかもしれないが、もう手遅れ。我々にとってクリスマスとは、人間の自由な恋愛感情をあけっぴろげに表現し実践するお祭りである。この日はひとりひとりが主人公なので、誰もこの例祭を取り仕切ることはできない。異性愛だろうが同性愛だろうが、家族愛だろうが不倫の愛だろうが、とりとめなくなし崩しにめいめい勝手に愛を謳歌するのだ。
恋愛デモクラシー万歳。
さあ、プレゼントを買いに行こう。

おまけ


おまけ(ちょっと古いけど名曲)

2010年12月21日火曜日

WINC(27日)の詳細

日程の詳細がきたので転載。府中市なんだね。



《新しい世紀の最初の10年の終わりに考える――『格闘する思想』を手掛かりとして》

■ 日時 2010年 12月27日(月)午後2時から
■ 場所 東京外国語大学海外事情研究所 研究講義棟四階 427    
※ 東京外国語大学の住所は「府中市朝日町3-11-1」です。西武多摩川線(中央線武蔵境駅にてのりかえ)多磨駅下車徒歩4分、あるいは、京王線飛田給駅下車北口からの循環バスで5分、「東京外国語大学前」下車です。心配な方は、東京外国語大学のホームページ上の案内図を参考にしてください。   
URLは、     
http://www.tufs.ac.jp/access/tama.html    
です。

■ 課題図書: 本橋哲也編『格闘する思想』(平凡社新書、2010年)
■ 司会:   本橋哲也さん(東京経済大学)
■ 提題者:  矢部史郎さん(思想家)/岩崎稔さん(東京外国語大学)
■ 応答者:  海妻径子さん(岩手大学)
        白石嘉治さん(上智大学)
        西山雄二さん(首都大学東京)

(WINC運営委員会)





おまけ(本文とは関係ありません)

2010年12月17日金曜日

よくある質問「なぜいま海賊なのか」

昨日は、週刊金曜日の不定期連載「格闘する思想」のインタビュー収録で、本橋さんと対談。
本橋さんから「なぜいま海賊なのか」という問いを受けて、しばし沈黙。
言われてみれば、海賊。なぜ私はこんなことを言っちゃってるのか。改めて考えてみた。
私からの回答は、我々の(または全般化した)「場所の喪失」ということなのだが、ここにもう一つ含意させておきたいのは「自治の再構築」である。

順を追って説明しよう。
資本蓄積がうみだす過剰資本は、国内外への「資本の輸出」を促す。第二次大戦後、高度経済成長を果たした日本では、蓄積された過剰資本は国内への都市開発・不動産投資に振り向けられてきた。金融資本が主導する都市開発は、短期的な収益をもとめて空間の商品化を押し進めてきた。この空間再編は、実体的な生活経済・生活文化を破壊し、「情報化社会」を促すおおきな要因となってきた。空間の商品化(情報化)の運動は、人間が住まう場所としての性格を「前進的粉砕」(ローザルクセンブルグ)する過程であったと言えるだろう。かつて、職場や学園には自治的性格をもった場所があり、人間はこれらの場所を通じて、社会的な(社会化された)知性を共有していたのだが、現在ではそうした場所に触れることは稀である。都市開発による空間再編が労働組合や学生自治会を掃討した後、現代の若年労働者と学生は、なんらかの自治空間に身を置く前にメディアを通じた情報(指令)にさらされ、実体と離れた観念的な議論に組み込まれてしまうのだ。
80年代以降に活発化するフリースペース運動、そして現在のソーシャルセンター運動は、都市開発(金融・不動産資本)への直接的対決という意図を含んでいる。そしてこうした運動が存続するために必要な前提となるのは、自治をめぐる明確なイメージを提示することである。想像される「自治」が宗派的傾向に陥らないために、また農民的共同性に陥らないために、必要なのは、我々が都市の海賊であることを自認し、海賊を宣言することなのだ。
いや、冗談で書いているのではない。私は真面目にこう考えている。
いまどんびきしただろう。いいよ、べつに。
おれはもう頭のネジがきれてんだから、そんなこといまさら言ったってどうしようもないのだ。


さて明日は今年最後の海賊研究会。
廣飯さんの研究報告。内容はまだ不明だが、おそらく近代(近世)の東シナ海についてとんでもない話が飛び出すでしょう。
12月18日15時から。新宿のカフェ・ラバンデリアに集合。





おまけ(本文とは関係ありません)


追記
 現代の都市的現象を特長づけている、観光・防犯・地域浄化は、場所の喪失に伴う「自治」の(想像的)回復と見ることができる。空間の商品化は、そこに住まおうとする人間にたいする監視・選別を惹起し、偽の「自治」を形成する。この文脈においてはじめて、現代の排外主義運動の土台を理解することができるだろう。かつて「同化主義」右翼が産業資本主義に対応していたように、現代の「排外主義」右翼は脱工業化した情報資本主義のスペクタクルに対応しているのだ。

2010年12月14日火曜日

ルネサンス研究所

市田良彦さんが「ルネンサンス研究所」というのを始めるということで、そのシンポジウムに行ってきた。
市田さんは「これは設立のための準備討論会」と言っていたが、学者と活動家と出版人が150人以上も集まってしまっていては、今後もしばらくは準備討論会が続くだろう。私も賛同人に名を連ねているのだが、なぜこの研究会に賛同しているのかというと、たんに断らなかったというだけだ。市田さんの説明はいまいちピンとこないものだったし、そもそも初期共産同(系)や川上徹(系)の人たち(60年安保を経験した高齢者たち)が集まったところで、なにができるのかは疑問だ。
自分も賛同しておいて言うのもなんだが、まったくうんざりする。いいかげんにしろと言いたい。


さて、前回の海賊研でテキストにしたクリストファー・ヒルは、イギリスの「ピューリタン革命」が「ブルジョア革命」であったのか否かという議論について書いている。ここで、ヒルは、革命の当事者たちの「自覚された意図を重視することの有効性」を否定している。ヒルは次のように言う。

「「ピューリタン革命」がピューリタンによってピューリタンの目的を達成するために行われた革命という含意をもつように、「ブルジョア革命」がブルジョアジーによって意図された革命という含意を持つとするならば、その用語にとって不幸なことである。あるいは、科学革命になぞらえてみる方がよかろう。なぜなら、その革命から立ち現れてきた科学の基準に照らして最も「非科学的」な多くの人々が、それに貢献してきたからである。ボイルとニュートンは錬金術を真剣に受け止めていたし、ロックとニュートンは千年王国論者だったのだ。」

 科学の始祖ともいうべき人々が、あらかじめ科学者であったはずがない。彼らは錬金術の思考の圏内で、物質に向かって呪文を唱えたり、病人に水銀を飲ませたりということをするなかで、自らの意図を裏切る科学を生み出してしまったのである。そしてここで重大なことは、もし彼らが「錬金術」を信じていなかったならば、彼らの科学的偉業は生み出されなかったかもしれない、ということだ。
 「ルネサンス研究所」に集まった共産主義者たちが、何を想い、何を意図しているかは、私にはあまり関心はない。重要なのは、共産主義思想がまだ充分に否定されていない、という事実である。いつかより根源的な思考の刷新がなされる日まで、共産主義は真剣に検討され続けるだろう。



おまけ

2010年12月13日月曜日

「WINC」がシンポジウムをやるそうです

東京外語大の研究会「WINC」が、年末にシンポジウムをやるそうです。本橋哲也さんからコメンテーターに出ないかと誘われたので、出席します。
12月27日(月)14:00〜 

本橋さんはデヴィッド・ハーベイ『ネオリベラリズムとは何か』の翻訳をした方ですが、雑誌『週刊金曜日』の書評委員としても知られている人。最近は、『金曜日』紙上でのインタビューをまとめた『格闘する思想』(平凡社新書)を出したそうです。

「WINC」に出るのは初めてなので、どういう話になるかわかりませんが、海賊についてどかーんと話してみようと思います。あ、でもコメンテーターだからそんなに時間はないか。でもシンポのあとは忘年会的な展開になるでしょう。海賊学生も一緒にいきましょう。

おまけ

2010年12月12日日曜日

「矢部史郎」、改名します。

今日はちょっと暇なので、駄文を書く。
あ、「黒い彗星」の激励メッセージを書いてから読んでね。

さて、もうかれこれ15年ちかく「矢部史郎」をやってきたのだが、そろそろ改名する時期かなと思う。
本来はまったく別のペンネームを考えるべきだろうが、「矢部史郎」というある程度定着した名前を手放すのは惜しい。しかし、15年も前に書いたものまで責任をもって対応するというのも、正直きつい。
これまでの「矢部史郎」とこれからの「矢部史郎」との、断絶と連続性を、同時に表す名前はないか。
というわけで、これから「後期・矢部史郎」と改名する。
だいたい2005年を境にして、1994〜05年の約10年間を「前期・矢部史郎」、2005年以後を「後期・矢部史郎」ということにする。
これで、05年以前に発表した文章について、責任がなくなるわけではないが少し軽減。「それは前期ですね」とドライに対応できる。ちょっと肩の荷が下りた気分だ。
そういうわけで、これから私は「後期・矢部史郎」、略して矢部史郎、です。
関係各位、よろしくお願いします。

おまけPV

「黒い彗星」への激励

排外主義リンチ事件は、誤認逮捕からの釈放をかちとり、次の段階へ向かう。
当面は不起訴処分(無実であることの確認)をもとめて、検察に働きかけていく。
救援会が激励メッセージを求めているので転載する。

http://d.hatena.ne.jp/free_antifa/


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★黒い彗星さんへの「激励メッセージ」をお寄せください★

 おかげさまで黒い彗星さんはぶじ早期釈放され、現在ケガの治療と生活の立て直しに専念しております。また支援カンパは12月10日現在で約25万円、すでにこれまでかかった費用をまかなうのに十分な額に達しております。みなさん、ほんとうに有難うございます。

 しかし事件は終わったわけではありません。黒い彗星さんを不当逮捕しておきながら、民族差別・排外主義デモ隊による集団暴行は不問にした渋谷署。その言い分をうのみにし検証もせずたれ流した産経新聞。そして事件を機に黒い彗星さんへの誹謗中傷、脅迫、デマを垂れ流し民族差別をまたも煽動するレイシストたちとそれを許容する日本社会。わたしたち12.4黒い彗星★救援会は、これらすべてに抗し、心を同じくする全国・全世界のみなさんとともに、黒い彗星さんの「不起訴処分」をかちとりたいと思います。

☆黒い彗星さんへの「激励メッセージ」を 800字以内 にてお寄せください。

 12.4黒い彗星★救援会ブログ(http://d.hatena.ne.jp/free_antifa/)にお載せいたします。

☆12.4 黒い彗星★救援会では、「激励メッセージ」のブログ掲載そしてその他の記事についても、当該の名前表記は「黒い彗星」に一本化することにしました。「黒い彗星」さん宛にお書きください。どうかご理解おねがいします。ほかの呼び名でのメッセージをいただいた場合は、ブログ掲載はひかえ、本人のみにお伝えさせていただきます。

☆激励メッセージ宛先:

 12.4黒い彗星★救援会 schwarzerkomet<@>gmail.com ※< > は外してください。

 メール件名:「(公表可)激励メッセージ」※コピペしてください

公表可のお名前、あるいはハンドルネームをお書き添えください。

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追記
 「埋め込み」というのをおぼえた。youtubeが貼れるんだね。
おもしろいからCHEHONのPVを貼ってみる。

2010年12月8日水曜日

「黒い彗星」公式ブログ

渋谷排外主義リンチ事件の続報。
黒い彗星★救援会の公式ブログが作られた。
http://d.hatena.ne.jp/free_antifa/

ちなみに「黒い彗星」は個人名ではなく、行動主体名。
渋谷で掲げられた横断幕は「阪神教育闘争の意志を引き継ぐ」だ。
阪神教育闘争は、民族学校への弾圧に抗して闘われた歴史的闘争。
この弾圧は、その後の朝鮮戦争とともに、公安条例(憲法違反)がつくられる要因の一つである。問題は民族問題であるだけでなく、冷戦期日本社会の基底に関わるものだ。
これから会議なので詳しく書いている時間はないが、各自検索して調べてほしい。
「阪神教育闘争」で検索だ。

渋谷リンチ事件の詳細動画

12月4日渋谷での排外主義リンチ事件について。
事件は産経新聞の誤報によって、抗議者が「デモ参加者に飛びかか」ったものとして片付けられようとしている。このような誤報が生み出されたのは、おそらく次のようなプロセスがあったと思われる。

1、排外主義デモの主催者が「男が飛び込んできた、暴行を受けた」と言う。デモ参加者もそれを信じて口々に被害を訴える。
2、渋谷署がこれを追認。「男が飛び込んできた」として発表する。
3、多くの報道関係者は無視。産経新聞だけが鵜呑みにして報道。

こうして事件は「男が飛びかか」ったことになってしまった。
しかし真相は違った。渋谷署は男を逮捕したが、東京地検はとても逮捕勾留できるものではないと判断したのだろう、地検調べの直後に釈放した。

事件現場を撮影した動画がでてきた。


http://www.youtube.com/watch?v=qvdXPdxFjt8
動画の3分15秒から、画面右端の男性に注目してほしい。ゆっくりと歩きながら近づいた男性に、デモ隊の男(西村修平)がタックルをする。
これが、渋谷署が発表し産経新聞が報道した「飛びかかり」の瞬間である。
嘘をまきちらした者すべてに、責任を追及していきたい。

2010年12月7日火曜日

凡庸なものとの対決

月刊現代の後継誌『g2』の6号を買った。
「行動する保守」ウォッチャーの間で話題になっているルポ『「在特会」の正体』を読むためだ。著者の安田浩一氏は、「在特会」桜井誠の周辺取材を重ね、ついには出入り禁止になってしまうほど彼らを調べ尽くした人。桜井誠の生まれ故郷である福岡まで訪ね歩き、すごい情報量。このルポは「在特会」研究のための基礎資料になるだろう。今後、第二弾第三弾が期待される。

安田氏のルポを読んだ感想。
まず問題点。
桜井誠の生まれ故郷を詳細に紹介しているのはよいが、そこに重心が置かれすぎているようにも見える(紙数の問題でそうしたのかもしれないが)。また、中高年が主体となっている「在特会」のなかで、あえて若年層に目を向けてしまう(若年層の言動から結論を導こうとする)傾向があるようにも思う。これはもしかすると「ネットカルチャー=ユースカルチャー」「ネット右翼=若者」という理解からきているのかもしれない。
良かった点。
桜井誠の上京前の生い立ちを調べることで、階層秩序における彼の中間的位置が明らかになっている。ネット上の桜井ウォッチャーのなかでは、「筑豊出身=下層階級」というちょっと旧い読みかたが大勢を占めているが、このルポをよく読むと、彼は下層ではない。桜井の出身高校は普通科。偏差値も普通程度。桜井の家は母子家庭であるが、母親は再婚していない。再婚せずに自分の店を持って子供二人を育てたということは、経済的に成功していると言えるだろう。もちろん裕福ではない。桜井は大学進学をしていないが、それは経済的な理由からだったかもしれない。しかし大学進学こそしていないが、桜井は読み書きができるのである。我々の読み書きの基準に照らせば、桜井はおそろしく下層に見えるのだが、それは相対的な見え方の問題であって、一般的な基準に照らしてみれば、彼は知的にも経済的にもまずまずの中途半端な階層に位置している。

凡庸なものとの対決
安田氏のルポを読んで腹におちたのは、彼らがもつこの中途半端な位置感覚である。「在特会」をはじめとする「行動する保守」の中高年を見ていて感じるのは、なぜこんなに愚鈍なのに文章を書けるのだろう、なぜ読み書きができるのにこの水準にしか届かないのだろう、という違和感である。あれだけ大量の文章を書いて発表しているのに、それに見合うだけの内容も評価も得ることができない。むしろ書けば書くほど内容が失われ、軽蔑されてしまう。いったいなんのために書いているのか。この出口のない中途半端な知性は、ぞっとするような不全感を抱えておかしくない。
ベルナール・スティグレールが『象徴の貧困』で問題にしているのは、こういうことなのだろう。スティグレールが明らかにするのは、メディア社会によって蔓延する「耐え難い凡庸さ」、「自己愛の喪失」である。自己愛が弱く、他人からの承認を求めてさまよっているのは、具合の悪い若い女性ばかりではない。排外主義右翼の中高年は「承認欲求」の虜となって、書けば書くほど軽蔑されるような内容を飽くことなく書き続けている。その内容は一見すると過激だが、よく読むとありきたりな視点しかない。彼らは「マスコミ」を批判するが、それは彼らが「マスコミ」と全く別の視点を持っているからではなくて、むしろ「マスコミ」以上に「マスコミ」的な視点に留まっていて「マスコミ」(の承認)にこがれているからである。「国民」「防衛」「防犯」、うんざりするほど凡庸な奴らだ。
 知性、暴力、性愛が、それぞれに特異な視点を構成している傍らで、なにをとってもいまひとつの中途半端な中高年たちがのたうちまわっている。かつての「国民」の残骸、あるいは「国民」のゾンビ。
これら凡庸なものと対決しなくてはならない。

12・4渋谷事件の詳報

先週末、東京・渋谷で起きた排外主義リンチ事件について。
リンチを受けた被害者が逮捕されるという前代未聞の出来事に慌てながら、彼の友人たちは迅速に弁護士接見を手配し、救援組織をつくった。私もこれに加わって、地検押送での激励街宣などに動いていたのだが、この日(6日)被害者は釈放された。あたりまえだ。そもそも渋谷署の逮捕・勾留が間違いなのだ。不起訴処分が確定するまでまだ警戒は続けなければならないが、ひとまず安心した。
これから反撃だ。必ずおとしまえはつけさせる。
以下、救援会からの報告と声明。




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【転送・転載歓迎】

12.4排外主義デモに抗議した「黒い彗星」
の不当逮捕にかんする声明(6日に釈放)

《追記: 以下の声明の発表日である6日の夜に、「黒い彗星」さんは釈放され、友人たちと再会することができました。釈放後の詳細などについては、あらためてお知らせします。》


 京都の朝鮮初級学校を排外主義団体「在日特権を許さない市民の会」が襲撃した日から、124日で一年になります。ちょうどこの日に「排害社」なる団体が、在日朝鮮人への差別と排斥をあおるデモを渋谷でおこない、またそれにたいして、差別・排外主義に抗議する個人やグループも渋谷に集まりました。ところが、その抗議者のひとりが不当にも逮捕されるという事態が起こりました。

 わたしたち救援会は、経緯を次のように確認しています。この日の午後に逮捕された「黒い彗星」は、排外デモにたいして単身で抗議の横断幕を正面から示すという、非暴力直接抗議をおこないました。それにたいして、排外デモ参加者のひとりがすぐさま飛びかかり、両者がかれと接触するやいなや、ほかの排外デモ参加者たちもいっせいにかれを囲み、袋叩きにしました。しばらくして、渋谷警察はかれを排外デモから引き剥がし、「保護」と称してかれを渋谷署に連行します。しかし、取調室に到着するや、前言をくつがえして「暴行による現行犯逮捕だ」とかれに告げ、そのまま署に勾留したのです。しかも、かれは排外デモの暴行により顔などをケガしていましたが、警察は同日の深夜までそれを放置し、病院に連れて行きませんでした。

 これがどういう事態かは誰にもあきらかでしょう。排外デモへのひとりの抗議者を、排外デモ参加者はよってたかって暴行したのです。しかも、あろうことか渋谷警察はその集団暴行をとがめることもなく、逆に暴行をたったひとりで受けた抗議者のほうを逮捕したのです。

 在日朝鮮人への差別を扇動し、朝鮮学校を襲撃したレイシストをまつりあげるような、とんでもない排外デモに抗議することは、100パーセント正当なことであって、そのような抗議への弾圧をわたしたちは許せません。そのうえで、暴行をおこなった排外デモは事情聴取だけで放免し、逆に集団暴行の被害者であるかれを「暴行」罪で逮捕した渋谷警察は、二重にも三重にも不当であると訴えます。そして、かれを袋叩きにし、自分たちはピンピンしていながら、被害づらをしている排外デモ参加者たちは、どこまでも徹底的に糾弾されねばなりません。

 したがって、わたしたちはこの不当逮捕を断固として糾弾します。


2010126日 12.4黒い彗星★救援会



【救援カンパをお願いします】

弁護士費用や「黒い彗星」さんのケガの治療・検査費のために、みなさまからのご支援が必要です。カンパへのご協力をお願いいたします。

ふりこみ先
ゆうちょ振替 口座番号:00180-2-338249 口座名義:カシワザキ マサノリ
※ 通信欄に「12.4救援」とお書きください。


問い合わせ先(メール) schwarzerkomet<@>gmail.com ※< > は外してください。


2010年12月6日月曜日

民族排外主義と闘うぞ

私はいま怒っている。
渋谷警察署と排外主義右翼だ。
詳細はまだ書かない。今夜から明日にかけて公式声明がでる予定なので、それまでちょっと待ってほしい。そのころには詳細な動画も出るはずだ。
いまはまだ初動段階なので、まだ救援会の人数は多くないが、みな怒っている。
今回渋谷で起きた事件は、もう、むちゃくちゃだ。
民族排外主義と闘う諸君、集合だ。
「主権回復」の右翼西村、「排外社」のチョロスケ、そして渋谷署。
君たちに重い後悔をさせてやろう。待ってろ。

12/4海賊研報告「カリブの清教徒革命」

知り合いがパクられて、私は救援に動くので、今後それ関連の身辺雑記が増えてしまうと思う。
で、海賊研究会。前回はどうにもアツいヤバい感じだったが、詳細を報告している時間がない。
レジュメをそのまんま貼るという暴挙にでようと思う。

次回は12月18日(土) カフェラバンデリアにて
廣飯くんの研究報告で、今年は締め。
そのころに釈放されてると良いのだが、こればっかりは予測できない。
以下、前回れじゅめ。
ーーーーーーーーーー

海賊研究会 れじゅめ 20101204 矢部史郎

・まずは清教徒革命のあらすじ

革命前の状況
政治 対外戦争による財政悪化、国王大権による徴発、国王と議会の対立
経済 資本主義的農場経営、貴族・富農のジェントリー化、人口爆発と貧困層の形成
宗教 国教会の権威低下、ピューリタン諸派の活性化、「千年王国」信仰

1628 議会からチャールズ1世に対して「権利の請願」
1629 議会の強制解散、チャールズ1世の専制(11年間の専制)

チャールズ1世は、王権神授説に基づく国王大権(徴発権)を行使して財政再建を進めようとしたが、王室は徴税を実行するための有効な官僚組織を持たなかった。現実には、地方貴族とジェントリーの協力がなければ、徴税と財政再建は不可能だった。

1640 国王が議会を招集。
1641 議会は、国王大権の制限、議会主権を主張する「大抗議文」を可決
1642 「大抗議文」をめぐって議会が分裂。国王逃亡。
国王派と議会派の内戦に突入。

議会派は、政治的に反国王であるだけでなく、国教会支配に対抗するピューリタン諸派の宗派闘争も含んでいた。また、普通選挙権や社会主義を目指す諸派(レヴェラーズ、ディガーズ、ランターズ)は、資本主義化によってうみだされた都市貧民や貧農を代表する階級的性格を持っていた。

1645 ニューモデル軍結成
議会軍の弱体を痛感したクロムウェルは、私兵を解散させて議会軍に編成し、ユニフォーム、食料、賃金を支給し、交戦規定、戦術などを記した軍事要理を配布することで、最強の軍隊を創設することを議会に提案した。ニューモデル軍と呼ばれたこの軍事組織のもっとも革新的な部分は、昇進が、出生や家柄、人脈によるものでなく、戦場の功績によって行われることだった。(http://gold.natsu.gs/WG/ST/226/st226i.html)
これはフランスにおけるナポレオン軍のようなもの。ニューモデル軍は、イングランドのサンキュロットであると考えてよいだろう。ヒルの表現では、クロムウェルとは、ロベスピエールとナポレオンが一つになったような人物。革命とその後の反動を一人で担うことになった人間である。

1648 チャールズ1世捕獲。議会派勝利。
1649 共和政宣言
長老派、レヴェラーズの粛正
議会の強制解散
1653 クロムウェル、護国卿に就任。護国卿体制。
第五王国派を粛正
議会と軍の主導権争いで大混乱するなか、クロムウェル死去
1660 王政復古(チャールズ2世)
1688 名誉革命



・航海条例と英蘭戦争

1623 アンボイナ事件。東南アジア・東アジアとの貿易をオランダが独占。
1651 航海条例 イングランドと植民地への輸入をイギリス籍船舶に限定
1652 英蘭戦争
1654 英蘭戦争講和。クロムウェル(護国卿体制)がジャマイカを占領。
1660 航海条例 イングランド圏の輸出入すべてをイギリス籍船舶に限定
1665 第二次英蘭戦争
1667 第二次英蘭戦争講和





ここから本題。

クリストファー・ヒル著 『17世紀イギリスの民衆と思想』
第8章 「急進的な海賊?」

「1640年以降の期間を扱う本稿の目的にそって、「急進的」という言葉は国家教会を拒否し、完全な宗教的寛容を支持し、この点を ーー世間で認められたピューリタニズムの範囲を越えるところまでーー 追求して民主的、共産主義的、反律法主義的理念の唱導にまでしばしばたちいたった人々のことを指すものとする。」(221)
「私たちをあれほど魅了した1640年代と1650年代のあのすべての素晴らしい理想や理想家たちはどうなったのだろうか。」(221)
「1660年以降の急進的な思想の消滅は、より厳格で包括的な検閲が復活したことによって生じた視覚的幻想なのかもしれない。」(222)

・イングランドからカリブへの移住
チャールズ専制期の移住
「1630年代に、プロヴィデンス・アイランド会社はカリブ海南米北部沿岸沖の島を奪取して、宗教上の問題で不満を持っている者の避難所、そしてスペインの中南米独占をこじ開けるための基地とした。この会社は(…)1630年代におけるチャールズ1世に対する反対の一つの台風の目となっていた。」

革命から反動期の移住
「レヴェラーズが敗北した年である1649年10月に、ジョン・リルバーンは政府が財政援助をしてくれるつもりがあるのなら、自分の信奉者を西インド諸島に連れ出してやろうと申し出た。
イングランドの驚くほど多数の急進主義者が1660年の直前あるいは直後に西インド諸島に移民した。ランターのジョウゼフ・サモンはバルバドスに行った。」(230)
(ジョン・リルバーンはレヴェラーズの指導者)

カリブに渡っていった宗派には、クエイカー教徒、ランターズ、マグルトン派、第五王国派、アナバプテスト派、ユダヤ教徒などがいた。
クエイカーは平和主義者で知られるが、カリブのクエイカーは平和主義者になる前の世代(1661年以前の移民)なので、平和主義者でない者たちが含まれる。また、実際にはクエイカーではない者が「変な奴はみなクエイカー」と一括りにされていたふしがある。
ランターズは、道徳律廃止論を唱える「千年王国」思想の一派。不道徳な人たち。
マグルトン派はランターズと同じく「千年王国」の一派。ウェブで調べたところ、「教会を否定してパブ(居酒屋)に集う宗派」であるらしい。ちょっとおかしい。
第五王国派は、クロムウェルの護国卿体制を支えた貧困層の「千年王国」派。護国卿体制確立後に弾圧・排除された。レヴェラーズ粛正に加担して最後には裏切られた人たち。
アナバプテスト派は、もっとも古くから政教分離を唱えた一派。カトリックからもプロテスタントからも迫害された。
「ピューリタン」と言っても、相当いろいろな宗派が乱立している。ここにユダヤ教徒と、国王派(国教会派)が加わる。あと、アイルランド人やフランス人(ユグノー派)がいて、島によってはマルーン武装勢力が控えている。この状況は、本国イングランドで終息した革命状況が、緩慢に継続した状態といえるかもしれない。

・宗教的寛容
「1660年以降西インド諸島は、計画的な統治政策の一環として、イングランド以上にずっと寛容な取り扱いを受けるようになった。リーワード諸島の主席総督は、1670年に忠誠と国王至上権の誓約はしなくても良いと特別に支持された。移住者を引きつけることが望ましかったということの他に、カリブ海地域にすでにいた者たちの性質が寛容を必要なものとした。」(233)
「(ジャマイカには)ほとんどのプロテスタント国よりも大きな自由がある、と1687年にある聖職者が主張した。1718年には、ジャマイカにおいては、罰金や罰則を課すことのできる教会法や司法権はないということが合意された。」(239)

・余剰人口
「1650年代に砂糖キビ栽培が拡大すると、急激に増加する奴隷人口がさらに大きな脅威の原因となり、それは1654年には6千人足らずであったが、1667年には8万人を超えると推定されている。」(234)
「1647年までには、契約期間を終えた年季奉公使用人が手にすることのできる土地はもはやなかった。(…)土地不足と過酷な課税は大量の移民流出を生み出したが、とりわけ1655年の征服以降のジャマイカに行く者が多かった。バルバドスの白人人口が最高に達した1643年以来、1667年までに1万2千人が他の島に移住してしまったと言われた。」(235)
ヒルは結論部分で、エリック・ホブズボーム(『素朴な反逆者たち』『盗賊』)を引用して言う。
「「盗賊行為は貧民化と経済危機の時代には風土病のようなものになる傾向があった」が、とりわけ「労働力の需要が比較的小さな……地方経済の形態において」それは顕著だった。(17世紀後半の西インド諸島は、大陸本土の植民地とは明確に異なり、自由労働の需要が下落していた)。盗賊行為は「他の収入源を探さなければならない」ような「地方の余剰人口」にとって「一つの自活形態」だった。」(250)

・航海条例による影響
「より小規模な農園主は自分たちの土地から追い出された。なぜなら、イングランド市場獲得のための競争において、大規模生産者についていくことができなかったからである。彼らの中のある者たちにとっては、海賊というのがそれにかわる唯一の職業だった。」(238)
二度の英蘭戦争と航海条例の徹底は、オランダの貿易船を排除することを目的としていた。そもそもオランダによる投資と貿易ではじまったバルバドス経済は、充分に成長した頃にイギリスに独占されてしまうのである。植民地の貿易は対イングランド市場に限定され、イギリス海軍は密貿易を取り締まった。この政策転換によって、カリブでは資本集中が進み、体力のない植民者がますますおちぶれていった。

・植民地経営を支えるインフォーマル経済
「短期的な観点から言うと、海賊行為は大農園主にとって便利な投資だったかもしれない。しかし長期的な観点から言うと海賊は厄介者であり、いったんカリブ海の治安警備が行われるようになると消耗品になった。海軍及び陸軍基地の維持に必要な定期的で恒常的な収入がイングランドからも西インド諸島からもないあいだは、カリブ海は密輸入業者と海賊の餌食になっていた。スチュアート王家が取り除かれることによって、イングランドにおける軍事的絶対主義の恐怖が取り除かれるまでは、西インド諸島にはそのような歳入も陸軍および海軍力もありえなかったのである。一方、戦争や非常事態において、西インド諸島の総督は海賊を必要としていた。1688年以降になってようやく、そのようなものなしでやっていくことが可能になった。」

2010年12月5日日曜日

産経新聞の誤報

朝鮮学校への抗議デモ参加者に飛びかかり妨害 27歳男を逮捕

http://sankei.jp.msn.com/affairs/crime/101205/crm1012050003000-n1.htm


知り合いのアナキストが逮捕された。
昨日、「主権回復を目指す会」という市民右翼ら100人が、民族差別デモをおこなっていたので、これに抗議したものだ。
報道では「デモ参加者に飛びかかり」となっているが、実際はそうではない。飛びかかったのは右翼の側である。
真相は、彼が抗議の横断幕を持って立ちはだかったところ、「主権回復」の代表(西村修平)が飛びかかってきたのだ。
ちょっと想像すればわかりそうなものだが、「横断幕を掲げ」ながら「飛びかかる」というのは、行為のプロセスとしてちょっと難しい。奴らに飛びかかってやろうというのなら、横断幕など捨ててしまうか最初から持っていかない。まあ、もみ合いになってしまえば誰が誰をどうしたかなどわからない状態になってしまうわけだが、最初の発端にどちらが先に手を出したかはとても重要だ。
西村たちは過去のデモなどでも、抗議者に暴行を加えてきた事実がある。 また、アナキストは先に手を出したことはない。やられたらやりかえすけどね。
というわけで、産経は嘘を書くな。訂正せよ。

2010年12月3日金曜日

2ちゃんねるの女たち

ずいぶんひさしぶりになるが、たまにはなんか書けよってことで、雑文。
この間、海上保安庁職員による尖閣ビデオの流出、警視庁公安の情報漏洩(クーデター?)などなどがあって、情報メディアはどうあるべきかみたいな正当な論議もまきおこりつつ、私は何をしていたかというと、もっぱら「2ちゃんねる」というサイトを見ていた。
深い意味はない。たんに、市民右翼がつるされる裁判(朝鮮学校の民事裁判、徳島県教組の刑事裁判)が進行していて、ヲチャ(ウォッチャー)のブログや、ヲチャの集まる2ちゃんの書き込みを読んでいるうちに、おもしろくなっちゃったのだ。
というわけで、いま、私は、ねらーだ。見てるだけだけどね。宿題もせずに「ねらー」。「仕事しろよ>俺」って感じだ。

さて2ちゃんねるのおもしろさは、短い一文だけの罵倒や中傷である。いや、おもしろいというのとは違う。非常に不快な書き込み、悪意むき出しの書き込みが多い。いま「政治思想板」を中心に見ているが、ブサヨ(不細工な左翼?)とか、草加(創価学会のこと?)などの、レッテル貼りのためのレッテル、中傷のための中傷が、極端に短い文で並ぶ。民族差別もおぞましいほど大量にある。あとはAA(アスキーアート)という文字を並べて描く絵。女の子の絵が描かれ、吹き出しに「おじちゃんたち、どうして働かないの?」という、ぐさっとくるセリフが。こうした短い文や絵で交わされる罵倒の応酬は、まったく噛み合っていないような、がっぷりと組み合っているような、不思議な流れ、かっこよくいえば旋律のようなものを形成している。これを読む作業というのは、ちょっと頭をひねるパズルのような要素がある。
いわゆる「ネットウヨク」が跋扈する「政治思想板」は、差別的な書き込みで溢れている。民族差別、性差別、失業者への差別、信仰の差別、部落差別などなど。しかし、どの種類の差別も均等に揃っているかというと、そうではない。頻繁に繰り返される差別と、まれにしか登場しない差別がある。
頻繁に登場するのは、民族差別、部落差別、創価学会など新宗教に対する攻撃、失業者・ニートへの差別、である。これらの差別が頻繁に繰り返されるのに対して、女性差別、学歴(職業)差別は、あまり登場しない。
たとえば平日の昼間に為された書き込みは、「ニート男性・失業者男性の書き込み」と見なされ揶揄される傾向が強く、「専業主婦」や「家事手伝」や「年金生活者」と見なされることは少ない。女性差別は「ブス」や「ババア」という表現であらわれるが、「女」とか「女のくせに」というむしろありそうな表現がほとんど見られないのである。
こうした差別表現・差別意識の微妙な偏りは、この板に書き込む「住人」の属性を反映しているのだと思う。おそらく我々が想像している以上に多くの女性、とくに中高年女性が、「政治思想板」に書き込んでいるのだと思われる。
彼女たちのどす黒い悪意を想像しながら、これは男、これは女、というふうに差別書き込みを読んでいくと、もう背筋がゾクゾクしてしまうのは私の悪趣味だろうか。他人を蔑み傷つけたくてしょうがない女たちがいて、それは知性やら批評性やらのかけらもないどうしようもなく卑しい表現なのだが、ここには、なんらかの力が解放されようとする前兆(あるいはその反動)があるのだと思う。

追記 書き忘れていたが、民族差別に次いで頻繁に出されるのが、知的障害者や病者(分裂症など)に対する差別表現。こういう衛生的な表現が執拗に登場するとき、書き手のおかれている社会的位置がどこにあるか、書き手の生活世界がどういうものであるか、想像してみるべきだろう。

2010年11月12日金曜日

「渡辺党」伝説

今週末、私は田舎の法事にいくため、残念ながら次回の海賊研は欠席します。
廣飯くん、菰田くん、よろしくお願いします。
田舎の法事といっても、大叔母か大叔父かのもので、私にとってはほとんど面識のない方の法事である。が、愛知に住む母が新潟まで一人で遠出するのは不安だというので、私が付き添うことになったのだ。新潟の田舎には、子供の頃に一度か二度、行ったことがある。村中のほとんどの家が「渡辺さん」だったので、驚いた記憶がある。人の出入りの少ない場所だから、おそらく現在もそうだろう。この渡辺の集落に曾祖父が遺した小さな家がある。この家もいつかは私が相続することになるだろうから、法事のついでに掃除をしに行くというわけだ。

渡辺さん
「渡辺」という姓は、全国でも五本の指に入るほど多いポピュラーな姓である。あまり目立たないが、クラスに一人や二人は必ず渡辺がいる。大きな職場なら必ず一人渡辺さんがいて、中高年は親しみをもって「ナベさん」と呼ぶ。とてもありふれた名前だ。
おそらく明治のはじめ、「百姓もみな姓をつけて戸籍係に登録せよ」と言われたとき、百姓たちは考えたのである。「どうすんべなあ、なんか格好のつく名字はねえかな」「おら忙しくて考えてる暇ねえからよ、適当に頼むわ」「じゃ、おまえは、サカナ」「サカナって、それはなし」「じゃ、トアミ」「それもなしだろ」「うーん、フネ!」「違うだろ、もっと家らしい漢字っぽい名前にしろよ」「なんなんだよ自分で考えろよ」とかなんとかひとしきりやって最終的に、「じゃ、みんなワタナベってことでいいんじゃね」となったのが、現代の渡辺さんたちである(想像)。
ワタナベさんは人口が多いだけでなく、漢字表記のバリエーションも多く複雑だ。
渡辺、渡部、渡邊、渡邉、というあたりが標準的なものだが、実際に姓に使われている「べ」の漢字はもっと種類が多い。私の場合、10年前に戸籍を転籍するときに「邉」という標準的な表記に変更したのだが、もともとはちょっと違った。もともとは、「自」とその下の「ワ」を連結して書くタイプの「邉」であった。「邉」を確定するにあたって、戸籍係の窓口で見せられた「べ」の一覧表は、こういうちょっとだけ違う「邉」や「邊」が並んでいた。一画だけ欠けているもの、一画多いもの、「自」が「白」「目」「臼」になっているものなどが、とりとめなくえんえんと並ぶ。なんでこんなに多いのか、と。おそらく明治の戸籍登録の際に書記が書き間違えたか、あるいは、当該ワタナベさんが意図的に少しだけ字を変えて登録したのだろう。役所としては、できれば標準的な「辺」か「邉」に変更してほしいということだったので、私はもとの形に近い「邉」にしたのだった。

「渡辺党」伝説
「べ」のバリエーションが多い理由として考えられるのは、ワタナベさんが全国に分布しているということがある。瀬戸内から北陸、関東、東北まで、さまざまな地域でワタナベを名乗った人々がいる。
渡辺という姓でもっとも有名な武士は、源頼光の配下で四天王の一人に数えられる「渡辺綱」である。歴史に登場する有名な渡辺は、唯一この人だけだと言っていい。渡辺という姓はたしかに由緒ある武家の姓なのだが、室町や戦国期に渡辺某という武将がいたという話はほとんど聞かない。「渡辺綱」以降、渡辺姓の有名人はおらず、綱の次に有名なのは現代の渡辺恒雄(ナベツネ)という状態だ。
さて源氏の武将である渡辺綱は、のちに「渡辺党」と呼ばれる軍団を率いていた。「渡辺党」は、平氏掃討後の瀬戸内海の水運を支配する。中世のころ、渡辺さんは水軍だったのである。その後の水軍の多くが「渡辺党」を源流にしていると言われ、九州の水軍「松浦党」も「渡辺党」の流れを汲むらしい。瀬戸内海の水運を牛耳った「渡辺党」は、日本海・太平洋にも水軍を派遣し、あるいは海賊となり、列島各地に拡散していったのだという。
日本列島の沿岸に暮らす漁民や川筋に暮らす水運業者たちにとって、「ワタナベ」は特別な意味を持つ姓だったかもしれない。現代の我々が「山口組」というときのような意味を、「ワタナベ」は持ったのかもしれない。であるとすれば、おそらく多くの海賊・悪党が「ワタナベ」を騙っただろう。「俺は、古くは嵯峨源氏の流れを汲む渡辺綱の配下、渡辺党の流れを汲む○○党の、なかでも七人衆と恐れられた○○権兵衛の、手下○○じゃ」という男が東北の寒村にあらわれて、漁師を脅して屈服させたり、逆に袋だたきにあって殺されたりしただろう(想像)。


「ワタナベ党」宣言
ともあれ、水軍・海賊の権勢が、嘘と本当の混じり合う伝説を伴って伝播していったことは想像できる。陸地で闘われる明示的な権力闘争とは別に、海辺・水辺の権力闘争があって、そこは虚実の定まらない多分に暗示的な力の抗争の場であったはずだ。渡辺綱の武勇伝に羅生門の鬼を斬るという話があるが、こうした禍々しい妖気に満ちた武は、海賊の頭領に相応しいものだ。神秘的、というとちょっと語弊があるが、なにか常識の枠には収まりきらないけたはずれの力が想像されていて、このワタナベの妖気は、陸地の条理空間を牛耳る権力とは別の、無縁の、離心的なベクトルをもった暴力を育むための想像的な媒体、民衆・悪党のある種の「神話政治」を支えるための容器になっただろう。って自分でもなにを書いてるのかわからなくなってきたのだが、なんだっけ。そう、ワタナベはなんか怪しい。ワタナベは由緒ある武家の名であるというよりも、もっとずっと怪しい伝説じみたものとしてあったのだと思うのだ。
以上は私の勝手な妄想だが、妄想ついでに最後まで書いてしまおう。
そして明治のはじめ、ワタナベは復活する。国家の戸籍制度に組み込まれようとするときに、ある百姓は言葉にできない恐れと怒りを抱いたかもしれない。海辺・水辺に暮らす素性の怪しい流民百姓たちが、姓を名乗り登録することにまったく抵抗がなかったとは考えられない。なにが気に食わないって、はっきり言葉にすることはできないのだが、高度に抽象的な、あるいは象徴の次元で、納得できないことがある。そのときに、流民百姓たちの古い記憶のなかから「ワタナベ」という海賊の名が想い起こされたことは、ある必然性を含んでいるのかもしれない。それは「ワタナベ」と口にしたときの反語的な響き、なんとなくニヤッとしてしまう悪意や批評性も含めて、そうなのだ。
日本列島の各地で、膨大な数の百姓たちが、海賊「渡辺党」を想起しその名を騙った。ちょっとわくわくする話だ。

2010年11月11日木曜日

「日本経済」とは誰の経済なのか

TPP協議の是非をめぐって、マスメディアの論調の大勢は、推進に傾いているようだ。他人の財布に平気で手を突っ込む泥棒エコノミストたちが、みんなで盗めば怖くない式の自由化推進論を展開している。不快だ。
これからここで検討したいと思うのは、ネオリベ(泥棒)がどのようにナショナリズムに依拠しているかという問題である。まず例文を読んでもらおう。11月8日付、「ロイターコラムニスト田巻一彦」という署名での記事だ。

TPP対応で菅首相の指導性に疑問符

ここから一部を抜粋しよう。

「政府は来年10月をメドに国内農業の保護や改革を目指した行動計画をまとめる方針だが、そこまでTPP参加の決断を先送りしては、TPP交渉に入れぬまま”置き去り”にされるリスクが高まる。そうなれば日本経済にとっては大打撃で「長期低落」から「没落」の危険に直面してしまう。菅首相はトップの責任で来年春までに参加の決断をするべきだ。」

さて、「置き去り」、「日本経済」、「大打撃」、「没落」という言葉が踊る。こうした見立てがまるで自明であるかのようにして危機アジりをしているわけだが、どれも根拠が薄弱で、主観の域を出ない。ほとんど「言ってるだけ」のスローガンじみた「分析」なのだが、なかでももっとも曖昧で判然としないのが、「日本経済」とは何かということである。
「日本経済」とは、何なのか。それは「日本人」が関わる経済なのか、それとも「日本企業」が関わる経済なのか、あるいは「日本市場を舞台にした経済」なのか。その「日本経済」に輪郭はあるのか、あるとしたらどこからどこまでが「日本経済」だと考えるのか。いま危機感をもって声をあげている農家と地方経済は、彼らの言う「日本経済」に入っているのか、いないのか。いったい「日本経済」とは誰の金の話なのか、まずはそこをはっきりさせないことには、議論にならないはずだ。現在の自由化推進論は、エコノミストがただ自分たちの利権のために「日本経済」を勝手に僭称していると言われてもしょうがない状態である。
「日本経済」という論法は、ありがちだがとても危険で有害な論法である。これはたとえば霊感商法が高額な墓石を売りつけるときに、家族の話を持ち出すようなものだ。「家族によくないことが起きるかもしれない」と、霊感商法は言うのだ。真面目な人間は、自分のことだけでなく、自分の家族が平穏無事であってほしいと願っている。当然だ。「家族なんかどうなったっていい」というヤクザ者は、そうそういない。だから、家族の話を持ち出してそれとなく脅されれば、異常に高額な墓石を買ってしまう人もいるわけだ。
「日本経済」という脅し文句は、真面目な人ほどよく効いてしまう。書いている本人が日本経済のことなど少しも考えていなかったとしても、だ。よく思い出してほしいのだが、自由化・規制緩和を推進したネオリベエコノミスト竹中平蔵は、アメリカに籍を置いて日本の所得税住民税をバックレていた人間である。この手の泥棒エコノミスト連中が、日本経済の将来を真面目に考えたり、少しでも責任を負おうとしているとは、とうていありえない話である。そして、日本の経済に責任を負おうという意識がないからこそ彼らは、威勢のよい危機アジりと「改革」スローガンを、慎重さのかけらもなく号令できるのである。
あるいはこれは欺瞞(他人だけでなく自分を含めて欺くこと)なのかもしれない。エコノミストは「日本経済」という空疎な言葉を信じていないというだけでなく、同時に、「日本経済」という切り出し方以外に言葉を持たず、それなしには経済を見据えることができないという、彼ら自身の認識の限界を示しているのかもしれない。だとすればそれは経済学の問題である以前に、世界認識の問題、ナショナリズムの問題であると言えるだろう。

はっきりさせておくが、「日本経済」などというものは存在しない。仮にあったとして、それは一つではない。奴らの言う「日本経済」と、我々が生きて意識している「日本経済」は、まったく別物である。
そもそも「日本経済」などといういい加減で不明確な言葉を使うから、事態が見えなくなってしまうのだ。これはまるで自民党残党の市民右翼たちが、「我々日本人が」と勝手に「日本人」を代表したあげく、その言葉の定義の不明確さによって自縄自縛に陥り、何一つ有効な議論を提起できないでいるような、あのヘタクソぶりを想起させるものだ。この市民右翼たちには、「日本人」などといういい加減な言葉を使うな、と言っておく。また同様に、泥棒エコノミストたちに対しては、「日本経済」なんていい加減な言葉を振り回して悦に入ってんじゃないぞ、と言っておこう。
「日本経済」「日本人」。はあ。こんな脅し文句にすぎない気分だけの言葉に、いつまでも取り合っているわけにはいかない。「ナショナリズムは意識を眠らせる」という教科書どおりの話、イロハのイだ。繰り返し言うが、奴らの言う「日本経済」と、我々が生きて意識している「日本経済」は、まったく別物である。銀行・財界の経済があり、我々の生活の経済があり、奴らに譲るものなどなにひとつない。それだけの話だ。 

2010年11月10日水曜日

地図の改造

世界地図を改造した。
A1サイズの世界地図を壁から取り外して、日付変更線の付近の経線に沿って縦に切り落とす。次に、アメリカ大陸の脇にある余白を切り落とし、ヨーロッパ側の余白には糊を塗る。アメリカ大陸をヨーロッパの西になるように配置して、グリーンランドがずれないように気をつけて貼る。
こうして分割されていた大西洋を一体にしてやると、カリブは「西インド諸島」になり、日本は「極東」になる。
すっきりした。
もっとはやくやればよかった。

2010年11月9日火曜日

11/6海賊研報告「福建の黒社会」

前回の海賊研は、ノンフィクションライターの小野登志郎氏を招いて、福建省の「黒社会」についてお話を聴いた。質疑やディスカッションも活発に行われ、たいへん盛り上がった。
私が印象的だったのは、いわゆる「中国マフィア」と「日本の暴力団」の質的な違いについてであった。小野氏の分析(あるいはこの業界では常識なのかもしれないが)によると、日本の暴力団は、「カタギ」と「ヤクザ」の境界が強く、世界でも例がないほど強固に組織化されている、という特徴があるのだそうだ。アメリカや中国など海外の「マフィア」は、「カタギ」との境界がもっと曖昧で、「犯罪」と「ビジネス」の境界も小さい。だから、日本のように疑似身分的集団が巨大なピラミッド組織を形成することは、海外ではありえないというのだ。「山賊か海賊か」という比喩で言えば、世界の標準は「海賊的」で、日本の暴力団は突出して「山賊的」ということになる。
では、なぜ日本の暴力団は、「海賊的」でなく「山賊的」な組織構成をとってきたのだろうか。これは本題からずれるのであまり深く議論できなかったが、小野氏は一言「国家権力の構成の問題だろう」とだけ指摘した。国家による暴力の独占の様態が、「アンダーグラウンドの暴力を規定する」(小野)。日本の国家が、暴力団組織を補助的な権力装置として利用してきたことが、「世界でも稀な近代的組織」(小野)を実現したということだろうか。とすれば、豊臣政権が行った「海賊禁止令」「刀狩令」のインパクトは、予想以上に大きな影響を及ぼしているということになる。
ここで私が含意させたいと思っているのは、日本の組織暴力一般の問題であって、我々に密接なところで言えば、労働運動の組織化の問題である。世界でも稀な高い組織率を実現した日本の本工労働組合は、労働運動の「山賊的」解釈を背景にしているだろうこと、それは暴力団組織がもつ「ナワバリ」「シマ」的想像力に近しいものであろうということだ。しかし、外国人・女性・若年労働者の労働運動は、本工主義と根本的に断絶した地平で、労働法を(正しく)再解釈し、「海賊的」な地域ユニオンを展開している。こうした海賊的な実践に見合うだけの理論的想像力・文学的想像力を、日本の左翼はどれだけ用意できているだろうか。私が「海賊共産主義へ」というのは、本当はすごくベタな暴力(=想像力)の話をしたいのだ。

ともあれ、二次会の飲みも含めて楽しい一日だった。この日はPAFF(フリーター全般労働組合)の山の手緑さんが、「みんなで飲んでくれ」と一万円も置いていってくれたのだが、すっかり飲みきりました。ごちそうさまでした。

次回の海賊研は、11月13日15時から。
P・L・ウィルソン『Pirate Utopias』の翻訳つきあわせです。

次々回はちょっと間隔が空いて、12月4日15時から。
クリストファー・ヒル『17世紀イギリスの民衆と思想』をやります。クリストファー・ヒルは、大きい図書館に行けば必ずあると思うので、「第8章 急進的な海賊?」の部分だけでも読んでおいてください。

場所はいつもどおり、新宿のカフェ・ラバンデリアに集合。

G20サミット

G20サミットが明日から開催されるが、韓国の人々の動きが伝えられてきた。
私は直接に面識はないが、韓国の若い研究集団「スユ+ノモ」は、こちらでも有名だ。
おそらく日本の活動家も彼らのもとに合流して、街頭にでているだろう。
転送・転載歓迎ということなので、転載する。

*****転送・転載歓迎*****

ご存知のように、来る11月11日、
韓国でG20サミットが開かれます。
韓国の「スユ+ノモR」(http://commune-r.net/xe/)で一緒に勉強したり活動したりしてきた友人が、G20への抗議行動としてG20サミットの宣伝ポスターに「ネズミ」を描き入れたことを理由に警察に連行されました。

問題の「落書き」画像はここをご覧ください。
http://www.kwnews.co.kr/view.asp?aid=210110300167&s=801

なぜネズミか? それは、G20のイニシャルGの韓国語読みは「ジィ」で「ネズミ」を意味するからです。

この落書きだけで警察は彼を連行し、拘束令状を発布しようとしました。
当初は軽犯罪程度で釈放されると思いましたが、48時間以上も拘置所に拘束されました。幸いにも裁判所から令状棄却の判決が出て、現在は釈放されていますが、その後も警察に呼び出され、行くたびに6時間以上の尋問を受けている状態です。また、起訴手続きが進められており、すぐにでも裁判が始まると思います。

この動きは、一個人に対する暴力ではなく、韓国の治安社会化を示しています。
G20サミットを理由にしての運動つぶしの意図があるのは明確です。

国際会議を名目に民衆の表現の自由、生活の場を狭め、落書きという軽犯罪にたいして過剰な対応をとるこの状況に対して抗議の世論を形成するために、連帯メッセージを募集します。

* 送付先:suyunomo@daum.net
* 集める期間:
1) 第一次集約 :11月10日(火)※サミット開催前に、いったん集約します。

2)第二次集約:期限未定
※裁判が長くなることが予想されるので、10日以後も引き続き集めたいと思います。

* メッセージ:短くても結構です。使用言語は日本語で構いません。
(その他、英語、韓国語でも大丈夫です)

* お名前は実名、匿名(ニックネーム)を問いません。また、差し支えなければ、地域、団体名など所属先もご記入ください。

寄せたいただいたメッセージは、今回の問題に抗議する世論を喚起するために使わせていただきます。とりあえずはウェブマガジンで紹介させていただく予定です。今後、具体的にどのように対応していくかは、状況を見ながら考えていきます。


_____メッセージフォーム______

メッセージ:
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(お名前の公表可否:可/否)
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2010年11月8日月曜日

TPP報道

いまテレビを見ていたら、TPP(環太平洋戦略的経済連携協定)に関連した報道が。オーストラリア産コシヒカリと日本産コシヒカリを主婦に食べ比べてもらう、という様子を流していた。日本産とオーストラリア産を食べ比べて、味の違いがわかったのは、8人中4人。半数は違いがわからなかった。TPPによって米の関税が撤廃されれば、大規模機械農業で生産されるオーストラリア産米が、価格の安さで市場を圧倒するだろう。日本の米農家は壊滅。新自由主義が大好きな「ショック療法」というやつだ。
TPPに関してこういう具体的な報道はもっとやってほしいところだが、注文をつけるとすれば、消費者の安全の問題も特集してほしい。かつて、工業用のクズ米が学校給食に供給されてしまった「偽装米」事件というのがあったが、この事件は国内の業者を捜査することで流通ルートが解明し、一応の決着がついた。しかし国境を越えたところでは、捜査がどこまでできるかはわからない。たとえば異常プリオン体を含む「BSE牛肉」が、産地であるアメリカのどこでどのように流通して日本にやってきたのか最終的には解明できなかったし、中国産の「毒入り餃子」は日中の捜査機関がすったもんだした記憶がある。TPP後にも当然あらわれるだろう食品偽装事件について、日本の国家権力はどこまで管理できる自信をもっているのか。それともある程度安い食品はしょうがないということで、野放しにしてしまうのか。食品偽装事件は、最悪の場合、子供が死ぬ。日本はそういう経験をしてこなかったわけではないし、現在も世界中にある。トヨタや日産が自動車を輸出するために、我々はそういう「ショック」を受け入れなければならないのか。TPPは絶対だめだ。

追記
誤解のないように書くが、ここで私が言いたいのは、「国産は安全で外国産は危険」ということではない。日本の食料自給率は低く、現在すでに多くの食品が外国産である。注意するべきは、食品の安全管理というものはごく特殊な環境でのみ管理できるものにすぎない、ということだ。TPPによる自由化=規制撤廃は、これまで一国内でようやく達成された安全基準をも、ぐずぐずに破壊してしまうだろう。飯が食えなくなってしまえば、日本の農民がどんな犯罪に手を染めるかは予測できない。TPP後は、国内国外を問わず海賊版偽装食品が生産され、安く流通することになるだろう。まず低所得世帯の子供から、死者が出るのだ。

2010年11月7日日曜日

現代政治の海図

献本をもらった。
『殺すこと/殺されること 二〇〇九年からみる日本社会のゆくえ』(著=石原俊 東信堂)。
石原さん、ありがとう。
この本、2009年1月から12月まで、週刊『読書人』で連載された時評欄の文章をまとめたものだ。時評なので、ひとつひとつの文章が短くて、とても読みやすい。現代の政治・経済・社会を考えるためのさまざまな論点を整理した、良質な一般書。社会科学をやっている学生も、ざっと一読してほしい。自分の問題関心に触れるものが、きっとあるはずだ。
この前年、2008年の時評欄を担当したのは、白石嘉治氏。白石さんの時評もとても熱く鋭いので、どこか出版社がブックレットにまとめてくれたらいいのになあと思う。

さて、著者の石原俊氏は、本職は小笠原諸島研究。
『近代日本と小笠原諸島ー移動民の島々と帝国』(著=石原俊 平凡社)を出している。
 これはあまりに大著なので、まだ読了していない。すみません。「私が読んでレジュメ書くよ」という人は、うちに本があるので言ってください。石原氏は海の歴史の専門家なので、いつか海賊研に招聘して講義を聴きたいと思う。ペリー提督の背景とか、太平洋の捕鯨史とか、絶対おもしろいはず。

2010年11月4日木曜日

よくある質問 「近代海賊って何ですか」

先日、「VOL」誌の同人が主催する交流会があって、海賊研からも何名か参加させてもらった。こういう席で海賊研究の話をすると、たいていまず最初に聞かれるのは、「近代海賊って何ですか」である。考えてみればたしかに「近代海賊」などという用語は普通は使わない。海賊研でのみ通用する言葉かもしれない。そして、海賊研のメンバーの間でも厳密に定義されているわけではなく、「近代海賊」の解釈はさまざまだ。そろそろこれはまずい。もう半年も研究会をやっているのだから、いちおうおおまかな線だけでも出しておこうと思う。


近代海賊の技術的条件
海賊の近代と前近代を分けるのは、活動領域である。大雑把に言って、前近代の海賊は造船/航海技術が未熟で、航路は河川・内海・沿岸部に限定される。技術が発達して外洋航海ができるようになって以降を、近代海賊と呼んでいる。
外洋航海には、竜骨、帆走技術、羅針盤などの技術が揃わなくてはならない。一般に歴史教科書でよく取り上げられるのは「羅針盤」=方位磁針であるが、海賊研究では「羅針盤」はあまり重視しない。重視するのは、竜骨と帆走技術である。

竜骨
竜骨は船体の底を支える背骨である。竜骨を説明するためにまず思い浮かべてほしいのは、屋形船のような和船と、バイキングの船である。和船には竜骨がなく、船底が平らで、船体が四角い。こうした船は、河川や沿岸部の水深の浅い水域では威力を発揮するが、かわりに波の影響をもろにかぶってしまうので、荒い海には出られない。これに対して、バイキングの船は竜骨があり、船底も船体も丸みがあって、船首が尖っている。この尖った先っぽで波を切って進むのだ。バイキングの船が、ほとんど河川用の貧弱な船なのにイングランドまで行ってしまえたのは、波を切って進む竜骨のおかげである。

帆走技術
風を受ける帆だけで船を動かすようになったのは、いわゆる「大航海時代」からである。完全な帆走が実現するまでは、櫂走(東アジアでは櫓)が主流である。10世紀のバイキング船は、追い風のときは帆をかけているが、向かい風では櫂走である。地中海のバルバリア海賊も、帆走と櫂走を併用している。追い風を受けて進む「帆掛け船」は世界中で古くからあるが、問題は、向かい風に対して、帆の揚力を利用してジグザグに遡っていく技術である。これがいつどこで発明されたのかはよくわかっていない。アラブ人海賊の発明という説もあるし、オランダ人がバルバリア海賊に教えたという説もある。東南アジアの海洋民は古代からやっていたという話もある。もしかしたら、熟練の船乗りならみんな知っているありふれた技術だったのかもしれない。が、櫂走が当たり前の時代に、帆走オンリーの大型船を造るというのは、(少なくとも西洋世界では)革命的な出来事だっただろう。

帆船と賃金奴隷

櫂走から帆走への技術的転換は、船主と水夫たちの生産様式を転換させる。
櫂走と帆走の違いを考えるために、まず、バルバリア海賊のガレー船と、カリブ海賊のガレオン船を思い浮かべてほしい。ガレー船を進めている動力は、甲板下で櫂をこぐ奴隷たちの筋力である。すごく大雑把に言って、櫂走船には奴隷制度が必要である。ここでバイキングの櫂走船はどうなのかという突っ込みが予想されるが、バイキングの「戦士」たちが部族的紐帯によって保護されていて充分に自由でないことを考えれば、「戦士=家内奴隷」と括ってしまってよいだろう。櫂走船の水夫たちは、奴隷であるか家内奴隷である。
櫂のない大型帆船(ガレオン船など)が実現すると、賃金奴隷が登場する。ガレオン船の水夫は奴隷ではない。彼らは航海の期間だけ雇われて、航海が終われば使い捨てにされる自由な労働者である。賃金奴隷は、家内奴隷(戦士)ほど献身的ではないが、奴隷よりもずっと主体的である。足を鎖につながれてオールを漕いでいるのとはわけが違う。帆走船の水夫は、変化の多い複雑な作業を主体的にこなさなくてはならない。賃金奴隷は、奴隷のように鎖に繋がれるのではなく、家内奴隷のように部族的支配に従属するのでもなく、もっぱら賃金によって一時的に命令に従い、主体的に働くのである。賃金奴隷の登場は、かつてない新たな主体と新たな葛藤を惹起する。彼らの航海・略奪・生活・船上叛乱は、階級の敵対性の近代的性格を帯びるようになる。かつて奴隷の印であった入れ墨は、獰猛な労働階級の徴になるのだ。
これが、近代海賊である。

追記
以上のまとめは、矢部個人の整理であって、海賊研全体のものではない。こういう「下部構造から説明」みたいな進め方は私の個人的なクセであって、かなり盛っているところもあるし、抜けもたくさんある。例えば、カール・シュミットは、大航海時代に大きく転換した空間認識(空間革命)を強調しているし、大航海に先行する捕鯨船の活動も重視している。また、船をぶつける白兵戦から船を離した砲撃戦への転換も、はずせない論点である。プロテスタンティズムも超重要。とにかくまあいろいろあるのだ。研究会を重ねるたびに目からウロコの連続で、毎月いろんな要素が加わっていく。正直、「近代海賊」という仕分けが妥当なのかどうかも、これからだ。いや、開き直っているのではない。一緒に研究しようってことだ。次回の海賊研究会は、11月6日15時から、カフェ・ラバンデリアにて。 海賊学生大歓迎だ。

2010年11月3日水曜日

10/23海賊研報告「日本の海賊」

前回の海賊研究会は、別枝達夫『海賊の系譜』についてだったのだが、正直これまでのおさらいという以上のものではなかった。古い本だからしょうがない。
しかしこの日はテキストがものたりない分、雑談はけっこう盛り上がって、今後の研究目標がいくつか出された。
議論になったのは、東アジアにおける近代海賊の形成である。一般に、日本の水軍は、豊臣政権の「海賊禁止令」によって国家に服属したため、日本に近代海賊は生まれなかった、というのが常識的な見解である。
しかし、本当にそうなのか。常識は常識として、ここでもう少し考えてみようというのが海賊研究会だ。
今後の研究課題として、
・朱印船貿易と東南アジアの日本町(菰田)
・豊臣政権と徳川政権の「50年戦争」(廣飯)
という論点が出された。
廣飯君の言う「50年戦争」とは、関ヶ原の戦いから島原の乱鎮圧までを指すのだが、大雑把に言うと、ポルトガル・スペインに近い豊臣勢力から、親オランダの徳川勢力への権力交代を、カソリックとプロテスタントのヘゲモニー交代として考えるということだ。これは、インドネシア(オランダ)、フィリピン(スペイン)、マカオ(ポルトガル)、台湾(オランダ)といった東・南シナ海の覇権競争の枠組みに、日本列島の内戦を位置づけるというものだ。そしてこの内戦は、東南アジアの「日本町」の形成やキリシタン大名たちの国外移住というかたちで、拡張された海賊の空間を顕在化させる。ここに、日本近代の「空間革命」が始まっていたのだと言えるだろう。
16世紀の日本の内戦、文禄・慶長の役(朝鮮出兵)、17世紀の明の崩壊、朱印船貿易、琉球進攻、そして海から介入するポルトガル・スペイン・オランダの諸勢力。この時期に、中国・日本・朝鮮の海賊は、近代海賊を形成できたのか、できなかったのか。
ちなみに台湾建国の父とされる鄭成功は、中国人の父(鄭芝龍)と日本人の母(まつ)との間に、長崎の平戸で産まれている。鄭芝龍は、平戸で朱印船貿易を行っていた李旦の配下で、李旦が死んだ後、この貿易船団(海賊団)を継承している。その後この海賊団は鄭成功に継承され、台湾を占領することになる。
この海賊団は何者だったのか。また宿題が増えてしまった。

2010年11月2日火曜日

TPP 誰のための協定か

 TPP(環太平洋戦略的経済連携協定)への参加をめぐって、議論がまきおこっている。TPPは、アメリカ・ぺルー・チリ・シンガポール・オーストラリア・ベトナム・マレーシア・ニュージーランド・ブルネイが参加している多国間の自由貿易協定だ。2国間のFTA(自由貿易協定)やEPA(経済連携協定)よりも自由化の度合いが強いものであるらしい。日本経団連・日本商工会議所・経済同友会は都内で集会を開き、TPP早期参加を訴えた。これに対して全国農業協同組合中央会は、TPP反対を表明し、大規模な全国集会を呼びかけている。
推進派の経産省は、TPP参加によって実質GDPが2.4兆〜3.5兆円押し上げられるという試算を出している。これに対して慎重派の農水省は、実質GDPがマイナス7.9兆円、さらに340万人が就業機会を失う、としている。
民主党内では意見が割れ、「みんなの党」「たちあがれ日本」が推進を表明、「日本共産党」「社民党」「国民新党」が反対を表明している。

まず注意しておくべきは、「実質GDP」というような旧い国民経済の指標は、事態を予測するのに充分ではないということだ。すでに多くの識者が指摘しているように、現代の新自由主義政策下の経済は、貧困と格差を増大させる経済である。GDPが増大したからといって、その金が我々のような貧乏人にまわってくることなどないと考えてよい。投資と貿易の自由化によって活発化するのは、銀行・金融資本の投機であって、我々の経済ではないのだ。
米国ではすでに15年以上前から自由貿易協定が推進され実施されているが、自由化(投機の自由化)によってもたらされたものは、世界規模の恐慌と、投資銀行の尻拭いのための税金投入だった。経産省がユートピアじみた試算を発表したところで、結果はもう見えていると言ってよい。

こうした前提にたってさらに注目したいのは、「みんなの党」「たちあがれ日本」そして自民・民主の新自由主義議員どもが、なんの躊躇もなく推進を表明していることである。尖閣諸島問題などで「日本の国益」を声高に叫んでいた右翼が、日本の農民の将来については、あっさりと放棄してしまうさまは、まったく愚劣というほかない。これまで「売国奴」と罵られてきた左派政党が明確に反対を表明しているのとは対照的だ。
右翼ナショナリスト・右翼ファシストがどれだけ「国民国民」と騒いでも、しょせんは金融資本の飼い犬にすぎないという、まるで歴史の教科書どおりの展開だ。こいつらの権益のために譲ってやるものなどなにひとつない。民主党は管直人を下ろすべきだ。

2010年10月21日木曜日

尖閣諸島の何が問題か

解体する自民党の残党なのか、右翼市民運動が元気だ。まったく不愉快だ。私の行動範囲には右翼がいないので普段の生活に支障はないのだが、それでも奴らが大規模なデモをやったりしていると、そういうお寒い話題が耳に入ってきてしまう。「尖閣諸島問題で右翼が騒いでいる、こちら側の見解を出すべきではないか」とか。あーいやだいやだ。こういう幼稚な話題に引きずられるのは本当に不愉快だ。名誉のために言うが、海賊研究会では尖閣諸島うんぬんはまったく話題にものぼらない。考える価値がないから。しかしこの「問題」、どう考えたら良いかわからないという初学者のために、簡単に見取り図だけ書いておこう。

右翼の提起するところによれば、尖閣諸島問題とは国境問題である。尖閣諸島は日本領か中国領か。海賊研究の見地から言えば、これは偽の問題設定である。攻撃にさらされているのは「日本領」でも「中国領」でもなくて、その海で稼いでいる漁民である。議論されるべき問題の本質は、海上保安庁が国境管理にかこつけて漁船を拿捕したことにある。民主党前原と海上保安庁が調子に乗っている、ということだ。

順を追って説明する。
1、国家権力は万能ではない。国家はつねに妥協を強いられいて、支配できる領域と支配できない領域を抱えている。国家が支配できない領域は、大衆・民衆の組合が取り仕切っている。教育の自治(教授会や学生自治会)、労働組合、生活協同組合、商工会、入会地の管理組合などがある。これを二重権力という。
2、1970年代末から世界政策となっている新自由主義政策は、二重権力の解消を目指す。教育「改革」、労働組合つぶし、公共サービスの民営化を通じて、経済活動は金融資本による一元支配に向かう。
3、新自由主義にかぶれた政治家(民主党前原など)は、必然的に国家主義者になる。国家には手を触れてはいけない領域があることを彼らは知らないし認めない。国家による「統治」が万能であると信じている。
4、しかし彼らには残念なことに、海に縄は張れない。海は法の外にあり、なし崩しで、とりとめがない。そして海であれ陸であれ安定した入会地には、法の外の掟があり秩序がある。沖縄・台湾・中国の漁民たちが、互いを殺したり誘拐したりという話は聞かない。彼らに国境はないし「国境問題」など存在しない。海上保安庁がちょろちょろしなければ何も問題は起きなかっただろう。

結論 海上保安庁による漁船の拿捕は、中国の漁民のみならず沖縄の漁民にも緊張を強いるものだ。こんな馬鹿馬鹿しい権力発動は、誰の得にもならない。民主党前原は魚を食う資格なし、だ。

2010年10月15日金曜日

「キャンディーズとピンクレディー」、どちらが海賊的か

 宿題がたまっているのに、手がつかない。こういう時に限って、どうでもいい余計な考えが頭の中をグルグルしてしまうものだ。いま私の脳内をうずまき占拠しているのは、「キャンディーズとピンクレディー、どちらが海賊的か」という、ほんとどうでもいいような問題だ。若い読者からすれば「どっちも知らないし知ったこっちゃねーよ」ってところだろうが、こういう謎な小ネタに脳を占拠された私としては、さっさと雑文にして片付けておきたい。
さて、「キャンディーズとピンクレディー」、どちらが海賊的か。
結論から先に言ってしまうと、解答は「ピンクレディーが海賊」である。これはあらためて証明する必要がないぐらい完全に自明なので、いちいち頭を悩ます問題ではない。たぶん私が頭を悩ましているのはピンクレディーの海賊性ではなくて、「キャンディーズってなんなのか」という事だとおもう。

簡単におさらいしてみる。
キャンディーズは、1972年から78年まで活動した女性3人のグループ。76年の「春一番」が有名。ファンはほぼ若い男性で、揃いのハッピを着た「親衛隊」なるもの(今風に言えばキモオタ)が結成されたりしていた。解散の際には、後楽園球場に55000人のキモオタが集まり号泣したという。
ピンクレディーは、1976年に結成された女性デュオ。「ペッパー警部」、「S.O.S」、「渚のシンドバット」、「UFO」など、ヒット曲多数。ファン層は広いが、とくに女子児童に絶大な人気を誇った。ピンクレディーの振り付けは大流行し、サンダルやバック、自転車などのキャラクターグッズが作られた。79年にアメリカ進出、ビルボードTOP100で「Kiss in the Dark」が37位にランクイン。

こうして並べてみてわかるのは、キャンディーズとピンクレディーを並べること自体が不当、ということだ。なぜ並べちゃったのか。反省しきりだ。しかも、「ピンクレディーとキャンディーズ」と言うならまだしも、「キャンディーズとピンクレディー」と言う。順番が逆、失礼すぎるだろう。かたや、国内でミリオンセラーを連発し海外進出まで果たしたピンクレディー。かたや、ヒットらしいヒットもなくキモオタを集めただけのキャンディーズ。これはもう、キャンディーズが不当に下駄を履かされていると言わざるをえない。いや、急いで付け加えれば、悪いのはキャンディーズではない。問題は、我々の(紋切り型の)表現や認識が、キャンディーズを不当に高く評価する「キャンディーズ上位」に歪んでしまっていることである。

さて、若い読者にはもう完全に意味不明な話になっているだろうが、ここから敷衍するのでもう少しつきあってほしい。
70年代後半、歌謡曲文化のシーンで、二つの出来事があった。
1、日本中の女子児童が、ハレンチ(死語)な格好をした歌手をまねてブイブイ踊っていた。
2、若い男の集団が、女性歌手をおっかけて声援をおくったり感動したりしていた。
一般に、キャンディーズが不当に高く評価される背景にあるのは、2の「若い男が集団で感動」というできごとが「社会現象」として認知されてしまったからである。キャンディーズのファン(元祖キモオタ)が後楽園球場で号泣する。当時の大人は強い違和感をもっただろう。そしてそこに「いまどきの若者の姿」を見て、つい「社会現象」と言ってしまったのだ。しかし、よく考えてみてほしい。キモオタが集まって号泣したからって、それがなんなのか。彼らがなにか文化を破壊したり創造したりしただろうか。冷静に考えてみれば、彼らにはただ「気持ち悪い」という以上のものはないのである。
真に社会現象と呼ぶに値するのは、1の「ブイブイ踊っていた女子児童たち」である。この子供たちはその後、「ハレンチ」という言葉を死語に変え、「はしたない」という基準をなし崩しにしていく。彼女たちのピンクレディーフィーバーがなければ、80年代の音楽文化やダンスカルチャーは成立しなかっただろう。彼女たちはたんに挑発的であるという以上に、到来する新たな文化の形成・再編に関与していったのである。

「踊る女児」と「キモオタ」。ふたつの出来事は、確かに同時代に起きた出来事ではあるが、それぞれが属している時間の地層は全く異なっている。そして時代を表象するのは、より比重の軽い、表面的な(内容のない)出来事なのである。時代を表象する「キャンディーズ」に、語るべき内容はない。それは、歴史がナショナルな尺度を設けて「国民の歴史」として記録(記憶)されるときにのみ要請される、つじつまあわせの表象である。国民の歴史(国民男性の歴史)が、ピンクレディーとともに進行する文化的変動を充分に捉えることができないときに、その認識の穴を埋めるのが「キャンディーズ」だったのだろう。「キャンディーズ」と「キャンディーズに熱狂した俺たち」は、はじめから歴史化されていて、過去へむかう時間に属していたのである。

2010年10月14日木曜日

『1968年文化論』

『1968年文化論』(四方田犬彦・平沢剛=編著 毎日新聞社)

献本をもらった。平沢君ありがとう。
この本、13人の書き手がさまざまな角度から「1968年文化論」を書いているのだが、
海賊研究会の常連がふたり参加している。

栗原康 「大学生、機械を壊す ー 表現するラッダイトたち」
福田慶太「文字の叛乱 ー 「ゲバ字」が持つ力と意味について」

栗原・福田両氏とも30代前半だが、この年代にありがちな拗ねた感じがなく、提起したいことをまっすぐに書いている。直球だ。
直球で書くというのは貧しいことなのだが、貧しさを力に転化するのが海賊の基本である。貧しい者がなんだかんだと理由をつけて力を出し惜しみしていると、甲板から海に突き落とされるのだ。なりふりかまわぬ蛮勇が、最大にして唯一の武器だと心得よ。って何の話だかわからなくなってしまったが、いずれにせよ、友人がちゃんとした文章を書いていると、気分が良い。酒がうまい。

2010年10月13日水曜日

エスネ・ゾパックのライブ

10月11日、新宿のMARSで、エスネ・ゾパックにインタビュー。
エスネ・ゾパックは、バスクからやって来た4人組のミュージシャン。
 http://www.japonicus.com/jap/esnezopak/index.html
http://www.youtube.com/watch?v=zcklmqQx7tE

インタビューの詳細は後日発表なのでいまは書けないが、
ライブを観て思ったのは、「海賊っぽいなあ」ということだった。
ひざ丈のズボンにサンダル、一人は完全に裸足。なぜ裸足で出てくるのか。船乗りなのか。
 PS(海賊研究)的には、「裸足のバスク人」に目が釘付けだった。

バスクは鉄鋼や造船で栄える先進工業地域だが、11世紀から16世紀にかけては、捕鯨活動を独占的に担っていたという歴史がある。近代になるとオランダやイギリスの捕鯨船が主流になるが、バスクはその後も多くの船乗りを輩出していった。造船技術と航海術をもつバスク人たちが、近代海賊の形成にどのように関わったかはまだ今後の研究課題。だが、大西洋を臨むバスクと、地中海に面するカタルーニャが、スペインを大いに手こずらせることになるという事実は気に留めておくべきだろう。

という妄想はともかく、ライブはかなり良かった。エスネ・ゾパックの前にやった浅草ジンタもかっこよかった。ひさしぶりに踊ったので、腰が痛い。

2010年10月10日日曜日

海賊研究会がおもしろくなってきた。ジョインナスだ。

この半年ほど、月2回のペースで海賊研究会をやってきた。最初は4人でゆるーく始めた研究会だったが、ようやく軌道にのってきたというか、エンジンがかかってきた。

ここで中間報告的にこれまでの流れを振り返ってみると、
第1回 廣飯研究報告(後期カール・シュミットの射程)
第2回 カール・シュミット『陸と海と』を読む
第3回 ユベール・デシャン『海賊』を読む(1)
第4回 ユベール・デシャン『海賊』を読む(2)
第5回 矢部研究報告(本源的蓄積過程と近代海賊)
第6回 ゲスト白石嘉治氏の講義(人類学者ピエール・クラストルの発見)
第7回 江ノ島で海水浴
第8回 Stephen Snelders『The Devil's Anarchy』を読む
第9回 ジョン・エスケメリング『カリブの海賊』を読む
第10回 Peter Lamborn Wilson『Pirate Utopias』を読む(1)

こうして振り返ってみると、16世紀から18世紀の近代海賊を主要にやってきたのだが、おそらく海賊という概念が形成されたのが近代なのだから、当然そういうことになるだろう。

次回は少しだけ近代を離れて、
第11回 別枝達夫『海賊の系譜』を読む。

次々回はノンフィクションライターの小野登志郎氏をゲストに招き、中国福建省の「黒社会」について講義を聴く。小野氏は、新宿歌舞伎町の「中国マフィア」に取材を重ね、昨年『龍宮城』(太田出版)を出版したノンフィクションライター。現代海賊を考えるための刺激的な議論ができると思う。
今後は、近代海賊の研究をベースにしつつ、南シナ海やインド洋の現代海賊にもふみこんでいきたい。あと、ネグリ/ハートの『帝国』も海賊的な角度でやらなきゃだね。

ちなみに海賊研究会は、アナーキストの集まりではありません。「海賊共産主義」なんて言ってるのは矢部だけで、あとは普通の学生と研究者の集まりです。勉強したい人は気軽にきてください。
次回は10月23日15時から、新宿のカフェ・ラバンデリアに集合。

2010年10月9日土曜日

ブックファースト新宿店でブックフェアやるそうです。

ブックファースト新宿店(西口の方のお店)が、11月6日にオープン2周年ということだそうです。おめでとうございます。
オープン2周年記念で「名著100選」というブックフェアをやるということで、私も推薦の一冊と紹介文を送りました。
私が選んだのは、

ベンヤミンの『暴力批判論』。 です。

「暴力批判」というタイトルだけ聞くと、「なんだ海賊らしくねーなフツーじゃん」と思われるかもしれませんが、この著者のベンヤミン、ある意味、海賊ですから。内容は全面的に警察批判です。
海賊らしく短いエッセーなので、くりかえし読みましょう。
まだ持ってない人は、ブックファーストで(どこでも売ってるけどね)。

2010年10月8日金曜日

歴史、伝説、デマゴギーについて

明日は海賊研究会。
ピーター・ランボーン・ウィルソン(別名ハキム・ベイ)の『Pirate Utopias』(ピラテ・ユートピアス)を読んで、レジュメを書かなきゃいけないのだが、もう英文読むの疲れた。ので、少し休憩。日本語を書く。

海賊研究会はけっこうやばい。なにがやばいかというと、海賊の歴史は資料が少なくまだ未開拓の分野なので、一歩まちがえば妄想大会になってしまう。7月下旬の研究会報告から抜粋すると、次のようになる。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
海賊研究の方法的問題
海賊の歴史は古く、おそらく有史以前から海賊が存在したことは疑いない。しかし海賊の歴史研究には大きな困難がつきまとう。海賊行為はその本性からして非公然的であり、存在の秘匿が生命線である。そのため、海賊の存在を証しだてる遺跡は残されず、文書等の記録も少ない。部分的に記録された証言の類も、真実か虚偽か検証することができない。あるときは摘発を逃れるためになりを潜め、あるときは自分が行った行為を他人になすりつけ、またあるときは、相手を威嚇するために実際よりも話を大きくする。海賊は同時代の人々を欺くためにさまざまな工夫を凝らし、実際に欺いてきたのだから、後代の我々がその真の姿を知ることはさらに難しいのである。
こうした単純で強力な理由から、海賊の歴史研究は実証主義の方法を断念させられることになる。遺された証拠や明らかにされた事実からだけでは、海賊の姿は見えてこない。海賊に関わる記録はすべて疑わしい。そしてそれにもかかかわらず、我々は海賊の存在を疑わない。海賊が神話ではなく人類史の重要な一部であることを疑わないのである。
海賊研究は、歴史の領域と伝説の領域との両側に足を置き、検証できるものと検証しえないものをまたいでしまうことになる。したがって海賊研究は、歴史をめぐる方法的立場を慎重に選ばなくてはならないし、新しい方法的立場を大胆に希求しなくてはならない。
(2010/07/17 矢部)
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たとえばいま読んでいる『Pirate Utopias』では、モロッコの大西洋岸にある「サレ」(Salé)という街が登場する。サレは現在のモロッコの首都ラバトに隣接する古い街なのだが、地中海側のアルジェリアやチュニジアやバーバリーに比べ、残っている記録が少なく謎が多い。サレもまた他の北アフリカ諸地域と同じく、レネゲイド(キリスト教を捨てたヨーロッパ人)の海賊の巣窟となっていたらしいのだが、P・L・ウィルソンは、17世紀頃にサレに実在した「海賊共和国」が重要なのだと言う。すでにこのあたりから眉唾なのだが、P・L・ウィルソンがものすごいのは、このレネゲイドたちが建設した「サレ海賊共和国」は、その直後に始まるイギリス清教徒革命に思想的モデルを与えた、という説なのである。それだけではない。独立革命後のアメリカのコモンウェルスや大革命後のフランス共和制が二院制を採用するのは、「サレ海賊共和国」の二院制を原型にしているのだ、と。これには驚いた。「海賊共産主義」なんてものを唱えている私だが、翻訳しながらあっと声をあげた。民主主義の原型が海賊! どはずれた構想力! 「やられた!」って感じだ。

伝説のための闘い
さて話は変わるが、かつて私が敵対していた「在特会」「主権回復を目指す会」について、これにどう対処するかについて、いまさらながら立場を明確にしておきたい。
京都朝鮮初級学校に対する襲撃から、彼ら右翼に対する法的措置(民事訴訟)と現場実力行動が組織されてきた。それに加えて刑事事件としても立件されたことで(京都・徳島)、彼らの組織実体はもうガタガタのフラフラである。ただし問題は残る。事件をめぐるこの間の報道に見られるように、彼らのデマ(在日の特権というデマ)はいまだ是正されていないのが実情である。こんごの課題は、彼らの散布したデマをどうやって片付けるかである。
デマに対抗・是正する方法として、消極的批判と積極的批判が考えられる。
1、消極的批判は、彼らの唱える「在日特権」なるものが、事実ではないこと、根拠の無い思い込み、錯誤に基づく都市伝説であることを明らかにする。
2、積極的批判は、彼らの唱える「在日特権」なる問題の設定が、凡庸で退屈なこと、志が低いこと、人間が小さいことを明らかにする。
賢明な読者はもうオチが見えてしまったと思うが、海賊研究を志す私としては、2の積極的批判を展開するべきだと考えている。
我々のような階級は、正統な歴史にはまったく関わりをもたない、歴史のクズ(scum)である。クズは、歴史書よりも実話誌に親しみ、思い込みと錯誤にまみれた伝説を生きるものだ。「在特会」のデマに魅了されるようなクズは、それが事実であろうとなかろうと、自分の信じたい伝説を信じるのである。すでに15年前、歴史修正主義論争で有名になった「新自由主義史観」のクズどもは、「日本人が誇りを持てる歴史教科書を」と宣言していたわけで(これは学術的にはとても恥ずかしい声明だったのだが)、クズにとって歴史の事実などというものはなんの重みももたないのである。
したがって、クズのクズによる闘いは、それが事実である否かを問うことではなく、その伝説の内容を争うこと、我々クズがどのような伝説を想い生きるのか、を問うことである。L・フェーブルの講義録『歴史のための闘い』になぞらえて(その精神を継承するべく)言えば、海賊研究者は「伝説のための闘い」を運命づけられている。右翼ナショナリズムのクズと、海賊共産主義者のクズと、どちらがより大きな欲望を惹起するのか、勝負だ。


※ピーター・ランボーン・ウィルソンの独占インタビューが、
今年発売された『VOL』4号(以文社)に掲載されている。
http://www.ibunsha.co.jp/index.html
かなりおもしろい。読んでみてほしい。

2010年10月5日火曜日

海賊研報告「なぜバッカニアは散財するのか」

前回の海賊研究会では、『カリブの海賊』(ジョン・エスケメリング著 石島晴夫編訳 誠文堂新光社)を読んだ。これは、オランダ出身の著者エスケメリングが、1666年から6年間、海賊の船医として船に乗り見聞したものを書いたルポルタージュだ。近代海賊のなかでもとくにバッカニアを知る上で重要な基本文献である。研究会では、慶応大学の学部生Yくんがレジュメを書いてくれたが、ここでは個人的な覚書をのこしておきたい。

バッカニアは、私掠船(プライヴァティア)の時代の後に、プライヴァティアから派生して登場した海賊である。船長はフランス人やイギリス人で、襲撃対象はプライヴァティアと同様にスペイン船・スペイン人集落である。わかりやすい例で言えば、映画『パイレーツオブカリビアン』で描かれている海賊たちは、典型的なバッカニアだ。映画のなかで「男たちの楽園」として描かれているトルトゥーガ島は、ハイチ島の北にある小さな島で、実在したバッカニアの島である。
バッカニアの特徴は、つねに酒を飲んでいること、手に入れた金はすぐに酒と女に使って散財してしまうこと、である。バッカニアは略奪した金を等しく分配する。船長、航海士、船医、船大工等の技術職はその分の手当が割増しされ、負傷者にはその負傷に応じた手当がつけられる。つまり、略奪した金は残らず山分けされてしまう。だから、ひとたび作戦が成功すれば、どんな若い下っ端でも大金を手にすることになるのだ。エスケメリングのルポでも、バッカニアたちが莫大な金を手にして、またたくまに散財してしまうことが繰り返し書かれている。ある極端な例をあげれば、ワインの大樽を道に置いて誰彼かまわず通行人に振る舞い、遠慮するものには銃を突きつけて脅しむりやり飲ませた、というほとんど常軌を逸した散財ぶりだ。この散財は、同じ近代海賊にあって、プライヴァティアとバッカニアを隔てる大きな違いである。

なぜバッカニアは散財するのか

なぜバッカニアは散財するのか。考えられる理由は二つある。
第一の理由は、海賊が横行する当時のカリブ世界では、近代国家の警察力が及ばず、私有財産が保護されないという事情がある。ここでは、自分の財産は自分で護るしかない。だから、自分が護ることのできる範囲を越えて大きな財産を持つことは、不可能ではないが、とても危険なのである。
カリブの海賊にまつわる伝説に、「隠し財宝」伝説がある。スティーブンソンの小説『宝島』は有名だし、映画『パイレーツオブカリビアン』でも隠し財宝が主題となっているが、こうした寓話が教えるのは、「隠し財宝は呪われている」ということだ。莫大な富は人間を狂わせ、嘘と不信と裏切りの果てにむなしく死んでいくのだ。現代の我々の社会では、国家の法と暴力装置が私有財産を無条件に保護しているから、我々は不安を感じることなく無邪気に蓄財することができる。しかし、法と国家暴力が私有財産を保護しない世界では、蓄財は死と隣り合わせの冒険であり、その範囲はおのずから制限されることになる。バッカニアが金を等しく分配し散財すること、しかも速やかに散財してしまうことの理由には、第一に自らの身の安全を確保するという狙いがあっただろう。

カリブの正義
バッカニアが散財する第二の理由は、彼らがカリブ海の地域経済に依拠していることである。
バッカニアの出自には大きく分けてふたつの流れがある。
1、フランス・オランダ・イギリスなどのヨーロッパ人が植民のために移住したものの、植民地経営の失敗によって本国から置き去りにされた棄民。
2、奴隷貿易によって売り飛ばされてきたアフリカ人が、叛乱を起こし自由になった逃亡奴隷(マルーン)。
以上の二種類の無法者が、小アンティル諸島からハイチ・ジャマイカで入り混じり、混血的・無国籍的な独特なカリブ世界を形成していった。
先行するプライヴァティアが、イギリスやフランスやオランダなどに籍をおく私掠船であり、部族的性格を色濃くもっていたのに対して、バッカニアにはそもそも明確な国籍がない。例えばイギリスの有名なプライヴァティアであるフランシス・ドレークは、スペイン植民地から略奪した財宝の一部をイギリス王室に献上しているのだが、バッカニアたちはそういうことをしない。バッカニアが略奪した財宝は、ヨーロッパに運ばれることなく、すべてカリブの地域経済のなかで消費されるのである。
略奪した金をカリブ海地域で消費することは、海賊行為を継続するうえで不可欠な条件であったと考えられる。なぜなら、バッカニアの海賊事業はどの国家も支持しないのだから、地元の民衆の支持があってこそだ。バッカニアたちが散財によって地元経済に貢献しないのであれば、彼らは港に入ったとたんに密告され摘発されてしまうだろう。
バッカニアがカリブ民衆の社会的支持を得るための、もっとも明快な解答は、どんちゃん騒ぎをして散財することである。この散財は、ある側面を取れば、買収である。また別の側面を取れば、社交である。それは、飢えと乾きを知る者たちが正義を表現する社交(パーティー)である。スペイン人が南米で収奪した金銀は、カリブ海を素通りしてヨーロッパに渡り、飢えも乾きも知らないスペイン王室に献上される。これを横取りしまんまとお宝を持ち帰ることは、カリブの貧民の正義であって、トルトゥーガの港中が歓声を上げるような戦果である。富と正義を一度に手にしたときの民衆の興奮は想像に難くない。バッカニアはカリブの民衆とともにあった。バッカニアを取り締まるべき立場にあった英仏の海軍総督にしても、バッカニアにたいするシンパシーが無かったとはいえないのだ。

もうひとつのプロテスタンティズム
バッカニアを主導した船長や技術者たちは、そのほとんどはプロテスタントであった。ハイチに植民したフランス人・オランダ人、ジャマイカに植民したイギリス人たちは、いずれも貧しいプロテスタントである。
彼らはプライヴァティアのような「海賊資本家」になることは出来なかったし、北米のピューリタンのような近代資本主義を形成することもなかった。彼らはただカソリック(スペイン人)を虐殺し、略奪し、カリブの地域経済に富を分配したにすぎない。
ヨーロッパ史の視点でいえば、ここにはプロテスタントが辿ったもう一つの歴史がある。マックスウェーバーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』になぞらえて言えば、バッカニアには『亜プロテスタンティズムの倫理と反資本主義の精神』と呼ぶべきものがある。いまはまだ充分に検証されてはいないが、そこには大航海時代が生み出した社会史的発明があったのだろうとおもう。現代の無政府主義者がバッカニアを敬愛するのは理由がないことではないのだ。

2010年9月30日木曜日

たちよみ『VOL lexicon』

[海賊]

1、船を操って海上に横行し、商船や沿岸集落を襲って略奪を働く盗賊。国家に服属せず、あらゆる国家に敵対する。自主独立の無法者。無政府主義者の原型。
2、海賊の歴史は古く、陸上の国家文明を幾度も脅かしてきた。国家は土地を領土にするが、海を領土化することはできない。国家が主張する「領海」は、国家間の取り決めとしては有効だが、海賊の活動を制限するものではない。そのため、国家の法は常に海賊に脅かされ、妥協を強いられる。海がある限り、国家の法が完成することはなく、破れ目をもちつづける。
3、植民地貿易の拡大に伴って、船上の叛乱が頻発するようになる。原始的なルンペンプロレタリアートである水夫たちは、船長を殺して船を奪う。水夫が占拠した船は海賊船となり、犯罪者や脱走兵や逃亡奴隷を味方にし、おたずね者になった自由主義者や平等思想と交わっていく。17世紀から19世紀にわたって繰り広げられた海賊と植民地主義国家との闘いは、洋上の階級闘争と呼びうるものへと発展していった。
4、植民地主義の国家は、海賊を飼いならすことに成功した。国家の許可を得て他国の商船や領土を襲撃する船は、一般的な海賊と区別され、私掠船(コルセール)と呼ばれる。大英帝国と契約した私掠船は、スペインの商船や植民地を襲撃し、強奪品の一部を国家に上納した。
5、近代の海賊が独身者の集団であるというのは偏見である。海賊にも妻子がある。ただ彼らは生命や地位や財産が極端に不安定であったから、ブルジョア式の家族を形成することはなかった。近代の海賊は、ブルジョア家族制とは別の形式で、孤児に相応しい乱婚的な家族を持ち、義兄弟を持ち、船上に集住して暮らしたのである。近代海賊が活躍した後に、フランスの社会主義者シャルル・フーリエは集合住宅様式(ファランステール)を発明し、近代住宅建築の歴史的一歩を踏み出すことになる。
6、海賊は特定の陣地をもたず(非場所的)、どこにでも現れる(遍在的)。姿を偽装して近づき、敵が強ければやり過ごし、敵が弱ければ襲撃する。敵の船と積荷を奪い、自分の武器にする。隊内の階級制度は脆弱で、船長と水夫が交替することもしばしばある。支配(平和)のために戦争をするのではなく、戦争の継続のために戦争をする。海賊の戦争様式を陸上の戦争に応用したのが、パルチザン戦争である。毛沢東の「遊撃戦論」は、正

(海賊 『VOL lexicon』 以文社 2009)

たちよみ『愛と暴力の現代思想』

ひとつは、量の問題である。トリアージを実施する際の量的な基準はどこにあるか。トリアージの「必要性」は、多数の負傷者と少数の医療スタッフ(設備・薬品)という量的な不均衡を根拠にしている。であれば、「多数の負傷者と貴重な医療スタッフ」という事態は、具体的にどの程度以上の規模をもったときを指すのかだ。問題が、負傷者と医療体制の量であるならば、まずは、一方の変数である医療体制の量を検討し確定しなければならない。医療体制の現状は、地域によってばらつきがあるだろう。都市部と山間部では、医師や設備の量が異なるし、交通の条件も異なるはずだ。自治体がトリアージの必要を説くならば、まずは、「○○県には現在これだけの医療体制があり、県外からこれだけの支援を得ることができて、これ以上はない」というように、医療体制の量を確定しその多寡を検討しなくてはならない。そうした検討を公にしたうえで、「○○市は、一度に○○人以上の負傷者がでた場合、トリアージを実施する」と言うならば、私はぜったいに承服しないが、とりあえず議論の前提は成立するだろう。それが、自治体と公的機関がはたすべき義務であるはずだ。しかし実際にはそうした検討はなされない。問題は、医療体制の検討を抜きにトリアージという方法だけが採用され、小規模な事故や火災の現場にも無原則に適用されてしまっているということである。たとえば、二〇〇二年九月におきた新宿区歌舞伎町のビル火災のような、大規模災害とはほど遠いと思われるような事件で、トリアージは実施されている。医療機関が不足しているとは考えられない都市部のどまんなかで、たった四七名の負傷者に対してトリアージが実施され、心肺蘇生術があらかじめ断念される。このビル火災で、四七名のうち四四名もの人々が死亡した背景には、トリアージの濫用がなかったか。それが歌舞伎町の雑居ビルの風俗店ではなく、西口の新宿センタービルであったなら、救急隊員はトリアージを実施しただろうか。と、問う必要がある。トリアージは、医療機関と救急現場に、差別とネグレクトを免罪し合理化する論理を与えたのかもしれない。大規模災害という想像の自然に支持された方法が、大規模災害にいたる以前の段階で、すでに暴走を始めている。この知性と倫理を欠いた「グッドアイデア」を法的に制限するものは現在ない。それが根拠にしているはずの量を曖昧にしたまま、「貴重な医療」という教条が医療の現場を支配する。そして、貧しい者、政治力のない者、「手に余る」患者たちは、救急車に乗せられることなく放置されるのだ。

トリアージが孕んでいるもうひとつの問題は、死生観にかかわるものである。
医療機関が、一度に複数の患者をうけいれるとき、そこに優先順位をつけることはあるだろう。そうした事態がありうることは否定できない。そして、ある者は死ぬ。死は突然おとずれて、生きている者たちに衝撃を与える。死は、死者本人にとっても、他の生きる者にとつても、承服しがたい。その死にタグを貼り付けるということは、人間の死生に対するおぞましい挑戦であると私は思う。
想像してみて欲しい。大規模な震災で街が崩壊する。あなたは黄色いタグをつけられ、病院に搬送され、治療を受けたとしよう。建物の窓から震災後の街を眺望すると、そこには黒いタグを付けられた心肺停止状態の人々が横たわっている。そこにあるのは死者と生
者ではない、黒いタグの死者と黄色いタグの生者である。生と死の選別をタグによって明示されたという事実に、はたして生き残った者は耐えられるだろうか。彼は死に彼は生きるという整理券を貼り付けられて、人間の死生が識別の視線にさらされる。医師や看護士や救急隊員が暗黙裡に選別するのではない。識別のタグは、彼は生きる彼は死ぬということを、すべての視線にむけてもっとも見えやすいかたちで明示し、その予約された運命にたいする合意と承認を、見る者すべてに迫る。そしてトリアージが首尾よく実践されるということは、多くの動くことのできる被災者が、そのタグを剥がすことなく受け入れるということなのである。人間に貼り付けられたタグを剥がさずにいうというこの命令に、従うのか否か。タグが発揮するこの命令に、人間は屈服してよいものだろうか。
生きるということは、死に抗い、死んだように生きることに抗う運動である。人間は、死んでいるか死んでいないかという次元で生を構想することはできない。死んでいないことが、生きているということでは、ない。死に抗うこと、死を易々とは承認しないという意志と運動が、生の尊厳を構成するのである。私がここで問題にしているのは、人間が経験する死生の残酷さではない。私が言いたいのは、人問の死生を残酷なものとして感受する条件を手放してよいのか、残酷さを回避したところに人間の尊厳が成立するだろうか、ということだ。私が恐れているトリアージの悪夢とは、ある生きている者が、ある生きられなかった者の死を、タグが発揮する合理性にしたがって唯々諾々と承認してしまうことである。死の残酷さにうちのめされることなく、合意を要求するタグ付きの死体が置かれ
た傍らで、生きる者は、自分自身の生を尊厳のあるものとして生きることができるだろうか。できない。ゴミを分別するようなすっきりとしたやりかたで死や生を受け入れることなど、本当はできないはずなのだ。それを易々とは受け入れないという一点に、人間が「人


(「虐殺・トリアージ・“生きた労働”の管理」『愛と暴力の現代思想』 青土社 2006)

2010年9月29日水曜日

VOAはどうするのか問題



このまえ集会に行ったら、関係者から「VOAはもう放送をしないのか」との問い合わせをうけた。言われてみればVOA。忘れてた。最後の放送が今年の4月ごろだから、かれこれ半年ちかく放送していないことになる。昨年9月に放送を開始してから、すでに一年も経っていることに気が付いた。
VOA(Voice Of ANTIFA)がどんなものかは文章では説明しにくいので、実際に耳で聴いてもらうとして、「放送を再開しないのか」という問い合わせがあるということは、少しはリスナーがいたということだろう。感謝。
http://voiceofantifa.net/

さて、今年の春に放送が中断してしまった理由は、考えればいろいろある。

1、「行動する保守」に対する包囲網ができあがり、危機感がなくなった。
2、論説委員(矢部)の喋るネタがつきた。
3、選曲、新曲探しがむずかしくなった。
4、矢部の新刊が出てしまったので、販促イベントで忙しくなった。
5、「海賊研究会」が始まり、そっちの方がおもしろくなっちゃった。

要するに一言で総括すれば、「飽きちゃった」ということになる。
「飽きちゃった」と言っても、ネガティブな感情は無い。言いたいことは全部言ったし、やってみたいことはだいたいやった。みんなだいたい楽しんだし、「あーおもしろかった」って感じだ。

これはあとづけになるが、振り返れば今年の4月頃から、「在特会」&「主権回復」&「瀬戸ひろゆき」ブロックは崩壊が始まっていたらしい。この半年間、彼らは小さい頭で対策を練ったようだが、そもそも大義をもたない暴走老人が何をやっても無駄。いまでは刑事・民事の裁判をまえに逃亡者が続出している。救援活動はおろか弁護士選任すらろくにできないありさまで、こういう弱々しい姿を見せられると、「保守」というのは気の毒だなあと思う。われわれ左翼は、いくら少数で孤立していても、最低限の救援はできるもんね。逮捕者が出たぐらいでちりぢりになるようなこんな弱い人間たちとまじめに対決しようとしていたのかと思うと、がっかりする。
これは左翼の悪い癖かもしれないが、敵が小さいとやる気がでない。本当は「小さい人間の小さい現実が大事なんだ」ということは頭では理解しているのだが、気持ちとしてはやはり、対峙する敵は大きくて強いものであってほしい。じゃないとどうも空気がはいらない。我々が「飽きちゃった」最大の理由はこのへんにあるのだと思う。

話は脱線したが、「行動する保守」が終了してしまったので、VOAの再開はとうぶんないだろうと思う。私自身がもともと彼らへの私怨(蕨事件)で始めたことだから、とりあえず第一期VOAは終了。

こんご第二期を始めるとしたら、新しい記者や論説委員をむかえて、もっと大きな問題設定でやりたいと思う。「VOA、まだまだやりたりないぜ」という諸君は、連絡をください。

書評『スラムの惑星』

『スラムの惑星』は、現在の人口統計が示す衝撃的な事実からはじまる。
「1950年には、100万人以上の人口を抱えた都市は86だった。今日においては400であり、2015年までには少なくとも550になるだろう。都市はじつに、1950年以来のグローバルな人口爆発のおよそ三分の二を吸収してきたのであるが、いまなお膨大な数の新生児や移民によって週ごとに増加している。世界の都市労働人口は、1980年以来二倍以上にまで増大してきたが、現在の都市人口ー32億人ーは、ジョン・F・ケネディが大統領に就任したときの世界の総人口よりも多い。その間に、世界の地方人口数は頂点に達し、2020年のあとには縮小しはじめるだろう。その結果として、2050年におよそ100億人に達することが予期される将来の世界人口成長のほとんどすべてを、都市が占めることになるだろう。」(第一章 都市の転換期)
いま世界ではかつてない規模と速度で、都市への移住と都市の移転がおきている。農村から都市へむかう人の流れ、そして、農村のただなかにあらわれる都市開発。人口二千万人を超えて拡張する超巨大都市と、土地の空隙を埋めつくしていく無数の小都市群。「農村と都市」をめぐるイメージは、地と図を反転させなくてはならない。都市は海に点在する島のような特殊な場所ではなくなっていて、都市それ自体が海のようにとりとめなくひろがっているのである。「地球の都市人口が農村人口をはじめて凌駕する」。そうして近い将来、世界人口のほとんど、というよりは、人間のほとんどすべてが、都市に生まれ都市で死んでいく、そういう時代が始まる。著者マイク・デイヴィスはこれを「新石器革命や産業革命に匹敵する、人類史上の分水嶺」として、「スラム」の爆発的拡大を現代社会の一般的傾向・一般的規則として描き出している。ただしここで目指されているのは、危機や不安を煽ったり、環境ビジネスが好んでとりあげるような「地球規模の破局」を描くことではない。著者が目指すのは、「スラムの惑星」と化した世界で、どのようにあらたな資本主義分析を行うか、世界資本主義を見るための視座をどのようにとり直していくか、である。
本書では多くの都市の名が登場する。著名な都市もあれば、聞いたことのない都市もある。ダッカ(バングラデシュ)、デリー(インド)、カラチ(パキスタン)、上海(中国)、ジャカルタ(インドネシア)、バンコク(タイ)、マニラ(フィリピン)、ヨハネスブルグ(南ア)、ラゴス(ナイジェリア)、キンシャサ(コンゴ)、ナイロビ(ケニア)、カイロ(エジプト)、イスタンブール(トルコ)、メキシコシティ(メキシコ)、リマ(ぺルー)、ボゴタ(コロンビア)、サンパウロ(ブラジル)、ブエノスアイレス(アルゼンチン)、モスクワ(ロシア)。これらはほんの一部である。
インターネットに接続できる人は、グーグル・アースというサイトに接続してみてほしい。グーグル・アースは、上空から撮影した世界の地表面の写真が閲覧できるサービスである。都市の名を入力して検索すれば、例えばキンシャサで検索すると、カメラはアフリカ大陸上空に移動して、内陸部の水運に面した都市にむかってズームしていく。写真は無段階で拡大することができて、最大まで拡大すると家の屋根や細い路地まで見ることができる。本書を手がかりに世界の都市を巡ってみてほしい。それらはあくまで上空からの写真にすぎないが、それでも『スラムの惑星』が提示するパーステクティブを感じることができるとおもう。地理的にも歴史的にも異なった都市が、どこも判を押したようにスラムを形成している。新自由主義グローバリゼーションは、世界中で生活の風景を書き換えているのだ。
世界規模で進展する現代の都市化=スラム化は、「農村と都市」をめぐる従来の常識を覆している。なかでももっとも重要だと思われるのは、工業化を巡る常識が覆されたことだ。本書のなかでも強調されているのは、現代の都市はかならずしも工業化と結びついてはいないという事実である。かつてマルクスが描いたところでいえば、まず農村でのエンクロージャー(土地の囲い込み)があり、つぎに排除された農民が工場のある都市に集積し、工業労働者(プロレタリアート)の一群を形成する、というのが基本的な図式である。しかし現在、都市化=工業化(都市住民=工業労働者)という図式があてはまるのは、中国などの一部の地域に限られている。とくにアフリカや南アジアの巨大都市では、工業化による雇用が確保されないまま、ただ農村から排除された農民たちが押し寄せ、もっぱら棄民の群れとして都市外縁のスラムを形成している。仕事らしい仕事はない。社会保障もない。それでも生きていくためには、都市の隙間になんらかの雑業を探して、どんな小銭でも稼がなければならない。そうしてスラムには、多種多様なインフォーマル経済が形成されていく。

ここでちょっと話は脱線するが、現代の海賊について私見を述べたい。『スラムの惑星』では触れられていない、あくまで私の妄想なので読み飛ばしてもらってもいいのだが、現代の海賊は、脱工業化とインフォーマル経済の成長という事態を端的に表現していると思うのだ。
現在ソマリアでは、国家が崩壊し海賊が跋扈している。海賊は、ソマリア沖を通過する船舶を襲い、物を奪って売りさばくか、人間をさらって身代金をとる。想像してほしいのは、いまソマリア沖インド洋で荒稼ぎをしている海賊は、はたしてソマリア人だけだろうか、ということだ。賊に強奪されソマリアに運ばれたとされる物資と人質は、すべて本当にソマリアに運ばれたのだろうか。インド洋はいま、宝の山だ。インド洋に面する国々では、一日1ドル以下でくらす人間が膨大にいる。この海域は、アフリカ東部の沿岸諸国・マダガスカル・インド・パキスタンからは目と鼻の先、インドネシアの海賊にとってもそれほど遠くはない距離だ。彼らが指をくわえて見ているとは思えない。また、ソマリア人海賊が獲得した物資は、なんらかの方法でカネに換えなくてはならない。ソマリアのなかで売りさばけるモノばかりではない。密貿易のネットワークがあってはじめてカネに換えられるというモノもあるだろう。こうして海賊稼業の全体を考えてみれば、インド洋に面する海賊・漁師・密貿易業者の国際的な連携があるだろうことは想像に難くない。こういうことは実際に検証することができないので想像するしかないのだが、構図として捉えておくべきは、ソマリアやフィリピンにあらわれた現代の海賊は、特殊・一国的な出来事ではなくて、新自由主義グローバリゼーションが散布した世界規模の貧困とインフォーマル経済の拡大を背景にしているということだ。別の言い方をすれば、環インド洋に生長したインフォーマル経済の発展が、ソマリア沖で、海賊という表現をもってあらわれたと言うこともできるだろう。
農村を破壊され排除された農民は、その一部は工業労働者になり、その多くは工業労働者になることすらかなわずスラムのインフォーマル経済に呑み込まれていく。巨大都市のインフォーマル経済を背景にして、海賊は成長する。みずから望んで海賊になる者、膨らんだ借金のために海賊をやらされる者、小さな船を維持するために危ない仕事をひきうける漁師がいる。海賊、という言葉には前時代的な響きがあって、アハハと笑われてしまったりもするのだが、世界の現実に照らしてみれば、海賊は、IMF・世界銀行・新自由主義政策が生み出してきた(破壊してきた)地域経済の、もっとも現代的な形式なのである。

さて本題に戻る。いまなんの説明もなく「IMF・世界銀行・新自由主義政策」と書いたが、あらためて簡単に説明すると、IMFは国際通貨基金。欧米日の先進国政府が出資して、通貨管理を行っている。IMFは、貿易赤字等によってドル準備高が不足した政府にドルを融資し、この債権をたてに債務国の政策を評価・介入する。世界銀行は、IMFと同様に先進国政府が出資し、国家規模の開発事業に投資し、債権をたてに債務国の経済社会を評価・介入する。世界の銀行・金融資本は、IMF/世界銀行に導かれ、同時にその利害を代表させてもいる。金融資本による政策介入は、世界の銀行家・官僚・右翼政治家を招聘する「世界経済フォーラム」(WEF、別名ダボス会議)や、主要国首脳会議(G8サミット)といった私的(法定外)諮問機関を通じて行われている。行政の政策決定は、国会のような公開された場所ではなく、エコノミストを交えた密室の会議に依存している。そしてダボス会議やG8サミット、これらから派生した無数の私的諮問機関によって推進されてきたのが、世界政策としての新自由主義政策である。
第三世界における新自由主義政策は、IMF/世界銀行が債務国に要求する「構造調整プログラム」によって実行されてきた。「構造調整」という政策パッケージは、四つの柱で成り立っている。1、関税障壁の撤廃(市場を開放し欧米の商品だけを買え)2、公共サービスの民営化(欧米の企業・資本に参入させろ)3、社会保障費の削減(医療も教育もビジネスにしろ)4、規制緩和(環境や労働権を主張するなら投資しないぞ)、である。
こうした政策は、国民経済を破綻させる。農村は疲弊し、食えなくなった農民は都市に押し寄せる。都市に出ても仕事らしい仕事はなく、教育を受けた公務員ですら首を切られているありさまだ。政策的に棄民化させられた人々は、都市の外縁に不法占拠のバラックを建て、スラムが膨張していく。アフリカにおける「構造調整プログラム」は惨憺たる結果を生み出した。IMFのエコノミスト自身が失敗だったと認めるほど、国民経済は破壊されてしまったのだ。
ここで念のために確認しておくが、こうした国々はもともと貧しかったからスラムがあるのではない。こうした国々は、国際債務をたてに実行された政策介入によって、よりいっそう貧しくさせられ、スラムでの生活を強いられているのである。「開発途上」という表現はねつ造された神話であって、発展の高みに向かって上昇しているように見えるのは都心の都市開発だけだ。都心では銀行や不動産業が華麗なオフィスビルを構え、「開発途上」のあどけない夢を演出している。しかし、一歩都心を離れれば、棄民と海賊と警察がせめぎあうスラムが広がっている。そしてスラムのインフォーマル労働者に寄生して、脱工業化社会の「成長部門」が高い収益性を実現する、という構図だ。
新自由主義政策の下で貧困と野蛮が蔓延していく。こうした構図は、90年以降の日本の状況と照らして見れば簡単に理解できるだろう。生産性・収益性は、賃金や労働権の切り詰めによって確保され、女性・若年労働者を中心にインフォーマル労働者を大量に生み出している。その反面、東京でも地方都市でも、建物だけはますます豪華になっていく。例えば東京都心の大学は90年代以降の再開発を経て、高級ホテルかと見紛うばかりの華やかなキャンパスを建ててきた。しかしその中身はといえば、低賃金の非正規雇用で生活費をまかないつつ卒業後も就職できないのではないかと不安を抱く学生たちが、学生ローンの窓口に並ぶ。4年後の卒業の時点で、彼らの借金は多い者で300万円を超える(授業料だけでそれぐらいになる)。現在の社会人1年生の何割かは、債務奴隷として出発するのだ。もともと昔からそうだったのではない。公共サービスの民営化(私物化)とインフォーマル経済の拡大は、金融資本が主導する新自由主義政策が、かつてあった国民経済を「非効率」と断じて解体してきたからである。この20年、私的諮問機関の提言によって我々が貧しくさせられてきたように、同じ原理で、第三世界諸国は貧しくさせられてきたのである。読み取るべき第一は、先進国と第三世界のそれぞれの都市を貫いている現代資本主義の一般的傾向である。
『スラムの惑星』を読みすすめていくと、聞いたことのない都市について書かれていることが、まるで東京に暮らす自分について書かれているような感覚をおぼえる。はっとして、グーグルアースで東京の写真を検索してみる。上空から見ると、他のスラム都市とひけをとらない大変な密度である。そしてなにより規模が大きい。道路は舗装され上下水道も完備しているが、たしかにここはメガ・スラムかもしれない。東京都内だけで1300万人の人口が集積し、その約60%は借家人だ。不安定な職を一つか二つもち、20平米にも満たないアパートに収入の半分ちかくを費やす。それでもなにかよい仕事にありつくために、都内の細い路地の隙間に出来るだけ安い物件を探していく。いや、東京の話はいい。ようするに何が言いたいかというと、東京の、あるいは大阪の、あるいは小さな地方都市がそれぞれにはらんでいる都市の緊張を、『スラムの惑星』は覚醒させてくれるということだ。
このことは翻訳にもあらわれているように思う。本書『スラムの惑星』は翻訳が良い。焦点がきちんとあっていて、著者の問題意識が明確に伝わってくる。10年前20年前のリベラル風の学者にはこういう仕事はできなかっただろう。おそらくこの緊張感は、訳者たちそれぞれがくぐってきた都市の経験のなかで形成されたものだろう。
あるいはこの緊張感は、本書が出版されるプロセスにも関っているのかもしれない。話は少々こみいってしまうが、版元の明石書店は現在、経営者と労働組合の間で係争が続いている。本書の翻訳を企画した編集者は組合員なのだが、翻訳ができあがる中途の段階で担当をはずされ、いまはデータ入力の仕事に配転されている。経営と組合との交渉はまとまらず、こう着状態にあるようだ。双方の主張はそれぞれビラやウェブサイトで公開されているのでそれを参照してもらうとして、私がここでどちらがどうということは書かない。ただ気に留めてほしいのは、ここにも『スラムの惑星』が描こうとする都市の緊張がある、ということだ。出版社というと高潔なイメージを抱く人もいるかもしれないが、現実はそんなにきれいなものではない。安定したフォーマルな場所の高みから世界を見下ろすのではない、東京のメガ・スラムの緊張のなかで『スラムの惑星』が編集され、印刷され、手渡されていくのだ。版元が労使間で争議をしながらこんなにきちんとした本を出したのだ。熱い。まじめに読みたいと思う。

(『図書新聞』 2010年8月7日号)

八千代市の「多文化共生社会づくり」

 2月23日火曜日。きびしい寒気がゆるみ暖かい日差しがさす日、千葉県八千代市のある中学校では、「むらかみインターナショナル子どもサミット」という催しが行われていた。
会場となった体育館に入ると、ステージでブラジル人歌手が歌い、小学生のこどもたちがダンスを楽しんでいる。飛び跳ねてはしゃいでいる小学生から少し下がったところには、中学生たちがすこし戸惑いながらステージをながめている。集められた児童は、40人から50人ほど。彼らはこの地域に暮らし学校に通う、ブラジル、ペルー、中国などいわゆる「ニューカマー」の外国籍の子どもたちである。見物の輪の外周をつくっているのは、さまざまな表情で子どもを見守る保護者たち、学校の教職員、地域の町内会役員、民生委員、警察だ。
催しは二部構成となっていて、第一部は『集会〜インターナショナルな子ども達,みんな集まれ!』と題して、音楽やダンスで交流する集会。この時間は、日本で活躍するブラジル人歌手・シキーニョさんをゲストに迎え、陽気な歌にあわせてみんなで踊る。
第二部は、『フォーラム〜多文化共生社会を考えよう』。第二部からは小学生を教室に返し、中学生と大人たちが椅子を並べて座る。通訳者を介して懇談会が行われた。
第二部が始まる頃、私は市役所と図書館で調べものをするために会場をあとにした。学校の敷地を出て、駅に向かって歩いていると、運動場でマスゲームの練習をしている中学生の姿が見える。そろいの体操服を着た子どもたちは、かつて流行した「一世風靡セピア」の曲にあわせて、踊りの練習をしている。おそらくいくつかの理由があって、「むらかみインターナショナル子どもサミット」は、「ニューカマー」の外国籍児童だけで、他の小中学生を交えないかたちで行われた。

「むらかみインターナショナル子どもサミット」は、今回が初めての試みである。これは「千葉県多文化共生社会づくり推進モデル事業」のひとつとして委託された事業である。実施主体は、「村上地区外国人児童生徒受入整備連絡会」と村上地区の五つの小中学校だ。「千葉県多文化共生社会づくり推進モデル事業」は、NPOや大学などを主体にして、いくつかの事業を行っている。少々長くなるが、インターネットで公開されている一覧を引用しよう。

○むらかみインターナショナルこどもサミットの開催
八千代市村上地区の小学校(3校)、中学校(2校)の生徒、保護者、教育関係者、ボランティア、企業関係者等が一堂に集い、みんなで歌い、学び、踊ることなどを通じて交流する。地域への所属感を高め外国籍児童としてのアイデンティティの確立、保護者や雇用主の教育に対する理解の増進、地域住民の多文化共生意識の理解促進を図る。

○県内外国人集住地域の包括的実態把握にむけた予備的研究
中部や北関東の外国人集住地域から不況、住宅不足、定住化などにより千葉県内へシフトしつつある人の流れを包括的に把握し、現場支援の一助とすることをめざす。単純労働者、熟練労働者、留学生及び日本企業就職者の集住に至る背景、人数と居住地、現在の住環境、行動範囲、就労実態などの基礎的データを収集・分析する。

○千葉県内の留学生を対象とした日本就職支援セミナーの開催
県内大学に在籍する留学生に対し、履歴書の書き方、エントリーシートの書き方のセミナーを開催し、県内大学在籍留学生の就職率の向上と、県内企業の国際化及び国際競争力の向上を図る。

○日本語を母語としないJSL生徒の高校受験支援
高校受験を希望する生徒のために、通常授業日の午後に特色化選抜試験に対応する作文、面接を中心に英語、数学支援等の受験生特別支援を行い、高校進学を促進する。

○多文化共生情報ネットワーク事業
市原市内に多く在住し、情報が届きにくい南米系外国人のために、「広報いちはら」や新聞、雑誌等の記事で生活に必要となる情報をスペイン語やポルトガル語に翻訳し、それを外国人に届ける情報伝達システムを確立する。翻訳チームの整備や南米系外国人との信頼関係、情報ネットワークを築く。

○外国人の子どものための勉強会
外国人と日本人がコミュニケーション(交流・集い)の場をもち、互いを理解しあい、共生を進める。地域の同年齢、同学年の外国人生徒と日本人生徒の双方に参加を呼びかけ、交流する「中・高校生の集い」を開催し、対等な立場で身近なことを話し合い、お互いを分かり合うきっかけをつくる。

参照 ちば国際情報広場(「千葉県多文化共生社会づくり推進モデル事業」の委託について)
http://www.pref.chiba.lg.jp/syozoku/b_kokusai/foreigner/tabunka/tabunkakekka2009.html


八千代市は、人口19万人。東京の東、千葉県北西部にあり、東京から直線距離で40キロに位置する衛星都市である。40キロという距離がどれぐらいかというと、東京から西に40キロ進めば町田・相模原、三多摩地域に進めば八王子、北に進路をとれば大宮・上尾になる。東京の外縁を囲む国道16号線がこれらの衛星都市を環状に結んでいる。
八千代市の北東部には印旛沼がある。印旛沼の水は、一部は千葉県北部を横断する利根川に合流し、銚子から太平洋に流れていく。また一部は八千代市を南北に縦断する新川を流れ、千葉市花見川を経て東京湾にそそぐ。かつて利根川が氾濫していた頃は、増水した水が印旛沼に逆流し、さらには八千代市の新川流域を冠水させたという。現在では新川に排水機場がつくられ、冠水することはなくなった。
八千代市は1950年代末に大規模な住宅開発を開始する。陸軍演習場の跡地に複数の住宅団地が造成され、東京で働くサラリーマン世帯が集住する住宅都市を形成していった。京成本線八千代台駅から船橋駅まで約15分、日暮里駅までは約40分。60年代当時、八千代台駅には毎朝一万人の通勤客が列をつくったという。
住宅開発と並行して、工業団地の建設と工場誘致が行われる。市を南北に縦断する国道16号線を挟んで、西側に八千代工業団地、吉橋工業団地、16号の東側に上高野工業団地が造成された。
16号線の東側に位置する村上団地は、70年代後半、上高野工業団地に隣接してつくられた住宅団地である。ここは、東京に通うサラリーマンの「ベッドタウン」としてだけでなく、上高野の工場や倉庫に勤める労働者に向けた、職住近接の性格をもった住宅団地だ。起伏の大きい丘陵地に、5階建て程度のマンションと、一戸建て住宅が並ぶ。住宅地の東側には、幅約100メートルの緑地帯を挟んで、上高野工業団地がある。ここで操業する工場・倉庫は現在約50社。機械、化学製品、食品工場が並び、ダイエーの流通センターや、インターネット通販で知られるアマゾンの配送センターなどがある。ひとつひとつが大きな敷地をかまえ、航空写真で識別できるほど大きい。郊外の工場・倉庫群は、東京・千葉の大都市圏を支えるバックヤードとして生産と物流を担っていて、たとえばコンビニエンスストアで販売される弁当やおにぎりは、こうした場所でつくられ配送されている。工場の求人は、時給900円から1300円。賃貸住宅の情報誌を見ると、村上団地にある3DKのマンション(6・6・3・DK6、51平米)が、一月5万円ほどで貸し出されている。
ここに、外国人移住労働者が家族を伴って暮らしている。
「むらかみインターナショナル子どもサミット」のパンフレットから、ふたたび引用しよう。

「村上地区5校の小中学校には、現在70名を越える外国人児童生徒(日本語を第2言語とする児童生徒)が在籍している。国籍はブラジル、ペルー、フィリピン、メキシコ、アルゼンチン、中国、ボリビアの7カ国である。八千代市で最も外国人生徒が多い地区である。こうした外国人児童生徒が、学校を超えて交流していけば、地域への所属感が高まり、児童生徒のアイデンティティの確立にも寄与できると考え、ここに一堂に会することとなった。
また、参加していただく外国人児童生徒の保護者が、日本の教育に対する理解を深め、地域に対する信頼感を高める機会ともとらえている。今後は外国人児童生徒と日本人児童生徒との交流も計画している。このサミットを契機に、村上地域に住む全ての人達が、「多文化共生社会」について真剣に考え、一歩でも前進していくことを期待している。」

この文章が言外ににじませているのは、外国人(ニューカマー)の子どもたちが学校を離れてしまうことへの危惧である。もっと直接的に言えば、学校に行かない子どもが地域をぶらついたりたむろしたりすることへの危惧だ。学校は地域社会を結びつける強力な、そしておそらく唯一の場だ。子どもたちが学校に適応しなかったり、不登校が常態化することは、すなわち外国人移住者の日本社会からの離脱であり、地域社会の破綻に直結する。問題は、どのようにして彼らを着地させるかである。「多文化共生社会」の焦点は、教育の問題である以前に「社会づくり」の問題であり、新しい住民をめぐる都市政策の問題なのだ。

一般に、都市郊外は二つの性格、二つのベクトルをもって拡大する。ひとつは都市からの排除と周辺化を示す「場末」としての郊外。もうひとつは、都市を離脱して新たな生活環境を模索する「新天地」としての郊外である。
「場末」としての郊外は、都市が歓迎しない工場や公共施設(ごみ焼却場や斎場霊園)がうち寄せられるようにして配置される。そこには、都市中心部に入れない低所得層や外国人移民が集住する。「場末」は、成長する都市のダイナミズムと活力が表現される場だ。
「新天地」としての郊外は、都市の環境を離れたより良い住環境を求めて、主に中堅所得者によって担われる。都市の喧噪や人いきれを離れて、静謐と良い空気を求めて、住宅と住環境が開発されていく。「新天地」は都市の都市的性格を抑制し、ときには拒絶する。歴史的な視点を離れたある種のユートピア主義、生活保守主義がいかんなく発揮される場だ。
そして郊外とは、「場末」と「新天地」という相反するベクトルが交錯する場だ。多くの場合、都市郊外とは、「場末」かつ「新天地」なのである。地域と学校はこの二つの葛藤をはらんでいて、ここでは、日本語を母語とするか否かという社会の分化だけでなく、「場末」の子どもか「新天地」の子どもかという、より深刻な分化にさらされているのである。不登校は、外国人の子どもだけとは限らない。低所得層の子どもたちは、進学や雇用の面で今後ますます「外国人化」し、日本社会から排除されあるいは離脱していくだろう。「場末」と「新天地」の葛藤は増していく。快適で安全な住環境をもとめる中堅所得者たち、傷つきやすく了見の狭い人々は、今後ますます「隣人問題」に悩まされるだろう。
「多文化共生社会づくり」事業は、両義性をはらんでいる。この事業は、郊外がはらむ「場末」的性格を洗浄し、安全な「共生」を実現することになるのだろうか。それとも、「共生」という「隣人問題」の枠を超えて、グローバル都市の新たな論理と新たな途を示すのだろうか。村上駅前のイトーヨーカドーでコーヒーを飲みながら考えた。明るく、清潔で、穏やかな場所だ。歴史も世界も忘れてしまったかのようなユートピアじみた商業空間。このとりすました郊外の空間が、子どもたちの手によって転覆されるかもしれないと想像して、興奮した。

(『リプレーザ2』 Spring2010)

たちよみ『原子力都市』 藤里町

 この町の位置と変化は、大きな公共施設とともに現場に残されていた。事件報道のカメラが押し寄せた町営住宅から、県道を北上し車で5分ほどの場所に、「環境省白神山地世界遺産センター藤里館」がある。藤里町は、白神山地の南端に位置する観光都市だったのだ。
一九九三年、白神山地は「世界自然遺産」に認定された。世界遺産センターには、白神山地の森とそこで生きる鳥やカエルや昆虫が、模型や写真パネルとなって展示されている。森の生態系は観光資源となり、ここから発信された森のイメージは、グラフ誌やハイビジョン放送やアニメーション映画を通じて、すでに私たちの眼に届けられていたのである。二〇〇六年のメディアスクラムからさかのぼって十三年前に、藤里町の見世物は始まっていたのだ。

この間、藤里町には二つのカメラが持ち込まれたことになる。観光宣伝のカメラと、事件報道のカメラである。森の自然を賞賛し観光資源に仕立てるカメラと、挙動不審な女を摘発するカメラ。二つのカメラはそれぞれの現場を分担しつつ、見世物を整備するひとつの都市計画を推進する。二つのカメラがとらえたイメージは全国に、ときには世界に配信され、愛でるべきものと摘発すべきものを私たちの眼に焼きつける。フェティッシュに視覚化されたイメージが藤里町と私たちを接続し、そのイメージと視線がつくりあげる新たな位相の都市空間に藤里町は組み込まれているのである。視覚イ

(『原子力都市』 以文社 2010)

たちよみ『原子力都市』 旧上九一色村

 オウム真理教の組織と実践は、国家の提示する「田園都市」というモデルに見事に応答するものであった。工業都市が生み出した富を否認した人々は、彼らなりの脱工業化を模索し、構想していったのである。
はじめはヨガから始まったおだやかな修養プログラムは、次第に荒々しい方法に変わっていく。さまざまな器具や機械や薬物が開発され、人体実験が繰り返される。出家信者が住まう施設は、研究と教育の拠点であると同時に、先端技術を駆使して兵器を生産する工場となっていくのである。
オウム真理教が上九一色村に工場を建設する1990年代、全国26地域の「テクノポリス」は、すっかり熱を失っていた。計画目標を達成した地域はほとんどなく、日本版シリコンバレーの夢は実現しなかった。そして人々が「テクノフィーバー」を忘れようとしていた頃、サティアンと呼ばれる工場群は、小さな「テクノポリス」として成長していた。全国でただ一つ実現した、内陸型の、産・学・住を備えた、知識集約型工業都市。国の承認を受けない27番目の「テクノポリス」は、その高い技術力と生産性を世界に示した。そこには、反民主主義を基軸にして人間を徹底的に奴隷化する「テクノポリス」が実現したのである。


(『原子力都市』 以文社 2010)

たちよみ用『原子力都市』序文

序文

本書に収められたエッセーは、2006年から2年間のあいだ、いくつかの土地を歩き書いたものだ。
どんなところであれ、人が生きる土地には人の手が加えられていて、都市化されてきた歴史がある。都市の歴史はいくつかの時代が地層をなして折り重なっているものだろう。そして、歴史とは現在を基点にして遡っていくことでしか見えないものなのだとすれば、問題となるのは、現在という時代をどう規定しどのようなものとして捉えていくか、である。

「原子力都市」は、ひとつの仮説である。
「原子力都市」は、「鉄の時代」の次にあらわれる「原子の時代」の都市である。「原子力都市」は輪郭を持たない。「原子力都市」にここやあそこはなく、どこもかしこもすべて「原子力都市」である。それは、土地がもつ空間的制約を超えて海のようにとりとめなく広がる都市である。
都市が尺度を失っているという主張は、ずいぶん拙速で観念的な主張だと感じられるかもしれない。しかし、実際に街を歩いてみてほしい。充分に時間をとって何日も街を歩いてみれば、私が何を言わんとしているか感じてもらえるはずだ。

原子力都市の新たな環境のなかで、人間の力はいまはまだ小さな犯罪や破壊行為におしやられている。だが、こうした小さなうごめきもいつかは、政治と文化をめぐる一般理論を生み出し、確固とした意思を持つことになるだろう。この無数のうごめきがはらんでいる創造性を解き放つために、いま考えなければならないことがある。
生活が味気ないというだけの話はもうそろそろきりあげて、次の話をしようと思う。

(『原子力都市』 以文社 2010)