愛知県岡崎市の保育園で使用されていた干し椎茸から、1400Bq/kgのセシウムが検出された。
これは東海ネットの市民放射能測定センターで測定したものだが、報道では保健所で検査したと報じられているので、たぶん我々のあとにもう一度保健所で測定したのだと思う。2度チェックしたのだから間違いはないだろう。
で、問題は1400Bq/kgという数字である。これをどう解釈するかだ。
実際には1㎏の椎茸を一人の子どもが食べるわけではない。
1㎏の椎茸を250人の児童が食べたとして、1400Bqを250人で割って、ひとり5.6Bq程度だ、という考え方がある。
こういう言い分は一見するとなんだかもっともらしいのだが、実は気休めにすぎない。
なぜなら、このセシウムは、1kgの椎茸にまんべんなく均一に付着しているわけではないからだ。とうぜんムラがある。
椎茸のある断片4グラムは0.2Bqで、ある断片4グラムは20Bqみたいなことは、充分ありうる話だ。
単純な割り算をやって「これで約5ベクレルぐらい摂取かな」なんて考えていたら大間違い、それは放射能をなめすぎだ。
さらに測定者として問題にすべきなのは、いま我々の入手できる測定機材では、一人の児童が摂取する4グラムという小さな分量を測定できないことだ。干しシイタケなら300グラム前後、水に戻した状態なら900グラム前後、そういう大きな分量で測定しなくてはならない。このひと固まりの中に、どのような濃淡があって、そのムラの分布がどうなっているのか、そのばらつきの幅の上限はどこまでになるのか、現在の測定技術では把握しきれない。
把握しきれないにもかかわらず、我々は1キログラム「あたり」という測定結果を出すのである。我々の測定行為が、キログラム「あたり」なんて言い方をしてしまうものだから、「ではグラムあたりではこうですね」というミスリードを誘発してしまう。「あたり」というのは本当はとても便宜的な表現にすぎないのに。
この問題は、ミクロな次元だけでなく、マクロな次元での汚染調査でも共通した問題である。
ここでいま悩んでいる。考えどころだ。
単純な線形モデルが通用しないなかで、当面はとにかく椎茸を避けるしかない。
追記
ちょっと説明不足の感があるのでもう少し書くと、「1400Bq/kg」という数値もそれほど信用できるものではない。なぜなら、一つのロットに含まれるセシウムは均一ではなく、ムラがあるからだ。
たとえば段ボール一箱に20袋の干しシイタケがあったとして、これらがすべて同一の濃度であることはありえない。すべての袋の濃度を均一にしろという方が無理。だから、濃度の高い袋から低い袋まで、20種類の椎茸袋があるということになる。ここから、乾燥状態なら6~7袋、水に戻すなら3~4袋を取り出して、サンプルをつくるのである。こうしてつくられた試料サンプルについて、その数値が高いとか低いとか漠然と言うことはできる。しかし、1400という数値自体は、実は根拠が薄弱なのだ。この椎茸20袋のなかには、1400Bq/kgを超過するものが必ず存在している。そこにある最大の濃度が、どれぐらいなのかはわからない。推測することも難しい。
問題は試料サンプルをつくるという行為が、結果を大きく左右してしまうことだ。サンプル作成のプロセスは必然的に、選別と希釈のプロセスを含んでいて、最も危険な汚染濃度を隠してしまう働きをする。そして、ある兆候を示しているにすぎない漠然とした数値が、なにか再現性を備えた不動の数値であるかのようにみなされてしまう。本当は試料の数値に再現性はない。さらに問題なのは、「基準値」というものを設定してしまうことで、サンプル作成が結果を左右するような事態が生まれてしまっているということだ。
というわけで、我々測定者は、「測定という行為自体が結果の数値をつくりだしている」という、ちょっとパラドキシカルなプロセスに投げ込まれるわけである。
これはまあ、ある意味おもしろい話なんだけど、現場は悩むところだ。
2012年4月9日月曜日
2012年4月3日火曜日
察しろよ
一般的に言って、男は幼稚だと思う。本当に物事の道理をわかっていない、ペラい連中だ。しかし幼稚な者を放置していては事態が前に進まないので、もう一度阿呆な男に再考を促したい。
放射性物質による健康被害は、ガンや白血病の発症率ではない。我々が問題にしているのは心筋梗塞でもなければ免疫不全ですらない。問題の中心は、それらとは別の健康被害である。
我々がどのような健康被害を想定しているのかは、書かない。それをおおっぴらに書いてしまうと、いま我々が必死で護ろうとしているものが毀損されてしまうからである。
私は生命が無条件にあることを望んでいる。そのことが当人にすら全く意識されないでいる状態を幸福だと思う。だから、乱暴な言葉づかいでこの問題を口にしたくない。問題をはっきりと提起しなければならないが、それを提起する言葉が問題を修復不可能にしてしまうことが明白なので、口にできないのである。そして誰もあまり口にはしないが、いま給食センターに猛抗議をしている人々は皆はっきりと認識している問題がある。
それが放射能問題の中心である。
この問題の深刻さに比べれば、人間が生きるか死ぬかなんてまったく瑣末なことだ。ガンになる、免疫機能がおちる、それはそれで問題だが、我々が真に怖れているのはそういう健康雑誌のようなレベルの話ではない。阿呆なじじい例えば小出裕章などが考えている「健康被害」と、我々が考えている健康被害とは、まったく次元が違うのである。
放射能問題の本質を、もういちど深く再考してほしい。
放射性物質による健康被害は、ガンや白血病の発症率ではない。我々が問題にしているのは心筋梗塞でもなければ免疫不全ですらない。問題の中心は、それらとは別の健康被害である。
我々がどのような健康被害を想定しているのかは、書かない。それをおおっぴらに書いてしまうと、いま我々が必死で護ろうとしているものが毀損されてしまうからである。
私は生命が無条件にあることを望んでいる。そのことが当人にすら全く意識されないでいる状態を幸福だと思う。だから、乱暴な言葉づかいでこの問題を口にしたくない。問題をはっきりと提起しなければならないが、それを提起する言葉が問題を修復不可能にしてしまうことが明白なので、口にできないのである。そして誰もあまり口にはしないが、いま給食センターに猛抗議をしている人々は皆はっきりと認識している問題がある。
それが放射能問題の中心である。
この問題の深刻さに比べれば、人間が生きるか死ぬかなんてまったく瑣末なことだ。ガンになる、免疫機能がおちる、それはそれで問題だが、我々が真に怖れているのはそういう健康雑誌のようなレベルの話ではない。阿呆なじじい例えば小出裕章などが考えている「健康被害」と、我々が考えている健康被害とは、まったく次元が違うのである。
放射能問題の本質を、もういちど深く再考してほしい。
2012年3月25日日曜日
ガレキ問題の射程
今日は、「放射能防御プロジェクト・中部」の学習会に行った。
これまで東海地域でガレキ問題に取り組んできた人たちに、いま何が問題なのかを聞くことができて、すごく勉強になった。
愛知県の大村知事は、碧南市の処分場建設計画を変更し、知多市の埋め立て地を利用すると発表した。知多市に整備されている未利用の埋め立て地をつかって、震災ガレキの仮置き場・焼却施設・最終処分場をつくるのだという。
この問題の謎は、費用である。あまりにも費用がかかりすぎることだ。たかだか50万トンのガレキを受け容れるために、400億円ものカネをかけて焼却施設を新設するだろうか。いまの政府がいくら「絆」が大好きだといっても、そんな道徳のために財務省がカネを出すだろうか。
ということから考えて、問題はどうやら震災ガレキだけではない。ガレキ処分後の施設転用を考えているのではないかと思えてくる。
問題をもう少し俯瞰してみれば、低レベル放射性廃棄物の処分問題は、震災ガレキだけでは終わらない。これからの国の施策ではさまざまな低レベル放射性廃棄物が出てくるし、最終的には原発の廃炉という問題がある。原子力産業のバックエンドは、長期間にわたって放射性廃棄物を生み出し続けるのである。その処理のための費用と労力をいかに最小限に圧縮するかということを、国も電力会社も銀行も考えているはずだ。だからこそ大村知事は、処理施設設置の「特区」を求めているのだろう。環境アセスメントもなにもなしくずしにして強行してくるはずだ。
絆だのなんだのというきれいごとではない。
奴らのカネのために、我々の漁場と海水浴場は汚染されるのだ。
これまで東海地域でガレキ問題に取り組んできた人たちに、いま何が問題なのかを聞くことができて、すごく勉強になった。
愛知県の大村知事は、碧南市の処分場建設計画を変更し、知多市の埋め立て地を利用すると発表した。知多市に整備されている未利用の埋め立て地をつかって、震災ガレキの仮置き場・焼却施設・最終処分場をつくるのだという。
この問題の謎は、費用である。あまりにも費用がかかりすぎることだ。たかだか50万トンのガレキを受け容れるために、400億円ものカネをかけて焼却施設を新設するだろうか。いまの政府がいくら「絆」が大好きだといっても、そんな道徳のために財務省がカネを出すだろうか。
ということから考えて、問題はどうやら震災ガレキだけではない。ガレキ処分後の施設転用を考えているのではないかと思えてくる。
問題をもう少し俯瞰してみれば、低レベル放射性廃棄物の処分問題は、震災ガレキだけでは終わらない。これからの国の施策ではさまざまな低レベル放射性廃棄物が出てくるし、最終的には原発の廃炉という問題がある。原子力産業のバックエンドは、長期間にわたって放射性廃棄物を生み出し続けるのである。その処理のための費用と労力をいかに最小限に圧縮するかということを、国も電力会社も銀行も考えているはずだ。だからこそ大村知事は、処理施設設置の「特区」を求めているのだろう。環境アセスメントもなにもなしくずしにして強行してくるはずだ。
絆だのなんだのというきれいごとではない。
奴らのカネのために、我々の漁場と海水浴場は汚染されるのだ。
2012年3月22日木曜日
海の調査へ
今日は愛知県の知多半島に行く。
常滑市在住の釣り師の青年が、海洋の汚染調査をやりたいということで、彼に同行して泥とアサリを採りに行く。
大気中を拡散したり食品流通で二次拡散した放射性物質は、川や下水処理場を通って最終的には海に流れ着く。海に堆積した放射性物質は、海草や貝類、海底魚の体内にとりこまれて生物濃縮をする。いまはまだたいした汚染はないだろうが、数年後にはえっと思うような汚染魚が登場することになるだろう。これから何年もかけて長期的にモニタリングしていかなくてはならない。市民放射能測定センターの所長がゴーサインを出してくれたので、これは測定センターの自主調査として継続的にやることになる。これからちょくちょく海に行って、泥をとったり船で魚を釣ったりすることになりそうだ。
今日は知多半島の西側にある伊勢湾と、東側の三河湾に行く。
数日前に愛知県知事は、震災ガレキの処分場を碧南市につくるという計画を明らかにしたが、碧南市の建設予定地も見てこようと思う。立ち入りができれば、建設前の泥を採取しておきたい。
常滑市在住の釣り師の青年が、海洋の汚染調査をやりたいということで、彼に同行して泥とアサリを採りに行く。
大気中を拡散したり食品流通で二次拡散した放射性物質は、川や下水処理場を通って最終的には海に流れ着く。海に堆積した放射性物質は、海草や貝類、海底魚の体内にとりこまれて生物濃縮をする。いまはまだたいした汚染はないだろうが、数年後にはえっと思うような汚染魚が登場することになるだろう。これから何年もかけて長期的にモニタリングしていかなくてはならない。市民放射能測定センターの所長がゴーサインを出してくれたので、これは測定センターの自主調査として継続的にやることになる。これからちょくちょく海に行って、泥をとったり船で魚を釣ったりすることになりそうだ。
今日は知多半島の西側にある伊勢湾と、東側の三河湾に行く。
数日前に愛知県知事は、震災ガレキの処分場を碧南市につくるという計画を明らかにしたが、碧南市の建設予定地も見てこようと思う。立ち入りができれば、建設前の泥を採取しておきたい。
2012年3月19日月曜日
東京からかえる
新刊『3・12の思想』の宣伝と次回作の準備のために、1週間ほど東京に行ってきた。
二日目から花粉症の症状が治まった。三日目から体が熱くなり、じっとりと汗をかくようになった。あと、名古屋に帰ってきてから血便が出た。
東京で何人かの知り合いと会って話し合ったが、放射線防護対策はあまり進んでいない。進んでいないどころか、いまだに福島市に向かう者もいるようだ。こういうとき、自分がはぐれ者であることを悲しいと思う。もしも私が党の中央委員会であるとか、大組合の執行部であるとか、なんらかの統制権を持っていたら、こんな無力感は味合わないだろうにと思う。
これまで東京の運動を担ってきた優秀な活動家と優秀な知識人が、数年後には櫛の歯が抜けるようにいなくなる。突然死か、慢性的な疾患を抱えるか、うつを発症するかして、戦線は崩壊していくのだ。
とりあえずいま私が言えるのは、福島市にのこのこ行くような人間とは今後いっさい付き合わない、ということだ。
任務意識を放棄した冒険主義は、全体を危うくする。私が統制権を持つ軍人だったら、規律違反で営倉に送るところだ。
諸君の任務は汚染地帯に赴いて阿呆のように被曝することではない。被曝を避け、生き残り、生きて奴らにやりかえすことだ。五年後十年後の闘争を見据えて、自己を最大限に保存せよ。
おまけ
ドイツZDF フクシマのうそ 投稿者 sievert311
二日目から花粉症の症状が治まった。三日目から体が熱くなり、じっとりと汗をかくようになった。あと、名古屋に帰ってきてから血便が出た。
東京で何人かの知り合いと会って話し合ったが、放射線防護対策はあまり進んでいない。進んでいないどころか、いまだに福島市に向かう者もいるようだ。こういうとき、自分がはぐれ者であることを悲しいと思う。もしも私が党の中央委員会であるとか、大組合の執行部であるとか、なんらかの統制権を持っていたら、こんな無力感は味合わないだろうにと思う。
これまで東京の運動を担ってきた優秀な活動家と優秀な知識人が、数年後には櫛の歯が抜けるようにいなくなる。突然死か、慢性的な疾患を抱えるか、うつを発症するかして、戦線は崩壊していくのだ。
とりあえずいま私が言えるのは、福島市にのこのこ行くような人間とは今後いっさい付き合わない、ということだ。
任務意識を放棄した冒険主義は、全体を危うくする。私が統制権を持つ軍人だったら、規律違反で営倉に送るところだ。
諸君の任務は汚染地帯に赴いて阿呆のように被曝することではない。被曝を避け、生き残り、生きて奴らにやりかえすことだ。五年後十年後の闘争を見据えて、自己を最大限に保存せよ。
おまけ
ドイツZDF フクシマのうそ 投稿者 sievert311
2012年3月8日木曜日
シーベルトについて
放射性物質による汚染を測るとき、いまは二つの単位が使われている。
ベクレル(Bq)とシーベルト(Sv)だ。人体への影響を測るシーベルト(Sv)を別の単位として数えれば、正確には三つの単位があることになる。
いま食品や土壌の測定はベクレル(Bq/kg)という単位で表現し、空間線量や被曝線量はシーベルト(Sv/h)という単位で表現している。
しかし考えれば考えるほど、シーベルトというのは使えない単位だ。これは何かというとつまるところ熱量である。ジュールとかカロリーみたいなものだ。α線、β線、γ線、X線という種々の放射線を、全部ジュール換算にして表現するみたいな、非常に大雑把な話だ。放射線の研究というのがもともと兵器開発を中心にしているものだから、人間や鉄材をどれだけ焼くことができるかってことなんだろうが、まあ使えない。
たとえば薬学の研究者が毒物の強さを表現するときに、熱量で表現したらおかしいだろう。このトリカブトの毒は0.001カロリーまでは健康に被害はない、とか。おいおいカロリーかよ、と。そこはグラムだろ、と。もうマンガだ。
放射線による健康被害というのは、こういうマンガのような次元で議論されている。
冗談ではない。
怒りが抑えられない。
ベクレル(Bq)とシーベルト(Sv)だ。人体への影響を測るシーベルト(Sv)を別の単位として数えれば、正確には三つの単位があることになる。
いま食品や土壌の測定はベクレル(Bq/kg)という単位で表現し、空間線量や被曝線量はシーベルト(Sv/h)という単位で表現している。
しかし考えれば考えるほど、シーベルトというのは使えない単位だ。これは何かというとつまるところ熱量である。ジュールとかカロリーみたいなものだ。α線、β線、γ線、X線という種々の放射線を、全部ジュール換算にして表現するみたいな、非常に大雑把な話だ。放射線の研究というのがもともと兵器開発を中心にしているものだから、人間や鉄材をどれだけ焼くことができるかってことなんだろうが、まあ使えない。
たとえば薬学の研究者が毒物の強さを表現するときに、熱量で表現したらおかしいだろう。このトリカブトの毒は0.001カロリーまでは健康に被害はない、とか。おいおいカロリーかよ、と。そこはグラムだろ、と。もうマンガだ。
放射線による健康被害というのは、こういうマンガのような次元で議論されている。
冗談ではない。
怒りが抑えられない。
2012年2月17日金曜日
ガレキを燃やすな
静岡県島田市の市長が、震災ガレキを燃やそうとしている。ガレキ焼却に反対する市民が島田市に集結している。
問題にされているのは2点。
1、被災地からガレキを移送すること
2、ガレキを燃やすこと
問題の中心は、震災ガレキを燃やすことだ。ガレキ焼却とは、低レベル放射性廃棄物の焼却濃縮である。原発のなかでは、汚染された衣服やウエスを焼却して分量を圧縮する作業が行われている。こういう作業のもっと大規模なものを一般のごみ焼却場でやらせようというのだ。これは市民が反対しないほうがおかしい。
環境省と市長は、とにかく被災地からガレキを動かしたいと言う。であれば、焼却ではない方法を考えるべきだ。いつまでも焼却にこだわっているからガレキが動かせないのだ。これは痛みを分かち合うとか分かち合わないとかいう問題ではない。これ以上誰も被曝させてはいけない。現在の技術水準を考慮すれば、どこの焼却場であれ、ガレキを燃やしてはいけない。
どうせ結末は見えているのだから言うが、震災ガレキは福島県双葉郡に移送して、積み上げて、飛散防止の塗料をかけておくしかない。すでに双葉郡の一部自治体はその意向を示しつつある。
問題にされているのは2点。
1、被災地からガレキを移送すること
2、ガレキを燃やすこと
問題の中心は、震災ガレキを燃やすことだ。ガレキ焼却とは、低レベル放射性廃棄物の焼却濃縮である。原発のなかでは、汚染された衣服やウエスを焼却して分量を圧縮する作業が行われている。こういう作業のもっと大規模なものを一般のごみ焼却場でやらせようというのだ。これは市民が反対しないほうがおかしい。
環境省と市長は、とにかく被災地からガレキを動かしたいと言う。であれば、焼却ではない方法を考えるべきだ。いつまでも焼却にこだわっているからガレキが動かせないのだ。これは痛みを分かち合うとか分かち合わないとかいう問題ではない。これ以上誰も被曝させてはいけない。現在の技術水準を考慮すれば、どこの焼却場であれ、ガレキを燃やしてはいけない。
どうせ結末は見えているのだから言うが、震災ガレキは福島県双葉郡に移送して、積み上げて、飛散防止の塗料をかけておくしかない。すでに双葉郡の一部自治体はその意向を示しつつある。
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