2011年3月7日月曜日

ところで相撲の八百長っていけないのか?

 スポーツ報道やスポーツファンというのは一般平均以上にバカが多いと私は思っているのだが、最近まったく不愉快でならないのは、相撲の八百長を糾弾するバカだ。
 力士が連絡を取り合って勝敗を融通することの、なにがいけないのか。
さっぱり意味がわからない。
これが競馬や競艇で八百長をしているというのだったら、まあ、カネをスッて恨みをもつのはわかる。しかし、相撲だろ? 相撲は賭け事じゃないってことになってるわけで。まあ実際には相撲で賭博をやってるから怒ってるってことなんだろうが、そういうこと、堂々と言うなよ。ていうか、ついこのまえ力士たちの野球賭博を糾弾した舌の根も乾かないうちに、相撲の八百長を許せない(俺たちがやってる相撲賭博はOK)って、どういう神経なのか。
 あと、いちおう忘れてる人のためにいうが、相撲は格闘技だからね。あんな重量級のおそろしい格闘技に対して「真剣にガチンコでやれ」っていう要求は、ものすごく野蛮な話だからね。古代ギリシャの剣闘奴隷みたいな娯楽を求めてるんだったら、現代日本ではそういうの禁止してますから、どこかよその時代に出てってください。力士はおまえらの奴隷じゃない。あーむかつく。

追記
 つまるところ、相撲やプロレスに対して「八百長」だのなんだの言う奴ってのは、力についての理解が幼稚なのだと思う。力というのは、勝敗の結果ではない。競技は勝敗がすべてだと言うのならそれは、勉強は偏差値がすべてだと言うのとおなじぐらい貧しいことだ。幼稚な人間のためにわざわざ言うが、力というのはそんなことではない。嘘だと思ったら大学の先生に聞いて見ればいい。「勉強は試験がすべて」「大学は就職率がすべて」なんていう大学人はいません。相対的な優劣がどうのこうのというあさましい話ではなくて、力の絶対性というものがある。カラダつきがすげえとか、汗の量がハンパねえとか、教授の話してることが一言もわからないとか、そういう圧倒的な力に触れて人間は突き動かされるのだ。力を理解しない奴がよけいなチャチャをいれてしらけさせんな。じゃまだ。