2014年6月18日水曜日

主体について

 ある男は、飼い犬がしつこく吠えている地面を掘り、宝を手に入れる。これを見た別の男は、この犬を借りて同じことをして、ゴミを掘りあてる。
 ある男は、地下の洞窟にころげ落ち、ネズミの村を発見する。男は猫の鳴き真似をしてネズミたちを追い散らし、そこにあった宝を持ち帰る。この話を聞いた別の男は、洞窟に行って同じことをするのだが、途中で正体がばれてしまい、ネズミたちの襲撃にあう。
 二人の男は、同じことをして、まったく違った結果をひきあてる。この寓話は、何を言おうとしているのか。

 まず、寓話に挿入された道徳的解釈を取り除いておこう。良いじいさんと悪いじいさん、正直じいさんと強欲じいさん、という解釈である。これは正しくない。ある男は宝を手に入れて、ある男は痛い目にあう。このことと、それぞれの男が道徳的にみて善人であるか悪人であるかとは、関係がない。なぜなら一人目の男が良い結果を引き当てたのは、善人だったからではなく、たんなる偶然だからである。
 善人が良い結果をひき、悪人が悪い結果をひくという解釈は、この寓話のもつ深みを捉えそこねている。道徳的解釈は、まず良い結果と悪い結果という結末の部分を捉えて、そこから時間をさかのぼって、それぞれの男が、善人だった、悪人だった、と言っているにすぎない。これは、原因と結果とを差し替えるインチキである。
 ここで見なければならないのは、二人の男が同じ行為をして、まったく違った結果を得たということだ。二人の運命を分けたものはなんなのか。そこを考えなければならない。良いじいさんと悪いじいさんという答えらしきものを用意しても、それは事態が起きたあとから理由をこじつけているにすぎない。まずはこの道徳的解釈を退けておこう。

 あらためて考えてみる。二人の運命をわけたのはなんなのか。
 まず頭に浮かぶのは「柳の下にどじょうは二匹いない」という格言である。二匹目のどじょうを狙っても、良い結果は得られない、と。こういう解釈は正解に近そうだ。しかし少しだけ違う。寓話では、二人目の男は何も得られないのではなく、悲惨な目にあってしまっている。彼はただ空振りに終わったのではなく、まるで制裁を加えられるかのように痛い目にあっている。なぜ二人目の男は痛い目にあわなくてはならないのか。
 良い結果を得た男から話を聴き、自分も真似をしてみる。あいつにできるなら俺にもできるのではないかと考える。そういうことはよくあることだ。ある成功した人のケースを参照して、そこから成功のための一般的な方法を取り出そうとする。たとえば事業に成功した実業家の講演を聞いて、金儲けの秘訣を知ろうとする。成功した人物の体験談を聴いて、真似をしてみる。そういう類の出版物は巷に溢れていて、お金を儲ける方法とか、子供を賢く育てる方法とか、人材活用術とか、異性の気を引く方法とか、とてもありふれたものとしてある。私たちはそうした講演会や出版物を横目で見ながら、「やくにたつかもしれない」と考えたり、「どうせやくにたたないだろう」と考えたりしている。
 しかし二人の男の寓話は、私たちが考えるよりもさらに踏み込んだ主張をしている。あるケースから一般的な方法を取り出そうとする試みは、やくにたったりたたなかったりするのではなく、痛い目にあうのだ。そういうことをやってはいけない、と戒めているのである。これは強烈な主張だ。
 アーティストやアスリートは、このことを経験的に知っている。あるとき抜群の筆致で絵を描いた。観客を総立ちにさせる最高の演奏をした。あるいは、ゲームで最高のパフォーマンスを見せた。彼はもういちど抜群のパフォーマンスを再現したいと考える。うまくいったときのことを思い出し、反芻し、どうすればそれを再現できるのかを考える。うまくやるための方法を探ろうとする。そうすると、うまくいかないのだ。うまくいかないだけでなく、かえって悪い結果をひいてしまう。簡単にできたはずのことまでぎこちなくなって、ドツボにはまる。スランプというやつだ。これもまたありふれたことなのだ。
 もっと日常的な例で知られているのは、恋愛である。恋愛にマニュアルは通用しない。男性が高価な贈り物をすれば女性の歓心をかうことができる、とは限らない。贈り物をされて気持ちが高まる場合もあれば、かえって冷めてしまう場合もある。こうすればうまくいくはずだと頭で考えてやることは、たいてい裏目にでる。方法にこだわればこだわるほど、気持ちの自然な流れが乱され、よこしまな印象がうまれてしまう。彼の目論見はただ空振りに終わるだけでなく、悪い結果をひいてしまうのである。

 二人の男が同じ行為をして、まったく違った結果になってしまう。二人の男を分けているのは、行為の一回性(サンギュラリテ)に忠実であったかどうかである。二人目の男に悪いところがあったとすれば、それは、行為の一回性を軽視してしまったことだ。
 一人目の男は、ある冒険を二度は起きないものとして経験した。彼はどのような結果になるかわからない特異で一回的な冒険に身を投じたのである。それに対して二人目の男は、頭で考えた方法で運命を操作できると信じてしまった。彼は良い結果を得ることだけを期待して、のるかそるかの冒険に身を投じる真剣さを失っていた。彼は実践にたいして斜に構えていた。つまり、運命を舐めてかかったのだ。
 ある人間が、富を得たいとか、痛い目にあうのは避けたいとか、考える。それはとてもありふれたことだ。彼は課題に当たる前に、その構造と機制を把握しようと努める。しかし、人間は事物を空間的に把握することには長けているが、時間を把握することまではできない。決定の瞬間、タイミング、流れの形成、チャンスを、あらかじめ把握できる者はいない。決定はつねに賽の目を振るような賭けを含んでいて、その決定がまずかったとしても、時間を巻き戻すことはできないのである。実践はつねに一回的で、だから、特異なのだ。



 何を言いたいのか。
私は主体の話をしているのだ。

 放射能汚染は取り返しのつかない特異な現実をうみだした。人間を生かしてきた安全な環境は剥ぎ取られ、私たちはつねに死を意識し、生の一回性を意識するようになった。そうした意識はとても不自由なものとして映るかもしれないが、そうではない。
 本当に不自由であるのは、運命に呑み込まれることを恐れて、その手前で立ち止まってしまうことだ。運命と格闘する主体を、自分自身の特異性を、封じ込めてしまうことだ。
強いられた状況の中で、身を投じるべき瞬間は、それぞれにある。良い結果になるか悪い結果になるかは、誰も保証しない。運命を克服するマニュアルは、ない。それが、自由だ。
 



2014年6月6日金曜日

なにが街頭行動を陳腐化させたのか


 いま、街頭行動はダサい。
なんだか目も当てられないほどかっこわるい。

 なぜか。
 右翼のせいか。
 議会政党のせいか。
 メディアのせいか。

 みんなちょっと考えてほしい。


 97年のロンドン、99年のシアトル、2001年のジェノヴァ、そして日本では2003年のリクレイム・ザ・ストリート(サウンドデモ)が、先鋭的な街頭行動のスタイルを普及させた。2000年代の東京は、デモに出ることがかっこいいという状況をつくっていた。当時は街頭デモを計画し、警察とつばぜりあうのが、めちゃくちゃ楽しかったのだ。

 それがどうだ。いまの街頭デモは、まったくワクワクしない。

 カンパニアだからか。
 行為の直接性が回避されているからなのか。
 いや、しかし、在特会に対抗する「レイシストしばき隊」の行動は、充分に直接的である。なのになぜ、彼らはかっこわるいのか。

 よくわからない。

 これちょっと考えてほしい。






追記

なんだかこの文章のアクセス数が異常なので、調べてみたら、野間とかいうのがツイートしていた。たぶん「反原連」の野間だね。

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野間易通 @kdxn
リクレイム・ザ・ストリートから矢部みたいなヘサヨサブカルの垢をそぎ落として洗練させたのが今の街頭行動。人脈も連続してるし。RT @sangituyama: 矢部史郎くんはこんな文章しかかけなくなったんだな。平井玄に続いて終了だな。

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これだよ。
自分で「洗練」っていうかね。
「人脈」とか言うかね。
言葉ひとつひとつに美意識が欠落してんだよな。目も当てられない。

2014年6月2日月曜日

書きかけノート『牧神パーンの発明』②


 電力不足による外観の綻びは、つぎにあらわれるさらに大きな衝撃の予兆に過ぎなかった。千葉県で栽培されたほうれん草から放射性セシウムが検出される。政府は食品流通のクリアランス基準を1キログラムあたり500ベクレルへと大幅に緩和していたが、その基準値をさらに上回る汚染が次々に報告される。葉物野菜、小魚、椎茸、茶葉、肉が汚染され、流通してしまった。食品を通じた人体汚染(内部被曝)が現実味を帯びるようになる。そしてこの年の秋に収穫された新米をめぐって、大規模な不買行為があらわれる。
 汚染食品の不買行為は、二つの段階を経て進行した。
まず1年目に焦点化したのは、食品の検査体制だった。日本政府は汚染調査に消極的で、汚染食品の出荷停止や回収という措置をほとんどとらなかった。そのため市民は自前で放射線測定器を購入し、食品検査を行い、情報を交換していった。市民は自治体に食品検査を要求し、いくつかの自治体では学校給食の食品検査体制がつくられた。こうした活動によって、食品汚染が非常に広範な地域に及んでいることが明らかになっていった。
 事件から1年をすぎた頃から、不買行為はより徹底したものになる。市民は食品をいちいち検査するのではなく、産地と品目だけで不買を決めるようになった。流通業者は食品検査の結果を示して安全性を訴えたが、無駄だった。このころには、検査技術の限界と抜け道が知られるようになり、消費者は、業者がどのような方法で「不検出」という結果をつくり出すのか知っていたのである。
 消費者が汚染地域の食品を買い控えているとき、政府は拡大する不買行為を「風評被害」と呼んで攻撃した。いくつかの市民団体は、母乳検査や尿検査を実施し人体汚染の実態を告発していたのだが、政府はそれもこれもすべて「風評被害」として片付けようとした。政府は、東京電力が汚染地域の生産者すべてに損害賠償することは不可能だと考えたのかもしれないし、政府自身が賠償を請求されることを避けたかったのかもしれない。あるいは、大量の生産者が破産することで発生する金融機関の破綻を恐れたのかもしれない。いずれにしろ、生産者をおそった汚染被害をできるだけ過小に評価したかったのだろう。政府は市民に向けて、福島県産の食品を買おうというキャンペーンを展開した。福島の生産者のために「食べて応援」しようと言った。本当は生産者ではない者たちの責任逃れのためなのだが。
 多くの生活協同組合は、政府の「食べて応援」政策と、消費者の不買圧力とのあいだで、玉虫色の態度をとった。なかでももっとも欺瞞的な対応は、検査をして安全なら食べようというものだった。この主張は、検査方法を学びその抜け道を知ってしまった人々には通用しない。しかし、知識のない会員にとっては、なにが問題なのかもわからない。知識のない会員は、自分が信頼を寄せる生協に裏切られたことすらわからないのである。
 このとき生活協同組合は、消費者運動の論理も歴史も忘れて、たんなる企業としての性格をむきだしにした。何が起きていたのだろうか。腐敗だろうか。そうかもしれない。しかしたんに組織の腐敗というだけなら、もうすこし躊躇があったはずだ。

 このとき不買行為は、根底的(ルビ・ラディカル)な拒絶を含んでいた。それは、「安全なものは買って危険なものは買わない」という、表面的で功利的な論理ではおさまらない。人々は表面的にはそのようにふるまいながら同時に、「安全なものも危険なものもすべて買いたくない」という心性を生みだしていた。もちろんそうは言っても、食品を買わないでは飢えてしまうから、そのときどき便宜的にベターと思われるものを買うわけだが、本当は、なにも買いたくなかった。
 広範な不買行為によって拒絶されたのは、たんに危険な汚染食品なのではなく、商品、商品経済、消費生活そのものである。なぜなら人々は、汚染食品が流通する過程で、どれだけ多くの嘘と秘密と印象操作が投入されているかを目の当たりにしたのだから。私たちはいやというほど見せられたのだ。商品が嘘で塗り固められていることを。その実相を見てしまったら、もう昨日までの「素敵な消費生活」という夢にのぼせることはできないのである。
(つづく)

次回予告
 次回は、ジョルジュ・ソレル『暴力論』とヴァルター・ベンヤミン『暴力批判論』をちゃんと読んで、不買行為のもつ暴力(反暴力)の性格を掘り下げる。「大罷業」(ソレル)または「神的暴力」(ベンヤミン)が発動する時間。暴力(反暴力)の時間。そこから本題の核心となる、裸足で逃げ出すプロレタリアートの正義性について。うーん。頭ぐるぐるしてやばい。

2014年5月30日金曜日

沈黙からなにを引き出すか



 多くの人々が放射能汚染について語らなくなった。ほとんど沈黙している。
 忘却だろうか。ちがう。日本に暮らしていて放射能汚染を忘れることなどできない。
たとえば、『美味しんぼ』という有名な漫画が放射能汚染問題を題材にして、福島県の自治体や日本政府が過剰な反応を見せている。政府・自治体とマスメディアが「炎上」状態になっているときに、その当事者である私たちは沈黙している。これは忘却とは対極に位置する沈黙だ。
 萎縮だろうか。事態の深刻さに恐れおののいているために、黙り込んでしまったのか。そうかもしれない。表面的にはそういうことにしておいたほうが世間的なとおりはいい。
 しかし本当の話をすれば、戦慄は官能を伴っている。人は恐怖で萎縮しているとき、それとはまったく反対に、興奮をおぼえ武者震いをしている。それはあまりあからさまに表明すると事態を喜んで歓迎しているように見えるから隠しているだけで、本当は心のどこかでこの運命を楽しんでいる。絶望している自分と、興奮している自分がいる。


 東京にいた頃、イラク反戦運動の街頭デモが大きく高揚した時期、私は被逮捕者の救援活動ばかりやっていた。私のいたグループは警視庁に狙い撃ちにされていたので、毎月のように逮捕者が出て、救援会活動で休む暇がないほどだった。
 誰かが逮捕されると、それから一週間は寝る暇もない。関係者が集まり、救援会を立ち上げ、弁護士に接見を依頼し、留置場に差し入れをする。被逮捕者の家族に事情を説明し、公式声明を書き、キャンペーンで資金を集め、留置されている警察署へ抗議に押しかける。警視庁は「過激派」とみなした者に対しては必ず家宅捜索を仕掛けてくるから、それへの監視もしなくてはならない。
 そのあいだ毎晩、会議である。我々は政党ではない有象無象の集まりだったから、救援のための対策部門をもっていなかった。いつも全員で救援活動に取り組んだ。だから大きい会議では30人や40人が集まって、議論をし、意志一致をはかり、さまざまな作業を割り振りしなくてはならない。
 こういうスタイルの救援会議は、喧騒と沈黙が入り乱れる場だ。しゃべりすぎてしまう人間と、まったくしゃべらない人間がいる。そのどちらも、初動の段階では恐怖によるものだ。一般的に言って、男は恐怖に駆られるとよくしゃべり、女はまるで硬直したように沈黙する。そしてこの沈黙する女が、救援活動の要である。
 被逮捕者の妻、恋人、母親、あるいは姉妹が、口を閉じたままじっと座っている。突然ふって湧いたような事態に戸惑いながら、考えている。逮捕されたのは何かの間違いだとか、検察と交渉すれば容赦してもらえるのではないかとか、最初はみなそう考える。間違いだったらいいな、と願望するのだ。しかしそれとは反対に、彼女は自身の経験の中からもうひとつ別の一般的事実を引き出してくる。つまり、暴力に正当も不当もなく、すべて不当であることを。本来的に不当である暴力に、交渉や駆け引きが通用するものかどうか。かりに通用したとして、そうやって釈放された人間はそれ以後、警察に脅えつづけるジメジメしたやくざのような者になってしまうだろう。その負の効果を直接おわされるのは家族や恋人なのだ。だから暴力に対しては、非和解的に対決する以外にないのである。
 彼女が警察・司法と対決することを決意したとき、救援会の腹が据わる。こうなると女はテコでも動かない。権力(暴力)への非妥協性・非和解性をあらわにする。だから議論すべきことなどほとんどない。それ以後、無駄なおしゃべりは消えて、全員が静かに、眼光を鋭くする。喧騒と沈黙の弁証法は、沈黙にいたる。それは最初に味わった恐怖による沈黙ではなく、明確な意志をもった沈黙である。

 2011年の事件から3年たって、反原発デモの喧騒はなくなった。いま多くの人々が沈黙している。この沈黙のなかには、意気消沈したものもあるだろうし、建設的な意志をもったものもあるだろう。じっさい声を上げて議論すべきものはそれほど多くない。暴力は本来的に不当で、請願しようが陳情しようが、放射能汚染は譲歩してくれないのである。

黙って腹を据える時期だ。やるべきことはたくさんある。

2014年5月17日土曜日

書きかけノート『牧神パーンの発明』

矢部+山の手緑の作業が、遅々としてすすまない。
理由は私が煮詰まっているから。
私には悪い癖があって、明確に人格化した敵を設定しないと、モチベーションが上がらない。山の手氏には批判されているところだが、どうもやる気が起きない。

ということで次回の文章は、映画評論家の町山某を批判するつもりで、表面的にはそうは書かないが、腹積もりとしてはそういう意図で書く。山の手さん、ごめんなさい。

といっても、まだまだ全然書けてない。
ので、これまで書いたノートの一部を公開して、自分にプレッシャーをかける。
仮題は、『牧神パーンの発明』。
以下、本文。

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 牧神パーンは、ギリシャ神話に描かれた古い神である。パーンは父ヘルメースと母ニュムペーのあいだに生まれた。ヘルメースはニュムペーと交接するさい羊に変身していたため、パーンは人間の体に山羊の脚と角をもつ半獣半人の姿で生まれた。パーンはその異形のために、生まれてまもなく母に捨てられてしまうが、ギリシャの神々はみな喜んで彼を迎え入れる。なかでももっとも喜んだのは、酒の神ディオニュソスだった。
 パーンの逸話の中で最も有名なのは、変身の逸話である。ある日、神々の宴会に、ゼウスの仇敵テューポーンが奇襲をかける。突然の襲撃に驚いた神々は、それぞれ動物の姿に変身して攻撃をかわす。ゼウスは大鷲に、アポローンはカラスに変身して空を飛ぶ。 アフロディテの母子は魚に変身して水中に逃げる。このときパーンは、上半身を山羊に、下半身を魚に変えて、水に飛び込んだ。神々はこの姿を見て大いに喜び、その姿のまま天の星座にした。これが山羊の上半身と魚の尾びれをもつ山羊座である。
 山羊と魚、二つの生物を混合した姿は、異形である。ある種の神話解釈では、その姿は醜態とされる。彼はあわてすぎたために、おかしな生物に変身してしまったのだ、と。しかしパーンにとってそれは醜態ではない。彼は生まれつき半獣半人の混合種なのだから。二つの種が混合してなんの不都合があるだろうか。パーンの変身は醜態ではなく、力の発現である。彼は前足の蹄をけって険しい山を登り、大きな尾びれを振って水中に潜行する。山の頂きから海底まで、彼はすべて(pan)を踏破する力を発明したのである。
  

 はじめに外観の話から始めよう。
 2011年の東日本大震災は、東京の都市機能を麻痺させた。電車が不通となり膨大な帰宅困難者がうまれた。物流が滞り、水や電池やガソリンが入手できなくなった。そして関東全域で電力が不足する。多くの地域で電力供給が止められ、都心部でも節電が実施された。
 このとき私たちが知ったのは、電力は都市の動力であるというよりもむしろ都市の外観を支えるものであるということだ。節電の要請によって照明が間引きされていく。そうすると建物はまったく違った印象を与える。薄暗いコンビニエンスストアは、とても惨めな気分にさせる。私たちがこれまで感じてきた都市の輝きとは、大部分が蛍光灯の輝きであったということを知った。店舗に設置された照明は、陳列した商品の見栄えを良くするためだけでなく、その空間そのものを明るく照らしていたのである。かつて建物の窓は、室外の光を室内に取り入れるためにあったが、現在では室内の輝きを室外に放つためにある。だから、節電によって照明が少し暗くされただけで、東京の風景はまったく違った印象になってしまったのである。
 1980年代の再開発以降、都市建築は外観を競うようになった。それはつまるところ、素材の表面が放つ輝きであり、照明の強化であった。薄暗い便所は改装され、明るく輝く化粧室があらわれた。建物の外壁にはタイルを貼り、あるいは枠のない一枚ガラスで光を反射させる。黒いアスファルトは剥がされ、多彩な色を放つブロックで敷き詰められていく。この再開発は、都市から薄暗い空間をなくし、明るさを充満させる事業だった。形・色・質感・電力が、光学的に再編され、都市空間全体がデパートの売り場のような輝きをもつようになる。都市は商業活動のためのたんなる容れ物ではなく、その空間自体がひとつの商品(ルビ・フェティッシュ)として輝きを放つようになったのである。
 ここで追求された外観のフェティシズムは、寺社仏閣や古美術のようなフェティシズムではない。新しい商業都市が要求するのは、新鮮さを印象づけるフェティシズムである。求められるのは、つねに新しいこと。いつまでも古びないこと。時間を蓄積させるのではなく、時間を蒸発させることである。過去の時間が蓄積して現在があり、現在の時間は過去となって堆積し未来を形成していく、そのような常識的な時間概念は、商品そのものとなった都市空間によって覆されていく。過去-現在-未来は切断され、〈ゆるぎない現在〉だけがいつまでも輝きつづけることになる。
 1990年代に問題となったプリッグ症候群(潔癖症)の流行や、グラフィティ(落書き)の流行は、この時間概念の再編に関わっていると思われる。それらは衛生や美観をめぐる葛藤であるよりも、時間をめぐる葛藤だったと言える。〈ゆるぎない現在〉に執着する病と、〈ゆるぎない現在〉に時間を書き込む者たち。あるいは、中年の女性たちのあいだでアンチエイジングが流行し、その反対に、若者たちはドレスアップではなくドレスダウンを意識するようになる。都市の新しい規則となった〈ゆるぎない現在〉が、人間の姿に強い光を浴びせ、そこに含まれている時間を意識させるようになったのである。

 20113月、東京電力・福島第一原子力発電所から放出された放射性物質が、首都圏を襲う。首都圏の水瓶である利根川が放射性物質に汚染され、東京都に水を供給する金町浄水場で放射性セシウムが検出される。
 3月末から4月にかけて、東京では花見をするかいなかが問題になる。当時の東京都知事は市民に向けて花見行事の自粛を呼びかけた。巨大災害に襲われている非常事態に花見などしている場合ではない、と。もっともである。
 これに対して日本政府は、市民に花見行事を実施するように呼びかけた。「こういうときだからこそ、平常どおりに生活することが大切です」と。「平常どおりに消費生活をおくることが、災害からの復旧に必要なのです」と。あるいはこうも言った。「都民が平常どおりの生活を取り戻すことが、被災地の復旧支援につながるのです」と。
 「平常どおり生活する」という政府の号令は、客観的に不合理で、多くの人々にとっては無理な要求だった。このとき東京から220キロの地点では、4機の原子炉が制御不能の状態にあり、放射性物質を放出し続けていた。都市機能災害はまだ復旧できていなかった。たとえば千葉県浦安市では、街のいたるところで地盤が液状化するという深刻な被害に見舞われていた。どの店でも物資の供給が滞り、水も電池も手に入らない状態だった。さらに東京電力が強行した「計画停電」は、東京圏郊外の電力を止めて、電灯も信号機も消えるブラックアウトを発生させていたのである。東京都知事に言われるまでもなく、市民は花見をしている余裕などなかった。「平常どおり」花見を楽しむことができたのは、都心部に暮らすほんのひと握りの人々だったのである。
 しかしそれにもかかわらず、政府のこの呼びかけが異常なものとして退けられることはなかった。少なくない人々が政府の呼びかけを支持し、「平常通り」に花見行事を敢行したのである。4月初旬、東京では市民が放射性物質を浴びながら花見をするという、まるでSF映画のような場面が現実になったのだ。
 おそらく彼らを駆り立てていたのは、東京の外観を取り戻すことであった。インフラの復旧や都市機能災害の回復を待つ前に、まず「平常通り」の花見を演じること。都市の基盤整備よりも先に、都市の表面的な見せかけを実現すること。そこに東京の秩序の核心があった。なにがあろうと東京は〈ゆるぎない現在〉を護持しなくてはならない。東京電力の強行した「計画停電」は、足立区と葛飾区を除く都心の21区では実施されなかった。その選別は産業的な理由からではなく、東京という街の綱領(ルビ・イデオロギー)に関わるものだ。東京はなにがあっても輝きを失わず、〈ゆるぎない現在〉を表現しなくてはならない。


 (つづく)


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次回予告

 自己啓発セミナーに軟禁されたとき、または、カルト教団に入ってしまったとき、人は単独で脱出(脱会)しなくてはならない。みんなで話し合ってどうしましょうという話ではない。トイレの窓から裸足で抜け出す力が必要だ。それがプロレタリアートに運命づけられた暴力の時間であり、牧神パーンが発動する瞬間、という話。

2014年5月15日木曜日

2016年問題に備えよ



 ウクライナの歴史を参照するならば、放射能汚染による病者・死者は事故から5年後に爆発的に増大する。日本では2016年に病者・死者が爆発的に増大するということになる。現在でもすでに感染症の増加がみられるが、2016年以降はパンデミックが発生する。関東・東北では充分な医療措置が受けられなくなると覚悟したほうがいいだろう。
 不吉なことを言うやつだといやがられるかもしれないが、私は霊的な予言をしているのではなく、ウクライナの歴史を参照しているだけである。東電の撒き散らした放射性物質がソ連邦の放射性物質よりも弱いということはないし、モンゴロイドがコーカソイドより被曝に強いというわけでもない。日本でもウクライナと同様の事態になると予測するのが妥当だ。2016年に東京は壊滅的な打撃をうける。

 2016年の危機は、現在の支配関係を反転させる契機でもある。目指すべきは、支配階級が混乱をきわめ、われわれがまったく混乱していないという状態を実現することだ。敵が混乱の中で主導性を失い、われわれがどのような攻撃も自由に選ぶことができる状態にしなくてはならない。

 2016年まであと二年間ある。この二年間、ただ不安を抱えて腕をこまねいているのではいけない。そんな態度は左翼とは言えない。2016年以降の反転攻勢を準備するために、いちはやく東京を脱出し、体調を整え、頭脳を明晰にしておかなくてはならない。2016年の段階でまだ東京をウロウロしているような者は、残念だが、戦力外だ。これからはじまる歴史的な闘争に加わりたいなら、東京を出よ。

2014年4月23日水曜日

軍手について


 最近、ある職人と友達になって、手の使い方やハサミの話とかができて、楽しい。
ので、ちょっと職人っぽい話を書く。今回は自分の楽しみのために書く。



 昔から不思議に思っていることがあるのだが、軍手ってなんだろうか。あの、綿でできた手袋。日本では作業用手袋の代名詞といえるほどポピュラーで、作業用品店にいけば、ごそっと束で売っている。あれは、謎だ。
 誰でも一度は軍手を使ったことがあると思う。そこでちょっと思い出してほしいのだが、軍手って使いづらくないか? 私の経験で言うと、「軍手って便利だなあ」と感じたことがない。あんな手袋で作業をしても、つらいだけだ。実際に現場で仕事をしている職人なら知っていると思うが、あれって使わないよね。ちゃんと作業をするなら、ゴム手袋か、革手袋か、もしくは素手だよね。
 いったい誰があの綿の手袋を買っているんだろう。


 軍手の使えなさは、言い出すときりがない。あらゆる面で機能性が低い。低いというだけでなく、マイナス面が多い。
 まず、隙間だらけだから、手にトゲが刺さる。木のささくれ、鉄のバリ、土に埋まっている釘やガラス片、等々、尖ったものを全部スルーしてしまうから、手が痛い。
 隙間だらけだから、手が汚れる。農作業をしたら手が泥まみれ、コンクリを扱えば手がセメントまみれ、金属加工をしたら油まみれ、なんのために手袋をしているのかわからない。
 厚みもない。建築や土木の作業では、モノを殴って動かしたりする場面があるのだが、あんなペラペラの手袋では力いっぱい殴ることができない。モノを握って曲げたり砕いたりということもできない。
 摩擦係数が低い。スルスルすべってしまうから、モノをしっかりつかむことができない。ハンマーやバールやラチェットが手から逃げてしまう。あと、ちょっと重量のあるダンボール箱も持ち上げられない。金属加工の現場では、しっとりと油にぬれた鋼材を扱うわけだが、軍手なんかはいていたらスルスルと手から逃げて落としてしまう。
 かといって、手の上をすべらせたいときには、ちゃんとすべってくれない。長さのあるモノをすべらせて動かしたいのに、枝木のトゲや材木のちょっとしたささくれにひっかかったりして、どうにも面倒くさいことになる。
 防水性がない。濡れ放題である。夏ならまだいいが、冬に手が濡れると凍えてしまって感覚がなくなる。
 断熱性がない。切削したばかりの鋼材とか、夏の日差しでチンチンに熱くなった鉄パイプとか、熱いモノをつかむことができない。
 機械に引っかかる。回転しているドリルの刃先とか、回転する旋盤のチャック(材料をつかむ爪の部分)とか、ひっかかってはいけないところに、あの綿のほつれが引っかかって手を巻き込んでしまう。こんなばかげたことで、指を失うような労働災害をひきおこすのである。

 こうやって書き出してみると、本当に謎だ。あの軍手という手袋はなんのためにあるのだろうか。手を保護しない危険な手袋。実質を欠いた、みせかけだけの手袋。作業効率をあげるどころか足をひっぱっているだけではないか。こんな不合理なものが作業用品の代表のようにみなされていることは、日本の産業文化の汚点だと思う。



 軍手をはいていたのでは、ちゃんとした作業はできない。知っている人間は知っていることだ。
 しかし、それでも軍手は大量に生産され、束で売られている。現在でも軍手は作業用手袋の代名詞である。だから学校は生徒たちに軍手を配るのだ。本当はちがうのに。