6月下旬に発売となる『現代思想7月号』(青土社)に原稿を出した。
7月号の特集は『被曝と暮らし』。
4月に博多のトークイベントに呼んでくれた森元斎くんも書いている。博多で彼と話したときに、「原稿依頼がきた」と言っていた。
「いいなあ森くんは。俺なんかもう腫れものだから、なかなか依頼こないよ。」と言っていたら、何があったのか、たぶん予想外に書き手が少なかったのだと思うのだが、締切の三週間前に依頼がきた。もう雑誌から依頼がくるのは最後かもしれないので、書きたい放題に書いた。
私が出した原稿は、ずばり「被曝不平等論」。
「被曝を受忍する」とか簡単に言うけど国民が平等に痛みを分かち合うなんて現実にはありえないよね、という話。被曝が不平等という話から、さらには、市民の防護活動をあてにしてタダノリする政府は許せん、という話。さらに筆がのったので、いま主婦バッシングする奴らはブルジョアイデオロギーに汚染されたニセ左翼・ニセフェミニストだ、という話。個人名はいちいちあげていないが、誰のことを言っているのかは明白。再点検ですよ、もう。
この「被曝不平等論」は、三倍ぐらいに加筆して書籍にする予定。年内に書きあげたい。
2012年6月14日木曜日
さいたま市で医師が不足
さいたま市の赤十字病院では、来月から小児科医がいなくなってしまうという。すでに産科医もいなくなっていて、残っていた小児科医も全員退職してしまうのだそうだ。かわりの医師もみつからず、この病院では産科・小児科ともに機能停止に陥る。こうした動きは関東各地で起きているのだろうと推測する。無理もない。私が医者だったら退避する。
産科医・小児科医というのは、もともと福島第一の事件が起きる以前から不足していた。医師にとって条件が悪いからだ。それに加えて今回の放射性物質の拡散は、こどもたちに被曝を強制し、わけのわからない症状を頻発させている。医師が悲鳴を上げるのは充分に予想できた話だ。充分に予想できたにもかかわらず、厚労省は汚染食品を流通させ、適切な防護教育をせず、文科省は学校給食もグラウンドの土もプールの水質も野放しにしている。そうした無策のツケを、こどもの体と医療機関におしつけているわけだ。やってられるかよ、と職務を放棄する医師は、正しい。
もう社会は壊れている。こんなぶっこわれた社会で、医師の責務もへったくれもない。阿呆に付き従うのはやめて、さっさと抜けるのが道理だ。
産科医・小児科医というのは、もともと福島第一の事件が起きる以前から不足していた。医師にとって条件が悪いからだ。それに加えて今回の放射性物質の拡散は、こどもたちに被曝を強制し、わけのわからない症状を頻発させている。医師が悲鳴を上げるのは充分に予想できた話だ。充分に予想できたにもかかわらず、厚労省は汚染食品を流通させ、適切な防護教育をせず、文科省は学校給食もグラウンドの土もプールの水質も野放しにしている。そうした無策のツケを、こどもの体と医療機関におしつけているわけだ。やってられるかよ、と職務を放棄する医師は、正しい。
もう社会は壊れている。こんなぶっこわれた社会で、医師の責務もへったくれもない。阿呆に付き従うのはやめて、さっさと抜けるのが道理だ。
2012年5月23日水曜日
『ゼロベクレル派宣言』、校了しました
来月出版予定の本が、やっと終わった。
次回作のタイトルは、
『 放射能を食えというならそんな社会はいらない、
ゼロベクレル派宣言 』
矢部史郎著 (聞き手:池上善彦)
発行 新評論 http://www.shinhyoron.co.jp/
価格 1800円+税
です。
3月に出した 『3・12の思想』(以文社) と同じスタイルで、矢部がインタビュアーに答えていく語り下ろしです。
聞き手を引き受けてくれたのは、池上善彦さん。池上さんはかつて『現代思想』(青土社)という雑誌の編集長をやっていた人。90年代のはじめから20年ちかく『現代思想』を編集していた、業界では有名な人物です。ゼロベクレル派です。
カバーデザインは固まってきましたが、オビの文はまだ未定です。編集者が出した案は、
『 社会思想 を 除染する 』
だったのですが、それはちょっとまずかろう(売りにくくなっちゃう)ということで、ボツにしました。
発売日は6月下旬ですが、上旬には予約できるようになると思います。
次回作のタイトルは、
『 放射能を食えというならそんな社会はいらない、
ゼロベクレル派宣言 』
矢部史郎著 (聞き手:池上善彦)
発行 新評論 http://www.shinhyoron.co.jp/
価格 1800円+税
です。
3月に出した 『3・12の思想』(以文社) と同じスタイルで、矢部がインタビュアーに答えていく語り下ろしです。
聞き手を引き受けてくれたのは、池上善彦さん。池上さんはかつて『現代思想』(青土社)という雑誌の編集長をやっていた人。90年代のはじめから20年ちかく『現代思想』を編集していた、業界では有名な人物です。ゼロベクレル派です。
カバーデザインは固まってきましたが、オビの文はまだ未定です。編集者が出した案は、
『 社会思想 を 除染する 』
だったのですが、それはちょっとまずかろう(売りにくくなっちゃう)ということで、ボツにしました。
発売日は6月下旬ですが、上旬には予約できるようになると思います。
2012年5月18日金曜日
表と裏と障害者
食品による内部被曝問題はかなり多くの人々に共有されていると思う。
食品の産地表示もずいぶん細かくなってきているし、なかには産地偽装もあるだろうが、全体に防護対策は取りやすくなっている。粗食にも慣れた。
しかし防護対策がしやすくなった半面、防護をめぐる議論が表面にあらわれにくくなってもいる。多くの人が放射能を忘れたふりをする。この問題から自由であるふりをする。そうして、公然とではなく隠然と、公的ではなく私的に、防護対策はすすんでいくわけだ。
おそらくここで問題にされるべきは、障害者の防護対策である。
発達障害やアスペルガ―症候群など言語能力の劣る人々は、表と裏のダブルスタンダードを立体的に読み取ることができない。政府が「安全です」と言うとき、それを平板に額面通り受け取り信じている人がいる。「専門家を信じろ」という権威主義的な人格も、障害者ではないかもしれないが、ある意味でそういう弱者のグループである(権威主義者はどんどん被曝して死ねばいいという意見もあるが)。
社会の表面では、社会、国民、絆、といった公的なものが美化されていて、地下では私的な防護対策が進行する。実際に多くの健常者たちはしたたかに自分の身を護っているのだが、表向きは放射能など知らないふりをする。
こうした嘘によって傷つくのは、嘘をついた者たちの精神だ。
社会はもう壊れていて、現実は私的なものに委ねられているのだから、カッコイイ嘘も、自由なふりも、やめるべきだ。
食品の産地表示もずいぶん細かくなってきているし、なかには産地偽装もあるだろうが、全体に防護対策は取りやすくなっている。粗食にも慣れた。
しかし防護対策がしやすくなった半面、防護をめぐる議論が表面にあらわれにくくなってもいる。多くの人が放射能を忘れたふりをする。この問題から自由であるふりをする。そうして、公然とではなく隠然と、公的ではなく私的に、防護対策はすすんでいくわけだ。
おそらくここで問題にされるべきは、障害者の防護対策である。
発達障害やアスペルガ―症候群など言語能力の劣る人々は、表と裏のダブルスタンダードを立体的に読み取ることができない。政府が「安全です」と言うとき、それを平板に額面通り受け取り信じている人がいる。「専門家を信じろ」という権威主義的な人格も、障害者ではないかもしれないが、ある意味でそういう弱者のグループである(権威主義者はどんどん被曝して死ねばいいという意見もあるが)。
社会の表面では、社会、国民、絆、といった公的なものが美化されていて、地下では私的な防護対策が進行する。実際に多くの健常者たちはしたたかに自分の身を護っているのだが、表向きは放射能など知らないふりをする。
こうした嘘によって傷つくのは、嘘をついた者たちの精神だ。
社会はもう壊れていて、現実は私的なものに委ねられているのだから、カッコイイ嘘も、自由なふりも、やめるべきだ。
2012年5月12日土曜日
2012年4月28日土曜日
ダナ・ハラウェイを読む
風邪のような症状で一週間ほどダウンしていた。熱はないのだが、とにかく体が痛い。筋肉も関節も痛い。医者に行ったところ、B型インフルエンザの検査をすすめられたのでやってもらったのだが、結果は不検出。B型ではない別のウイルスだろう、と。風邪薬と抗生剤をもらって、4日間ぶっとおしで寝た。
この一年間、0ベクレルをめざしてきたが、東京に出て何泊か滞在するとやはり外食はしてしまう。なるべく食べないようにしているのだが、どうしても腹は減る。つい食べてしまう。あと、ビールを飲んでしまう。安全性を考慮すれば、洋酒とか中国酒とかマッコリにしなきゃいけないのだが、他人がビールを飲んでいるのを見ると、ついついビールを。東京で、ビールは、危険だ。そういう調子だから、たぶん自分が想定している以上に放射性物質を摂りこんでしまっているのだと思う。
きのうから少しづつ動けるようになったので、ちょっと書く。
いま、ダナ・ハラウェイを読んでいる。
ダナ・ハラウェイはアメリカの生物学者でありフェミニストでありアナキストなのだが、日本では80年代に『サイボーグ宣言』という本が翻訳されている。2000年には『猿と女とサイボーグ』という翻訳も出ている。
彼女の論はなにかというと、大雑把に言うと、女性や人種をめぐる本質主義的な「人間」観・「人間主義」に対して、機械を貪欲に呑みこんで融合してゆく生命=サイボーグを対置させた人。女も母親もいない、サイボーグがいるのだ、と。えーまじっすかみたいな。そんな超絶フェミニストだ。
これは次に出す本でも展開する話なのだが、いまわれわれはこの『サイボーグ宣言』の内容を字義どおりに読むことができるのではないかと思う。というか、我々はすでにサイボーグになっているのではないか。
3月12日以降、放射線の戦争状態におかれた人々は、片方の手に空間線量計を装着し、もう片方の手にスマートフォンを溶接し、そういうサイバーオーグの主婦たちが、汚染地域をサーチしている。線量計とスマートフォンと主婦のハイブリッド。主婦のような、機械のような、獰猛な昆虫のような、群れ。こういう人たちが、というか「人」の概念を超えた人間機械が、全国で放射性物質をモニタリングし、政府の原子力政策やガレキ拡散政策を突き上げていく、というわけだ。
なんてことを妄想していたら、だんだん元気が出てきた。
もう負ける気がしない。
絶対に勝てる。
追記
明日は福岡でトークイベント。
会場は Art Space Tetra というギャラリーです。
近所の人はぜひ
補足
IT技術の研究者から見れば、人間とサイバー空間の融合は、ずいぶん以前から始まっていた現象だと言うかもしれない。それはそのとおりなのだが、ちょっとだけ違う。
ダナ・ハラウェイが指摘するのは次のことである。
現代の軍が要請するサイバー技術の思想とは、C³I (シー・キューブド・アイ)、三つのCと一つの I に要約される。すなわち、指令(comand)・管制(control)・伝達(communication)・情報(intelligence)である。しかし、主婦たちがこの技術を呑みこみ、脱構築するとき、指令と管制の二つのCは除去されるのである。あるいは私なりに言いかえれば、指令と管制に対する激しい敵対性が、C³I を換骨奪胎し、コミュニケーションとインテリジェンスのみが暴走するサイバネティックスの闘争機械が誕生するのだ。
われわれが味わったこの一年の経験とは、政府が放つコマンドとコントロールが表面に露出して、そのおぞましい姿をいやというほど見せつけられたということだ。そうした経験を共有する者たちには、だからもうコミュニケーションとインテリジェンスしか残されない。それだけがあればよい。3・12以後のサイバネティックス-サイボーグとは、敵対性という決定的な契機によって生みなおされたのである。
この一年間、0ベクレルをめざしてきたが、東京に出て何泊か滞在するとやはり外食はしてしまう。なるべく食べないようにしているのだが、どうしても腹は減る。つい食べてしまう。あと、ビールを飲んでしまう。安全性を考慮すれば、洋酒とか中国酒とかマッコリにしなきゃいけないのだが、他人がビールを飲んでいるのを見ると、ついついビールを。東京で、ビールは、危険だ。そういう調子だから、たぶん自分が想定している以上に放射性物質を摂りこんでしまっているのだと思う。
きのうから少しづつ動けるようになったので、ちょっと書く。
いま、ダナ・ハラウェイを読んでいる。
ダナ・ハラウェイはアメリカの生物学者でありフェミニストでありアナキストなのだが、日本では80年代に『サイボーグ宣言』という本が翻訳されている。2000年には『猿と女とサイボーグ』という翻訳も出ている。
彼女の論はなにかというと、大雑把に言うと、女性や人種をめぐる本質主義的な「人間」観・「人間主義」に対して、機械を貪欲に呑みこんで融合してゆく生命=サイボーグを対置させた人。女も母親もいない、サイボーグがいるのだ、と。えーまじっすかみたいな。そんな超絶フェミニストだ。
これは次に出す本でも展開する話なのだが、いまわれわれはこの『サイボーグ宣言』の内容を字義どおりに読むことができるのではないかと思う。というか、我々はすでにサイボーグになっているのではないか。
3月12日以降、放射線の戦争状態におかれた人々は、片方の手に空間線量計を装着し、もう片方の手にスマートフォンを溶接し、そういうサイバーオーグの主婦たちが、汚染地域をサーチしている。線量計とスマートフォンと主婦のハイブリッド。主婦のような、機械のような、獰猛な昆虫のような、群れ。こういう人たちが、というか「人」の概念を超えた人間機械が、全国で放射性物質をモニタリングし、政府の原子力政策やガレキ拡散政策を突き上げていく、というわけだ。
なんてことを妄想していたら、だんだん元気が出てきた。
もう負ける気がしない。
絶対に勝てる。
追記
明日は福岡でトークイベント。
会場は Art Space Tetra というギャラリーです。
近所の人はぜひ
補足
IT技術の研究者から見れば、人間とサイバー空間の融合は、ずいぶん以前から始まっていた現象だと言うかもしれない。それはそのとおりなのだが、ちょっとだけ違う。
ダナ・ハラウェイが指摘するのは次のことである。
現代の軍が要請するサイバー技術の思想とは、C³I (シー・キューブド・アイ)、三つのCと一つの I に要約される。すなわち、指令(comand)・管制(control)・伝達(communication)・情報(intelligence)である。しかし、主婦たちがこの技術を呑みこみ、脱構築するとき、指令と管制の二つのCは除去されるのである。あるいは私なりに言いかえれば、指令と管制に対する激しい敵対性が、C³I を換骨奪胎し、コミュニケーションとインテリジェンスのみが暴走するサイバネティックスの闘争機械が誕生するのだ。
われわれが味わったこの一年の経験とは、政府が放つコマンドとコントロールが表面に露出して、そのおぞましい姿をいやというほど見せつけられたということだ。そうした経験を共有する者たちには、だからもうコミュニケーションとインテリジェンスしか残されない。それだけがあればよい。3・12以後のサイバネティックス-サイボーグとは、敵対性という決定的な契機によって生みなおされたのである。
2012年4月11日水曜日
大河ドラマ 『平清盛』
ひさしぶりに海賊研究者として書くが、NHKの大河ドラマ『平清盛』である。
年の始めはうきうきしてして見ていたが、最近はちょっとがっかりしている。
海賊が出てこないじゃないか。
もっと海賊を出せ。
前回のあれはなんだ。藤原摂関家の宮廷政治? そんなものはどうだっていい。狭苦しい京都の宮廷なんか映してなにが楽しいのか。視聴者(私)が求めているのは、獰猛な海賊たちのいきいきとした姿だ。だいたい脚本がおかしい。平氏の跡目争いという問題を、兄と弟のセンチメンタルなお話にしてしまってよいのだろうか。平氏の棟梁を誰が継承するか、それは武士と海賊が口角泡を飛ばして激論する大問題であるはずだ。平氏という郎党の階級的性格を左右する殺気立った問題であるはずだ。
そんな話は史実にない? あたりまえだ。海賊の記録なんかのこっているはずがない。だからそこはリアリズムの手法を駆使して、ちょっとした嘘を挿入すればよいのだ。リアリズムというのは、ちょっとした嘘や演出を挿入することで、視点を定め、リアリティを増幅させる方法である。そういう嘘がなければ、海賊のような潜勢力を歴史の表面に浮上させることはできっこないんだから。
だからもう史料があるとかないとかじゃなくて、毎回毎回、海賊を出してほしい。清盛が何かを悩むときは、必ず背景が海。清盛が酒を飲むときは、必ず海賊団が登場。毎回しつこいぐらいに海賊。それぐらいやってほしい。
年の始めはうきうきしてして見ていたが、最近はちょっとがっかりしている。
海賊が出てこないじゃないか。
もっと海賊を出せ。
前回のあれはなんだ。藤原摂関家の宮廷政治? そんなものはどうだっていい。狭苦しい京都の宮廷なんか映してなにが楽しいのか。視聴者(私)が求めているのは、獰猛な海賊たちのいきいきとした姿だ。だいたい脚本がおかしい。平氏の跡目争いという問題を、兄と弟のセンチメンタルなお話にしてしまってよいのだろうか。平氏の棟梁を誰が継承するか、それは武士と海賊が口角泡を飛ばして激論する大問題であるはずだ。平氏という郎党の階級的性格を左右する殺気立った問題であるはずだ。
そんな話は史実にない? あたりまえだ。海賊の記録なんかのこっているはずがない。だからそこはリアリズムの手法を駆使して、ちょっとした嘘を挿入すればよいのだ。リアリズムというのは、ちょっとした嘘や演出を挿入することで、視点を定め、リアリティを増幅させる方法である。そういう嘘がなければ、海賊のような潜勢力を歴史の表面に浮上させることはできっこないんだから。
だからもう史料があるとかないとかじゃなくて、毎回毎回、海賊を出してほしい。清盛が何かを悩むときは、必ず背景が海。清盛が酒を飲むときは、必ず海賊団が登場。毎回しつこいぐらいに海賊。それぐらいやってほしい。
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