2010年12月3日金曜日

2ちゃんねるの女たち

ずいぶんひさしぶりになるが、たまにはなんか書けよってことで、雑文。
この間、海上保安庁職員による尖閣ビデオの流出、警視庁公安の情報漏洩(クーデター?)などなどがあって、情報メディアはどうあるべきかみたいな正当な論議もまきおこりつつ、私は何をしていたかというと、もっぱら「2ちゃんねる」というサイトを見ていた。
深い意味はない。たんに、市民右翼がつるされる裁判(朝鮮学校の民事裁判、徳島県教組の刑事裁判)が進行していて、ヲチャ(ウォッチャー)のブログや、ヲチャの集まる2ちゃんの書き込みを読んでいるうちに、おもしろくなっちゃったのだ。
というわけで、いま、私は、ねらーだ。見てるだけだけどね。宿題もせずに「ねらー」。「仕事しろよ>俺」って感じだ。

さて2ちゃんねるのおもしろさは、短い一文だけの罵倒や中傷である。いや、おもしろいというのとは違う。非常に不快な書き込み、悪意むき出しの書き込みが多い。いま「政治思想板」を中心に見ているが、ブサヨ(不細工な左翼?)とか、草加(創価学会のこと?)などの、レッテル貼りのためのレッテル、中傷のための中傷が、極端に短い文で並ぶ。民族差別もおぞましいほど大量にある。あとはAA(アスキーアート)という文字を並べて描く絵。女の子の絵が描かれ、吹き出しに「おじちゃんたち、どうして働かないの?」という、ぐさっとくるセリフが。こうした短い文や絵で交わされる罵倒の応酬は、まったく噛み合っていないような、がっぷりと組み合っているような、不思議な流れ、かっこよくいえば旋律のようなものを形成している。これを読む作業というのは、ちょっと頭をひねるパズルのような要素がある。
いわゆる「ネットウヨク」が跋扈する「政治思想板」は、差別的な書き込みで溢れている。民族差別、性差別、失業者への差別、信仰の差別、部落差別などなど。しかし、どの種類の差別も均等に揃っているかというと、そうではない。頻繁に繰り返される差別と、まれにしか登場しない差別がある。
頻繁に登場するのは、民族差別、部落差別、創価学会など新宗教に対する攻撃、失業者・ニートへの差別、である。これらの差別が頻繁に繰り返されるのに対して、女性差別、学歴(職業)差別は、あまり登場しない。
たとえば平日の昼間に為された書き込みは、「ニート男性・失業者男性の書き込み」と見なされ揶揄される傾向が強く、「専業主婦」や「家事手伝」や「年金生活者」と見なされることは少ない。女性差別は「ブス」や「ババア」という表現であらわれるが、「女」とか「女のくせに」というむしろありそうな表現がほとんど見られないのである。
こうした差別表現・差別意識の微妙な偏りは、この板に書き込む「住人」の属性を反映しているのだと思う。おそらく我々が想像している以上に多くの女性、とくに中高年女性が、「政治思想板」に書き込んでいるのだと思われる。
彼女たちのどす黒い悪意を想像しながら、これは男、これは女、というふうに差別書き込みを読んでいくと、もう背筋がゾクゾクしてしまうのは私の悪趣味だろうか。他人を蔑み傷つけたくてしょうがない女たちがいて、それは知性やら批評性やらのかけらもないどうしようもなく卑しい表現なのだが、ここには、なんらかの力が解放されようとする前兆(あるいはその反動)があるのだと思う。

追記 書き忘れていたが、民族差別に次いで頻繁に出されるのが、知的障害者や病者(分裂症など)に対する差別表現。こういう衛生的な表現が執拗に登場するとき、書き手のおかれている社会的位置がどこにあるか、書き手の生活世界がどういうものであるか、想像してみるべきだろう。