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2017年7月28日金曜日

闘争の時間を意識すること



 まずはじめに、中国の思想家孫子の、有名な一節を参照することから始めよう。

孫子曰く、
「百戦百勝は善の善なるものにあらず。戦わずして人の兵を屈するは善の善なるものなり。」(謀攻篇)

 中国史に親しんだことのある人なら、一度は耳にしたことのある一節だろう。
 敵と会戦をして勝利することが最善なのではない。そうした勝利は、自軍の将兵にとっては手柄をたてるチャンスであるかもしれない。だが、大局的観点で戦争を考えるなら、会戦とはあくまで次善の策にすぎないものである。目指すべき最善の勝利とは、敵軍にも自軍にも会戦の機会を与えずに、目的を成就することである。

 現代人は、戦略という概念をもっていて、戦術的勝利と戦略的勝利とを分けて考えることができる。だから現代の我々は、この一節をあたりまえのこととして、つい聞き流してしまう。だが、もうすこしここにとどまって、この一節が何を言っているのか、掘り下げて考えてみよう。

 戦争を考えるなかで、孫子は重大な発見をしている。その発見とは、ある部隊、ある軍団、ある旅団が、戦うことなく敗北することがある、という事実である。敵と戦って敗北する、というのなら、まだ素人にも想像できる素朴な話である。だが現実の戦争はもっと複雑だ。現実の戦闘では、戦わないで敗北する、戦う機会すらつくれずに敗北する、ということがあるのだ。
 孫子の兵法が卓越しているのは、軍の姿を静的に捉えることをやめて、軍の行動可能性に着目したこと、軍事行動を動的編成として把握したことである。言い換えれば、軍をもっぱら空間的に把握することをやめて、時間の観点を導入したことである。
 軍事力とは、兵員の数や武装の質といった、目に見える威容のことではない。軍事力とは、戦況によって刻一刻と変わる、軍の行動可能性、潜在的な可能性の総体である。軍事の核心は、今日の戦闘でどれだけ戦果をあげたか、ではない。今日の戦闘を終えたあとに、明日、明後日、翌週、どのような行動をとることが可能になっているか、である。今日の戦闘によって、明日以降の行動の選択肢が増えているかどうか、その潜在的な可能性の推移が、軍事の核心である。
 こうした観点にたって戦争を言い換えるなら、戦争とは、自軍の潜在的行動可能性を増大させ、敵軍の潜在的行動可能性を縮小させることである。そして、軍の行動可能性が最小化した究極の状態が、「戦う機会すら与えられない」という状態である。
 孫子は、「戦う機会すら与えられない」という状態を、偶発的なものとは考えていない。それは、人為的に、戦略的に、生み出すことができるものである。だから彼は、むやみに会戦をするのではなく、まずは敵が身動きできない状態をつくりだせ(そうすれば自軍の消耗を回避できる)と言うのだ。

 ここで孫子が要求しているものについて、もう少し考えてみよう。
 孫子は、戦争を静的にではなく動的に、空間的にではなく時間的に、把握しようとした。戦争の思考は、兵員数や占領地域といった、空間的な把握によって足りるものではない。戦争を考えるということは、戦争の時間を考えるということだ。
孫子にとって、戦争の空間的要素は、時間に置き換えられるものである。兵員数も、地形も、風向きも、すべて時間に置き換えて把握されるべきである。軍師は、軍の空間的な配置を設計しなければならない。だがそれだけでは足りない。軍師が空間的な配置を通じてさらに考えなければならないのは、軍の時間的な配置を設計することだ。時間の配置とは、敵軍が攻撃にでる機会を封じ、自軍が攻撃する機会を最大化することである。孫子が要求する軍略とは、空間に働きかけることではなく、時間に働きかけることである。
 戦争は、究極的には、偶発性に支配されている。のるかそるか、出たとこ勝負であることを避けられない。だが、軍略はその場しのぎではいけない。自他の軍が、明日、明後日、翌週に、どのような時間を経験することになるのかを、あらかじめ考え、配慮しなければならない。軍事行動の持続を考えること、自軍が潜在的な行動可能性を再生産できるようにしておくこと、さらには、潜在的な行動可能性が拡大再生産されるような機会をつかむことである。
 小さな局地的戦闘が、その戦術的勝敗の結果によらず、戦略的優位性を生み出すということがある。自軍の潜在的な行動可能性が拡大するという展開である。そうした仕方で戦闘の再生産が始まったとき、敵は戦うたびに追い詰められ、打つ手打つ手が自軍の勝利に結びついていく。孫子によればこれは、賽の目を転がすような偶発的な出来事ではない。勝利の条件は、会戦の前にあらかた決まっている。その条件は、戦争の時間(持続)を意識する者だけが把握できるものである。


 さて、ここまでは前振りです。
 紀元前に書かれた孫子の兵法が、現代にも読み継がれているのは、なぜでしょうか。その最大の理由は、孫子が徹頭徹尾世俗的で、現実主義だからです。
 古代から現代にいたるまで、戦争は信仰と結びつけて遂行されてきました。戦争はしばしば神頼みであったり、神の意志と考えられたり、「聖戦」とされたりするものでした。
孫子は、戦争と信仰とを切り離し、徹底的に世俗的な冷めた視点で、戦争を考えました。孫子にとって、死は無価値です。生きることだけが価値です。自己犠牲を神聖化したり、戦死者を「英霊」としたりするような宗教的行為は、孫子がもっとも嫌うものです。そんな馬鹿なことをしている人間は、戦争に勝つことはできないのです。
 戦場におかれた人間が考えなければならないのは、まず第一に生き延びることです。生き延びることができなければ、次の作戦を遂行することができないからです。生きることは、潜在的な行動可能性を保持することです。
 孫子が現代に生きていたら、もっと冷酷にこう言うかもしれません。逆もまた真なり、と。潜在的な行動可能性を保持できていないのなら、それは死んだも同然である。死んでいない、戦闘態勢にある、というだけでは不充分、どのように闘うかという選択肢を複数もっていなければ、存分に生きているとは言えない、と。


 私は2011年の3月に東京を離れ、多くの友人や同志に、東京からの撤退・移住を呼びかけてきました。私の行動を見て、「矢部は戦線を離脱した」と捉えた人々もいたかもしれません。それは誤解です。私はこの6年間、一度も戦線を離脱したことはありません。私は東京で行われる局地的な作戦に合流しなかったというだけです。あの首相官邸前の、反射的で長期的視野を欠いた行動に、合流する気にはなれなかったのです。2017年のいまだから言いますが、大方が予想したとおり、東京のお祭り騒ぎは終息しました。
 我々と日本政府との闘争は、これからが本番です。
この闘争は、闘争の時間を意識し、闘争の再生産を意識したものになります。まずは、汚染地域を避けて、生きのびることです。私たちは生きて、子供たちに伝えていくのです。そして、新たに戦線に加わる若者たちと共に、新しい作戦を次から次へと立案しなくてはなりません。
 いまも東京にとどまっていて、手も足も出ない状態だと感じている人は、ただちに移住をするべきです。すでに大阪では、新しい運動が始まっています。大阪への移住を推奨します。

 

2016年12月22日木曜日

12・17基調講演のれじゅめ

12月17日の集会の内容は、報告集としてまとめて来年に発行します。
私が提出したれじゅめを、ちょっとだけ公開します。れじゅめに添付した統計資料などは、膨大なので、ここでは割愛します。

以下、れじゅめです。
全国各地の「放射脳」左翼のみなさんで、酒の肴にしてみてください。


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れじゅめ 「復興」政策の失敗と権力の弱体化
2016/12/17 矢部史郎

1、福島「復興」政策の諸事業

 11 「食べて応援しよう」キャンペーン 2011年~
 福島県は、小規模農家の戸数が多い農業県である。復興庁・福島県は、農産物の「風評被害払拭」のために、年間16億円の宣伝費用を投じている。このキャンペーンによって、きゅうり、トマト、ももについては、出荷額を事故前の水準に戻している。だが、農家の戸数は減少の一途をたどっている。また、首都圏の消費者意識調査では、「福島産を買わない」が30%と横ばいである。首都圏の消費者の3割は「放射脳」として定着している。

 12 除染事業 2012年~2015年 
 復興庁は、爆心地の周辺11市町村(国直轄除染)のうち、7市町村で除染事業を完了している。除染の効果は最大で45%(空間線量率)である。これはセシウム134(半減期2年)等の自然減衰分を考えれば、あまり効果があったとはいえない。除染完了後の空間線量率は、国が「公衆に許容される」としている0.23μSV/毎時の水準を達成していない。

 13 帰還事業 2014年~
 国と福島県は、県外に避難している県民を帰還させるべく、避難者の住宅補助を打ち切ろうとしている。しかし、県外への人口流出は止まらない。201611月の発表では、県人口が190万人をわった。事故後の5年間で5万人が死亡(超過)し、7万人が県外に転出(超過)している。
人口の「社会減」(転出超過)は、とくに若年者と女性に顕著である。


2、公害訴訟の動向
 福島県の被害者らは、全国20の地方裁判所・支部で、政府と東京電力にたいする損害賠償請求訴訟を提訴している。前橋地方裁判所では、裁判長の迅速な訴訟指揮によって、201610月に結審。20173月に全国で初の判決が出る予定だ。
 201611月、自民党は、東京電力事件の処理費用の試算を、あらたに21.5兆円とし、従来の試算から倍増させた。ここには損害賠償費用の増額が含まれている。
 東京電力事件は、公害事件としての性格を明確にしはじめている。
 




3、議会政治の流動化

 31自民党の分裂・弱体化
  衆院選において自民党は得票総数を減らしている。都市部の支持層が割れて「維新の会」などに流出していることと、東北地域での支持を減らし、民進党・生活の党に負けている。自民党を支えてきた小ブルジョアジー・小地主層が、ブレている。反面、政権復帰後の参院選で自民党は得票数を大きく増やしている。これは大規模な財政出動の成果であると思われる。
自公連立は継続されている。宗教勢力への依存の度合いは強まっている。

 32民主党の解党、「連合」の分裂
  2011年から2012年にかけて、民主党は分裂した。2012年の衆院選は多党乱立の選挙となり、民主党系議員の多くが落選した。さらに、原子力政策と野党共闘をめぐって「連合」が事実上の分裂をしている。これは、原子力問題によって「連合」右派の主導性が失われているためである。

 33共産党の勢力伸長
  民主党が解党したことで、共産党は「反原発派」の事実上の受け皿になった。2014年衆院選での得票数は、事故前よりも110万票増やし、21議席を獲得した。2016年の参院選では、事故前より250万票増やし、議席数を倍増させている。
 だがこの浮動票の獲得は、共産党の意図を超えたものだ。この浮動票の性格の評価をめぐって、共産党は悶絶することになる。この間の勢力伸長は、党の運動方針の成果だろうか。あるいは、野党共闘の成果だろうか。もしもそのどちらでもないとしたら、この浮動票は何か。胡乱な浮動票が増大するにしたがって、党は選挙戦における主導性を保持できなくなってしまう。


4、権威の失墜、批評の興隆
 「放射脳」の登場によって、科学行政、大学、報道機関、社会運動の権威は失墜した。
 なかでももっとも信用を失ったのは、「復興」政策に加担したNPO・市民活動である。
 NPOは、議会政治からの自立性と実践の直接性を備える疑似革命的・疑似ユートピア的性格をもって人々を動員していた。しかし、NPOが「復興」という国策に加担したことで、その化けの皮が剝がれていった。NPOは権力を批判しつつ、それ以上に権力を補完しているという事実が、明らかになった。
 権力の補完と再生産を担うNPOの枠組みが崩れることで、多くの大衆が政治的な批評性に回帰していく。この大衆の政治化という趨勢に対応して、知識人・大学人がにわかに「リベラリズム」を表明していく。2014年以後の「リベラリズム」の流行は、政治化する大衆を封じ込めようとする反動であり、NPO体制の綻びから生じた知識階層の防衛機制である。


5、「風評」の革命的性格

 51 交渉を待たない直接行動主義
 全国で展開される放射線防護活動は、予防原則に基づいて実践されてきた。それらは、議論や交渉の結果を待たず実践され、実践のあとにじっくりと結果を検証する、という形式をとる。議論し結論を出し実践する、のではなく、まず実践をしてそのあとに議論をする、という順番をとる。おそらく人々が「放射脳」に拒絶感を示すのは、この、「まず実践を先行させる」というスタイルのためだろう。また、「放射脳」とそれ以外の人々の議論がかみあわないのは、それぞれの言葉が置かれている位置の違い、実践の前に置かれているのか、実践のあとに置かれているのかという、時間的な機序が違っているからである。
 
 52 合意形成に頼らない単独行動主義
 「放射脳」は合意形成に頼らず単独で行動する。その最たるものは母子避難者である。合意に至らないのであれば、たとえ夫婦であっても別行動をとる。場合によっては離縁する。こうした実践が社会集団に与えた衝撃は大きい。社会集団や合意形成というものが個人によって簡単に崩されてしまうことが、多くの事例によって示された。この状況は、革命的であると言ってよい。

 53 言説の革命的転換
 広範にあらわれた直接行動主義と単独行動主義は、言説が立脚する新たな条件を生み出した。
 それは交渉のための言説ではなく、交渉を待たない言説である。合意や和解を目指して権力に陳情をするような「開かれた」言説ではなく、非和解的で自律した言説である。
 「放射脳」左翼の一つの任務は、こうした革命的性格をもった言説を生み出していくことである。
 目指すべき状態は、非和解的で「まったく議論にならない」者たちが誰よりも饒舌になり、建設的で「開かれた」言葉の提案者たちが沈黙すること。これまで釈明をさせられてきた者たちが沈黙し、人々に釈明を要求してきた者たちが自己弁明に追われる、という状態である。


2010年9月29日水曜日

書評『スラムの惑星』

『スラムの惑星』は、現在の人口統計が示す衝撃的な事実からはじまる。
「1950年には、100万人以上の人口を抱えた都市は86だった。今日においては400であり、2015年までには少なくとも550になるだろう。都市はじつに、1950年以来のグローバルな人口爆発のおよそ三分の二を吸収してきたのであるが、いまなお膨大な数の新生児や移民によって週ごとに増加している。世界の都市労働人口は、1980年以来二倍以上にまで増大してきたが、現在の都市人口ー32億人ーは、ジョン・F・ケネディが大統領に就任したときの世界の総人口よりも多い。その間に、世界の地方人口数は頂点に達し、2020年のあとには縮小しはじめるだろう。その結果として、2050年におよそ100億人に達することが予期される将来の世界人口成長のほとんどすべてを、都市が占めることになるだろう。」(第一章 都市の転換期)
いま世界ではかつてない規模と速度で、都市への移住と都市の移転がおきている。農村から都市へむかう人の流れ、そして、農村のただなかにあらわれる都市開発。人口二千万人を超えて拡張する超巨大都市と、土地の空隙を埋めつくしていく無数の小都市群。「農村と都市」をめぐるイメージは、地と図を反転させなくてはならない。都市は海に点在する島のような特殊な場所ではなくなっていて、都市それ自体が海のようにとりとめなくひろがっているのである。「地球の都市人口が農村人口をはじめて凌駕する」。そうして近い将来、世界人口のほとんど、というよりは、人間のほとんどすべてが、都市に生まれ都市で死んでいく、そういう時代が始まる。著者マイク・デイヴィスはこれを「新石器革命や産業革命に匹敵する、人類史上の分水嶺」として、「スラム」の爆発的拡大を現代社会の一般的傾向・一般的規則として描き出している。ただしここで目指されているのは、危機や不安を煽ったり、環境ビジネスが好んでとりあげるような「地球規模の破局」を描くことではない。著者が目指すのは、「スラムの惑星」と化した世界で、どのようにあらたな資本主義分析を行うか、世界資本主義を見るための視座をどのようにとり直していくか、である。
本書では多くの都市の名が登場する。著名な都市もあれば、聞いたことのない都市もある。ダッカ(バングラデシュ)、デリー(インド)、カラチ(パキスタン)、上海(中国)、ジャカルタ(インドネシア)、バンコク(タイ)、マニラ(フィリピン)、ヨハネスブルグ(南ア)、ラゴス(ナイジェリア)、キンシャサ(コンゴ)、ナイロビ(ケニア)、カイロ(エジプト)、イスタンブール(トルコ)、メキシコシティ(メキシコ)、リマ(ぺルー)、ボゴタ(コロンビア)、サンパウロ(ブラジル)、ブエノスアイレス(アルゼンチン)、モスクワ(ロシア)。これらはほんの一部である。
インターネットに接続できる人は、グーグル・アースというサイトに接続してみてほしい。グーグル・アースは、上空から撮影した世界の地表面の写真が閲覧できるサービスである。都市の名を入力して検索すれば、例えばキンシャサで検索すると、カメラはアフリカ大陸上空に移動して、内陸部の水運に面した都市にむかってズームしていく。写真は無段階で拡大することができて、最大まで拡大すると家の屋根や細い路地まで見ることができる。本書を手がかりに世界の都市を巡ってみてほしい。それらはあくまで上空からの写真にすぎないが、それでも『スラムの惑星』が提示するパーステクティブを感じることができるとおもう。地理的にも歴史的にも異なった都市が、どこも判を押したようにスラムを形成している。新自由主義グローバリゼーションは、世界中で生活の風景を書き換えているのだ。
世界規模で進展する現代の都市化=スラム化は、「農村と都市」をめぐる従来の常識を覆している。なかでももっとも重要だと思われるのは、工業化を巡る常識が覆されたことだ。本書のなかでも強調されているのは、現代の都市はかならずしも工業化と結びついてはいないという事実である。かつてマルクスが描いたところでいえば、まず農村でのエンクロージャー(土地の囲い込み)があり、つぎに排除された農民が工場のある都市に集積し、工業労働者(プロレタリアート)の一群を形成する、というのが基本的な図式である。しかし現在、都市化=工業化(都市住民=工業労働者)という図式があてはまるのは、中国などの一部の地域に限られている。とくにアフリカや南アジアの巨大都市では、工業化による雇用が確保されないまま、ただ農村から排除された農民たちが押し寄せ、もっぱら棄民の群れとして都市外縁のスラムを形成している。仕事らしい仕事はない。社会保障もない。それでも生きていくためには、都市の隙間になんらかの雑業を探して、どんな小銭でも稼がなければならない。そうしてスラムには、多種多様なインフォーマル経済が形成されていく。

ここでちょっと話は脱線するが、現代の海賊について私見を述べたい。『スラムの惑星』では触れられていない、あくまで私の妄想なので読み飛ばしてもらってもいいのだが、現代の海賊は、脱工業化とインフォーマル経済の成長という事態を端的に表現していると思うのだ。
現在ソマリアでは、国家が崩壊し海賊が跋扈している。海賊は、ソマリア沖を通過する船舶を襲い、物を奪って売りさばくか、人間をさらって身代金をとる。想像してほしいのは、いまソマリア沖インド洋で荒稼ぎをしている海賊は、はたしてソマリア人だけだろうか、ということだ。賊に強奪されソマリアに運ばれたとされる物資と人質は、すべて本当にソマリアに運ばれたのだろうか。インド洋はいま、宝の山だ。インド洋に面する国々では、一日1ドル以下でくらす人間が膨大にいる。この海域は、アフリカ東部の沿岸諸国・マダガスカル・インド・パキスタンからは目と鼻の先、インドネシアの海賊にとってもそれほど遠くはない距離だ。彼らが指をくわえて見ているとは思えない。また、ソマリア人海賊が獲得した物資は、なんらかの方法でカネに換えなくてはならない。ソマリアのなかで売りさばけるモノばかりではない。密貿易のネットワークがあってはじめてカネに換えられるというモノもあるだろう。こうして海賊稼業の全体を考えてみれば、インド洋に面する海賊・漁師・密貿易業者の国際的な連携があるだろうことは想像に難くない。こういうことは実際に検証することができないので想像するしかないのだが、構図として捉えておくべきは、ソマリアやフィリピンにあらわれた現代の海賊は、特殊・一国的な出来事ではなくて、新自由主義グローバリゼーションが散布した世界規模の貧困とインフォーマル経済の拡大を背景にしているということだ。別の言い方をすれば、環インド洋に生長したインフォーマル経済の発展が、ソマリア沖で、海賊という表現をもってあらわれたと言うこともできるだろう。
農村を破壊され排除された農民は、その一部は工業労働者になり、その多くは工業労働者になることすらかなわずスラムのインフォーマル経済に呑み込まれていく。巨大都市のインフォーマル経済を背景にして、海賊は成長する。みずから望んで海賊になる者、膨らんだ借金のために海賊をやらされる者、小さな船を維持するために危ない仕事をひきうける漁師がいる。海賊、という言葉には前時代的な響きがあって、アハハと笑われてしまったりもするのだが、世界の現実に照らしてみれば、海賊は、IMF・世界銀行・新自由主義政策が生み出してきた(破壊してきた)地域経済の、もっとも現代的な形式なのである。

さて本題に戻る。いまなんの説明もなく「IMF・世界銀行・新自由主義政策」と書いたが、あらためて簡単に説明すると、IMFは国際通貨基金。欧米日の先進国政府が出資して、通貨管理を行っている。IMFは、貿易赤字等によってドル準備高が不足した政府にドルを融資し、この債権をたてに債務国の政策を評価・介入する。世界銀行は、IMFと同様に先進国政府が出資し、国家規模の開発事業に投資し、債権をたてに債務国の経済社会を評価・介入する。世界の銀行・金融資本は、IMF/世界銀行に導かれ、同時にその利害を代表させてもいる。金融資本による政策介入は、世界の銀行家・官僚・右翼政治家を招聘する「世界経済フォーラム」(WEF、別名ダボス会議)や、主要国首脳会議(G8サミット)といった私的(法定外)諮問機関を通じて行われている。行政の政策決定は、国会のような公開された場所ではなく、エコノミストを交えた密室の会議に依存している。そしてダボス会議やG8サミット、これらから派生した無数の私的諮問機関によって推進されてきたのが、世界政策としての新自由主義政策である。
第三世界における新自由主義政策は、IMF/世界銀行が債務国に要求する「構造調整プログラム」によって実行されてきた。「構造調整」という政策パッケージは、四つの柱で成り立っている。1、関税障壁の撤廃(市場を開放し欧米の商品だけを買え)2、公共サービスの民営化(欧米の企業・資本に参入させろ)3、社会保障費の削減(医療も教育もビジネスにしろ)4、規制緩和(環境や労働権を主張するなら投資しないぞ)、である。
こうした政策は、国民経済を破綻させる。農村は疲弊し、食えなくなった農民は都市に押し寄せる。都市に出ても仕事らしい仕事はなく、教育を受けた公務員ですら首を切られているありさまだ。政策的に棄民化させられた人々は、都市の外縁に不法占拠のバラックを建て、スラムが膨張していく。アフリカにおける「構造調整プログラム」は惨憺たる結果を生み出した。IMFのエコノミスト自身が失敗だったと認めるほど、国民経済は破壊されてしまったのだ。
ここで念のために確認しておくが、こうした国々はもともと貧しかったからスラムがあるのではない。こうした国々は、国際債務をたてに実行された政策介入によって、よりいっそう貧しくさせられ、スラムでの生活を強いられているのである。「開発途上」という表現はねつ造された神話であって、発展の高みに向かって上昇しているように見えるのは都心の都市開発だけだ。都心では銀行や不動産業が華麗なオフィスビルを構え、「開発途上」のあどけない夢を演出している。しかし、一歩都心を離れれば、棄民と海賊と警察がせめぎあうスラムが広がっている。そしてスラムのインフォーマル労働者に寄生して、脱工業化社会の「成長部門」が高い収益性を実現する、という構図だ。
新自由主義政策の下で貧困と野蛮が蔓延していく。こうした構図は、90年以降の日本の状況と照らして見れば簡単に理解できるだろう。生産性・収益性は、賃金や労働権の切り詰めによって確保され、女性・若年労働者を中心にインフォーマル労働者を大量に生み出している。その反面、東京でも地方都市でも、建物だけはますます豪華になっていく。例えば東京都心の大学は90年代以降の再開発を経て、高級ホテルかと見紛うばかりの華やかなキャンパスを建ててきた。しかしその中身はといえば、低賃金の非正規雇用で生活費をまかないつつ卒業後も就職できないのではないかと不安を抱く学生たちが、学生ローンの窓口に並ぶ。4年後の卒業の時点で、彼らの借金は多い者で300万円を超える(授業料だけでそれぐらいになる)。現在の社会人1年生の何割かは、債務奴隷として出発するのだ。もともと昔からそうだったのではない。公共サービスの民営化(私物化)とインフォーマル経済の拡大は、金融資本が主導する新自由主義政策が、かつてあった国民経済を「非効率」と断じて解体してきたからである。この20年、私的諮問機関の提言によって我々が貧しくさせられてきたように、同じ原理で、第三世界諸国は貧しくさせられてきたのである。読み取るべき第一は、先進国と第三世界のそれぞれの都市を貫いている現代資本主義の一般的傾向である。
『スラムの惑星』を読みすすめていくと、聞いたことのない都市について書かれていることが、まるで東京に暮らす自分について書かれているような感覚をおぼえる。はっとして、グーグルアースで東京の写真を検索してみる。上空から見ると、他のスラム都市とひけをとらない大変な密度である。そしてなにより規模が大きい。道路は舗装され上下水道も完備しているが、たしかにここはメガ・スラムかもしれない。東京都内だけで1300万人の人口が集積し、その約60%は借家人だ。不安定な職を一つか二つもち、20平米にも満たないアパートに収入の半分ちかくを費やす。それでもなにかよい仕事にありつくために、都内の細い路地の隙間に出来るだけ安い物件を探していく。いや、東京の話はいい。ようするに何が言いたいかというと、東京の、あるいは大阪の、あるいは小さな地方都市がそれぞれにはらんでいる都市の緊張を、『スラムの惑星』は覚醒させてくれるということだ。
このことは翻訳にもあらわれているように思う。本書『スラムの惑星』は翻訳が良い。焦点がきちんとあっていて、著者の問題意識が明確に伝わってくる。10年前20年前のリベラル風の学者にはこういう仕事はできなかっただろう。おそらくこの緊張感は、訳者たちそれぞれがくぐってきた都市の経験のなかで形成されたものだろう。
あるいはこの緊張感は、本書が出版されるプロセスにも関っているのかもしれない。話は少々こみいってしまうが、版元の明石書店は現在、経営者と労働組合の間で係争が続いている。本書の翻訳を企画した編集者は組合員なのだが、翻訳ができあがる中途の段階で担当をはずされ、いまはデータ入力の仕事に配転されている。経営と組合との交渉はまとまらず、こう着状態にあるようだ。双方の主張はそれぞれビラやウェブサイトで公開されているのでそれを参照してもらうとして、私がここでどちらがどうということは書かない。ただ気に留めてほしいのは、ここにも『スラムの惑星』が描こうとする都市の緊張がある、ということだ。出版社というと高潔なイメージを抱く人もいるかもしれないが、現実はそんなにきれいなものではない。安定したフォーマルな場所の高みから世界を見下ろすのではない、東京のメガ・スラムの緊張のなかで『スラムの惑星』が編集され、印刷され、手渡されていくのだ。版元が労使間で争議をしながらこんなにきちんとした本を出したのだ。熱い。まじめに読みたいと思う。

(『図書新聞』 2010年8月7日号)

八千代市の「多文化共生社会づくり」

 2月23日火曜日。きびしい寒気がゆるみ暖かい日差しがさす日、千葉県八千代市のある中学校では、「むらかみインターナショナル子どもサミット」という催しが行われていた。
会場となった体育館に入ると、ステージでブラジル人歌手が歌い、小学生のこどもたちがダンスを楽しんでいる。飛び跳ねてはしゃいでいる小学生から少し下がったところには、中学生たちがすこし戸惑いながらステージをながめている。集められた児童は、40人から50人ほど。彼らはこの地域に暮らし学校に通う、ブラジル、ペルー、中国などいわゆる「ニューカマー」の外国籍の子どもたちである。見物の輪の外周をつくっているのは、さまざまな表情で子どもを見守る保護者たち、学校の教職員、地域の町内会役員、民生委員、警察だ。
催しは二部構成となっていて、第一部は『集会〜インターナショナルな子ども達,みんな集まれ!』と題して、音楽やダンスで交流する集会。この時間は、日本で活躍するブラジル人歌手・シキーニョさんをゲストに迎え、陽気な歌にあわせてみんなで踊る。
第二部は、『フォーラム〜多文化共生社会を考えよう』。第二部からは小学生を教室に返し、中学生と大人たちが椅子を並べて座る。通訳者を介して懇談会が行われた。
第二部が始まる頃、私は市役所と図書館で調べものをするために会場をあとにした。学校の敷地を出て、駅に向かって歩いていると、運動場でマスゲームの練習をしている中学生の姿が見える。そろいの体操服を着た子どもたちは、かつて流行した「一世風靡セピア」の曲にあわせて、踊りの練習をしている。おそらくいくつかの理由があって、「むらかみインターナショナル子どもサミット」は、「ニューカマー」の外国籍児童だけで、他の小中学生を交えないかたちで行われた。

「むらかみインターナショナル子どもサミット」は、今回が初めての試みである。これは「千葉県多文化共生社会づくり推進モデル事業」のひとつとして委託された事業である。実施主体は、「村上地区外国人児童生徒受入整備連絡会」と村上地区の五つの小中学校だ。「千葉県多文化共生社会づくり推進モデル事業」は、NPOや大学などを主体にして、いくつかの事業を行っている。少々長くなるが、インターネットで公開されている一覧を引用しよう。

○むらかみインターナショナルこどもサミットの開催
八千代市村上地区の小学校(3校)、中学校(2校)の生徒、保護者、教育関係者、ボランティア、企業関係者等が一堂に集い、みんなで歌い、学び、踊ることなどを通じて交流する。地域への所属感を高め外国籍児童としてのアイデンティティの確立、保護者や雇用主の教育に対する理解の増進、地域住民の多文化共生意識の理解促進を図る。

○県内外国人集住地域の包括的実態把握にむけた予備的研究
中部や北関東の外国人集住地域から不況、住宅不足、定住化などにより千葉県内へシフトしつつある人の流れを包括的に把握し、現場支援の一助とすることをめざす。単純労働者、熟練労働者、留学生及び日本企業就職者の集住に至る背景、人数と居住地、現在の住環境、行動範囲、就労実態などの基礎的データを収集・分析する。

○千葉県内の留学生を対象とした日本就職支援セミナーの開催
県内大学に在籍する留学生に対し、履歴書の書き方、エントリーシートの書き方のセミナーを開催し、県内大学在籍留学生の就職率の向上と、県内企業の国際化及び国際競争力の向上を図る。

○日本語を母語としないJSL生徒の高校受験支援
高校受験を希望する生徒のために、通常授業日の午後に特色化選抜試験に対応する作文、面接を中心に英語、数学支援等の受験生特別支援を行い、高校進学を促進する。

○多文化共生情報ネットワーク事業
市原市内に多く在住し、情報が届きにくい南米系外国人のために、「広報いちはら」や新聞、雑誌等の記事で生活に必要となる情報をスペイン語やポルトガル語に翻訳し、それを外国人に届ける情報伝達システムを確立する。翻訳チームの整備や南米系外国人との信頼関係、情報ネットワークを築く。

○外国人の子どものための勉強会
外国人と日本人がコミュニケーション(交流・集い)の場をもち、互いを理解しあい、共生を進める。地域の同年齢、同学年の外国人生徒と日本人生徒の双方に参加を呼びかけ、交流する「中・高校生の集い」を開催し、対等な立場で身近なことを話し合い、お互いを分かり合うきっかけをつくる。

参照 ちば国際情報広場(「千葉県多文化共生社会づくり推進モデル事業」の委託について)
http://www.pref.chiba.lg.jp/syozoku/b_kokusai/foreigner/tabunka/tabunkakekka2009.html


八千代市は、人口19万人。東京の東、千葉県北西部にあり、東京から直線距離で40キロに位置する衛星都市である。40キロという距離がどれぐらいかというと、東京から西に40キロ進めば町田・相模原、三多摩地域に進めば八王子、北に進路をとれば大宮・上尾になる。東京の外縁を囲む国道16号線がこれらの衛星都市を環状に結んでいる。
八千代市の北東部には印旛沼がある。印旛沼の水は、一部は千葉県北部を横断する利根川に合流し、銚子から太平洋に流れていく。また一部は八千代市を南北に縦断する新川を流れ、千葉市花見川を経て東京湾にそそぐ。かつて利根川が氾濫していた頃は、増水した水が印旛沼に逆流し、さらには八千代市の新川流域を冠水させたという。現在では新川に排水機場がつくられ、冠水することはなくなった。
八千代市は1950年代末に大規模な住宅開発を開始する。陸軍演習場の跡地に複数の住宅団地が造成され、東京で働くサラリーマン世帯が集住する住宅都市を形成していった。京成本線八千代台駅から船橋駅まで約15分、日暮里駅までは約40分。60年代当時、八千代台駅には毎朝一万人の通勤客が列をつくったという。
住宅開発と並行して、工業団地の建設と工場誘致が行われる。市を南北に縦断する国道16号線を挟んで、西側に八千代工業団地、吉橋工業団地、16号の東側に上高野工業団地が造成された。
16号線の東側に位置する村上団地は、70年代後半、上高野工業団地に隣接してつくられた住宅団地である。ここは、東京に通うサラリーマンの「ベッドタウン」としてだけでなく、上高野の工場や倉庫に勤める労働者に向けた、職住近接の性格をもった住宅団地だ。起伏の大きい丘陵地に、5階建て程度のマンションと、一戸建て住宅が並ぶ。住宅地の東側には、幅約100メートルの緑地帯を挟んで、上高野工業団地がある。ここで操業する工場・倉庫は現在約50社。機械、化学製品、食品工場が並び、ダイエーの流通センターや、インターネット通販で知られるアマゾンの配送センターなどがある。ひとつひとつが大きな敷地をかまえ、航空写真で識別できるほど大きい。郊外の工場・倉庫群は、東京・千葉の大都市圏を支えるバックヤードとして生産と物流を担っていて、たとえばコンビニエンスストアで販売される弁当やおにぎりは、こうした場所でつくられ配送されている。工場の求人は、時給900円から1300円。賃貸住宅の情報誌を見ると、村上団地にある3DKのマンション(6・6・3・DK6、51平米)が、一月5万円ほどで貸し出されている。
ここに、外国人移住労働者が家族を伴って暮らしている。
「むらかみインターナショナル子どもサミット」のパンフレットから、ふたたび引用しよう。

「村上地区5校の小中学校には、現在70名を越える外国人児童生徒(日本語を第2言語とする児童生徒)が在籍している。国籍はブラジル、ペルー、フィリピン、メキシコ、アルゼンチン、中国、ボリビアの7カ国である。八千代市で最も外国人生徒が多い地区である。こうした外国人児童生徒が、学校を超えて交流していけば、地域への所属感が高まり、児童生徒のアイデンティティの確立にも寄与できると考え、ここに一堂に会することとなった。
また、参加していただく外国人児童生徒の保護者が、日本の教育に対する理解を深め、地域に対する信頼感を高める機会ともとらえている。今後は外国人児童生徒と日本人児童生徒との交流も計画している。このサミットを契機に、村上地域に住む全ての人達が、「多文化共生社会」について真剣に考え、一歩でも前進していくことを期待している。」

この文章が言外ににじませているのは、外国人(ニューカマー)の子どもたちが学校を離れてしまうことへの危惧である。もっと直接的に言えば、学校に行かない子どもが地域をぶらついたりたむろしたりすることへの危惧だ。学校は地域社会を結びつける強力な、そしておそらく唯一の場だ。子どもたちが学校に適応しなかったり、不登校が常態化することは、すなわち外国人移住者の日本社会からの離脱であり、地域社会の破綻に直結する。問題は、どのようにして彼らを着地させるかである。「多文化共生社会」の焦点は、教育の問題である以前に「社会づくり」の問題であり、新しい住民をめぐる都市政策の問題なのだ。

一般に、都市郊外は二つの性格、二つのベクトルをもって拡大する。ひとつは都市からの排除と周辺化を示す「場末」としての郊外。もうひとつは、都市を離脱して新たな生活環境を模索する「新天地」としての郊外である。
「場末」としての郊外は、都市が歓迎しない工場や公共施設(ごみ焼却場や斎場霊園)がうち寄せられるようにして配置される。そこには、都市中心部に入れない低所得層や外国人移民が集住する。「場末」は、成長する都市のダイナミズムと活力が表現される場だ。
「新天地」としての郊外は、都市の環境を離れたより良い住環境を求めて、主に中堅所得者によって担われる。都市の喧噪や人いきれを離れて、静謐と良い空気を求めて、住宅と住環境が開発されていく。「新天地」は都市の都市的性格を抑制し、ときには拒絶する。歴史的な視点を離れたある種のユートピア主義、生活保守主義がいかんなく発揮される場だ。
そして郊外とは、「場末」と「新天地」という相反するベクトルが交錯する場だ。多くの場合、都市郊外とは、「場末」かつ「新天地」なのである。地域と学校はこの二つの葛藤をはらんでいて、ここでは、日本語を母語とするか否かという社会の分化だけでなく、「場末」の子どもか「新天地」の子どもかという、より深刻な分化にさらされているのである。不登校は、外国人の子どもだけとは限らない。低所得層の子どもたちは、進学や雇用の面で今後ますます「外国人化」し、日本社会から排除されあるいは離脱していくだろう。「場末」と「新天地」の葛藤は増していく。快適で安全な住環境をもとめる中堅所得者たち、傷つきやすく了見の狭い人々は、今後ますます「隣人問題」に悩まされるだろう。
「多文化共生社会づくり」事業は、両義性をはらんでいる。この事業は、郊外がはらむ「場末」的性格を洗浄し、安全な「共生」を実現することになるのだろうか。それとも、「共生」という「隣人問題」の枠を超えて、グローバル都市の新たな論理と新たな途を示すのだろうか。村上駅前のイトーヨーカドーでコーヒーを飲みながら考えた。明るく、清潔で、穏やかな場所だ。歴史も世界も忘れてしまったかのようなユートピアじみた商業空間。このとりすました郊外の空間が、子どもたちの手によって転覆されるかもしれないと想像して、興奮した。

(『リプレーザ2』 Spring2010)