2010年11月3日水曜日

10/23海賊研報告「日本の海賊」

前回の海賊研究会は、別枝達夫『海賊の系譜』についてだったのだが、正直これまでのおさらいという以上のものではなかった。古い本だからしょうがない。
しかしこの日はテキストがものたりない分、雑談はけっこう盛り上がって、今後の研究目標がいくつか出された。
議論になったのは、東アジアにおける近代海賊の形成である。一般に、日本の水軍は、豊臣政権の「海賊禁止令」によって国家に服属したため、日本に近代海賊は生まれなかった、というのが常識的な見解である。
しかし、本当にそうなのか。常識は常識として、ここでもう少し考えてみようというのが海賊研究会だ。
今後の研究課題として、
・朱印船貿易と東南アジアの日本町(菰田)
・豊臣政権と徳川政権の「50年戦争」(廣飯)
という論点が出された。
廣飯君の言う「50年戦争」とは、関ヶ原の戦いから島原の乱鎮圧までを指すのだが、大雑把に言うと、ポルトガル・スペインに近い豊臣勢力から、親オランダの徳川勢力への権力交代を、カソリックとプロテスタントのヘゲモニー交代として考えるということだ。これは、インドネシア(オランダ)、フィリピン(スペイン)、マカオ(ポルトガル)、台湾(オランダ)といった東・南シナ海の覇権競争の枠組みに、日本列島の内戦を位置づけるというものだ。そしてこの内戦は、東南アジアの「日本町」の形成やキリシタン大名たちの国外移住というかたちで、拡張された海賊の空間を顕在化させる。ここに、日本近代の「空間革命」が始まっていたのだと言えるだろう。
16世紀の日本の内戦、文禄・慶長の役(朝鮮出兵)、17世紀の明の崩壊、朱印船貿易、琉球進攻、そして海から介入するポルトガル・スペイン・オランダの諸勢力。この時期に、中国・日本・朝鮮の海賊は、近代海賊を形成できたのか、できなかったのか。
ちなみに台湾建国の父とされる鄭成功は、中国人の父(鄭芝龍)と日本人の母(まつ)との間に、長崎の平戸で産まれている。鄭芝龍は、平戸で朱印船貿易を行っていた李旦の配下で、李旦が死んだ後、この貿易船団(海賊団)を継承している。その後この海賊団は鄭成功に継承され、台湾を占領することになる。
この海賊団は何者だったのか。また宿題が増えてしまった。