2011年8月13日土曜日

風評被害について

 京都の送り火に陸前高田市の薪を使うかどうかという問題は、検査の結果、薪からセシウムが検出されたことで、使用しないことになった。(8月12日現在)
 この問題では京都の保存会や放射性薪の危険性を訴える人々に対して、いわれのない誹謗・中傷がくりかえされてきたわけだが、薪にセシウムが付着しているという予測は完全に的中していたわけで、この間「問題ない」と言い続けた新聞社とNPOは土下座して謝るべきだ。

 これは「安全」を主張する者たちが言うのとは別の意味で、風評被害だ。
 いま起きている事態を的確に捉えている者たちと、何も理解していない者たちがいて、事態を見据えている有能な人間を阿呆扱いするとはなにごとか。有効な指摘・予測・プランを、なんの根拠もなく「考えすぎ」扱いしたあげく、まるで有害な意見であるかのように誘導するのは、風評だ。
 これこそ風評被害だ。

 私はこの間、首都圏が低線量被曝地帯になったことを繰り返し書いてきたが、まともに信じない者がいて驚いた。そのあげく、「それはちょっとおおげさじゃ(苦笑)」みたいな態度にでられて、ほんと頭にきてる。
 『現代思想』誌の震災特集(5月号)に書いた文章についても、アマゾンの素人レヴュアーに「くるってる」とか書かれて、もう頭にきた。これは私の欠点かもしれないが、自分より無能な人間に無能扱いされると、どうにも我慢ができない。私は一応アタマのデキの良さ(まあソコソコだけどね)を買われてモノを書いているわけで、根拠もなく阿呆扱いされるのはけっこうなダメージである。真面目にコツコツ文章書いてるのに、混ぜ物して書いてる奴らより信用されないって、どうよ。どうなのよ。

 ま、こんなとこで吠えても仕方ないのだが。
 今日は愚痴だ。