2022年9月20日火曜日

コスパとか言って喜んでいる奴は死ね

 

安倍晋三・昭恵夫妻に子どもがいたら、ここまでひどい話にはなっていなかっただろう。

ひどい話というのは、安倍の国葬をめぐる議論である。 

国葬賛成派は、国葬が外交の機会になるからやるべきだ、とか、外交政治として「コスパがいい」(費用対効果がいい)などと、堂々と言っていた。

政治家の死があるていど政治利用されるということは誰もが想定している話なのではあるが、ここまであからさまに、あっけらかんと、「コスパがいい」などと言われてしまうと、安倍晋三と遺族が気の毒になる。死者への敬意などみじんも感じられない、純粋に政治の具材にされている。

安倍晋三本人については、生前から具材然とした人間だったので、まあ当然の報いだとして、気の毒なのは昭恵夫人である。夫の死を「コスパ」扱いされるという侮辱を受けても、彼女は頭が弱いので沈黙するしかない。仮に子どもがいれば、子どもの将来と名誉のために奮起するだろうが、残念ながらそれもない。

昭恵には、なにもない。

刈り取り放題である。

まるで残酷な見世物だ。

 

 

 

2022年9月9日金曜日

ペペさんとまったり反戦トーク

 

だめ連のペペ長谷川氏が名古屋に滞在しているということで、中村区の後藤宅におじゃまして、じっくりまったりとトークをしてきた。

 

 ウクライナ戦争の評価について、東京の運動圏の議論はどうなっているかを聞こうとしたのだが、あまりはかばかしくないとのこと。反戦運動はおろか、戦争をめぐる議論すら充分にできていない状態だという。

おそらくこの現象は日本だけではなく、西欧でもそうだ、とペペさんは言う。北米ではまったく関心をもたれていないとも伝え聞いた、と。

 

日本も含め「西側世界」の言論は、戦時下の様相である。冷静な分析も自由な議論もできないでいる。分析を試みて口を開けば、単細胞のにわか反戦派が「それはプーチン擁護だ」「ロシア派の視点だ」とカラんでくる。ウクライナ革命政権の正当性に疑念をさし挟もうものなら、全力で議論を阻止してくる。ロシアの軍事作戦を非難することだけが正義だと考えているかのようだ。平板で抑圧的な道徳的反戦派が、戦争をめぐる議論を不自由にしている。

この状況はまるで80年前の日中・太平洋戦争のころと変わらない。

戦時下とは、単細胞の正義漢におびえて必要な議論が自粛され、または封殺される状況なのだ。

 

 

私たちの第一の課題とすべきは、自由な議論を回復させることだ。

戦争はウクライナだけで戦われているのではない。ロシアでもウクライナでもなく、いま私たちが日本で経験している抑圧的で不自由な言論状況を自覚し、それを克服すべき課題としよう。

今後はペペさんにならって、ウクライナ戦争の話をしようと思う。 

 

2022年9月2日金曜日

山上徹也氏のなにが素晴らしいのか

 

運動の事務局作業に追われているが、今週末は完全にオフにすると決めた。休む。

 

 2ケ月前に起きた山上徹也氏の銃撃事件以来、みんな表情が明るくなったように思う。もういい大人だから声をあげてはしゃいだりはしないが、体の奥底から活力が湧いてきている。山上さんありがとう、と言いたい。

 

 山上氏の闘いは、政治的な文法に媒介されない私闘(私戦)であった。

この私闘は、驚くほどすんなりと人々に受け入れられ、社会秩序にかんする私たちの感情を逆なでしなかった。いや逆なでしなかったばかりでなく、反対に、社会秩序の回復を願う多くの人々に希望を与えることになった。

彼は、政治的な意図も表現もいっさい含ませることなく、純粋な復讐として闘いを遂行したのだが、そのことがかえって、人々が共感する普遍的な義を表現することになったのだ。

 

 社会運動にたずさわる活動家の多くが山上氏に共感しているのは、この点である。右翼は混乱して肝心の部分を見逃しているのだが、私たち「左翼」が山上氏に共感するのは、政治的に敵対する安倍を倒してくれたから、ではない。問題は政治の左右ではない。私たちが共感しているのは、山上氏が政治的なお題目を振りかざすのではなく、むしろ政治的言語を排して、私闘をやりきったという点である。彼の反政治的姿勢が、社会運動の根本原理と共振しているのである。

 

 たとえば私が、原発事故の賠償請求訴訟に関わって裁判支援運動に力を注いでいるのは、私が経産省と東京電力に対する報復感情を持ち続けているからだ。こういう人間は特殊な例ではない。たくさん存在している。数えきれないほどいる。社会運動というものは、その起点と核心に私闘的性格を含んでいるのである。

山上氏が放った銃声は、そのことを想い起させてくれた。

私が反原発運動に加わるのは、日本のエネルギー政策がどうのこうのという政策の議論がしたいからではない。経産省の役人を土下座させて詫びをいれさせるために、闘っているのだ。