2011年3月30日水曜日

私的なものの回復

千葉の水道水、22日に一般規制値超えるヨウ素

千葉県と複数の自治体で構成する北千葉広域水道企業団は29日、江戸川を水源とする北千葉浄水場(流山市)で22日に採取した水から一般向けの国の暫定規制値(1キログラムあたり300ベクレル)を超える336ベクレルの放射性ヨウ素を検出したと発表した。
 北千葉浄水場から直接送水しているのは野田市、柏市、流山市、我孫子市、八千代市、松戸市、習志野市。県営水道を通じ、鎌ケ谷市、船橋市、白井市にも送っている。
 同企業団によると、22日の水は現在の水道管にほとんど残っていないが、長期間水道を使っていなければ「バケツ1~2杯の水を捨ててから使って」と呼びかけている。

一週間もたってから数値を発表しても意味ないだろう。
どうすんだよ千葉県は。どうすんだよ日本政府は。
と、一応言ってみる。棒読みだけどね。

いまさら驚いても遅い。こうなることは充分予測できたことだ。そしてこの正しく予測されるべき予測は、公的なものとしてはあらわれないのだ。原理的に。


いまテレビを見ると、災害にまつわるいくつもの美しいエピソードが紹介されているのだが、私が一番感動したのは、ある小学校での避難の話だ。
 ある小学校が津波に襲われた。教員は生徒たちを引率して避難をさせなくてはならない。その小学校の防災計画は、校舎の三階(最上階)または屋上に生徒を避難させるというものだった。しかし、このとき現場にいた教員たちは、津波の規模が想定を超える大きさだと直観した。彼らは防災計画にはない方法、つまり、校舎を出て裏山に避難することを決めた。子供たちを裏山に登らせた後、巨大な津波が校舎を飲み込んでいった。
 このエピソードが教えているのは、人間が災害の現場を生きる(生きられない)ことが、私的なものの領域に支配されているということだ。
 公的な防災計画などというものは、あくまでガイドラインにすぎない。それは防災コンサルタントみたいな書類屋が、行政からもらった予算と時間の中でソツなくまとめたものにすぎない。本当に生きるか死ぬかを決するのは、防災計画の出来不出来ではない。ある一人の人間がある一回的な現場のなかで、私的なものに身をゆだねるということだ。
 ある小学校では、ある教員が、「やばい」と感じ、防災計画を無視したからこそ、生き残った。こうした経験は、災害のあらゆる現場で起きていることだろう。災害がある種のユートピア的な経験として感じられるのは、この私的なものの回復が広範に現出するからである。
 原子力災害も例外ではない。政府が情報を隠蔽しているとか場当たりの無計画だとかいう問題は、それはそれとして政治として批判するべきなのだが、より主体的により根源的に重要になってくるのは、この災害を生きるという経験を、各々がどれだけ私的なものとして生きるか、ということだ。ちょっと文章が込み入ってしまった。ちょっと舌足らずで説明不足になってしまうのだが、要するに、いま一回的な災害のなかで私(私たち)が言うべきは、「私的なことは政治的である」てことだ。

脱原子力ゼネストのビラ

ビラです。
コピーしてどんどん撒きましょう。
仕事をどうするか悩んでる人は、この際、上司とじっくり話しましょう。


2011年3月29日火曜日

核をなめるな

ネットでみつけた有害な主張。

「現段階での責任追及はどうでもいい。
 国民は誰に罪があるかわかっている。
 みんなで福島をなんとかしないと未来はない。
 そのためにできることを、自分でもできることを考えたほういがいい。 」(原文ママ)


まったく倣岸不遜で無責任だ。
福島はもうどうにもならない。誰も近づけない。その現実を早く認めなければ、ますます多くの人間が被曝させられることになる。だいたい「みんなで」ってなんだ。自分が作業現場にいくつもりもないくせに偉そうなこと言うな。こんな精神論をふりまわしたところで、現実がどうにかなると思うな。自己満足もいいかげんにしろ。
核をなめるな。馬鹿野郎。

もうひとつのメルトダウンに向けて

 昨日、富山市の「生・労働・運動ネット」のセミナーに参加して話してきた。
 現在の状況を説明し確認するうちに、自分がやろうとしていることが少し整理できた。
 要約すれば、今次の原子力災害による首都圏の被災は、日本列島全体を揺るがす事態になるだろうということだ。

 いま放射性物質の拡散をうけて、東京という都市の位置づけは揺らいでいる。東京は被災した東北地方を救援する拠点なのか、それとも東京自身が被災地なのか、その評価をめぐって葛藤がくりひろげられている。政府は「首都圏は安全」という発表を繰り返し、企業は労働者を拘束して事業を継続する。他方、妊婦や乳幼児を連れた母親たちは、西日本に向かって大移動を始めた。若年労働者からは、ゼネラルストライキの声があがりはじめた。いま首都圏では、ひとつの家族が退避するかしないか、会社に留まるか否かをめぐって、引き裂かれている。これを福島第一の核燃料に喩えれば、これまで「絶対に安全」だと信じられていた企業社会/核家族の被服管が、じわじわと破れはじめているのだ。政府がいくら統制を試みても、この動きは止まらない。首都圏3800万人のうち、その1%が動いたとして38万人、5%で190万人だ。資本主義の被服管を溶かし漏出していく女と子供、若年労働者(そして外国人)は、別の街に堆積し、新たな運動の連鎖反応を始めるだろう。
 もうひとつのメルトダウン、企業社会から分離・漏出する「人口」のメルトダウンが始まる。この新しい人口の波に洗われた地方都市は、かつてあった「日本」であり続けることはできない。首都圏を離れた巨大な人口と知性、潜勢力が、日本列島全体を焼き焦がしていく。
 楽しみだ。やる気が出てきた。
 

2011年3月26日土曜日

爆発は回避され、巨大な殺生石が残る。

 愛知県での一時退避もかれこれ2週間になる。福島第一原発はメルトダウンした状態のまま、大量の水とホウ素と人間の生き血を消費していく。その間、蒸気放出を実行するとかしないとかいうコントロールが効かない状態で、破壊された配管はダラダラと放射性物質を噴き出していく。これは殺生石だ。しかも、いつ再臨界が進行して爆発するかもしれない、手のかかる殺生石である。
 受け入れたくないが、長期戦になる。
 放射性物質が、東北・関東を徐々に侵食していくにつれて、人間も徐々に退避していかなくてはならない。私は今年40歳になるが、残りの人生はこの殺生石との闘いになるのだろう。

未組織の、自発性の、ゼネストへ

東京のグループが声明を出しているので転載します。
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すべての働く者たちへ --脱原子力ゼネラルストライキを

わたしたちは、全=世界の学生・ニート・フリーターの名において、すべての労働の即刻停止、ゼネラルストライキを呼びかける。この脱原子力ゼネストが要求するのは、世界の全原子力発電所の即刻の廃止、世界の全原子力爆弾の即刻の廃棄である。今でなければいつ、わたしたちは原子力のない世界に出発することができるのか。原子力災害下の日本でなければいったいどの国が、原子力のない世界への希求を表現することができるだろう。

あなたたち労働者がこの反原発ゼネラルストライキを拒否すれば、あなたたちは人類の希求である脱原子力世界のきざしを見殺しにすることになる。おろかな「社畜」たちの停止判断により、世界はこれまでと同じく、原子力の恐怖と原子力イデオローグの愚昧に統治されることになる。人類は、みじめな狼狽をスクリーンにさらしつづける東電や原子力保安院の連中と同じく、あなたたちをさげすみ、わらうだろう。

首都圏の職場につながれたフリーター、学生、貧者、労働者、零細企業経営者は、この原子力カタストロフのただなかで逃げることもできない。彼・彼女たちは、資本主義のロジックにより職場につながれ、いまこの瞬間にも不可視の放射能におびえている。放射能に汚染された風に吹かれ、職場を放棄できないでいる。彼・彼女ら貧者たちは全=世界の形象である。喫緊に非難すべき首都圏の彼・彼女たちを見捨てることは、彼・彼女たちのみならず、彼・彼女たちが表現する全=世界を死と絶望のふちに沈めてしまうことを意味する。

風の歌を聴こう。風に舞う答え、それは原子力のない世界への移行である。この反原子力ゼネストは人類の責務であり、その遂行はひとえに、日本の労働者たちの即座の職場放棄にかかっている。あなたたちがゆうきをもってストライキを敢行すれば、世界中から賛同の声と連帯行動がよせられるだろう。世界的ムーブメントがわきあがり、世界の統治者たちの喉元に、原子力発電所の廃止という刃がつきつけられるだろう。だが、あなたたちが卑劣にストライキを拒否すれば、全=世界は落胆と悲しみにつつまれる。原子力を満載した地球はこれまでどおり浮薄に笑い、原発イデオローグは人類への侮蔑を隠そうともしないだろう。あなたたちは「社畜」として軽蔑されつづけるだろう。

会社が自分に何をしてくれたか、いまこの瞬間に、もういちど考えてみてほしい。会社における仲間たちとの共同、友愛、結託は、会社が与えてくれたものではなく、あなたたち自身の力である。どうか、自分自身の力をみくびらないでほしい。かけがえのない家族同盟を、あなたたち自身を、はたして会社が守ってくれるだろうか。あなたたちがスクリーン上の事態をみまもり、正確な情報判断を心がけているその間にも、妊婦たちははかりしれない原子力恐怖を生きている。彼女たちにたいし、それでもあなたたちは「パニックになるな」「不安になるな」と言いつのるのだろうか。くりかえす。どうか、自分自身の力をみくびらないでほしい。

敵のいない戦争が進行中である。革命勢力を鎮圧するためにエジプトに登場した放水車が、ここ日本では焼け石と化した原発にむけて放水する。国家を自衛すべく悪の枢軸国の攻撃をむかえうつはずの軍隊が、蒸気のようなものをふきあげる原発と対峙している。

戦後の蜃気楼がゆらめき、復興というあらたな意匠をまとった労働者ナショナリズムが舞台の袖にひかえている。いまや世界の常識であるように、災厄とはまたとないビジネスチャンスであり、権力のユートピアなのである。各国の首脳陣が集まる楽屋裏では災害後のドクトリンが協議されている。わたしたちは呆然とするあまり、かけがえのないこの絶望すら、絶望的に立つのぼる希望すら、動員され、運営され、統治されてしまうのだろうか。

たとえ再臨界を回避できたところで、「日本の信用」を回復することはできない。普通に考えればわかるように、世界で唯一の原発被害国が、スリーマイルやチェルノブイリとならぶ原発災害を起こすなどというのは、冗談にもならない事態である。日本資本主義の「信用」は決定的に地に落ちた。それをふまえたうえでなお「信用」の語にこだわるのであれば、日本はいますぐ原子力発電を停止し、世界の原子力体制をくつがえすムーブメントに着手すべきである。

本当の戦争を開始しよう。放射能をまきちらすゴジラやグエムルは、統治者や企業が対峙すべき敵であっても、わたしたちの敵ではない。わたしたちの本当の敵は、世界を無数のゴジラやグエムルはで埋め尽くした資本主義者にほかならない。やつらを舞台裏から引きずり出し、徹底的に糾弾し、世界から追放するときはきた。わたしたちの武器はゼネラルストライキである。くだならない職場を放棄し、経済という名の亡霊をしりぞけ、被災者のためにできることをいますぐ開始しよう。

2009年3月19日

脱原子力ゼネラルストライキ委員会

2011年3月25日金曜日

反撃、原子力国体からのエクソダスへ

 じりじりとテレビを見るのは、もう、うんざりだ。
 関東圏から中部・西日本への民族大移動を、運動として模索しようと思う。
 今週末(3/27)、富山県の「生・労働・運動ネット」と意見交換の交流会に行きます。VOL同人の渋谷望さんも合流する予定。
 消極的な退避から、積極的な離脱へ、そして原子力化した国体への反撃(ゼネスト)を構想するべく、富山におじゃまします。
 住民の運動から、流民の運動へ。日本列島のバンダル族となって、都市の都市論的実践を再生させていきましょう。

追記
 同日、東京でも行動が予定されているようです。呼びかけがまわってきたので転載します。
首都圏の仲間たち、結集を。

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★銀座デモ・パレード

3月27日(日) 集合13:45、出発14:00

集合場所:銀座の水谷橋公園(ホテル西洋銀座・テアトル東京の隣)地下鉄銀座一丁目または京橋駅下車数分解散は日比谷公園予定

いつもは、『STOP再処理 LOVE六ヶ所 パレード』としてきましたが、今回は、福島原発震災発生のため、タイトルも変更してデモを行いたいと思います。 横断幕やプラカードなど持って来て下さい。日比谷公園では短時間ですが、最新状況も報告します。

【主催】再処理とめたい!首都圏市民のつどい
 呼びかけ団体:原水禁国民会議(03-5289-8224)/プルトニウムなんていらないよ!東京(旧称 ストップ・ザ・もんじゅ東京)/大地を守る会/福島老朽原発を考える会/日本山妙法寺/日本消費者連盟/ふぇみん婦人民主クラブ/グリーンピース・ジャパン/原子力資料情報室/たんぽぽ舎

2011年3月23日水曜日

首都圏大衆の被害と加害

 数日前、平井玄さんからメールを頂いた。
 そこで予見されているのは、「この都市で働かされる私たちは」、「「使い棄て原発日雇い労働者」に確実に近づいていく」という指摘だった。
 私がここに批判的に補足したいのは、原発の被曝労働者はただ被曝をしているというだけでなく、放射線の被害を過小評価する洗脳教育を受けることで、自分だけでなく同僚を被曝させ、地域住民に原子力の脅威を与える存在であるということだ。
 被曝労働者(労働者というよりは人材)という存在は、ただ被害者であるだけでなく、加害者・共犯者でもある。
 いま東京の労働者が自らに問わなければならないのは、被害の問題ではなく、加害・共犯の問題だ。自分がいま選択すること/しないこと、意識すること/しないことが、誰を脅威にさらしているのか、落ち着いて考えることだ。
 いま東京のテレビは、放射性物質の被害を過小評価し、大丈夫大丈夫と呼びかけあうことで、女性と子供を脅威にさらしている。首都圏4千万人の壮大なネグレクト(育児放棄)が始まっている。本当なら、児童の集団疎開を提起・実践するとか、教員が「教え子を被曝させない」と訴えてもよい時期だ。
 日本民衆・大衆はかつて、戦争に勝てないことをうすうすわかっていながら、若者を特攻させて殺したバカ民族である。バカ民族の末裔のグズどもが、いまなにをできるか、私は悲観的だが悲観ばかりもしていられない。

転居を決める

 愛知県への退避は一時的なものであってほしかったが、そうはいかないようだ。
 東京の水道水と近郊の野菜から放射性物質が検出された。福島第一はまだしばらく噴気をあげ続けるから、事態は日を追うごとに悪くなっていくだろう。とても子供を育てられる環境ではない。10日ほど後には子供を学校に行かせなくてはならない。新年度から、こちらの学校に転校させることを決めた。

 いま避難している春日井市は、名古屋市に隣接するベッドタウンだ。私が育ったころは田んぼと工場と砂利道ばかりだったが、最近は若い家族向けのマンションや戸建がつくられ、大きなスーパーやホームセンターやドラッグストアができている。ここにずっと身をおくかどうかはわからないが、当面の生活は苦労しないだろう。
 この街で車を走らせていると、多摩ナンバーや春日部ナンバーの車を見かけることがある。私たちと同じように首都圏から避難してきたのだろう。あるいは父親だけを首都圏に残し、逆単身赴任の状態なのかもしれない。
 この子供たちはいま、土地を失った悲しみと新しい土地への不安を感じている。しかしそうした感情も一時的なものだ。学校が始まれば、子供たちはいろいろなことを忘れていくだろう。
 彼らは東京という街があったことを忘れ、我々の世代が予感したものとは別の未来を生きる。この無邪気でふてぶてしい「神的暴力」(摂理の暴力)が、いま私が確信できる唯一の力だ。

2011年3月21日月曜日

廃炉とみずほ銀行

 東京電力はもちろん政府も、福島第一原発を廃炉にするかどうか明言しない。記者の質問にもゴニャゴニャ言っている。もう天井が開いているのに。それでみずほ銀行(東電のメインバンク)はカネを動かないようにしているのか。あ、あれは「システム障害」だったか。
 よくわからんが、金融・不動産部門はこれから大混乱に陥るだろう。どうあがいても時間の問題だ。いい気味だ。

被災と再建のヘゲモニー

この一週間、毎日テレビを見ていた。こんなにテレビを見たのは、ずいぶんひさしぶりだ。東京に暮らしていたころはテレビなんか見る必要がなかったのに。情けなくなる。

 これからいろんな人に電話をしようと思う。ただブログを書くだけでなく、各地の友人と連絡を取り合って、生活を再建するための道筋をつくっていこうと思う。

 フクシマ後の状況はまだはっきりと見えないが、直近の課題は、被災と再建をめぐるヘゲモニー闘争である。日本列島は、これまでにない規模と時間をかけて、人の流れと街づくりが進行していく。これを誰が仕切るのかは不確定だ。国家/資本による新たな「全国総合開発計画」が始まるだろうし、民衆・大衆の側のコミューン運動も始まるだろう。それらの葛藤の中で、あるいはその両者が混合しながら、〈帝国〉とマルチチュードの緊張が高まっていく。階級闘争の焦点は、都市計画・都市再開発に完全に移行するのだ。

 事態は楽観できないが、悲観ばかりもしていられない。やらなきゃいけないことがありすぎる。
 あー、胃が痛い。

2011年3月20日日曜日

私が退避を呼びかける二つの理由

 まだ首都圏に居残っている者がいるようなので、もう一度、注意を喚起しておく。

 福島第一原発では、三つの建屋が爆発して天井が抜けている。三つの原子炉格納容器が制御不能になり、温度も圧力も計測不能。二組の使用済み核燃料が大気にむき出しになっていて、その脇には6400本の核燃料を貯蔵する共用プールがある。これは、これまで反原発運動が訴えた「最悪の事態」のなかでもっとも極端な「そりゃねーだろ」という最悪のシミュレーションをも超えた事態である。
 この期に及んで退避も決断せず、運を天に任せるなど、人間としてまったく無責任な態度だと思う。まじめに考えろと言いたい。もしもとびっきりの幸運が訪れて、福島第一原発の放射性物質がすべて太平洋に流れていったとして、それでよかったよかったということにはならない。自分や仲間を危険な賭けにゆだねたという事実が残る。しかもこの賭けは原子力国家の賭けだ。「原子力発電は安全です、事故が起きても大きな混乱はありません」というための、国家のもっとも醜悪な賭けに、共犯関係を結ぶことになるのである。

 ようするに、いま恐れるべきことは二つある。
ひとつは放射性物質の毒性。
ひとつは「原発の天井が抜けようが、日本人は国家の指示に従順」とみなされる、恥辱だ。

 いま我々は、自らの尊厳を試されている。
 まだ諦めるときではない。できることやるべきことはたくさんある。

子供とサッカーをする

 2日前、VOL同人の渋谷さんが4歳の息子を連れて合宿所にやってきた。
うちの娘も退屈していたのでいい遊び相手になる。子供はやはり子供どうしで遊ぶのがいい。
 今日はホームセンターでゴムボールを買ってきて、近所の公園でサッカーをやった。地元の子供も一緒になって、砂ぼこりを立てながらボールを追いかけた。

 いま関東の大人たちは、内部被爆を防ぐためにマスクが有効だという。外出先から戻ったら服のほこりを払い、ビニール袋に封じ込め、シャワーを浴びろという。
 そんなの子供には無理だ。子供はいつもテキトーで、汚れていて、ほこりっぽいから子供なのだ。なにが「日常生活に問題ないレベル」だ。ふざけんな。

2011年3月19日土曜日

東京からの頭脳流出

 大きな問題を考えるためには、まだ頭を整理しきれていない。少しづつ考えることにする。これからのノートは断片的なものになると思うが、問題の輪郭をつかむまでは徐々にメモをとっていくしかないだろう。

 フクシマ後の状況について比較的予想しやすいのは、東京からの長期的な人口流出である。
今後、東京は水質検査の数値を公表したり、大気の流れを速報したりという状態が続くだろう。それが一時的なものにとどまるか長期化するかは、現段階ではわからない。ただ福島第一原発の放水作業を見ていると、これは長期化する可能性が高いだろうと思う。

まず首都圏の大学や専門学校は、大きな打撃を被る。放射性物質の影響は若年層に高く出る傾向があるし、若年の女性はとくに神経を使う。外国人研究者や外国人留学生も著しく減少するだろう。日本の大学は他国の大学に比べてブランド力がない。東大以外はどこもそこそこで特に強いウリがあるわけではないから、「関東の大学はパス」という展開に雪崩を打っていくことになるだろう。学生・保護者・教員・研究者に敬遠された大学は、数年かけて事業の再編を行うことになる。関東から離れた場所に分校をつくり、移転できる大学は移転するだろう。10年から20年かけて、関東圏からの頭脳流出がおこなわれる。その頃には東京の環境はいくらかよくなっているかもしれない。しかし、東京からのエクソダスによって再構成された知性は、かつての東京とは比較にならないほど巨大な、新しい傾向をつくりだしているだろう。まず学術・教育分野で、東京は過去の街になる。
 

原子力災害で滅びるべきもの

 テレビが自衛隊のヘリによる放水を映し、われわれは固唾を呑んで見る。まったく無駄であるだろう試みを、それが決死的であるというだけで、英雄視している。
NHKのニュースが放射線量の上昇を伝え、「ただちに健康に影響を及ぼす心配はない」と説く。
原子力都市のスペクタクルは、いま新たな「英霊」と新たな「ヒバクシャ」を生み出しつつある。

 嘘と秘密の翼賛体制は、「不安を煽るな」「パニックをおこすな」「冷静になれ」と言う。
 このとき、誰が抑圧されているか。
テレビが垂れ流す戯言に翻弄され深く傷ついているのは、若年女性、妊婦、母親、再生産を担う者たちである。「ただちに健康に影響を及ぼす心配はない」という解説委員おまえは、結婚や出産や育児というありふれた行為がどれほどの切実さを伴っているのか、わからないだろう。子供が熱を出しただけでうろたえるような人間を、馬鹿だと思っているんだろう。しかし、そういう馬鹿な人間がいなかったら一人の人間も産み育てられないというあたりまえの事実を忘れているお前らこそ馬鹿以上の大馬鹿だ。
 許さない。この原子力災害を機会に、お前らを撃ち滅ぼしてやる。

2011年3月17日木曜日

環境に生きる者、世界に向き合う者

 福島第一原子力発電所から半径20kmの地域に退避勧告が出されている。勧告はあくまで勧告なので、強制はできない。このとき、はじめに退避する者と最後に退避する者がいる。勧告に従わない者もいる。
 いま私が何かを考えられる状態にあって、ここで考えようと思うのは、勧告を待たずに退避する者たちと、勧告が出ても退避しない者たちとが、それぞれに持つ義と理だ。権理、権義と言ってもいい。それぞれのもつ権理・権義があって、その違いがあり、同時に、どこかに通底するものがある。
 はっきりとは言えないが、いまあからさまに棄民化した(させられた)境遇の中で、専制に対する二つの態度が見えてきたように思う。もしかしたらこのことが、専制の定義をより明確にしてくれるのかもしれない。つまり、環境に生ききるのでもなく、世界にさらされるのでもない、卑劣な生としての専制を。


 考える。



追記 このことを別の言い方で言えば、いま起きている出来事を「事象」と呼び「事故」と呼ぶことの、それぞれに、また双方に感じる怒りだ。私は、「事象」と「事故」の線引きに怒っているのではないし、二つの呼び方があることに怒っているのでもない。「事象」と言う時には「事象」と言うときの、「事故」と呼ぶときは「事故」と呼ぶときの、なんと言ったらよいのか、ある、覚悟、の問題である。いま「事象」と言う者たちはそのとき、どれだけ世界にさらされて生きるのかを問われ、試されている。「事故」と言う者たちはそのとき、どれだけ環境を生きることを引き受けようとしているのかを問われ、試されている。「事象」「事故」、どちらもそれ相応の覚悟と責任を含んでいるはずの言葉を、専制はそのどちらをもとり逃している。言葉が、とても卑しい、いいかげんなものに貶められているのだ。
いや、もうちょっと考えるぞ。くそやろう。

こういうときは外国人が正しい

 東京にいる小野登志郎くんというノンフィクションライターと電話で話した。彼は、新宿歌舞伎町でいわゆる「中国マフィア」の取材をしているのだが、この間、まったく仕事にならないという。取材対象である中国人たちが、街から姿を消したのだ。それが震災を恐れてなのか、原子力災害を恐れてなのかはわからないが、彼らにとって東京はすでに退避すべき場所なのだ。中国人だけではない。アメリカ人もフランス人もドイツ人も退避している。さまざまな人種・職種・階層の外国人たちが一斉に退避しているなかで、日本人だけが東京に居残っているという状態だ。
 日本人か外国人かということを一般的に言うことは戒めるべきだが、こういうときは、外国人が正しい。あまり使いたくない言葉だが、「危機管理能力」というやつだ。ある土地に外国人として生きる人々は、日常的にさまざまな保護を受けられないために、いわゆる「危機管理能力」を高めなくてはならない。感受性・緊張感・判断力が研ぎ澄まされてしまう。入手する情報のチャンネルも複数もっている。日本のテレビだけを見て「情報収集」とか言っているのは、彼らから見れば児戯に等しい。
 自分ひとりでは判断がつかないという人は、いま外国人がどう動いているかを見てほしい。
 こういうときは、外国人が正しい。

2011年3月16日水曜日

福島第一がリカバーできると思っている人、手を挙げて

 福島第一原子力発電所4号機で16日朝に発生した2度目の火災を巡り、東京電力は同日の記者会見で、「1度目の火災で鎮火したことの確認をしていなかった」と、確認を怠っていたことを明らかにした。火災場所は前日と同じ4号機の北西部分で、社員が目視で鎮火したと思い込んでおり、同社のずさんな対応が浮き彫りになった。

 東電の大槻雅久・原子力運営管理部課長が、同日午前6時45分の会見で公表した。1度目の火災は、15日午前9時38分に発生し、東電は同日、「午前11時頃に自然鎮火した」と説明したが、大槻課長は16日、「社員が、目視で炎が見えないのを確認しただけだった。申し訳ない」と謝罪した。実は1度目の火災が鎮火していなかった可能性を報道陣から指摘されると、大槻課長は「放射線量が高くて現場に近づけず、確認できない」と釈明した。

 東電によると、火災確認後、社員が2度消防に通報したが、つながらなかったため、放置していた。

 2度目の火災は16日午前5時45分頃、4号機の原子炉建屋から炎が上がっているのを社員が確認。午前6時20分に消防に通報した。

 東電によると、福島第一原発では通常、協力企業の社員を含めて約800人が作業を行っているが、被曝の危険性が増した15日、70人を残して福島第二原発などへ退避させた。

(2011年3月16日12時45分 読売新聞) 強調=引用者

 福島第一はこれから悪くなるばかりだ。
 復旧は不可能だ。
 いま破壊された原子炉を海水で冷却し続けているが、仮にその方法が有効だったとして、いったい何ヶ月(あるいは何年)冷却し続けるのか。長期間の冷却作業を滞りなく維持するために、いったい何人の作業員が必要で、何人まで動員できるのか。ただの作業員ではない、被曝覚悟の作業員をだ。
 こんな仕事は誰もやらない。自衛隊も早晩撤退するだろう。
 作業員を使い果たし(あるいはもうすでにそうなっているのかもしれないが)、誰も近づくことのできなくなった6つの核燃料は、温度を上昇しながら放射性物質を吐き出し続ける。そしてずっと後になってから、「実はあの日に作業員は全滅していました」と知らされるのだ。

 政府は早く避難命令を出すべきだ。まだ時間があるうちに。

退避した友人たちへ

 関東から退避した友人たちへ。
 それぞれの方法ですでに関東から出た人も多いと思う。
 連絡をください。
 私の実家はまだ余裕があるが、受け入れられるキャパは多ければ多いほどよい。
 いま協力できることなどを積極的に申し出てほしい。
 海賊研究会とシチュアシオニスト研究会の一部が、いま愛知で合宿しているので、このうちの誰かに電話またはメールをください。

追記
 16日正午、都内の電車はおおむね順調に運行している。高速バスも平常どおり。
という連絡があった。

考える前にやるべきこと

 首都圏に暮らす友人たちへ

 福島第一原発の状態は相当まずい。
 いまは放射性物質の量だとか風向きだとかを考えるべきときではない。
 そんなのは、海岸線で海を観察し津波の規模がどの程度か推量するのと同様にばかばかしいことだ。
 どうせ我々は素人で、知識も情報もメディア頼みなのだから、何をどれだけ考えても有効な結論は出せないと見切るべきだ。いまはさかしい知恵をひけらかすときではなく、自分の無能さを肯定し正しくうろたえてほしい。
 電車はたった130円で乗れる。
 駅員に見つかったら電話してくれ。

2011年3月15日火曜日

15日正午、東海道新幹線は通常どおり運行

 満席だが窓口はスムーズに流れている。
 老夫婦、子供連れ、学生が多い。
 ペットを連れている人もいる。
 ということらしい。
 
自由席は難なく乗れそうだ。

マスメディアの見識

 日本の官僚がいかにでたらめで無責任かを積極的に弾劾してきたかに見える新聞・テレビが、原子力災害という生死にかかわる事態に際して、原子力安全・保安院の発表を垂れ流しているのは、不思議だ。「客観報道」というのは、読者視聴者の客観的な判断に資する情報を提供することなのだから、原子力安全・保安院の自己主張など報道しなくてもよいのではないか。奴らの言い分を垂れ流していたら、多くの人が状況判断を誤るのではないかと心配だ。
 歴史が教えるところでは、日本の支配階級は大事なときに後手にまわり責任もとろうとしない。太平洋戦争では、制空権を失い民間人が空爆されてもグズグズグズグズ講和をしぶり、広島・長崎に原爆を落とされてから一週間後に無条件降伏(どうせ無条件降伏するならもっと早くしろよと)。そういう連中というか構造をもつ日本官僚機構に、どんな有効な情報を期待するのか。双葉町で被曝者が出た時点で、日本政府が出す避難勧告はそのタイミングにおいても範囲においても無効だったと確定しているわけで、案の定のグズグズした釈明(未曾有の、とか、想定を越える、とか)も含めて、もう何も聞く必要がないだろう。

 原子力資料情報室(CNIC)がおこなった記者会見で明言されているのだが、スリーマイル島の原発事故が何であったのかが判明したのは、事故から10年後である。どんな技術者も、現在福島第一原発で何が起きているのかわからない。それがわかるのは数年後か十数年後になるのだ。
 いまはグズ官僚が発表するウニャムニャを拝聴してる場合ではない。状況を巨視的に見て、今日、明日、明後日に可能な行動の選択肢を整理することだ。状況は半日か数時間でがらりと変わる。くどくどと言いたくないが、首都圏はすでに準被災地(今週中には完全に被災地)である。

2011年3月14日月曜日

節電を呼びかけてる場合か

  東京電力は今日から「計画停電」を実施すると発表し、節電をよびかけている。
 一般に日本人というのは大きな構図よりも小さなディテールに目を奪われがちな体質なので、電車が動かないだの携帯電話を充電しておけだのという枝葉末節の話題がテレビをにぎわしている。
 問題は、政府と自治体だ。巨大都市のライフラインが半身不随になっているというのに、なぜ住民の移動を呼びかけないのか。海岸沿いの火力発電所が麻痺し原子力発電所が水素爆発を起こしている「未曾有の事態」なのに、ほんの数日「計画停電」を実施すればやり過ごせるとでも思っているのか。電力が回復するにはそれ相応の時間がかかるとみるのが妥当だ。
 いま必要なのは、首都圏に集中する人口を解除し、徐々に移動させることだろう。まず乳幼児を抱える母子、児童、春休みに入っている大学生、年金生活者から、順次、東京からの自主的退避を促し、首都圏人口を減らすべきだ。今週、原子力災害の展開によっては物流も麻痺しはじめるだろう。東京のような過密都市で水や食料が滞るようになったら、混乱は必至だ。節電を呼びかけてる暇があったら、信号と鉄道に電力を集中し、人口移動を円滑に進めるべきだ。
 愛知でのんびりと高みの見物で言うのは気がひけるが、東京はすでに静かなパニックをおこしている。冷静に頭を働かせ、粛々と行動するべきだ。

すべての友人へ

関東圏に暮らす友人たちへ。
 大袈裟に思われるかもしれないが、愛知県での受け入れ体制はできました。
なにも持たず、来てください。
津波が予想されるとき、高台に上がるのは当然のことです。
こんなときに生きるか死ぬかというハラハラ感を味わうのは、東京電力社員と政府官僚と東芝と日立と自衛隊だけで充分です。われわれは高台に登って、事態を見守りましょう。
「大山鳴動してネズミ一匹」となれば、それはそれでよい。そうなることが望ましい。


追記
 茨城県東海村の原子力発電所で、冷却装置が止まった。
http://www.nikkansports.com/general/news/f-gn-tp0-20110314-748069.html
 福島第一のような展開になれば、確実に放射性物質を計画放出する。
 これは現実である。いま必要なのは、とりみださず、冷静に、現実を現実的に考えることだ。どうか、動いてほしい。

一年間に被曝する量

 この間ニュースに登場する「一年間に被曝する量」というのがわからない。
「一年間に被曝する量の50%(だから健康に被害はない)」というような表現。
素人考えなので間違ってたら訂正してほしいのだが、もしも一時間のあいだに「一年間に摂取するアルコール量の50%」を摂取したり、一時間のあいだに「一年間に摂取するニコチン量の50%」を摂取したら、まずいだろう。本人が大丈夫だと言っても、医者は問題視するはずだ。
 しかも、本人が自ら望んで異常な量を摂取したのならともかく、望んでもいない者に乳幼児も妊婦も関係なく、それを強いるのだ。
「健康に問題のないレベル」ってどういう言い草なのか。
たとえ死にいたらなくとも、やってることは傷害だぞ。

2011年3月13日日曜日

ところでいま東海村はどうなっているのか

福島第一に目を奪われていて、東海村を忘れていた。
福島第一のある双葉町は「震度6強」、東海村は「震度6弱」と発表されていたが、いま東海村はどうなっているのか。付近の埠頭で車が折り重なって燃えている、とか、消防車の姿がみえない、という情報までは確認できるのだが。東海村の核燃料工場にはプルトニウムがあったはずだ。
致命的な被害がないことを祈る。祈るしかできない。くそ。

誰の何のために「冷静」を強いられるのか

 首都圏でもいくつかの事業所が操業停止を決めたようだ。
 本来は経団連が危険区域の操業停止を呼びかけ避難を促すべきだが、こうした措置に東京電力は賛成しないだろう。
 問題は、原子力発電がいかにハイリスクであるかというだけではない。原発がどれだけ高いコストを支払わなければならないか、そしてそのコストのツケを誰が支払うのかという評価の問題だ。
 放射性物質の拡散に関心が向かえば、東京電力・経産省・自民党がどれだけ高い代償を我々に強いているかを(正当に)評価することになるだろう。だからこそ、テレビは無関心を装うのだ。いま、われわれの関心は、金銭の経済と骨がらみになっている。やつらのカネのために、われわれは「冷静」を強いられるのだ。

東海道新幹線は平常通りの運行

東京で事態の推移をみていた妻が、午前8時30分に自宅を出発し、11時15分に名古屋に到着した。東海道新幹線(下り)は平常どおりの運行だという。いま、埼玉に暮らす妻の母と弟夫婦が自動車でこちらに向かっている。弟夫婦の赤ちゃんもくる。道路状況は確認できないが、なんとかなるだろう。

 普段は健康にまったく気を使わない私だが、放射性物質についてはちょっと違う。子供や乳幼児の健康について、自分がこんなに慌てるとは思わなかった。
普段、タバコの害だの受動喫煙だのをネチネチと宣伝しているテレビが、ことこの件についてはまるで無頓着にみえるのが不思議だ。神経を疑う。体外被曝と体内被曝の区別もしないで、よく報道できるものだ。
 

娘にイソジンを飲ませ、愛知県に避難

12日朝の段階で、娘を愛知の実家に避難させることを決めた。
イソジンに入っているヨウ素は1ml中7mg。一日に大人14ml、子供7mlを飲む計算だ。しかしヨウ素なんて大量に飲むものではないし、イソジンは内服用ではない。飲ませたくない。
愛知の母の元に娘を連れて行った。幸い、新幹線は順調に運行していたが、名古屋に到着した時点で、福島の状況は予想以上に悪くなっていた。実家に娘を預けたら、自分は東京に戻るつもりでいたが、やめた。
福島の状況は、相当まずい。
テレビでは「冷静に冷静に」と言っているが、冷静にじっとして被曝を待てということか。いまもっとも冷静な対応は、粛々と移動を始めることだ。

2011年3月12日土曜日

福島第一原発とイソジン

福島第一原子力発電所が冷却水を循環できなくなったというニュースを聞いて、どうしようかと考えた。
原子炉容器は無傷ではすまないだろう。放射性物質が放出された場合、東京という場所は福島から遠いのか近いのか。
とりあえず薬局に行って、ヨウ素剤を買おうと思ったが、売ってないという。しかたがないのでイソジンのうがい薬を買った。イソジンを飲んで、意味があるのかないのかわからない。
ちょっとうろたえている。
イソジンも一応ヨウ素だ。ないよりはましだろう。

2011年3月11日金曜日

アンダルシ

前回に引き続き『Pirate Utopias』の翻訳。34ページ。

(34)
 サレでは、トルコのスーフィズム音楽や軍楽隊は知られていなかったが、スペインからやってくるムーア人やモリスコたちによって、アンダルシア流の音楽(イスラム化したスペインで、ペルシャ、アラブ、ムーア、イベリア、その他の音楽が、長い時間をかけて混ざり合い、ある日とつぜん北アフリカに追放されてきたもの)がもたらされた。こうした音楽は、現在でもモロッコ北部の古典音楽にみられ、アンダルシ(Andalusi)と呼ばれている。

アンダルシ(Andalusi)


これ、おもしろい。
バイオリンをレバブ(rebab)のように縦に置いてひいている。クラリネットもトルコ式ではなくヨーロッパ式。曲の終盤にテンポを上げていくのもスペインっぽい。
サレの海賊たちは、こういうハイブリッド音楽を聴いていたということか。
このへんが近代デモクラシーの起源ですよ、って言ったら、怒る人多いだろうな。

2011年3月10日木曜日

3/5海賊研報告「モロッコ戦国時代」

 3月5日の研究会は、ピータ・ランボーン・ウィルソン『Pirate Utopias』の翻訳作業だったのだが、作業が進むにつれて、じわーっと盛り上がってきた気がする。
 翻訳作業の進捗状況を整理すると、

1 海賊と人魚           (済)
2 トルコ化したキリスト教徒    (済)
3 暗殺によるデモクラシー     (5割)
4 ごろつき集団          (済)
5 チュニジアの大理石の宮殿    (少し)
6 サレのムーア人共和国       (5割)
7 ムラド・レイスとボルティモア略奪
8 コルセールの年次行動表     (5割)
9 海賊のユートピア
10 ニューヨークのムーア人海賊

 全体の約三分の一が、下訳をおえた。ゴールはまだ見えないが、なんとかやっていけそうな感触だ。
今回、みんなで集まって検討したのは、第6章「サレのムーア人共和国」。
 
 モロッコから大西洋に注ぐブー・レグレグ川の河口に、サレという街がある。川の北側がサレ、川の南側がモロッコの現在の首都ラバトである。ヨーロッパーアフリカ交易の中継点として栄えたサレ=ラバト地区は、そのなかに三つの自治都市を形成していた。
1、川の北側にもともとあった「古いサレ」
2、川の南側につくられた要塞(カスバ)地区
3、川の南側につくられた「新しいサレ」、現在のラバト
 これらの自治都市には多種多様な人種がいて、「アンダルシア人」(スペインから追われてきたムーア人)、ベルベル人、アラブ人、スーフィズム(イスラム神秘主義)の僧であるマラブーたちが入り混じっていた。サアド朝(1509〜1659)の時代とその後1668年にアラウィー朝に征服されるまで、サレ=ラバトはマラブーと海賊が取り仕切る自由都市だった。
 こうした自由都市を歴史では「無政府状態」と書くわけだが、まあそのとおりなのだが、では「無政府状態」というのはどんな状態なのかということまでは説明してくれない。「無政府状態」の一言でさらっと流されてしまう。
 ここで、サレ=ラバトの状況をイメージするために、我々が比喩として用いたのが「モロッコ戦国時代」だ。これはあくまで比喩というか、「ジェームスブラウンは日本でいえば北島三郎」というようないい加減なたとえなのであまり大声では言えないのだが、ようするにこの時期のサレ=ラバトは、日本で言えば戦国時代の大坂・和歌山みたいな状態なんじゃないか、と。堺の商人衆、一向宗を率いる本願寺派、雑賀衆や根来衆という武装集団がいて、荒木村重みたいなフラフラした人もまきこんで、「無政府状態」を維持するためにがんばっている。この地域には朝廷も織田家もなかなか手を出せない。織田軍が本願寺を包囲したら、瀬戸内の村上海賊衆がやってきてコテンパンにやられてしまう。そんな感じ? なんじゃないかなと。
 一方で、17世紀は巨大帝国の時代である。モロッコの東方ではオスマン帝国が北アフリカを併合し、モロッコに迫っている。北方では新興のポルトガルとスペインがじわじわ攻めてくる。モロッコは、オスマンとヨーロッパに挟まれた隙間のような場所で、かろうじて「無政府状態」が維持されていたということだろう。こうした背景のなかで、ムーア人とレネゲイドたちの「海賊共和国」が生まれたのだ。

 ピーター・ランボーン・ウィルソン(別名ハキム・ベイ)が、なぜモロッコに注目するのかという理由が、おぼろげながらわかってきた。まだ最後まで訳してないので厳密な話はできないが、本書『Pirate Utopias』の最終章、「ニューヨークのムーア人(A MOORISH PIRATE IN OLD NEW YORK)」は、かなり感動的だ。
 17世紀後半にサレは征服され、海賊たちは、海軍に再編されるか、サレから立ち去るかという選択に迫られる。おそらく多くのレネゲイド、ムーア人、モリスコの海賊たちが、稼ぎ場所をかえるためにサレから流出していった。その流出先の一つが北米である。
 ニューヨークがまだ「ニューヨーク」と呼ばれる以前、オランダ領ニューアムステルダムであった時代、ピーター・ランボーン・ウィルソンはその古い記録の中に、アンソニーという男の名前をみつける。アンソニーは、バーバリー海賊で有名なムラド・レイスの息子である。ムーア人海賊は、たしかに海を渡って北米にやってきていたのである。
 ここで目指されているのは、レネゲイド(背教者)/アナーキストたちの歴史であり、同時に、アメリカ合衆国の歴史的起源を覆すことである。アメリカ合衆国の建国神話、イギリス清教徒革命と「ピルグリムファーザーズ」がアメリカを建設したという神話を、海賊の歴史(海賊学)によって転覆するのだ。アメリカを創ったのはピルグリムファーザーズではない。アメリカを創ったのは、地中海を追われた海賊たちなのだ。
ピーター、やべえよ。

次回の研究会は3月19日15時〜。カフェラバンデリアに集合。

翻訳作業の中間報告

『Pirate Utopias』の第三章を訳している。32〜33ページがおもしろい。
訳したところまで掲載します。



(32)
長い間、アルジェはトルコに併合され、トルコ文化を吸収してきた。イエニチェリたちは、イスラム神秘主義ベクタシュ教団(ワインを用いた儀式を行うなど、いくぶん異端でもある教団)に属し、トルコ的シャーマニズムの特徴を示していた[Birge,1937] 。そもそも、イエニチェリ軍団の有名な行進曲は、イスラム神秘主義が発明したものだ。
 ペレ・ダン(1630年代に捕虜の買い戻しのためアルジェに渡り、名目君主制の歴史を書いた聖職者)は、1634年、コンスタンティノープルから派遣されたアブ・アル=ハッサン・アリを、新しい三年ごとのパシャであると書き留めている。

「街は、彼に敬意を表し、よく整備された2隻のガレー船を送った。
 港では500人の役人が出迎え、彼が上陸する際には、市の砦と40隻の海賊船が放つ1500の礼砲で迎えられた。
 まず、イエニチェリ高官と政府の顧問をつとめる24名のアヤバシ(Ayabashis)が、2人のドラム奏者を引き連れて行進した。ここに、巨大な羽毛でターバンを飾り立てたブルクバシ(Bulukbashis)が2人づつ組になって続き、オダバシ(Odabashis)(6人のトルコ式オーボエと、フルート、シンバルで構成されたムーア人の楽隊)が続いた。この楽隊のアンサンブルは、我々にとっては奇妙な騒音といったもので、喜びよりも強い恐怖を感じさせるものだ。最後に、平和を象徴する白のローブをまとって、新しいパシャがやってきた。
(32)

(33)
彼はすばらしいバーバリー馬に股がり、その鞍、拍車、あぶみ、手綱は、ターコイズと宝石でちりばめられていた。行列は街に入り、パシャのために用意された邸宅まで行進した。」[スペンサー,1976]

 楽隊の奏でる音楽が「我々」ヨーロッパ人にとって恐怖を感じさせる、と言及されているのが興味深い。イエニチェリの軍楽隊が初めて記録にあらわれるのはウィーン攻城戦であるが、このときキリスト教徒の兵士は、軍楽隊の音を聴いただけで恐怖に駆られ逃げだしたという。オジャックの海賊船が軍楽隊を乗せていたかどうかは興味深いところだ(アルジェのイエニチェリは敵船に乗り込み制圧するための兵士として海賊船に乗っていた)。17・18世紀にカリブ海とインド洋で活躍したヨーロッパ人海賊は、音楽が非常に好きでそのための専門の楽士を雇っていたのだが、この場合は、音楽は心理戦の兵器であ
るというよりも、むしろ音楽それ自体を楽しんでいたようだ。(註8)

(註8)
スペンサーはアルジェで聴いたさまざまな音楽について書き残している。
「アルジェの音楽は、主にオスマン帝国の軍隊から生まれた。オジャックの軍楽隊は27人の楽士で構成されていた。ダウル(davul)と呼ばれる大太鼓が8、ティンパニ[ナッカーレ ]が5、らっぱ(bugles)が10、トランペットが2、そしてシンバルが2である。音楽はリズムを強調したスタイルで、オスマン帝国軍の力と華麗さを誇示するものとして、軍楽隊(メフテルmehter)とイエニチェリ軍団によって広められた。もう一つのタイプは、スペインを追われたモリスコによってもたらされたもので、ラウド、タール、レバブ[2弦のバイオリン]や、ネイ[アナトリアのメヴレヴィー教徒が使う半音階の葦笛]といった、東洋の楽器で構成されていた。この頃、アルジェのカフェでは20〜30人のアンダルシア人の楽隊を聴くことができた。
 During the period of the Regency,Andalusian orchestras of twenty or thirty persons could often be heard in Algerian cafes,"playing all by ear,and hastening to pass the time quickly from one measure to another,yet all the while with the greatest uniformity and exactness,during a whole night", as Renaudot tells us.」

ベクタシュ教団

ダウル(davul)

ナッカーレ(nakkare)

bugles

ラウド('oud)

タール(tar)

レバブ(rebab)

ネイ(ney)

メヴレヴィー教徒(Mevlevi)


メフテル(mehter)



第3章は、オスマンやバーバリー地域についていろいろ調べながらやらなきゃいけない。いまわからなくて困っているのは、

Ayabashis
Bulukbashis
Odabashis

の3つ。調べても全然でてこない。調べ方が足りないのだろうが、まあ困ってる。ヘルプミーだ。





おまけ(00年代、反グローバリゼーション運動の一画にあらわれた楽隊)

2011年3月7日月曜日

ところで相撲の八百長っていけないのか?

 スポーツ報道やスポーツファンというのは一般平均以上にバカが多いと私は思っているのだが、最近まったく不愉快でならないのは、相撲の八百長を糾弾するバカだ。
 力士が連絡を取り合って勝敗を融通することの、なにがいけないのか。
さっぱり意味がわからない。
これが競馬や競艇で八百長をしているというのだったら、まあ、カネをスッて恨みをもつのはわかる。しかし、相撲だろ? 相撲は賭け事じゃないってことになってるわけで。まあ実際には相撲で賭博をやってるから怒ってるってことなんだろうが、そういうこと、堂々と言うなよ。ていうか、ついこのまえ力士たちの野球賭博を糾弾した舌の根も乾かないうちに、相撲の八百長を許せない(俺たちがやってる相撲賭博はOK)って、どういう神経なのか。
 あと、いちおう忘れてる人のためにいうが、相撲は格闘技だからね。あんな重量級のおそろしい格闘技に対して「真剣にガチンコでやれ」っていう要求は、ものすごく野蛮な話だからね。古代ギリシャの剣闘奴隷みたいな娯楽を求めてるんだったら、現代日本ではそういうの禁止してますから、どこかよその時代に出てってください。力士はおまえらの奴隷じゃない。あーむかつく。

追記
 つまるところ、相撲やプロレスに対して「八百長」だのなんだの言う奴ってのは、力についての理解が幼稚なのだと思う。力というのは、勝敗の結果ではない。競技は勝敗がすべてだと言うのならそれは、勉強は偏差値がすべてだと言うのとおなじぐらい貧しいことだ。幼稚な人間のためにわざわざ言うが、力というのはそんなことではない。嘘だと思ったら大学の先生に聞いて見ればいい。「勉強は試験がすべて」「大学は就職率がすべて」なんていう大学人はいません。相対的な優劣がどうのこうのというあさましい話ではなくて、力の絶対性というものがある。カラダつきがすげえとか、汗の量がハンパねえとか、教授の話してることが一言もわからないとか、そういう圧倒的な力に触れて人間は突き動かされるのだ。力を理解しない奴がよけいなチャチャをいれてしらけさせんな。じゃまだ。

板橋の「賊」へ。

 東京・板橋区で、警察官7人が1人の男を「制圧」して、殺した。
 死んだ男の容疑は「自動販売機荒らし」。被害額は不明。男が逃走したので取り押さえ、足首を結束バンドで締めた、容態が悪化したので病院に搬送した、と警察は報告している。
 現場で何があったのかは、まだはっきりわからない。きちんとした解剖が為されるかどうかも現在の時点ではわからない。
 ただ、警察にありそうなこととして予想できるのは、「制圧」、容態の変化、救急車の要請、病院搬送まで、そうとう時間がかかっただろうということだ。こうした現場では、警察官は必要な応急措置をとらない。ただ無線をいじるだけだ。大の大人が7人もいて腕をこまねいているのかと思われるかもしれないが、7人もいるからこそ彼らはゆったりと傍観する。1時間でも2時間でも放置する。そうしたネグレクトが常態化したなかで、死ぬべきでない人間が死んだのだ。

 警察に近しい場所に置かれた人間は、権力の言う「民主主義体制」がどれほど酷薄であるかを知る。
こうした場面では、兄弟愛(友愛)は机上の理想論ではなくて、実際に身を護るために必要な技法である。
近代国家が「官」と「賊」を分けたとき、また日々それを分けるとき、「賊」とされた者たちはなんらかの「兄弟」を構成する必要に駆られる。それが悪党であれ異端の教義であれ、国家暴力に剥き出しでさらされないためには、兄弟愛が要る。強い兄弟、強くなるための兄弟が。「自由・平等・兄弟愛」という理念は、人間が国家暴力とわたりあうための、民衆暴力の思想だ。
 現代の腐った「民主主義体制」に挽き潰されないために、私たちはもっともっと人権意識を振りかざし、声をあげるべきだ。仲間を殺された板橋の「賊」の諸君には、ぜひ警察に一矢報いてほしい。必要なら弁護士を紹介する。カネは心配しなくていい。なんとかなる。

2011年3月4日金曜日

翻訳って疲れる。

明日、3月5日(土)は、海賊研究会ですよー。
あー頭が疲れたよー。すすまなーい。担当分がまだ終わらなーい。
とりあえずいまできてるところまでアップしまーす。
もうちょっと訳してからメーリングリストにも流しまーす。

ピラテユートピアス、第三章。


ーーーーーーーーーーーーーー
(27)
第三章 暗殺による民主主義

チュニス、トリポリ、とりわけアルジェは、サレよりもずっと多く研究されてきた。地中海岸の諸国については、膨大な文献が簡単に探し出せるだろうし、それほど時間を費やすこともなく詳細を知ることができるだろう。海賊の歴史書のほとんどは、アルジェについて書いているし、その歴史に多くをさいている。
 サレ(ヨーロッパから遠くあまり注目されなかった)は、単によく知られていなかったのだが、その政治的独立は私たちの興味をひく。そして、サレは私たちがこれから知る必要のある大きな構図の一部なのである。
ブリタニカ百科事典(1953年版)には(このバーバリー海賊の項目ではサレは言及されていないが)こう書かれている。

 「北アフリカ沿岸の海賊勢力は、16世紀に増加し、17世紀には頂点に達し、18世紀全体を通じて徐々に減っていき、19世紀には消滅した。アルジェリアとチュニジアの
(27)

(28)
沿岸都市は、1659年以来、トルコ帝国の一部ということになっていたが、実際には、「無政府的」(anarchical)武装集団が支配し、略奪によって暮らしていた。略奪事業は複数の船長に指揮され、彼らは官位を持ち行政組織すら形成した。
船は、資本家によって用意され、船長に指揮された。
パシャ(オスマンの高官)か、それにかわる者ーアーガ(軍司令官)か、デイ(アルジェ大守)か、ベイ(地方長官)ーは、獲得した利益の10%を受け取っていた。(中略)
17世紀まで、海賊たちはガレー船を使っていたが、フランドル人のレネゲイド、サイモン・ダンサーが帆船の利点を教えた。17世紀の前半世紀にアルジェだけで2万人を超える人質を捕獲した。金のある者は身請けして解放されたが、貧しい者は奴隷にされた。
多くの場合、イスラム教への改宗によって自由になることは認められなかった。
19世紀の初め、トリポリタニアは、アメリカ合衆国との戦争によって、海賊行為のつけを払わされる。1815年の講和のあと、イギリスはアルジェリア海賊の鎮圧を試みたが、結局それはフランスがアルジェリアを占領する1830年まで続いた。」
(28)

(29)
 イスラム教が「モハンマダニズム」と呼ばれていることに注意しよう。
海賊的「モハンマダンズ」は「多くの場合」改宗を認めなかった。論理的に推論すると、いくつかの場合は認められたということだ。しかし、そんな推論は避けられているし、「モハンマダンズ」と海賊はもっぱら否定的にしか語られない。
 ここでは、あまり適切とは言えないしかたで、「無政府的」と「資本家」という二つの興味深い政治的用語が使われている。
「資本家」という言葉は、18世紀から19世紀に私掠船国家の経済を沸かせた貿易船とその船主である船長たちを説明している。さらに、ここで「無政府的」というとき、これはただたんに「無法状態」を指すために使っていると思われる。
 アルジェはオスマン帝国に属していて、言葉の厳密な意味で、無政府的な組織に達することはなかった。「無政府状態」で満たされていたとき、なんらかの継続的で安定的な内政がなければ、アルジェが「私掠船国家」としてあり続けることができただろうか。
 以前のヨーロッパ中心の歴史家と扇情的な書き手たちが海賊について書くとき、アルジェとは、ひっきりなしに興奮したどん欲な集団の国である。最近の狂信的でない学者(ウィリアムスペンサーのような)は、アルジェの安定性を強調し、持続的な成立を可能にした理由を探求する傾向が強い。北アフリカに適用される「無政府的」という用語に対する疑似道徳主義の恐怖は、歴史家たちがしばしば18世紀から19世紀にかけてのヨーロッパの帝国主義と植民地主義(真に恐ろしい強奪)を正当化するという隠れた傾向を示している。
 もしアルジェが掃き溜めと見なされるのなら、それは、ヨーロッパに始まりアフリカと他の植民地に拡大する「文明化」なるものを信仰するかぎりにおいてそうなのだ。
(29)

(30)
したがって、たんなる「無法者」ムーア人の海賊行為に対して、ヨーロッパの白人クリスチャンのえせ合理主義者や護教論者によって書かれた海賊の歴史の多くは、再検証する必要がある。
 実際は、アルジェの政府は無政府的、無政府主義的で、思いがけない方法で奇妙な民主主義を形成したのだ。
 ヨーロッパが絶対主義にじわじわと圧倒されていく時代、非ヨーロッパ諸国のアルジェは、より「水平的」で平等主義的な社会構造を示していた。アルジェはトルコ帝国の支配に従属していたが、しかし都市国家の実際の施政はイエニチェリの軍人と有力な海賊によって運営され、ときには、スルタンの命令を伝える代理人をイスタンブールに追い返していた。
 アルジェ、チュニス、トリポリの名目君主制(regency)と保護領の広がりは、それらが外国人によって担われていたのだということ、そしてそれは擬似的な植民地と呼ぶべきものだったのかもしれないという確信にいたる。アルジェでは、オジャック(Ocak)やイエニチェリ(近衛歩兵軍団)は、土着の者(ムーア人、アラブ人、ベルベル人)ではなく、「トルコ人」と括られる者たちによって統制されていた。しかしさらに複雑なことに、イエニチェリ軍団は、
(30)

(31)
アナトリア人でないばかりか、生まれながらのムスリムですらなく、このスルタンの奴隷は、アルバニアのようなオスマン帝国の辺境で「少年税」の名目で徴発された子供たちだった。彼らは訓練され、イスラム教に改宗し、初めはオスマンの近衛兵として使用された。アルジェの名目君主制(regency)を担ったバルバロッサ兄弟は、おそらくアルバニアか、ギリシャの島嶼部から連れてこられたのだ。彼らはアルジェの兵団にアナトリア人の新兵を迎える許可を得ていたが、ほぼヨーロッパ人のレネゲイド(改宗者)で占められていたことは疑いない。
 オジャック(ocak)は、マルタ島の聖ヨハネ騎士団のように、十字軍遠征によって生まれた独立軍団である。オジャックには北アフリカ出身の兵士はいない。イエニチェリの兵士が土着の娘と結婚して子供をもうけた場合、その子供はオジャックに入団することはできないことになっていた(混血児の兵士が幾度か叛乱を起こしたことがあるが)。土着のアルジェリア人は海賊と同様に地位と権力を得ていたが、軍の管理者になることはできなかったのである。
 19世紀最後のアルジェリア海賊であるハミダ・レイスは、純粋なベルベル人だった。しかし、彼のような存在はアルジェでは例外であった。多くの場合、オジャックの「民主主義」はアルジェリア人を除外していたし、さらにはオジャックが「トルコ」から独立してあろうとするために、彼らはアルジェリア人を監視していた。これが一種の植民地であったとして、それでも彼らは(のちのフランス統治時代とは違って)この土地を母国としていた。そしてこの「トルコ人」は、19世紀のどんな植民者たちよりも、現地人に近かった。ムーア人やベルベル人がどれほど「トルコ人」を嫌っていても、スペインやフランスの艦隊が迫ったときには、彼らは力を合わせた。
 アルジェの体制をサレと比較してみたい。おそらくその一部はサレに似せてつくられている。しかし、アルジェとオスマン帝国の結びつきを考慮すると、
(31)

(32)
この比較はあまり得るものがないだろう。長い間、アルジェはトルコ文化に併合されてきた。




(33)未訳
(34)未訳
(35)未訳
(36)未訳

(37)


 ディバンと同格のものとして、タイフ(船長評議会)があった。残念ながら、海賊たちは官僚でなかったし記録を残す術もなかったので、ディバンだけがよく知られている。
タイフはよく中世のギルドと比較されるが、それが見落としているのは、この海賊たちの原=労働組合が、統治権力の事実上の上部組織であったという事実である。ディバンとタイフは権力を争って競合したり衝突したりしながら、どちらかが離反するような危険は冒さないという関係であった。海賊は、政治的保護・資金・紋章(menat-arms)の供給をオジャックに依存していた。ディバンは、海賊がもたらす戦利品と身代金で繁栄し、海賊経済に多くを支えられていたから、タイフが必要であった。タイフ制度についてはほとんどわかっていないのが残念なのだが、どうやらサレのディバンは、アルジェのタイフ制度(というよりもオジャックのディバン制度)を基にしているようだ。オジャックと異なるのは、上部組織の縛りが明らかに働いていないということだ。サレの船長は、純粋な功績か、海賊が呼ぶような「運の良さ」で、一隻か二隻の船を分捕った船長だった。ハミダ・レイスのような卑しい水夫たちは、出自や人種に関わらず誰もが、いつか自分の艦隊を率いることを望むことができた。
(37)

(38)
そしてサレのタイフは、問題解決とリーダーの選出に際して、民主的な投票を行ったのである。
 概観してみると、16世紀から17世紀にかけて、アルジェリア人が行ったディバンとタイフという「二院制」の形式は、アメリカとフランスの共和制の先駆とみなすことができて(それは一世紀も離れていない)、サレの真の共和制は、イギリス清教徒革命(1640年〜50年代)後の保護国/連邦構造にも先行しているのである。
 奇妙な考えかもしれないが、ヨーロッパのデモクラシーは、海賊たちに直接に負うものがあるのではないだろうか。もちろんバーバリーの海賊たちは野蛮人であったのだが、しかし誰もはっきりと認めることはなかったが、レディカーが指摘するように、水夫たちは17世紀のプロレタリアートであり、船から船へと往来する人々のなかに(イギリスは1637年にサレに船団を派遣している)、海賊とレネゲイドたちの自由のささやきを聞くことができるかもしれないのだ。
(38)
(第3章ここまで)