2015年9月27日日曜日

なぜ逮捕された者が中傷されるのか



 国会前で逮捕拘束された13名が、全員釈放されたという連絡を受けた。
 よかった。がんばったみなさん、おつかれさま。



 反戦派の若い人たちが、今回の救援活動を懸命に取り組んだのは良いとして、そのことに私はまったく口出しをすることはないのだが、他方で、みっともない振る舞いをする不良分子が少なからずいるということなので、ここにひとつ文章を書いておく。
 今回逮捕された人々に対して、「彼らは過激派だ」とか、「逮捕されたがっている人たちだ」とか、そういう中傷はやめろ。そういう根拠のない流言によって、誰が得をして、誰が損をするのか、よくよく考えなさい。
 被逮捕者が中傷されることで得をするのは、もちろん警察だ。反戦運動に対する暴力的な圧迫を追認する人間が、反戦運動の内部に存在するということは、警察にとっては大助かりである。
 このことで損をするのは、中傷をした人間自身である。中傷された者が傷つくのではない。中傷した者が、格を下げることになる。いいだろう。他人を中傷することで自分の点数が上がるというのは、会社や政治結社の内部政治では通用する公式なのかもしれない。しかし、大衆運動のなかで他人を中傷することは、まったく反対の効果を生む。他人を中傷することは、自分の弱さをさらけ出すことだ。それはテンパっているということだ。経験の少ない学生たちが留置場で歯を食いしばって闘っているときに、ロートルがテンパってどうするのだ。そんな器の小さい人間に誰が付いていくというのか。みっともない真似をするなというのだ。

 さて、「格」とか「器」とか、少々わかりにくい表現をしたので説明する。
 警察と対峙する救援活動は、政治的実践である前に、経済的実践である。それは最初から最後までカネと労力を必要とする。まず弁護士費用がかかる。留置場と裁判所を行ったり来たりするために、自分の仕事を休んでも働かなければならない。交通費や通信費も意外にかかる。勾留が長期化すれば被逮捕者は仕事を失うかもしれないし、その期間の家賃もなんとかしなければならない。誰かが警察に持っていかれるということは、その日から救援資金をかき集め、仕事を休んでただで動いてくれる仲間を集めなければならないということだ。そんな仕事は誰も引き受けたくないのだ。誰かがやってくれたらいいなと、みんな思うのだ。救援活動とは、誰かがやらなければならないが誰もやりたがらないシャドウワークであり、アンペイドワークである。
 シャドウワークはシャドウワークであるがゆえに、中傷されることになる。ここにはもうひとつ経済的な力学が働いている。
シャドウワークは固有の喜びを伴った労働であるが、それを担わないでいる人間にとってはめんどうな尻拭いにしか見えない。目先の損得しか考えない打算的な人間にとっては、誰かに押し付けてすませたい労働だ。彼は休日や仕事帰りに集まって、笛を吹いたり太鼓をたたいたりということだけをしていたい。警察のバリケードを突破して路上に広がって集会をしたい。トランジスタメガホンを握ってかっこいい主張をしたい。しかし、その結果生じた弾圧については、引き受けたくないのだ。
 こうした態度が無責任であると指摘されないためには、彼は弾圧された当事者に責任を転嫁するしかない。自分が救援のシャドウワークを担わないですませているのは、自分には責任がないからだと言わなくてはならない。逮捕された者の自己責任だ、ということにしなければならない。だから彼は被逮捕者を中傷するのだ。彼は被逮捕者を中傷することで、自分以外の誰かに救援活動を押し付けていることを正当化するのである。
 これはとてもありふれたやりかただ。うまくいった成果は自分の手柄、うまくいかないことは他人の責任。そういうケチな生きかたをする人間はいる。それが格下ということだ。器が小さいということだ。


 日本共産党の木下ちがやというのが、国会前の行動で「警察対応」をやっているらしい。とうに東京を離れた私の耳にも、やつの苦情はたくさん届いている。あいつを調子づかせてしまった原因の一端は、私にもある。2008年の北海道・洞爺湖サミットの反対行動で、木下をリーガルチームに入れてしまったのだ。そのときから木下は「リーガルチーム」風を吹かせるようになったようだが、いまきちんと証言しておくのだが、木下は反サミット行動の救援でケツをまくっている。札幌で逮捕された人たちの救援を、木下はやっていない。最後の一人が釈放されるまで札幌に残って働いたのは、菰田、仲田、栗原、noiz、平沢、私、そして地元の「自由学校・遊」と北大の人たちだ。あのとき「リーガルチーム」木下ちがやは、いつの間にかいなくなっていた。まったくなさけないやつだ。
木下には警察と対決する根性がない。
腹が据わっていない。
だから彼の書く文章には深みがないのだ。










追記

 大事なことを書き忘れた。
 私は反戦運動を支持しているが、国会前の行動はまったく支持していない。
 とくに、若者が東京の路上で座り込むというような行動は、ダメだ。
 放射線被曝は距離の二乗に反比例するから、地面に腰を下ろすということは、その分だけ多くのベータ線を人体に撃ち込まれるということである。泌尿器・生殖器がやられる。

 もう国会前の攻防は一段落したのだから、東京を引き揚げて、北海道か名古屋以西に退避してほしい。