2014年3月13日木曜日

『インパクション』誌次号で大友良英を批判します



 次号の『インパクション』誌で大友良英を批判します。
 矢部史郎+山の手緑の共同名義で、「シジフォスたちの陶酔 ――PROJECT FUKUSHIMA!」を批判する」という文章を出しました。
 「PROJECT FUKUSHIMA!」というのは、福島市で文化活動をしているちょっと気持ち悪い団体で、この活動で文部科学大臣賞を受賞しています。NHKもこれを応援しているようで、朝の連続テレビドラマ「あまちゃん」のテーマ曲を、大友良英に作曲させています。「復興」政策・被曝受忍政策の大きな構図のなかで、実は「エートス」よりもこいつらの方が影響力が大きく、病も深いと思っています。「エートス」が福島県民を対象にして福島県民をまきこんでいるのにたいして、「PROJECT FUKUSHIMA!」は全国を対象にしていて、全国の(とくに東京の)人々を巻き込んでいるからです。

 これから我々の書いた「シジフォスたちの陶酔」の一部を掲載します。前フリの部分だけ。全文をここに掲載すると、『インパクション』誌との仁義を欠いてしまうので、立ち読み程度に、ちら見せです。ようは宣伝です。ゲラの前段階の生原稿。しかも、ぶつぎり。
全文を読みたい方は、次号の『インパクション』を買って読んでください。4月10日発売。
以下、本文です。

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シジフォスたちの陶酔 ――Project FUKUSHIMA!」を批判する
矢部史郎+山の手緑

「スペクタクルは、社会そのものとして、同時に社会の一部として、そしてさらには社会の統合の道具として、その姿を現す。社会の一部として、それは、あらゆる眼差しとあらゆる意識をこれ見よがしに集中する部門である。この部門は、それが分離されているというまさにその事実によって、眼差しの濫用と虚偽意識の場となる……」(G・ドゥボール)(1


 我々がこれから試みるのは、東京電力・福島第一原発公害事件(以下、東電公害事件と略す)以降にあらわれた権力と翼賛の形式を描き出すことである。
 東電公害事件は、日本、ロシア、北米に放射性物質を拡散させた。日本だけに限定しても、放射性降下物の被害で4千万人、物品を通じた二次拡散で1億3千万人の人口を呑み込む大規模公害事件である。
 この事態に際して、日本政府は放射線防護対策を放棄した。人々に汚染被害の受忍を要求する被曝受忍政策にでたのである。日本に暮らす人々は、被曝防護か被曝受忍かをめぐって分裂した。防護派は東日本から退避・移住し、放射性物質の二次拡散を監視している。たいして受忍派は、汚染被害を忘れようとしている。こうした大きな分裂を背景にして、被曝を受忍させる権力とその翼賛が形成されている。忘却、無関心、権威主義、議論のはぐらかし、結論の先延ばしが、生活の一般的規則として上昇する。
 シジフォスは、ギリシャ神話に描かれた永遠の囚人である。ゼウスの怒りを買ったシジフォスは、山上に大きな岩を運びあげる作業を課せられる。この作業に終わりはなく、彼はこの無益な仕事を永遠に繰り返さなくてはならない。
 汚染地域に生きることは、シジフォスの時間を生きることだ。除去できない汚染のなかで、「復興」という掛け声が繰り返される。具体性を欠いた空論が、具体性を欠いているがゆえに、あきれるほど自由に喧伝されている。人々に課せられた「復興」は本当に実現可能なのか、「復興」の最終目標はどこか、そもそも誰の何のための「復興」なのか、詰めきれていない問題が山積している。それらがなにも明確にされないまま、ただ国民的団結が要求されているのである。
 解決可能な問題を先延ばしにし、出口のない偽の課題に向かわせているのは、政府の被曝受忍政策とそれへの翼賛である。東京は被曝を受忍するシジフォスたちの都市になった。そこにある欺瞞と陶酔を明らかにしようと思う。


 2011年の3月12日から考えよう。
 前日の11日午後、三陸沖で発生した東日本大震災の揺れが、列島全体を揺るがしていた。太平洋沿岸部に巨大な津波と火災が襲う。無数のカメラが被害の映像を捉え、電波とインターネット回線を通じて報道される。その日の夕刻、福島第一原子力発電所の原子炉が冷却不能に陥ったことが知られる。
 3月12日、NHKのヘリコプターが、福島第一原発から30キロの地点でホバリングする。ヘリに積まれた超望遠レンズとデジタルハイビジョンカメラが、原子力発電所の姿を捉え、ライブ映像を配信する。世界中が固唾を飲んで原発の映像を凝視した。ここで思いだしてほしいのだが、私たちは、原発が爆発したあとに映像を見たのではない。爆発の数時間前から、リアルタイムで原発の姿が映し出されていた。だから私たちは爆発の瞬間を目撃することになったのだ。これが東電公害事件のおおきな特徴である。
 このことをチェルノブイリ事件と比較してみよう。我々はチェルノブイリ原発の炎上する姿を見ていない。当時のソ連政府は、当初、チェルノブイリの事故を隠していた。スウェーデンのモニタリング機関が異常を指摘するまで、誰もチェルノブイリの爆発を知らなかった。ソ連政府は、事故を見せるのではなく、隠した。いまでは当時の記録映像のいくつかを見ることができるのだが、それはソ連邦内部の国民に向けて、収束作業の動員のためにつくられたプロパガンダ映画というべきものであって、諸外国の報道機関に提供するためのものではない。ソ連政府は、チェルノブイリの姿を国民に見せて、世界に見せなかった。そういうしかたで事故の隠蔽をはかったのである。
 東電公害事件をめぐる隠蔽は、かつてのソ連政府の対応を反転させた形式となっている。世界中のメディアが、その日のうちに爆発の映像を報道し、我々の目にやきつけた。そして皮肉なことに、爆心地である福島県の放送局だけは、爆発の映像を報道しなかったのである。事件をめぐるメディア状況は、チェルノブイリ事件とは対照的なかたちをとったのである。
 いまから振り返って考えてみれば、すでに3月12日の段階で、この事件をめぐる高度にスペクタクル(ルビ・見せ物)的な性格が決定していたと言えるだろう。日本政府にとって問題となるのは、世界が注視する中でいかにして問題を隠蔽するかである。単純に隠すというだけでは足りない。隠すことによって隠す、だけでなく、見せることによって隠すこと。人々の視線を遮断するだけでなく、積極的にスペクタクルを提供し視線を操作すること。人々の関心と無関心に介入し、意識の流れを誘導すること。ここから、「復興」政策全般を規定するスペクタクル(ルビ・茶番)の政治が要請されることになる。
 3月15日、二度目の爆発(3号機)をカメラが捉える。ふたたび世界に衝撃が走る。そして、三度目の爆発(4号機)は映像として配信されることがなかった。4号機はあきらかに天井が吹き飛んだ状態で建屋の内部をさらしていたのだが、これは「火災事故」として報告された。4号機の爆発は、単純に隠すことで隠したのである。
 3月17日、おおがかりなショーが始まる。自衛隊のヘリコプターに大きなバッグを吊るし、フタの空いてしまった3号機原子炉にむけて、上空から海水を投下するという作戦である。この作戦を「ヘリバケツ作戦」と呼ぶことにしよう。ヘリバケツ作戦は、鎮火という意味では実効性のない作戦だった。そのことははじめからわかりきっていた。自衛隊機を使用したこの作戦は、あきらかに世界に見せるためのショーだった。
 世界中がヘリバケツ作戦に注視した。日本政府のしかけたスペクタクルに我々は釘づけになった。ではこのヘリバケツ作戦のスペクタクルは、どのような効果をもつものだったのか。「日本政府が事故収束への決意を示した」ということだろうか。名目としてはそうかもしれない。あるいは政府関係者のなかには主観的にそう考えた者もいたかもしれない。しかし、名目ではなく実質を考えるならば、問題はそれほど単純ではない。
 それがどのていど意図されたものかはわからない。だが結果としてヘリバケツ作戦が与えたスペクタクルの効果とは、見る者をガッカリさせること、人々の意思を挫き無力感を与えることだった。収束作業の具体的方策、有効性、優先順位、等々、国内外で交わされたさまざまな論議が、この唖然とする作戦によって空転させられる。おそろしくバカバカしいものを見せられたとき、人は沈黙する。知識がある者もない者も、すべて観客席へ、観客的な人間のふるまいへと、閉め出される。この日、ヘリバケツ作戦を見せられることによって、我々は蚊帳の外に置かれたのである。
 ヘリバケツ作戦によって誰が勝利したのか。問題解決にあたる日本政府である。世界中の人々がガッカリし、日本政府の能力に疑いを持ち、信頼を失う。そのことが日本政府にとって「失点」になるだろうか。ならないのだ。スペクタクルの政治にとって、人々の信頼などなんの意味もない。むしろ人々の信頼を突き放し、観客化し、沈黙させることで、政府が専制的にふるまうための条件を整えていくことになる。


 スペクタクル政治の専制的性格を説明するために、問題をアートの文脈で考えてみよう。ヘリバケツ作戦を、もっとも現代的なアート作品として捉えるならば、問題の構図がいくらかわかりやすくなる。
 第二次大戦後、アメリカではヨーロッパ近代芸術から離脱した現代アートが