2010年11月4日木曜日

よくある質問 「近代海賊って何ですか」

先日、「VOL」誌の同人が主催する交流会があって、海賊研からも何名か参加させてもらった。こういう席で海賊研究の話をすると、たいていまず最初に聞かれるのは、「近代海賊って何ですか」である。考えてみればたしかに「近代海賊」などという用語は普通は使わない。海賊研でのみ通用する言葉かもしれない。そして、海賊研のメンバーの間でも厳密に定義されているわけではなく、「近代海賊」の解釈はさまざまだ。そろそろこれはまずい。もう半年も研究会をやっているのだから、いちおうおおまかな線だけでも出しておこうと思う。


近代海賊の技術的条件
海賊の近代と前近代を分けるのは、活動領域である。大雑把に言って、前近代の海賊は造船/航海技術が未熟で、航路は河川・内海・沿岸部に限定される。技術が発達して外洋航海ができるようになって以降を、近代海賊と呼んでいる。
外洋航海には、竜骨、帆走技術、羅針盤などの技術が揃わなくてはならない。一般に歴史教科書でよく取り上げられるのは「羅針盤」=方位磁針であるが、海賊研究では「羅針盤」はあまり重視しない。重視するのは、竜骨と帆走技術である。

竜骨
竜骨は船体の底を支える背骨である。竜骨を説明するためにまず思い浮かべてほしいのは、屋形船のような和船と、バイキングの船である。和船には竜骨がなく、船底が平らで、船体が四角い。こうした船は、河川や沿岸部の水深の浅い水域では威力を発揮するが、かわりに波の影響をもろにかぶってしまうので、荒い海には出られない。これに対して、バイキングの船は竜骨があり、船底も船体も丸みがあって、船首が尖っている。この尖った先っぽで波を切って進むのだ。バイキングの船が、ほとんど河川用の貧弱な船なのにイングランドまで行ってしまえたのは、波を切って進む竜骨のおかげである。

帆走技術
風を受ける帆だけで船を動かすようになったのは、いわゆる「大航海時代」からである。完全な帆走が実現するまでは、櫂走(東アジアでは櫓)が主流である。10世紀のバイキング船は、追い風のときは帆をかけているが、向かい風では櫂走である。地中海のバルバリア海賊も、帆走と櫂走を併用している。追い風を受けて進む「帆掛け船」は世界中で古くからあるが、問題は、向かい風に対して、帆の揚力を利用してジグザグに遡っていく技術である。これがいつどこで発明されたのかはよくわかっていない。アラブ人海賊の発明という説もあるし、オランダ人がバルバリア海賊に教えたという説もある。東南アジアの海洋民は古代からやっていたという話もある。もしかしたら、熟練の船乗りならみんな知っているありふれた技術だったのかもしれない。が、櫂走が当たり前の時代に、帆走オンリーの大型船を造るというのは、(少なくとも西洋世界では)革命的な出来事だっただろう。

帆船と賃金奴隷

櫂走から帆走への技術的転換は、船主と水夫たちの生産様式を転換させる。
櫂走と帆走の違いを考えるために、まず、バルバリア海賊のガレー船と、カリブ海賊のガレオン船を思い浮かべてほしい。ガレー船を進めている動力は、甲板下で櫂をこぐ奴隷たちの筋力である。すごく大雑把に言って、櫂走船には奴隷制度が必要である。ここでバイキングの櫂走船はどうなのかという突っ込みが予想されるが、バイキングの「戦士」たちが部族的紐帯によって保護されていて充分に自由でないことを考えれば、「戦士=家内奴隷」と括ってしまってよいだろう。櫂走船の水夫たちは、奴隷であるか家内奴隷である。
櫂のない大型帆船(ガレオン船など)が実現すると、賃金奴隷が登場する。ガレオン船の水夫は奴隷ではない。彼らは航海の期間だけ雇われて、航海が終われば使い捨てにされる自由な労働者である。賃金奴隷は、家内奴隷(戦士)ほど献身的ではないが、奴隷よりもずっと主体的である。足を鎖につながれてオールを漕いでいるのとはわけが違う。帆走船の水夫は、変化の多い複雑な作業を主体的にこなさなくてはならない。賃金奴隷は、奴隷のように鎖に繋がれるのではなく、家内奴隷のように部族的支配に従属するのでもなく、もっぱら賃金によって一時的に命令に従い、主体的に働くのである。賃金奴隷の登場は、かつてない新たな主体と新たな葛藤を惹起する。彼らの航海・略奪・生活・船上叛乱は、階級の敵対性の近代的性格を帯びるようになる。かつて奴隷の印であった入れ墨は、獰猛な労働階級の徴になるのだ。
これが、近代海賊である。

追記
以上のまとめは、矢部個人の整理であって、海賊研全体のものではない。こういう「下部構造から説明」みたいな進め方は私の個人的なクセであって、かなり盛っているところもあるし、抜けもたくさんある。例えば、カール・シュミットは、大航海時代に大きく転換した空間認識(空間革命)を強調しているし、大航海に先行する捕鯨船の活動も重視している。また、船をぶつける白兵戦から船を離した砲撃戦への転換も、はずせない論点である。プロテスタンティズムも超重要。とにかくまあいろいろあるのだ。研究会を重ねるたびに目からウロコの連続で、毎月いろんな要素が加わっていく。正直、「近代海賊」という仕分けが妥当なのかどうかも、これからだ。いや、開き直っているのではない。一緒に研究しようってことだ。次回の海賊研究会は、11月6日15時から、カフェ・ラバンデリアにて。 海賊学生大歓迎だ。