愛知県への退避は一時的なものであってほしかったが、そうはいかないようだ。
東京の水道水と近郊の野菜から放射性物質が検出された。福島第一はまだしばらく噴気をあげ続けるから、事態は日を追うごとに悪くなっていくだろう。とても子供を育てられる環境ではない。10日ほど後には子供を学校に行かせなくてはならない。新年度から、こちらの学校に転校させることを決めた。
いま避難している春日井市は、名古屋市に隣接するベッドタウンだ。私が育ったころは田んぼと工場と砂利道ばかりだったが、最近は若い家族向けのマンションや戸建がつくられ、大きなスーパーやホームセンターやドラッグストアができている。ここにずっと身をおくかどうかはわからないが、当面の生活は苦労しないだろう。
この街で車を走らせていると、多摩ナンバーや春日部ナンバーの車を見かけることがある。私たちと同じように首都圏から避難してきたのだろう。あるいは父親だけを首都圏に残し、逆単身赴任の状態なのかもしれない。
この子供たちはいま、土地を失った悲しみと新しい土地への不安を感じている。しかしそうした感情も一時的なものだ。学校が始まれば、子供たちはいろいろなことを忘れていくだろう。
彼らは東京という街があったことを忘れ、我々の世代が予感したものとは別の未来を生きる。この無邪気でふてぶてしい「神的暴力」(摂理の暴力)が、いま私が確信できる唯一の力だ。