2014年7月4日金曜日

人間を直立させたのは人間自身




 人間はなぜ直立歩行をするようになったのか。
 この問いに、人間の生活環境の変化から説明しようとする考え方がある。たとえば、木の上の生活から平原の生活に移行したからだ、とか、水辺に暮らすようになったからだ、とか。人間の生活環境が変化したから身体が変化したのだ、という考え方だ。
 こうした説が説得力を欠いているのは、人間という種の最大の特徴、人間が環境に適応しない生物であるという特徴を見落としているからである。人間はジャングルだろうが平原だろうが直立して生きている。寒冷地帯の雪原から赤道直下のジャングルまで、どんな場所でも人間が生きていて、それらはまったく異なる環境に暮らしているにもかかわらず、サイズも能力もほとんど変わらない。人間はどのような環境にたいしても適合的でなく、環境から疎外されていて、だから、地球上の多種多様な環境に住まうことができたのである。

 人間を直立させたのは、環境ではない。ではなにが人間を直立させたのか。
答えは明白で、人間の祖先たちが性選択を繰り返した結果である。男たちが直立する女を選び、女たちが直立する男を積極的に受け入れた。何代にもわたってそれを繰り返し、人間は直立二足歩行を獲得したのだ。
 直立する個体は、はじめは異形だったかもしれない。四足で駆けたり登ったりした方が速いのに、わざわざ二足で歩く者があらわれた。動きのおかしい、へんなやつである。はじめはモテなかったと思う。動物としては明らかに劣っているのだから。しかし、あるときから二足歩行の個体がモテるようになる。運動能力が劣るにもかかわらず、二足がモテる現象。二足歩行ブーム。なにがあったのか。
 私が唱えている仮説は、「おみやげ説」である。二足歩行の個体は、運動能力が劣るかわりに、両手を使ってモノを運搬する能力を獲得した。二足歩行の男は、片手に自分が食べる食料を持ち、もう片方の手におみやげを持ってやってきた。そして誰かに与えたのだ。これは、モテる。二足歩行おみやげ男子の誕生。おみやげ個体が増えていくにしたがって、採集行為は社会化され、群れ全体に経済的な安定がうまれる。病気で動けない個体や、産後で疲弊している個体が、食べられるようになる。
 もうひとつの有力な仮説は、「だっこ説」である。二足歩行の女は、両手で子供を抱いた。四足歩行の個体が子供を片手でぶらさげて歩くのとは大違いである。つねに両手をつかって、丁寧に乳児を抱く個体。その姿に男たちは深い衝撃をおぼえただろう。これしかない、と思ったはずだ。

 人間を直立させたのは人間自身である。直立二足歩行の獲得とは、人間が環境に適応しようとした結果ではなく、その反対に、環境に背を向けて不適応を志向した結果である。人間は環境に愛されることをのぞむのではなく、どんな過酷な環境にあっても人間が自律的・自足的に愛しあう生き方を選んだのである。
 はじめはジャングルで、木に登ることのできない不適応者が生まれた。動物として弱く、環境になじめない個体。彼らは生の新しい様式を発明しなくてはならなかった。もっとも弱く生き難い者たちが、人間という種の前衛になったのだ。
 人間の体毛が徐々に薄くなっていったことも、同様のプロセスがあったと考えられる。全身が禿げていて傷つきやすい個体が生まれた。成人になっても赤ん坊のように禿げていて、むきだしの肌。彼(彼女)はいつも傷だらけで、強い痛みを感じながら生きなくてはならなかった。当時の男と女は、そんな傷だらけの者を選んでいった。なぜなら、傷を負う者はつねに慎重で、思慮深く、なにより愛を知っているからだ。