2012年3月19日月曜日

東京からかえる

新刊『3・12の思想』の宣伝と次回作の準備のために、1週間ほど東京に行ってきた。
 二日目から花粉症の症状が治まった。三日目から体が熱くなり、じっとりと汗をかくようになった。あと、名古屋に帰ってきてから血便が出た。

 東京で何人かの知り合いと会って話し合ったが、放射線防護対策はあまり進んでいない。進んでいないどころか、いまだに福島市に向かう者もいるようだ。こういうとき、自分がはぐれ者であることを悲しいと思う。もしも私が党の中央委員会であるとか、大組合の執行部であるとか、なんらかの統制権を持っていたら、こんな無力感は味合わないだろうにと思う。
 これまで東京の運動を担ってきた優秀な活動家と優秀な知識人が、数年後には櫛の歯が抜けるようにいなくなる。突然死か、慢性的な疾患を抱えるか、うつを発症するかして、戦線は崩壊していくのだ。

 とりあえずいま私が言えるのは、福島市にのこのこ行くような人間とは今後いっさい付き合わない、ということだ。
任務意識を放棄した冒険主義は、全体を危うくする。私が統制権を持つ軍人だったら、規律違反で営倉に送るところだ。
 諸君の任務は汚染地帯に赴いて阿呆のように被曝することではない。被曝を避け、生き残り、生きて奴らにやりかえすことだ。五年後十年後の闘争を見据えて、自己を最大限に保存せよ。

おまけ

ドイツZDF フクシマのうそ 投稿者 sievert311