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2014年4月2日水曜日

たちよみ『閾値仮説のなにが問題か』


たまにはブログを更新しないといけないので、たちよみ資料を公開します。

これから紹介するのは、20133月に発売された『被曝社会年報』に寄せた文章です。
『受忍・否認・錯覚 ――閾値仮説のなにが問題か』と題して、政府が強弁している閾(しきい)値仮説が、日本社会にどのような混乱と恐怖を与えているかを分析しました。
今回も一部分だけの「たちよみ」です。
全文を読みたい方は、本を買ってください。

以下、本文です。



―――――――――――――――――――



受忍・否認・錯覚 ――閾値仮説のなにが問題か
矢部史郎


はじめに

 東京電力・福島第一原子力発電所の事故は、IAEA(国際原子力委員会)の事故レベル評価で「レベル7」という大惨事となった。福島第一原発から放出された放射性物質は、東北地方のみならず関東平野全域に降り注ぎ、約四千万人の人口を包み込んだ。地表に落ちた放射性物質は回収されず、現在も東北・関東地域の住民は放射能汚染にさらされている。
 放射能拡散後に多くの人々にとって脅威となるのは、いわゆる「低線量被曝」の問題である。
 ICRP(国際放射線防護委員会)が勧告する一般人の被曝許容線量は、年間1ミリシーベルト、自然放射線を年間1ミリシーベルトとして、あわせて年間2ミリシーベルトである。この勧告の根拠となっているのは、「低線量被曝」の健康影響について示された、いわゆる「閾値なし直線モデル」である。ICRPは放射線による健康被害の「閾値」はないとして、どんなわずかな線量でも健康被害の恐れがあるとしている。
 日本政府はICRPの勧告に反して、一般人の被曝許容線量を20ミリシーベルトから100ミリシーベルトまで引き上げている。また、放射性物質を含んだ汚染食品を1キロあたり100ベクレル未満であれば流通させるとしている。放射性物質を含んだ焼却灰については、1キロあたり8000ベクレル未満であれば通常の処分方法をとることを許可している。法的には回収し密封しなければならない汚染物質について、放置し、食品や物品にのせて拡散させてしまっているのである。
日本政府のこうした政策を後押ししているのは、「低線量被曝」にたいする過小評価である。ICRPの「閾値なし直線モデル」に反して、日本政府は「閾値」があるだろうという立場にたってしまっているのである。
 問題を困難にしているのは、「閾値」という発想が、政府だけでなく市民にとっても受け入れられやすいものであるということである。放射性物質を大量に取り込むのは問題だが、微量であれば健康被害はないだろう、という発想だ。
 事故が起きる以前、政府と原子力技術者たちは、原子力発電所が事故を起こす可能性は地上に隕石が落ちてくる可能性ほど低い、と繰り返してきた。そしてそれは広く市民にも信じられてきた。これは現在では「原発の安全神話」と名指しされ、原子力問題の核心として認識されている。福島第一原発の爆発によって、原発の安全神話は崩壊した。しかし「安全神話」が完全に息絶えたわけではない。福島第一原発からの放射能拡散という事態を前に、政府と技術者たちは「放射能の安全神話」にとりつかれている。チェルノブイリ事件の顛末を参照しても彼らは動じない。まるで「日本の放射能は安全です」とでも言うかのような対応である。1986年、チェルノブイリ原発が炎上した直後、彼らは言ったのだ。「日本の原発はソ連の原発とは違うのだ」「日本の原発は安全です」と。今回もまたその過ちを繰り返すことになるだろう。問題の領域が工学から医学へと変わっただけである。おびただしい被曝と流血のなかで、日本の放射能は安全か否かが議論されることになるのだ。
本稿では、放射能の安全神話がひろく一般に流布され市民に受容されていく過程を念頭におき、「閾値仮説」を批判的に検討する。
まず技術的な観点から、「閾値仮説」のなにが間違いであるかを明らかにする。
つぎに、この仮説が表現するモデルが人々に与える錯視と心理的効果を明らかにする。
最後に、放射能の安全神話を支えるイデオロギーの問題に言及する。


技術的問題
 人体の被曝経路はおおまかに二つの経路が考えられている。外部被曝と内部被曝である。
外部被曝は、体外にある放射線源から放射線を浴びせられた被曝である。
内部被曝は、体内に取り込まれた放射線源が体内で崩壊し、人体が内部から撃ち抜かれる被曝である。
 「閾値」をめぐる論争とは、低線量被曝をどのように評価するかという論争であり、その根幹は、内部被曝をどのように評価するかという問題である。
 ICRPの提示した「閾値なし直線モデル」は、どれだけ低線量であっても、健康影響があるとするものである。このモデルが前提とするのは、内部被曝の影響の有無を証明するデータはないという事実である。内部被曝の調査をしたデータは過去にないし、おそらく将来的にもデータをとることはできないだろう。内部被曝に対する人体の耐性は証明されていない。だから、人々の抱く素朴な閾値感覚は、退けなければならないということだ。
 これに対して、閾値仮説を唱える学派は、これまでの実験と疫学統計によって「閾値」が証明されていると主張している。例えば、中央電力研究所は100ミリシーベルト未満の線量域では健康影響はないとしている。なぜ彼らがこのような主張をできるかというと、内部被曝を無視しているからである。
 閾値派が根拠としている疫学統計は、主要には広島・長崎の被爆者から得られたものである。問題になるのは、この「統計」にどれだけの信憑性があるかということだ。
まず根本的な問題として、どのようにして被曝線量を評価したのかという問題がある。これが統計であるからには、対象となる個々人の被曝線量を定めているはずである。ある人の被曝線量は〇ミリシーベルトであったと記録する。だが、どのようにしてそれを測定したのか。どのような方法で、どのような機材を利用して、被曝線量を定めることができたのか。
 内部被曝がおきる環境は、管理された空間内で放射線源を操作しているのとはまったく違う環境である。どのような経路でどれだけの量の核種が移動・蓄積し人体にとりこまれたのかは、容易には把握しがたい。したがって、ある人が被曝したか否かを知ることすら容易ではない。また、被曝したことがわかったとして、その人の被曝線量がどれだけであるかを測定するのは非常に困難である。
測定の困難さは二点ある。
問題の第一は、放射性物質は消える物質であるということだ。
大気中に放出される放射性核種は複数ある。ウラン、プルトニウム、セシウム、ストロンチウム、イットリウム、トリチウム、ヨウ素、キセノン、銀、等々、書きだせばきりがないほど多様である。それぞれの核種によって崩壊する寿命は違う。プルトニウム239は半減期二万四千年と長寿命だが、ヨウ素131は半減期8日と比較的短命である。ヨウ素131は8日間のうちに半分が崩壊し、次の8日間で四分の一が崩壊し、次の8日間で8分の一が崩壊する。そうして2カ月後には、取りこんだ量の256分の一まで減少していく。ある人がヨウ素131をどれだけ取り込んだかを知るためには、ヨウ素131が崩壊しきってしまう前に調べなければならない。しかしそのような調査を大規模に実施することは実際には不可能である。だから、ヨウ素131のような短命な核種による被曝線量は、推定される拡散量と、人々の行動記録から、どれだけ摂取したかを推測するという以外に方法がない。
 問題の第二は、放射性物質のなかには、測定できない核種が含まれているということだ。体内に存在する核種をもれなく測定する方法がないのである。
現在は、体内にとりこまれた放射性物質を知るために、尿検査かホールボディカウンタが利用されている。いずれの方法も核種の全てを調べることはできない。
尿検査は、尿に排出された核種の量から体内の核種の量を調べる方法だが、これは、肺に取り込まれた核種については充分にわからない。また、ストロンチウム(89Sr,90Sr)という核種は骨に取り込まれてしまい体外に排出されないため、尿検査でこの量を知ることはできない。
ホールボディカウンタは、人体をまるごとシンチレーションカウンタで測定するものだが、これはγ線を放出する核種についてしかわからない。ストロンチウムはβ線しか放出しないので、γ線の検出器(ホールボディカウンタ)では把握することができない。仮に、ガイガーミュラー計数器のようなβ線の測定器を体にあてたとしても、体内で放出されたβ線は人体に吸収されて遮蔽されてしまうから、人体の外部からその量を知ることはできない。現在利用されている測定方法と測定機材では、体内に入ってしまったストロンチウムを測ることはできないのである。だから、ストロンチウムの摂取量については、セシウムなど他の核種の量から推測する以外に方法がないのである。
 現在の測定技術では人体内部の放射性核種を知ることは困難で、ヨウ素131とストロンチウムという代表的な二つの核種に限定しても、それを知る方法は推量しかないのである。科学的データの厳密さを要求するならば、これは「あて推量」と言ってもさしつかえないレベルである。これは、「閾値」という定量的議論を試みるうえでは、はなはだ心許ない「データ」である。閾値仮説は、「データ」を示すことで自らの主張を科学的に見せるように粉飾しているが、実はその根拠とする「データ」なるものがそもそも実体を伴わない机上の空論なのである。
 問題をまた別の角度から概観すれば、広島・長崎の被爆者から得られた「疫学統計」というものは、科学的にみて非常に疑わしいものだ。原爆の被爆者を調査したABCC(原爆傷害調査委員会)は、当時から現在に至るまで一貫して、「残留放射能(放射性物質)は存在しない」と主張してきた。この見解が当時の政策によるものであったのか、それとも科学者たちの無能によるものであったのかは、ここでは措く。いずれの理由にかかわらず、広島と長崎では内部被曝の調査研究は実施されなかったのだから、当時の疫学統計なるものを現在の議論に適用することはできないのである。

以上の技術的問題に加えて、医学的観点から、線量評価という方法そのものの信憑性も問われてしかるべきである。現在は放射線量を単純に積算した値をもって「低線量」とか「高線量」とみなしているが、そうしたアプローチが人体への影響を考えるうえで充分なものかどうかを検討しなければならない。
一般的に言って人体というものは、量よりもバランスに、そしてリズムに支配されがちである。例えば、摂食や睡眠において重視されるのは、量である以上にバランスであり、そのリズムである。人々が健康状態を「体調」と呼び、その異変を「調子が悪い」とか「変調」とか呼ぶのは、人体をある種の旋律(調べ)とみなしているからだ。このありふれた表現は、医学の土台となる観点を含んでいる。
人体の「調子」はさまざまな要素で構成されていて、その要素をどれだけ多く数え上げることができるかが医療活動の要である。人体は何によってあるのか。量か質か、空間的にか時間的にか、濃度、頻度、構造を構造化するしくみ、流れ、等々。医療従事者は人体の複雑さに対面しながら、音楽家のような繊細さ(そして鷹揚さ)を要求される。こうした観点にたつとき、人体と被曝線量をめぐる議論は、問題を充分に捉えていないように思われる。
人体の細胞のいくつかが放射線によって破壊されたとする。このことを、建物を構成するレンガブロックのいくつかが破壊されたと考えるのか、それとも、ピアノの鍵盤のいくつかが破壊されたと考えるのか。人体を建造物のように考えるか、旋律を奏でる楽器のように考えるか、あるいはもっとラディカルな視点をとって、人体を旋律そのものとして捉えるのか。そうした観点のとりかたしだいで影響評価の方法は大きく変わってくるだろう。人体の旋律的性格を重視するならば、「被曝線量」という量的議論だけを絶対視したり自明視したりするのは危険である。それは奥ゆきをもつ人体の表面を眺めているにすぎないのである。
人体をどのようなものとして考えるかという問題はここでは措くとして、話を戻そう。
問題が被曝線量の多寡であるとして、それらを定量する方法がないということを確認しておきたい。すべては推量であると考えてよい。福島第一原発がどれだけの量のヨウ素を放出し、キセノンを放出し、ストロンチウムを放出したかは確定されていない。東京電力が発表する推定と、いくつかの事故調査委員会の推定と、WHOの推定が、大きく食い違っているというのが現実である。二〇一一年三月の下旬に横浜市の公園で砂遊びをしたある児童がどれだけ被曝したかは、誰にもわからない。それは「低線量だからわからない」のではない。それを調べる方法がないのである。




暗示と錯覚 (省略)


暗示される恐怖 (省略)


受忍と否認 (省略)


想像される「社会の不全」 (省略)




閾値のイデオロギー
 これまで、閾値仮説が錯覚・暗示・脅迫によって現実を見えなくさせることを述べた。ではこの錯覚を覆すためには何が必要なのか。
被曝というものをわずかでも受忍しないことである。被曝を受忍するような社会とは縁を切ることだ。
 被曝を受忍する社会とは、被曝を受忍させる社会である。汚染地域の住民が社会を護持するために被曝を受忍するとき、それは現実には自分以外の誰かに被曝作業を強いることで社会を護持するということである。おそらく福島県は今後も「復興」を諦めないだろうが、福島県政が「復興」を試みるあいだ、その関連事業は多くの人間の生き血を要求する。復興事業に関わる作業者は確実に被曝する。彼らの被曝被害は「社会的」に受忍/否認され、この「社会」は人間を生贄にしたことすら忘れてしまうだろう。
 問題はずっと以前から原発労働者によって告発されてきたことである。原子力のある社会とは、人間の生き血を要求しつつ、そのことに無関心であり続けてきた「社会」である。閾値仮説の曲線が閾値未満の線量においても被害を想定しているということを、それが何を意味するものであるかを、我々はいま熟考するべきなのである。原子力産業は神話によって人々を説き伏せ、人間を生贄にすることを正当化してきた産業である。そして原子力のある社会とは、生贄の存在を知りながらそれに目をつぶることで成立してきた「社会」なのである。
 今回の原発事故によって、「原子力の安全神話は崩壊した」と言われている。私はそうは思わない。神話の問題は、彼らの主張する原子炉の安全性が虚偽であったということをもって決着するものではない。それは問題の表面をなぞっているにすぎない。問題の根本は、原子力政策が、たとえ少数であれ人間を犠牲にすることを正当化し、それを受忍させてきたということにある。人権を謳う「民主的」政府が、人権を蹂躙する反民主主義を内包し、それを政策として公然と貫いてきたことにある。
被曝労働者の人権を侵してきた「閾値」の神話は、いま社会の全領域に適用され、胎児や乳児までが受忍を要求される事態を生んでいる。放射能の安全神話は崩壊するどころかむしろ拡大していると言える。そうして我々はこれまで被曝労働者の被害に目をつぶってきたのと同じやり方で、目をつぶるのだ。我々は無関心を装うのだ。なんのために? 社会の護持のために。「復興」と「日本再生」のために。
 我々はここで踏みとどまって考えるべきである。問題を再構成してみよう。ある「少数」の被曝被害について受忍する/させる社会とは、いったいどのような社会なのか、と。
閾値仮説が教えるのは、彼らが閾値に満たない「低線量」の場合でも被害を想定しているということだ。そうしてこの受忍/否認の要求のなかで、「個体差」という魔法の言葉が与えられる。ここで我々は少し安心する。私は乳児ではない。私は妊婦ではない。私は人工透析患者ではない。私は甲状腺を患ったことがない。私は酸素吸入器に頼っていない。「個体差」という言葉は、自分は健康で標準的であると考える人々に気休めを与える。そうした見通しが裏切られて激しい自覚症状があらわれる直前まで、彼は自分の身体の健全さを信じるだろう。彼は自分の身体が「標準的」で「健全」であろうと想像することで、自分が被害者の一部になるかもしれないという恐れから解放され、隣人の被害を容認するのである。
これはすでに社会の体をなしていないのである。ひとりひとりの人間の内部から、社会という理念が放逐されてしまうことになる。
いま我々が何にさらされているのかと言えば、それはたんに放射線にさらされているというだけではない。これまで不充分ながらも築き上げられてきた理念の崩壊にさらされているのである。社会、民主主義、科学、それらを支える人文主義(ヒューマニズム)という理念が、根底から廃棄されようとしている。
そんな崇高な理念などもともと存在しなかったのだ、と言うこともできる。
そうかもしれない。
しかしそんな一見シニカルな反論も、被曝しながら言ったのでは滑稽だ。むしろそのシニシズムを反転させ、こう言ってもいいはずだ。
「日本再生」など俺の知ったことか、と。できもしない「復興」政策に協力する義理はない、と。
我々が被曝を受忍したところで、そこから生まれるものなどなにもない。それはこの腐敗した社会をますます腐敗させるだけなのである。



2014年3月13日木曜日

『インパクション』誌次号で大友良英を批判します



 次号の『インパクション』誌で大友良英を批判します。
 矢部史郎+山の手緑の共同名義で、「シジフォスたちの陶酔 ――PROJECT FUKUSHIMA!」を批判する」という文章を出しました。
 「PROJECT FUKUSHIMA!」というのは、福島市で文化活動をしているちょっと気持ち悪い団体で、この活動で文部科学大臣賞を受賞しています。NHKもこれを応援しているようで、朝の連続テレビドラマ「あまちゃん」のテーマ曲を、大友良英に作曲させています。「復興」政策・被曝受忍政策の大きな構図のなかで、実は「エートス」よりもこいつらの方が影響力が大きく、病も深いと思っています。「エートス」が福島県民を対象にして福島県民をまきこんでいるのにたいして、「PROJECT FUKUSHIMA!」は全国を対象にしていて、全国の(とくに東京の)人々を巻き込んでいるからです。

 これから我々の書いた「シジフォスたちの陶酔」の一部を掲載します。前フリの部分だけ。全文をここに掲載すると、『インパクション』誌との仁義を欠いてしまうので、立ち読み程度に、ちら見せです。ようは宣伝です。ゲラの前段階の生原稿。しかも、ぶつぎり。
全文を読みたい方は、次号の『インパクション』を買って読んでください。4月10日発売。
以下、本文です。

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シジフォスたちの陶酔 ――Project FUKUSHIMA!」を批判する
矢部史郎+山の手緑

「スペクタクルは、社会そのものとして、同時に社会の一部として、そしてさらには社会の統合の道具として、その姿を現す。社会の一部として、それは、あらゆる眼差しとあらゆる意識をこれ見よがしに集中する部門である。この部門は、それが分離されているというまさにその事実によって、眼差しの濫用と虚偽意識の場となる……」(G・ドゥボール)(1


 我々がこれから試みるのは、東京電力・福島第一原発公害事件(以下、東電公害事件と略す)以降にあらわれた権力と翼賛の形式を描き出すことである。
 東電公害事件は、日本、ロシア、北米に放射性物質を拡散させた。日本だけに限定しても、放射性降下物の被害で4千万人、物品を通じた二次拡散で1億3千万人の人口を呑み込む大規模公害事件である。
 この事態に際して、日本政府は放射線防護対策を放棄した。人々に汚染被害の受忍を要求する被曝受忍政策にでたのである。日本に暮らす人々は、被曝防護か被曝受忍かをめぐって分裂した。防護派は東日本から退避・移住し、放射性物質の二次拡散を監視している。たいして受忍派は、汚染被害を忘れようとしている。こうした大きな分裂を背景にして、被曝を受忍させる権力とその翼賛が形成されている。忘却、無関心、権威主義、議論のはぐらかし、結論の先延ばしが、生活の一般的規則として上昇する。
 シジフォスは、ギリシャ神話に描かれた永遠の囚人である。ゼウスの怒りを買ったシジフォスは、山上に大きな岩を運びあげる作業を課せられる。この作業に終わりはなく、彼はこの無益な仕事を永遠に繰り返さなくてはならない。
 汚染地域に生きることは、シジフォスの時間を生きることだ。除去できない汚染のなかで、「復興」という掛け声が繰り返される。具体性を欠いた空論が、具体性を欠いているがゆえに、あきれるほど自由に喧伝されている。人々に課せられた「復興」は本当に実現可能なのか、「復興」の最終目標はどこか、そもそも誰の何のための「復興」なのか、詰めきれていない問題が山積している。それらがなにも明確にされないまま、ただ国民的団結が要求されているのである。
 解決可能な問題を先延ばしにし、出口のない偽の課題に向かわせているのは、政府の被曝受忍政策とそれへの翼賛である。東京は被曝を受忍するシジフォスたちの都市になった。そこにある欺瞞と陶酔を明らかにしようと思う。


 2011年の3月12日から考えよう。
 前日の11日午後、三陸沖で発生した東日本大震災の揺れが、列島全体を揺るがしていた。太平洋沿岸部に巨大な津波と火災が襲う。無数のカメラが被害の映像を捉え、電波とインターネット回線を通じて報道される。その日の夕刻、福島第一原子力発電所の原子炉が冷却不能に陥ったことが知られる。
 3月12日、NHKのヘリコプターが、福島第一原発から30キロの地点でホバリングする。ヘリに積まれた超望遠レンズとデジタルハイビジョンカメラが、原子力発電所の姿を捉え、ライブ映像を配信する。世界中が固唾を飲んで原発の映像を凝視した。ここで思いだしてほしいのだが、私たちは、原発が爆発したあとに映像を見たのではない。爆発の数時間前から、リアルタイムで原発の姿が映し出されていた。だから私たちは爆発の瞬間を目撃することになったのだ。これが東電公害事件のおおきな特徴である。
 このことをチェルノブイリ事件と比較してみよう。我々はチェルノブイリ原発の炎上する姿を見ていない。当時のソ連政府は、当初、チェルノブイリの事故を隠していた。スウェーデンのモニタリング機関が異常を指摘するまで、誰もチェルノブイリの爆発を知らなかった。ソ連政府は、事故を見せるのではなく、隠した。いまでは当時の記録映像のいくつかを見ることができるのだが、それはソ連邦内部の国民に向けて、収束作業の動員のためにつくられたプロパガンダ映画というべきものであって、諸外国の報道機関に提供するためのものではない。ソ連政府は、チェルノブイリの姿を国民に見せて、世界に見せなかった。そういうしかたで事故の隠蔽をはかったのである。
 東電公害事件をめぐる隠蔽は、かつてのソ連政府の対応を反転させた形式となっている。世界中のメディアが、その日のうちに爆発の映像を報道し、我々の目にやきつけた。そして皮肉なことに、爆心地である福島県の放送局だけは、爆発の映像を報道しなかったのである。事件をめぐるメディア状況は、チェルノブイリ事件とは対照的なかたちをとったのである。
 いまから振り返って考えてみれば、すでに3月12日の段階で、この事件をめぐる高度にスペクタクル(ルビ・見せ物)的な性格が決定していたと言えるだろう。日本政府にとって問題となるのは、世界が注視する中でいかにして問題を隠蔽するかである。単純に隠すというだけでは足りない。隠すことによって隠す、だけでなく、見せることによって隠すこと。人々の視線を遮断するだけでなく、積極的にスペクタクルを提供し視線を操作すること。人々の関心と無関心に介入し、意識の流れを誘導すること。ここから、「復興」政策全般を規定するスペクタクル(ルビ・茶番)の政治が要請されることになる。
 3月15日、二度目の爆発(3号機)をカメラが捉える。ふたたび世界に衝撃が走る。そして、三度目の爆発(4号機)は映像として配信されることがなかった。4号機はあきらかに天井が吹き飛んだ状態で建屋の内部をさらしていたのだが、これは「火災事故」として報告された。4号機の爆発は、単純に隠すことで隠したのである。
 3月17日、おおがかりなショーが始まる。自衛隊のヘリコプターに大きなバッグを吊るし、フタの空いてしまった3号機原子炉にむけて、上空から海水を投下するという作戦である。この作戦を「ヘリバケツ作戦」と呼ぶことにしよう。ヘリバケツ作戦は、鎮火という意味では実効性のない作戦だった。そのことははじめからわかりきっていた。自衛隊機を使用したこの作戦は、あきらかに世界に見せるためのショーだった。
 世界中がヘリバケツ作戦に注視した。日本政府のしかけたスペクタクルに我々は釘づけになった。ではこのヘリバケツ作戦のスペクタクルは、どのような効果をもつものだったのか。「日本政府が事故収束への決意を示した」ということだろうか。名目としてはそうかもしれない。あるいは政府関係者のなかには主観的にそう考えた者もいたかもしれない。しかし、名目ではなく実質を考えるならば、問題はそれほど単純ではない。
 それがどのていど意図されたものかはわからない。だが結果としてヘリバケツ作戦が与えたスペクタクルの効果とは、見る者をガッカリさせること、人々の意思を挫き無力感を与えることだった。収束作業の具体的方策、有効性、優先順位、等々、国内外で交わされたさまざまな論議が、この唖然とする作戦によって空転させられる。おそろしくバカバカしいものを見せられたとき、人は沈黙する。知識がある者もない者も、すべて観客席へ、観客的な人間のふるまいへと、閉め出される。この日、ヘリバケツ作戦を見せられることによって、我々は蚊帳の外に置かれたのである。
 ヘリバケツ作戦によって誰が勝利したのか。問題解決にあたる日本政府である。世界中の人々がガッカリし、日本政府の能力に疑いを持ち、信頼を失う。そのことが日本政府にとって「失点」になるだろうか。ならないのだ。スペクタクルの政治にとって、人々の信頼などなんの意味もない。むしろ人々の信頼を突き放し、観客化し、沈黙させることで、政府が専制的にふるまうための条件を整えていくことになる。


 スペクタクル政治の専制的性格を説明するために、問題をアートの文脈で考えてみよう。ヘリバケツ作戦を、もっとも現代的なアート作品として捉えるならば、問題の構図がいくらかわかりやすくなる。
 第二次大戦後、アメリカではヨーロッパ近代芸術から離脱した現代アートが

 

 


2013年7月28日日曜日

たちよみ 『被曝不平等論』


以下は、2012年7月に『現代思想』誌に寄稿したものの一部です。「被曝と暮らし」という特集に向けて、私は『被曝不平等論』という原稿を出しました。あれからもう一年も経つわけですが、あまり読まれていないようなので、後半の部分だけ抜粋して転載します。
前半は、技術的な分析、後半は社会的な分析となっています。

全文を読みたい方は、ぜひ本誌を買うか、図書館にリクエストするかしてください。


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被曝不平等論
                                矢部史郎

・放射能は差別しない?    
(略)
・希釈神話
(略)
・食品の希釈神話
(略)


・防護対策と主婦

 福島第一原発が拡散させた放射性物質は、東北と関東、中部地方の一部にも到達した。
この地域に暮らす住民は、三種類の経路で被曝する。土壌に堆積した放射性物質から浴びる外部被曝、塵やガスを通じてとりこむ吸入内部被曝、水や食品を通じてとりこむ経口内部被曝である。汚染された地域以外では、流通による二次拡散が進行している。震災がれき、リサイクル建材、農業資材、食品、医薬品が、放射性物質を運ぶ。非汚染地域で警戒されているのは、主に食品を通じた経口内部被曝である。
 政府の防護対策はまったく不充分である。一般人の許容被曝線量を年間1ミリシーベルトとしたものの、外部被曝と吸入内部被曝と経口内部被曝をそれぞれどのように評価し管理するのかについて、まったく何もできていない。(3)
 防護対策が無政府状態に陥ったなかで、市民は活発に動きはじめている。全国で市民測定所がつくられ、汚染の実態と対処の方法がインターネットをかけめぐっている。そのなかで防護対策を牽引する最大の主体となっているのは、主婦である。
なぜ主婦なのか。考えられる理由は四つある。

理由の第一は知性である。
放射線防護対策の具体的な実践は、炊事・掃除・洗濯・育児といった家事の領域での作業である。主婦は日常的に家事を担っているから、こうした作業の実際をよく知っているということがある。
主婦は毎日毎日倦むことなく(あるいは倦みながら)食事をつくり、家族の栄養管理を行っている。だから、微小な物質の蓄積が人間を活かしたり殺したりすることを知っている。放射性物質は目に見えないモノだが、これも主婦にとってはとりたてて珍しい話ではない。細菌、ウイルス、食品添加物、農薬、アレルギー原因物質、組み換え遺伝子、紫外線等々、目に見えないモノなど生活のなかにはいくらでもある。もしも「目に見えないから対処できない」とサジをなげてしまうなら、乳幼児の健康管理などとうていできないだろう。
非汚染地域の主婦が防護対策に取り組んでいるのは、それが日常の栄養管理や衛生管理を拡張することで対処可能だと見切っているからである。また、汚染地域から主婦が退避を決断するのは、彼女が防護対策の実現可能なラインを具体的に見定めているからである。彼女たちの防護対策を推し進めている第一の要因は、知性である。

第二は責任意識である。
 主婦は、望むと望まざるにかかわらず、家族の健康に責任を負っている。あるいは、責任を押し付けられている。家族の誰かが病に倒れたとき、あるいは介護が必要になったとき、その面倒な作業を担うのは主婦である。ここで「主婦」というのは、結婚している女性に限らない。例えば東京のある女子学生が危惧するのは、もしも自分の親が病に倒れたとき、おそらく弟たちは親の世話をすることを放棄してしまい、自分だけが看護の一切を担わされるだろうということだ。とくに裕福な家庭でないかぎり、看護や介護の働き手は家庭内の女性に押し付けられる。彼女は結婚しないまま一家の「主婦」となり、そのことで就職や結婚の機会を失うだろう。そうした事態を現実にありうることとして想定するか否かが、彼女と弟たちを隔てている認識の違いである。ようするに「主婦」とは、家族に不測の事態が起きたときに、その尻拭いのアンペイドワークを予約指名されている者である。
被曝医療の「専門家」あるいはICRPWHOが、放射線による健康被害は「少ない」と予測するとき、その「少ない」患者の世話を彼らが責任を持って担うことは想定されていない。その被害の結果については、患者の家族の誰かが付き添い無償で働くことを予め前提にしているのである。実際に患者が多かろうと少なかろうと、彼ら「専門家」が看護に忙殺されることはない。悲しみもなければ自責の念もない。彼らは「リスク」という言葉を好んで使うが、リスクを引き受けるのは自分以外の誰かだろうとあてにしているから、あんなにヘラヘラした態度をとれるのだ。
 主婦は、家族に何かがあったとき一切を引き受ける者である。危機を吸収する緩衝材であり、モノにたとえるなら自動車のバンパーである。彼女は、たとえ自分の責任でないことであっても、自責の念を抱きつつ無償で働くことを強いられるのである。この負荷が、主婦たちを防護対策に駆り立てている。

第三は差別である。
主婦は差別に慣れている。これは差別を容認しているというのとは違う。差別を知っているということだ。他人から馬鹿にされたり見くびられたりすることは、主婦にとっては日常である。家族から馬鹿にされることも、傷つくことではあるが、それほど驚きはない。老練な主婦から見れば想定の範囲内だ。
今回の事件で、主婦に対する差別意識をもっとも体現していたのは、広告産業である。もともと主婦は消費者として広告に慣れ親しんできた。美顔、デトックス、アンチエイジングなどの健康・美容情報を発信してきたのは広告会社であり、主婦はその情報を身近において利用してきたのである。その広告会社がある日突然、放射能を怖れず受忍せよ、と言いだしたのだ。これはあまりにも極端な手のひら返しであり、広告という事業の差別的性格を剥き出しにした瞬間であった。広告会社のアドバイスに従うなら、世の女性たちは紫外線についてぬかりなく警戒しなければならないが、放射線については受忍しなければならない、ということなのだ。これほど人を馬鹿にした話があるだろうか。これほど大掛かりであからさまな差別を私は今まで見たことがない。
差別された者は差別する者を信用しない。主婦は差別を知っていて、すぐにばれるような嘘をぬけぬけという人間を見慣れてもいるから、どういう人間を信用してはいけないかを知っている。放射能問題のさまざまな論争の過程で、政府や「専門家」の言説が次々に無効化されてきたのは、主婦が誰の言葉も信じないからである。主婦はすぐに「わからない」と言う。充分にわかっているときでも、いやわかっているときにこそ、「わからない」と言う。彼女がいきいきとした顔で「わからない」と言うとき、それはようするに「お前の口先など信用しない」という通告である。彼女たちがもつ「人を信じない」というハビトゥスは、さまざまな議論の重しとなり、盾となり、人々の混乱する意識に指標を与えてきた。これが防護対策を推進する力の一つである。

 第四に時間感覚である。
再生産(労働力の再生産)に携わる者は、時間の射程が長い。賃労働というものが基本的にその場限りの契約であり、商品経済の短期的な売買の一部にすぎないのに対して、再生産に関わる労働はきわめて長期にわたる生活経済のなかに埋め込まれている。一人の子どもを出産し、育て、一人前にするまで、20年前後の時間がかかる。引退した老人の世話をして送りだすまで、やはり育児と同じだけの時間がかかる。再生産労働は、もう嫌になったと心変わりをしても簡単にやめることができず、相当の長期にわたって関わり続けなければならない労働なのである。極端な言い方をすれば、賃労働者が時間のないユートピアを生きて時間感覚を喪失してしまっているのに対して、主婦は時間のなかに生きて時間を対象化している。例えば、セシウム134がほぼ消滅するための時間は半減期2年の10倍として20年であるが、この20年という時間を具体的な人間の時間としてイメージできるかどうかという違いだ。あるいは、10年後か15年後かに顕在化するだろう晩発性障害は、時間を忘れた鶏のような意識にとってはまったく見当のつかない話だろう。「そんな先の話は考えてもしょうがない」と。しかし、主婦にとって15年後というのは、充分に手の届く未来なのである。


・被害予測に埋め込まれた搾取
 ここまでに、主婦がもつ知性、責任意識、社会(男性中心主義社会)との敵対性、時間感覚について述べた。人工核種が人体に与える影響について、被害は軽微だろうと楽観する者たちは、主婦たちの防護活動を揶揄しつつ、実際には、彼女たちの防護活動をあてにしている。彼らは決して「防護は不要だ」とは言わない。防護の必要を認めつつ、「考えすぎだろう」と言うのだ。あるいは、「被害は多くないだろう」とは言うが、「被害はまったく出ないはずだ」とは言わない。「被害はまったく出ない」と言ってしまうと、防護対策は不要だということになってしまうからだ。
もう紙数がないので煎じつめて言うが、被害予測を過小評価する者たちは、ようするに、「防護対策は必要だが俺はやりたくない」と言っているのである。防護対策には費用も労力もかかる。身近な人間関係に軋轢を生む。長い時間を想像し、自分がこれから生きるだろう人生について深く考えなくてはいけない。そういう面倒な作業を、自分はやりたくないと言っているのだ。
放射線防護活動に働く人々は、悲観的な被害予測をたてている。この被害予測は、はじめから裏切られるべき予測としてたてられていて、10年後にあらわれる現実が予測を少しでも下回るために防護活動にいそしむわけだ。彼女たちが働いた成果は、社会全体に恩恵を与えるだろう。彼女たちが働けば働くほど、現実は想定した悲観的予測から離れていき、「被害は軽微だろう」とあぐらをかいている者たちの予測に近付いていく。彼女たちは自分自身の権利のために働くだけでなく、彼女を嘲笑して何もしない寄生者の権利のためにも働くことになるわけだ。
ここで「被害予測」とは、純粋に自然科学の領域での学説や論争というものではなくなっている。「被害予測」は、防護活動を担うのかそれともタダノリするのかという政治的駆け引きの道具になっている。市民の自主的な防護活動が揶揄や嘲笑にさらされるのは、その活動が不要だからではない。その活動に正当な評価を与えないことで、タダノリを正当化するためである。「放射能なんて俺はまったく気にしない、女房が勝手にやっているだけだ」と言えば、その一言を言うだけで、彼は面倒な作業を免除されて、安全な食事という成果だけを受け取ることができる。政府が楽観的予測をたてるのは、その予測を強弁して防護活動を非公式なものにとどめておくことで、市民のもつ資源を際限なく引き出し、本来てあてすべき予算措置をとぼけることができるからである。楽観的な「被害予測」というのは、防護対策に先だって、防護対策から独立してたてられているのではない。防護対策をどれだけ引き受けないで済ませるかという利己的な動機によって、「予測」が導かれている。この「予測」は、防護作業に関わる搾取のプロセスの一部となっているのである。
 この搾取の構造は、いまに始まったことではない。これは資本主義がもつ普遍的な構造であり、第二次大戦後の「原子力資本主義」が資本蓄積をはたすために強化してきた政治的枠組みである。乳児死亡率が下がり、教育が高度化し、再生産労働が飛躍的に発展していくのと比例して、主婦の社会的評価は下落し続けてきた。主婦の働きを正当に評価しないこと、それを公的な問題として扱うのではなく「私的」な問題に押し込めておくこと、公式ではなく非公式なものにとどめておくことが、資本蓄積の第一の条件だからである。主婦を貶め、主婦の働きにタダノリすること、この搾取を正当化するイデオロギーが階級や政治的「左右」を横断して国民的合意にまで高められることで、現代の現代的な資本蓄積が完成するのである。
 放射性物質の拡散は、この搾取の一般的構造を前景化させている。いまもっとも精力的に働いているのが主婦であり、同時に、もっとも貶められているのも主婦である。主婦に対するバッシングは、階級も政治的「左右」も超えて、社会全体に及んでいる。だから「推進派」はもちろんのこと、「反原発派」を自認する者や「左派」を自称する者たちからも、主婦の働きは正当に評価されず腫れものになっているわけだ。主婦にむけられた道徳的な断罪や貶めに加担する者が、「左派」や「女性学」を自称するなかにも紛れ込んでいる。彼らは、性差別の構造も資本主義の構造もまったく理解していないニセモノである。ニセ左翼やニセフェミニストは、主婦をたたくことが道徳的義務であるかのように勘違いをしているが、こうした振る舞いこそ言葉の正しい意味で「ブルジョアイデオロギー」と呼ぶべきものだ。それは、再生産を担うことの重責を放棄し資本主義との対決を回避したいという、自らのおびえを表明しているにすぎない。ニセモノたちがやっている主婦バッシングとは、敵前逃亡を体よくみせるための口実なのである。
 

最後にもういちど不平等の話をしよう。
被曝を受忍すると言う者は、被曝が平等ではないという事実を忘れている。それに加えてもう一つ彼らが忘れたふりをしているのは、この社会がけっして平等な社会ではないということだ。我々が生きている社会は、差別と搾取と不平等に満ちているということを、彼らは忘れたふりをしているのである。
 この原稿を書いているあいだに、私は愛知県のある大学で特別講義をした。社会福祉士を目指す学生たちのゼミだ。三回の特別講義の一回目では、放射線被曝に関するテキストを読ませ、40人の学生を4人づつのグループに分けてディスカッションをさせた。ここで私は次のような問いを投げた。

「いまから四年後に、皆さんは大学を修了し、社会福祉士の資格をとり、無事に就職することができたとします。就職してまもなく、職場の上司があなたに転勤を打診してきました。福島県郡山市で職員が不足している。無理強いはしないが、もし可能なら郡山に行ってくれないか、と。あなたは行きますか?」

 それぞれのグループで、行くか行かないかを討論させた。20分ほどの討論の結果、学生の半数が、郡山に行くと言った。この結果に私は困惑し、さらに不利な条件を追加した。

「実はその職場では、昨年度も郡山に職員を派遣していました。君たちの先輩が三人派遣され、三人とも一年で辞めてしまいました。体を壊したか給料が安すぎたのか、理由はわかりませんが、ようするに使い捨ての人員です。その穴埋めのために君たちは転勤を打診されたのです。行きますか?」

結果は変わらなかった。学生の半数はそれでも「行く」というのだ。
社会福祉士を目指す者の資質として、この自己犠牲の精神は必要なものかもしれない。しかし私が彼らに教えなければならないのは、自己犠牲ではなく、自分自身を大切にする権利意識である。「行く」という学生がいるのはいい。しかしおそらくそのなかには、「私は行かない」と言えないでいる学生が含まれている。「私は断る」「私は行かない」と言えないために、「行く」と結論しているのだとしたら、それは学生の自己責任ではなく、教師の責任である。
これからの放射能時代を生きるために、教師が学生たちに教えなければならないのは、自分をまもる人権意識である。しっかりとした権利意識を持って危険な作業を断ることができる者は、相当の防護対策を実現できるだろう。自分の権利を知らず、権利を主張できない者は、選択的に放射能を浴びせられることになるだろう。これはかつての戦争に似ている。「被曝を受忍しよう」と号令をかける老人は、実際にはたいして被曝しない。老人はずっと後方の安全地帯であぐらをかき、本物の放射能戦争を見ることがない。そして、自分の権利を主張できず人権を圧迫された若者と女性たちが、汚染地帯に赴き、あるいは汚染地帯にとどめおかれ、ケタ違いの放射能を浴びせられるのである。
 特別講義の二回目に、私は学生たちに次のような宿題を出した。

「みなさんがいま利用している学生食堂の食材について、生協はどんな防護対策をとっているか、調べなさい。この大学の保健管理を担当する部署に行き、放射線防護の取り組みと考え方を調べなさい。大学が学生の防護をどう考えて何をやっているのか、あなたたちにはそれを知る権利がある。対策に不明な点や矛盾する点があれば、自分が納得できるまで何度でも詳細に問い合わせてください。」

「国民全体で被曝を受忍する」と言うときに、国民が平等に被曝するわけではない。「みんなで分ちあう」なんてのは、まったくデタラメなおとぎ話である。

放射能を浴びせられた社会は、もとからはらんでいた差別と搾取を露出させ、強化していく。社会はこれまで以上に分化し、バラバラになり、敵対性を深めていくはずだ。いま私たちに必要なのは放射性物質をめぐる科学であると同時に、この分化した社会と対峙し、生きぬくための人権意識である。

2012年6月17日日曜日

新刊の前口上

今日、新評論から新刊見本がきた。

『放射能を食えというならそんな社会はいらない、ゼロベクレル派宣言』(新評論)

来週には書店に配本される予定です。
以下、出版社の近刊案内で出されている自己紹介文を転載します。


放射能問題を考える
矢部史郎

福島第一原子力発電所が「レベル7」の事故を起こして以来、放射能問題にどう対処するかが大きな課題になっています。世界が日本に注目しているのは、放射性物質の拡散がどのような被害をもたらすかであり、また、日本に居合わせた我々がどのように放射能と対決するかです。問題は自然科学の領域に留まらず、自然科学と社会科学、さらには文学的課題も含めて、さまざまな領域を横断して考え、応答することが求められているのです。

 本書『放射能を食えというならそんな社会はいらない、ゼロベクレル派宣言』は、「反原発派」としての意見表明であるだけでなく「反放射能」=ゼロベクレル派の態度表明として書かれました。放射能の被害について過小評価することや、被曝を受忍することは、いまや国民的合意になりつつあります。それは原子力行政の側はもちろんのこと、反原発派の側にも、被曝を受忍しようとする諦念に似た気分が広がっています。右派であると左派であるとを問わず、自己犠牲的行為が称揚され、「放射能を食えという社会」が構成されつつあるのです。ここにあらわれているのは、これまで積み上げてきた人権概念がなし崩しにされる事態です。人権を希求する社会にかわって、同調と自己犠牲を求める「社会」が登場したのです。放射能のある社会とは、言いかえれば、人権が放棄される社会です。現在の日本において、我々が批判的思考を働かせるならば、まずこの「人権の危機」を正面から受け止め応答するものでなければならないと考えます。

いま日本で起きている人権の危機は、危機であると同時に契機にもなりうるものです。社会科学も人文科学も、この2011年の危機を境に生まれ変わるでしょう。しかしただ「生まれ変わるでしょう」と他人事のように構えているのでは充分でない。ここで私は、科学と文学を産み直す実践に自らをなげこむことを表明します。これは私個人の決意表明であり、同時代の人々への呼びかけでもあります。いまこの社会で批判的に反時代的に考えることは、これまで以上に刺激的で使命を帯びたものになっているのです。


6月下旬には新宿の模索舎で、7月6日には新宿の紀伊国屋書店で、それぞれトークイベントをやります。
地元名古屋での販促イベントは未定。本当は正文館あたりでちまっとやりたいんですが、どうも名古屋はそういう文化がないようで、まだまだこれからです。

追記
 新宿の模索舎のイベントは、6月27日19時からに決まりました。
 場所は模索舎(地下鉄丸ノ内線「新宿御苑」駅歩5分)です。
 
 http://www.mosakusha.com/voice_of_the_staff/2012/06/vs20113122012627.html

2012年2月13日月曜日

『3・12の思想』(以文社)

やっとゲラ校正が終わった。今日いれた。
 3月に以文社から発売します。
 書名は『3・12の思想』



 「3・12」というのは誤植ではなくて、放射能拡散が始まった日付ということで、「3・11ではない、3・12の話をしよう」というコンセプトで話しました。大阪の杉村昌昭さんの仕事場で、年末年始二日間かけて収録したロングインタビューです。でもインタビューだけでは分量が足りないので、かなり加筆して、この3週間は加筆分を書くためにこもっていました。
 今週末には印刷所に入れるということなので、順調にいけば3月初旬に配本になると思います。
では、冒頭のさわりだけ公開。


はじめに
 二〇一一年三月一二日、私は娘を連れて、東京をあとにしました。  前日の三月一一日、東日本大震災——津波の恐るべき被害が徐々に明らかになっていくなか、夕方のNHKのニュースで「福島第一原発が電源を失い冷却機能を喪失した」と報道されます。この報道に接して、私は、これはまずいことになるなあと思いました。おそらく原子炉容器は破壊されるだろう、と。そこでまず近所の薬局に行きました。安定ヨウ素剤が必要だと考えたのです。しかしまったく不勉強だったんですが、薬局では安定ヨウ素剤というものは売っていないんですね。しかたがないので、うがい薬のイソジンで代用することにしました。それから私は一晩考えて、翌朝、愛知県の実家に娘を避難させることにしました。  私は放射性物質の放出を予想し、十二日の午前の段階で東京からの退避を決めました。ただ正直に言うと、私はもう少し軽い事故になるだろうと思っていたのです。二〇〇七年に中越沖地震が起きたとき、東京電力・柏崎刈羽原子力発電所は火災を起こしました。あのときのような状態になるのではないかと予想したのです。福島第一原発は一日か数日か一時的に放射性物質を放出し、東京にも多少の放射性ヨウ素が到達するだろう、と。もちろん、多少とはいえ放射性ヨウ素を子供に浴びさせてしまうわけにはいかないので、娘だけ一時的に避難させることにしたのです。朝、電車はダイヤが乱れて遅れていましたが、なんとか昼前に東京駅にたどりつきました。東京から名古屋までは新幹線が順調に動いていました。昼過ぎには名古屋駅に到着して、実家の母親に娘を預けて、そうして私は東京に戻るつもりだったのです。ところが、私が東京に戻ろうとすると娘がむずがるわけです。心細かったんでしょうね。前日の地震のショックもあったので、一人で残されるのは嫌だったんでしょう。そういうわけでちょっと時間をかけて娘に事情を話して、諭しているときに、テレビ画面のなかで原発が爆発したんです。
十二日の午後です。もう、声も出ないほど驚きました。建屋が爆発したんです。建屋というのは、国や電力会社が言ってきた「五重の壁」の最後の壁です。どんな深刻な事故が起きても最後は厚いコンクリートの壁で閉じ込めるんだと言ってきた、その最後の壁が、木っ端みじんに吹き飛んでしまった。こうなると、放出なんていうレベルではない。終わったな、と思いました。
 この一連の出来事を人々は「三・一一」という日付で呼んでいます。
そうなんです。いろんな出来事が、ほんの一日のあいだに、怒涛のように押し寄せてきた日です。あの日自分がどこにいて、何時にどこに行って、何を考え、誰と何を話し合ったかということを、いまでも詳細におぼえています。そのときに受けた衝撃や、その日の判断が、自分の人生にとって非常に重要な転機になった。そういう決定的な日です。
しかし、どうなんでしょうか。ここで、巨大地震から放射能拡散まですべてをまとめて「三・一一」と呼んでしまって、それでよいのでしょうか。ここに私はなにか乱暴なものを感じてもいます。一口に「三・一一」というだけではすまないのではないか。「三・一一」と言ってしまったときに、何か大事なものをとりこぼしてしまうのではないか。もう少していねいに、じっくりと考えようじゃないか、と。
放射能を拡散させた東京電力は、なにからなにまで津波のせいにするかもしれません。しかしそれは火事場泥棒というものであって、本当は、問題となる事柄をもっと厳密に、慎重に、きりわけていかなくてはならないのです。私たちを悩ませている諸問題を、どこからどこまでを、問題として把握していくのか。問題をどのようなものとして捉えていくのか。そうした議論のベースとなる見取り図を、正確に捉えておきたい。
そう考えるなかで、あるとき「三・一二」という日付が頭に浮かんだのです。私たちにとって本当に決定的であったのは、三月一二日なのではないか、と。
今回私が話すのは、「三・一一」ではない、「三・一二」の話をしようと思います。

2010年9月30日木曜日

たちよみ『VOL lexicon』

[海賊]

1、船を操って海上に横行し、商船や沿岸集落を襲って略奪を働く盗賊。国家に服属せず、あらゆる国家に敵対する。自主独立の無法者。無政府主義者の原型。
2、海賊の歴史は古く、陸上の国家文明を幾度も脅かしてきた。国家は土地を領土にするが、海を領土化することはできない。国家が主張する「領海」は、国家間の取り決めとしては有効だが、海賊の活動を制限するものではない。そのため、国家の法は常に海賊に脅かされ、妥協を強いられる。海がある限り、国家の法が完成することはなく、破れ目をもちつづける。
3、植民地貿易の拡大に伴って、船上の叛乱が頻発するようになる。原始的なルンペンプロレタリアートである水夫たちは、船長を殺して船を奪う。水夫が占拠した船は海賊船となり、犯罪者や脱走兵や逃亡奴隷を味方にし、おたずね者になった自由主義者や平等思想と交わっていく。17世紀から19世紀にわたって繰り広げられた海賊と植民地主義国家との闘いは、洋上の階級闘争と呼びうるものへと発展していった。
4、植民地主義の国家は、海賊を飼いならすことに成功した。国家の許可を得て他国の商船や領土を襲撃する船は、一般的な海賊と区別され、私掠船(コルセール)と呼ばれる。大英帝国と契約した私掠船は、スペインの商船や植民地を襲撃し、強奪品の一部を国家に上納した。
5、近代の海賊が独身者の集団であるというのは偏見である。海賊にも妻子がある。ただ彼らは生命や地位や財産が極端に不安定であったから、ブルジョア式の家族を形成することはなかった。近代の海賊は、ブルジョア家族制とは別の形式で、孤児に相応しい乱婚的な家族を持ち、義兄弟を持ち、船上に集住して暮らしたのである。近代海賊が活躍した後に、フランスの社会主義者シャルル・フーリエは集合住宅様式(ファランステール)を発明し、近代住宅建築の歴史的一歩を踏み出すことになる。
6、海賊は特定の陣地をもたず(非場所的)、どこにでも現れる(遍在的)。姿を偽装して近づき、敵が強ければやり過ごし、敵が弱ければ襲撃する。敵の船と積荷を奪い、自分の武器にする。隊内の階級制度は脆弱で、船長と水夫が交替することもしばしばある。支配(平和)のために戦争をするのではなく、戦争の継続のために戦争をする。海賊の戦争様式を陸上の戦争に応用したのが、パルチザン戦争である。毛沢東の「遊撃戦論」は、正

(海賊 『VOL lexicon』 以文社 2009)

たちよみ『愛と暴力の現代思想』

ひとつは、量の問題である。トリアージを実施する際の量的な基準はどこにあるか。トリアージの「必要性」は、多数の負傷者と少数の医療スタッフ(設備・薬品)という量的な不均衡を根拠にしている。であれば、「多数の負傷者と貴重な医療スタッフ」という事態は、具体的にどの程度以上の規模をもったときを指すのかだ。問題が、負傷者と医療体制の量であるならば、まずは、一方の変数である医療体制の量を検討し確定しなければならない。医療体制の現状は、地域によってばらつきがあるだろう。都市部と山間部では、医師や設備の量が異なるし、交通の条件も異なるはずだ。自治体がトリアージの必要を説くならば、まずは、「○○県には現在これだけの医療体制があり、県外からこれだけの支援を得ることができて、これ以上はない」というように、医療体制の量を確定しその多寡を検討しなくてはならない。そうした検討を公にしたうえで、「○○市は、一度に○○人以上の負傷者がでた場合、トリアージを実施する」と言うならば、私はぜったいに承服しないが、とりあえず議論の前提は成立するだろう。それが、自治体と公的機関がはたすべき義務であるはずだ。しかし実際にはそうした検討はなされない。問題は、医療体制の検討を抜きにトリアージという方法だけが採用され、小規模な事故や火災の現場にも無原則に適用されてしまっているということである。たとえば、二〇〇二年九月におきた新宿区歌舞伎町のビル火災のような、大規模災害とはほど遠いと思われるような事件で、トリアージは実施されている。医療機関が不足しているとは考えられない都市部のどまんなかで、たった四七名の負傷者に対してトリアージが実施され、心肺蘇生術があらかじめ断念される。このビル火災で、四七名のうち四四名もの人々が死亡した背景には、トリアージの濫用がなかったか。それが歌舞伎町の雑居ビルの風俗店ではなく、西口の新宿センタービルであったなら、救急隊員はトリアージを実施しただろうか。と、問う必要がある。トリアージは、医療機関と救急現場に、差別とネグレクトを免罪し合理化する論理を与えたのかもしれない。大規模災害という想像の自然に支持された方法が、大規模災害にいたる以前の段階で、すでに暴走を始めている。この知性と倫理を欠いた「グッドアイデア」を法的に制限するものは現在ない。それが根拠にしているはずの量を曖昧にしたまま、「貴重な医療」という教条が医療の現場を支配する。そして、貧しい者、政治力のない者、「手に余る」患者たちは、救急車に乗せられることなく放置されるのだ。

トリアージが孕んでいるもうひとつの問題は、死生観にかかわるものである。
医療機関が、一度に複数の患者をうけいれるとき、そこに優先順位をつけることはあるだろう。そうした事態がありうることは否定できない。そして、ある者は死ぬ。死は突然おとずれて、生きている者たちに衝撃を与える。死は、死者本人にとっても、他の生きる者にとつても、承服しがたい。その死にタグを貼り付けるということは、人間の死生に対するおぞましい挑戦であると私は思う。
想像してみて欲しい。大規模な震災で街が崩壊する。あなたは黄色いタグをつけられ、病院に搬送され、治療を受けたとしよう。建物の窓から震災後の街を眺望すると、そこには黒いタグを付けられた心肺停止状態の人々が横たわっている。そこにあるのは死者と生
者ではない、黒いタグの死者と黄色いタグの生者である。生と死の選別をタグによって明示されたという事実に、はたして生き残った者は耐えられるだろうか。彼は死に彼は生きるという整理券を貼り付けられて、人間の死生が識別の視線にさらされる。医師や看護士や救急隊員が暗黙裡に選別するのではない。識別のタグは、彼は生きる彼は死ぬということを、すべての視線にむけてもっとも見えやすいかたちで明示し、その予約された運命にたいする合意と承認を、見る者すべてに迫る。そしてトリアージが首尾よく実践されるということは、多くの動くことのできる被災者が、そのタグを剥がすことなく受け入れるということなのである。人間に貼り付けられたタグを剥がさずにいうというこの命令に、従うのか否か。タグが発揮するこの命令に、人間は屈服してよいものだろうか。
生きるということは、死に抗い、死んだように生きることに抗う運動である。人間は、死んでいるか死んでいないかという次元で生を構想することはできない。死んでいないことが、生きているということでは、ない。死に抗うこと、死を易々とは承認しないという意志と運動が、生の尊厳を構成するのである。私がここで問題にしているのは、人間が経験する死生の残酷さではない。私が言いたいのは、人問の死生を残酷なものとして感受する条件を手放してよいのか、残酷さを回避したところに人間の尊厳が成立するだろうか、ということだ。私が恐れているトリアージの悪夢とは、ある生きている者が、ある生きられなかった者の死を、タグが発揮する合理性にしたがって唯々諾々と承認してしまうことである。死の残酷さにうちのめされることなく、合意を要求するタグ付きの死体が置かれ
た傍らで、生きる者は、自分自身の生を尊厳のあるものとして生きることができるだろうか。できない。ゴミを分別するようなすっきりとしたやりかたで死や生を受け入れることなど、本当はできないはずなのだ。それを易々とは受け入れないという一点に、人間が「人


(「虐殺・トリアージ・“生きた労働”の管理」『愛と暴力の現代思想』 青土社 2006)

2010年9月29日水曜日

たちよみ『原子力都市』 藤里町

 この町の位置と変化は、大きな公共施設とともに現場に残されていた。事件報道のカメラが押し寄せた町営住宅から、県道を北上し車で5分ほどの場所に、「環境省白神山地世界遺産センター藤里館」がある。藤里町は、白神山地の南端に位置する観光都市だったのだ。
一九九三年、白神山地は「世界自然遺産」に認定された。世界遺産センターには、白神山地の森とそこで生きる鳥やカエルや昆虫が、模型や写真パネルとなって展示されている。森の生態系は観光資源となり、ここから発信された森のイメージは、グラフ誌やハイビジョン放送やアニメーション映画を通じて、すでに私たちの眼に届けられていたのである。二〇〇六年のメディアスクラムからさかのぼって十三年前に、藤里町の見世物は始まっていたのだ。

この間、藤里町には二つのカメラが持ち込まれたことになる。観光宣伝のカメラと、事件報道のカメラである。森の自然を賞賛し観光資源に仕立てるカメラと、挙動不審な女を摘発するカメラ。二つのカメラはそれぞれの現場を分担しつつ、見世物を整備するひとつの都市計画を推進する。二つのカメラがとらえたイメージは全国に、ときには世界に配信され、愛でるべきものと摘発すべきものを私たちの眼に焼きつける。フェティッシュに視覚化されたイメージが藤里町と私たちを接続し、そのイメージと視線がつくりあげる新たな位相の都市空間に藤里町は組み込まれているのである。視覚イ

(『原子力都市』 以文社 2010)

たちよみ『原子力都市』 旧上九一色村

 オウム真理教の組織と実践は、国家の提示する「田園都市」というモデルに見事に応答するものであった。工業都市が生み出した富を否認した人々は、彼らなりの脱工業化を模索し、構想していったのである。
はじめはヨガから始まったおだやかな修養プログラムは、次第に荒々しい方法に変わっていく。さまざまな器具や機械や薬物が開発され、人体実験が繰り返される。出家信者が住まう施設は、研究と教育の拠点であると同時に、先端技術を駆使して兵器を生産する工場となっていくのである。
オウム真理教が上九一色村に工場を建設する1990年代、全国26地域の「テクノポリス」は、すっかり熱を失っていた。計画目標を達成した地域はほとんどなく、日本版シリコンバレーの夢は実現しなかった。そして人々が「テクノフィーバー」を忘れようとしていた頃、サティアンと呼ばれる工場群は、小さな「テクノポリス」として成長していた。全国でただ一つ実現した、内陸型の、産・学・住を備えた、知識集約型工業都市。国の承認を受けない27番目の「テクノポリス」は、その高い技術力と生産性を世界に示した。そこには、反民主主義を基軸にして人間を徹底的に奴隷化する「テクノポリス」が実現したのである。


(『原子力都市』 以文社 2010)

たちよみ用『原子力都市』序文

序文

本書に収められたエッセーは、2006年から2年間のあいだ、いくつかの土地を歩き書いたものだ。
どんなところであれ、人が生きる土地には人の手が加えられていて、都市化されてきた歴史がある。都市の歴史はいくつかの時代が地層をなして折り重なっているものだろう。そして、歴史とは現在を基点にして遡っていくことでしか見えないものなのだとすれば、問題となるのは、現在という時代をどう規定しどのようなものとして捉えていくか、である。

「原子力都市」は、ひとつの仮説である。
「原子力都市」は、「鉄の時代」の次にあらわれる「原子の時代」の都市である。「原子力都市」は輪郭を持たない。「原子力都市」にここやあそこはなく、どこもかしこもすべて「原子力都市」である。それは、土地がもつ空間的制約を超えて海のようにとりとめなく広がる都市である。
都市が尺度を失っているという主張は、ずいぶん拙速で観念的な主張だと感じられるかもしれない。しかし、実際に街を歩いてみてほしい。充分に時間をとって何日も街を歩いてみれば、私が何を言わんとしているか感じてもらえるはずだ。

原子力都市の新たな環境のなかで、人間の力はいまはまだ小さな犯罪や破壊行為におしやられている。だが、こうした小さなうごめきもいつかは、政治と文化をめぐる一般理論を生み出し、確固とした意思を持つことになるだろう。この無数のうごめきがはらんでいる創造性を解き放つために、いま考えなければならないことがある。
生活が味気ないというだけの話はもうそろそろきりあげて、次の話をしようと思う。

(『原子力都市』 以文社 2010)