3月5日の研究会は、ピータ・ランボーン・ウィルソン『Pirate Utopias』の翻訳作業だったのだが、作業が進むにつれて、じわーっと盛り上がってきた気がする。
翻訳作業の進捗状況を整理すると、
1 海賊と人魚 (済)
2 トルコ化したキリスト教徒 (済)
3 暗殺によるデモクラシー (5割)
4 ごろつき集団 (済)
5 チュニジアの大理石の宮殿 (少し)
6 サレのムーア人共和国 (5割)
7 ムラド・レイスとボルティモア略奪
8 コルセールの年次行動表 (5割)
9 海賊のユートピア
10 ニューヨークのムーア人海賊
全体の約三分の一が、下訳をおえた。ゴールはまだ見えないが、なんとかやっていけそうな感触だ。
今回、みんなで集まって検討したのは、第6章「サレのムーア人共和国」。
モロッコから大西洋に注ぐブー・レグレグ川の河口に、サレという街がある。川の北側がサレ、川の南側がモロッコの現在の首都ラバトである。ヨーロッパーアフリカ交易の中継点として栄えたサレ=ラバト地区は、そのなかに三つの自治都市を形成していた。
1、川の北側にもともとあった「古いサレ」
2、川の南側につくられた要塞(カスバ)地区
3、川の南側につくられた「新しいサレ」、現在のラバト
これらの自治都市には多種多様な人種がいて、「アンダルシア人」(スペインから追われてきたムーア人)、ベルベル人、アラブ人、スーフィズム(イスラム神秘主義)の僧であるマラブーたちが入り混じっていた。サアド朝(1509〜1659)の時代とその後1668年にアラウィー朝に征服されるまで、サレ=ラバトはマラブーと海賊が取り仕切る自由都市だった。
こうした自由都市を歴史では「無政府状態」と書くわけだが、まあそのとおりなのだが、では「無政府状態」というのはどんな状態なのかということまでは説明してくれない。「無政府状態」の一言でさらっと流されてしまう。
ここで、サレ=ラバトの状況をイメージするために、我々が比喩として用いたのが「モロッコ戦国時代」だ。これはあくまで比喩というか、「ジェームスブラウンは日本でいえば北島三郎」というようないい加減なたとえなのであまり大声では言えないのだが、ようするにこの時期のサレ=ラバトは、日本で言えば戦国時代の大坂・和歌山みたいな状態なんじゃないか、と。堺の商人衆、一向宗を率いる本願寺派、雑賀衆や根来衆という武装集団がいて、荒木村重みたいなフラフラした人もまきこんで、「無政府状態」を維持するためにがんばっている。この地域には朝廷も織田家もなかなか手を出せない。織田軍が本願寺を包囲したら、瀬戸内の村上海賊衆がやってきてコテンパンにやられてしまう。そんな感じ? なんじゃないかなと。
一方で、17世紀は巨大帝国の時代である。モロッコの東方ではオスマン帝国が北アフリカを併合し、モロッコに迫っている。北方では新興のポルトガルとスペインがじわじわ攻めてくる。モロッコは、オスマンとヨーロッパに挟まれた隙間のような場所で、かろうじて「無政府状態」が維持されていたということだろう。こうした背景のなかで、ムーア人とレネゲイドたちの「海賊共和国」が生まれたのだ。
ピーター・ランボーン・ウィルソン(別名ハキム・ベイ)が、なぜモロッコに注目するのかという理由が、おぼろげながらわかってきた。まだ最後まで訳してないので厳密な話はできないが、本書『Pirate Utopias』の最終章、「ニューヨークのムーア人(A MOORISH PIRATE IN OLD NEW YORK)」は、かなり感動的だ。
17世紀後半にサレは征服され、海賊たちは、海軍に再編されるか、サレから立ち去るかという選択に迫られる。おそらく多くのレネゲイド、ムーア人、モリスコの海賊たちが、稼ぎ場所をかえるためにサレから流出していった。その流出先の一つが北米である。
ニューヨークがまだ「ニューヨーク」と呼ばれる以前、オランダ領ニューアムステルダムであった時代、ピーター・ランボーン・ウィルソンはその古い記録の中に、アンソニーという男の名前をみつける。アンソニーは、バーバリー海賊で有名なムラド・レイスの息子である。ムーア人海賊は、たしかに海を渡って北米にやってきていたのである。
ここで目指されているのは、レネゲイド(背教者)/アナーキストたちの歴史であり、同時に、アメリカ合衆国の歴史的起源を覆すことである。アメリカ合衆国の建国神話、イギリス清教徒革命と「ピルグリムファーザーズ」がアメリカを建設したという神話を、海賊の歴史(海賊学)によって転覆するのだ。アメリカを創ったのはピルグリムファーザーズではない。アメリカを創ったのは、地中海を追われた海賊たちなのだ。
ピーター、やべえよ。
次回の研究会は3月19日15時〜。カフェラバンデリアに集合。