2014年3月20日木曜日

東京都知事選後のあれこれ



 先月行われた東京都知事選挙では、統一候補をめぐる内部論争と綱引きがあって、良い意味でも悪い意味でも「反原発運動」の分解を促しているようだ。
 京都の友人が、この間の動向を分析し、文章にしている。


 この論文では、まず日本共産党の現在の行動綱領から分析を始めているのだが、最後まで読めばわかるように、問題にされているのは共産党の動き方だけではない。共産党も、共産党に批判的な人々も、どちらも串刺しにして「反原発運動」全体を批判している。
 この論文の細部についてここでは論評しない。このブログは、もうちょっとかっこいい題材を書くための場所なので、高齢者と素人がくんずほぐれつやっている生臭い政治について書くつもりはない。

 私がおもしろいと思うのは、こうした政治分析が東京からではなく、京都から発信されているということだ。
 東京からの頭脳流出が、さまざまな領域で進行中であることを、感じてもらえたらいいと思う。


2014年3月13日木曜日

『インパクション』誌次号で大友良英を批判します



 次号の『インパクション』誌で大友良英を批判します。
 矢部史郎+山の手緑の共同名義で、「シジフォスたちの陶酔 ――PROJECT FUKUSHIMA!」を批判する」という文章を出しました。
 「PROJECT FUKUSHIMA!」というのは、福島市で文化活動をしているちょっと気持ち悪い団体で、この活動で文部科学大臣賞を受賞しています。NHKもこれを応援しているようで、朝の連続テレビドラマ「あまちゃん」のテーマ曲を、大友良英に作曲させています。「復興」政策・被曝受忍政策の大きな構図のなかで、実は「エートス」よりもこいつらの方が影響力が大きく、病も深いと思っています。「エートス」が福島県民を対象にして福島県民をまきこんでいるのにたいして、「PROJECT FUKUSHIMA!」は全国を対象にしていて、全国の(とくに東京の)人々を巻き込んでいるからです。

 これから我々の書いた「シジフォスたちの陶酔」の一部を掲載します。前フリの部分だけ。全文をここに掲載すると、『インパクション』誌との仁義を欠いてしまうので、立ち読み程度に、ちら見せです。ようは宣伝です。ゲラの前段階の生原稿。しかも、ぶつぎり。
全文を読みたい方は、次号の『インパクション』を買って読んでください。4月10日発売。
以下、本文です。

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シジフォスたちの陶酔 ――Project FUKUSHIMA!」を批判する
矢部史郎+山の手緑

「スペクタクルは、社会そのものとして、同時に社会の一部として、そしてさらには社会の統合の道具として、その姿を現す。社会の一部として、それは、あらゆる眼差しとあらゆる意識をこれ見よがしに集中する部門である。この部門は、それが分離されているというまさにその事実によって、眼差しの濫用と虚偽意識の場となる……」(G・ドゥボール)(1


 我々がこれから試みるのは、東京電力・福島第一原発公害事件(以下、東電公害事件と略す)以降にあらわれた権力と翼賛の形式を描き出すことである。
 東電公害事件は、日本、ロシア、北米に放射性物質を拡散させた。日本だけに限定しても、放射性降下物の被害で4千万人、物品を通じた二次拡散で1億3千万人の人口を呑み込む大規模公害事件である。
 この事態に際して、日本政府は放射線防護対策を放棄した。人々に汚染被害の受忍を要求する被曝受忍政策にでたのである。日本に暮らす人々は、被曝防護か被曝受忍かをめぐって分裂した。防護派は東日本から退避・移住し、放射性物質の二次拡散を監視している。たいして受忍派は、汚染被害を忘れようとしている。こうした大きな分裂を背景にして、被曝を受忍させる権力とその翼賛が形成されている。忘却、無関心、権威主義、議論のはぐらかし、結論の先延ばしが、生活の一般的規則として上昇する。
 シジフォスは、ギリシャ神話に描かれた永遠の囚人である。ゼウスの怒りを買ったシジフォスは、山上に大きな岩を運びあげる作業を課せられる。この作業に終わりはなく、彼はこの無益な仕事を永遠に繰り返さなくてはならない。
 汚染地域に生きることは、シジフォスの時間を生きることだ。除去できない汚染のなかで、「復興」という掛け声が繰り返される。具体性を欠いた空論が、具体性を欠いているがゆえに、あきれるほど自由に喧伝されている。人々に課せられた「復興」は本当に実現可能なのか、「復興」の最終目標はどこか、そもそも誰の何のための「復興」なのか、詰めきれていない問題が山積している。それらがなにも明確にされないまま、ただ国民的団結が要求されているのである。
 解決可能な問題を先延ばしにし、出口のない偽の課題に向かわせているのは、政府の被曝受忍政策とそれへの翼賛である。東京は被曝を受忍するシジフォスたちの都市になった。そこにある欺瞞と陶酔を明らかにしようと思う。


 2011年の3月12日から考えよう。
 前日の11日午後、三陸沖で発生した東日本大震災の揺れが、列島全体を揺るがしていた。太平洋沿岸部に巨大な津波と火災が襲う。無数のカメラが被害の映像を捉え、電波とインターネット回線を通じて報道される。その日の夕刻、福島第一原子力発電所の原子炉が冷却不能に陥ったことが知られる。
 3月12日、NHKのヘリコプターが、福島第一原発から30キロの地点でホバリングする。ヘリに積まれた超望遠レンズとデジタルハイビジョンカメラが、原子力発電所の姿を捉え、ライブ映像を配信する。世界中が固唾を飲んで原発の映像を凝視した。ここで思いだしてほしいのだが、私たちは、原発が爆発したあとに映像を見たのではない。爆発の数時間前から、リアルタイムで原発の姿が映し出されていた。だから私たちは爆発の瞬間を目撃することになったのだ。これが東電公害事件のおおきな特徴である。
 このことをチェルノブイリ事件と比較してみよう。我々はチェルノブイリ原発の炎上する姿を見ていない。当時のソ連政府は、当初、チェルノブイリの事故を隠していた。スウェーデンのモニタリング機関が異常を指摘するまで、誰もチェルノブイリの爆発を知らなかった。ソ連政府は、事故を見せるのではなく、隠した。いまでは当時の記録映像のいくつかを見ることができるのだが、それはソ連邦内部の国民に向けて、収束作業の動員のためにつくられたプロパガンダ映画というべきものであって、諸外国の報道機関に提供するためのものではない。ソ連政府は、チェルノブイリの姿を国民に見せて、世界に見せなかった。そういうしかたで事故の隠蔽をはかったのである。
 東電公害事件をめぐる隠蔽は、かつてのソ連政府の対応を反転させた形式となっている。世界中のメディアが、その日のうちに爆発の映像を報道し、我々の目にやきつけた。そして皮肉なことに、爆心地である福島県の放送局だけは、爆発の映像を報道しなかったのである。事件をめぐるメディア状況は、チェルノブイリ事件とは対照的なかたちをとったのである。
 いまから振り返って考えてみれば、すでに3月12日の段階で、この事件をめぐる高度にスペクタクル(ルビ・見せ物)的な性格が決定していたと言えるだろう。日本政府にとって問題となるのは、世界が注視する中でいかにして問題を隠蔽するかである。単純に隠すというだけでは足りない。隠すことによって隠す、だけでなく、見せることによって隠すこと。人々の視線を遮断するだけでなく、積極的にスペクタクルを提供し視線を操作すること。人々の関心と無関心に介入し、意識の流れを誘導すること。ここから、「復興」政策全般を規定するスペクタクル(ルビ・茶番)の政治が要請されることになる。
 3月15日、二度目の爆発(3号機)をカメラが捉える。ふたたび世界に衝撃が走る。そして、三度目の爆発(4号機)は映像として配信されることがなかった。4号機はあきらかに天井が吹き飛んだ状態で建屋の内部をさらしていたのだが、これは「火災事故」として報告された。4号機の爆発は、単純に隠すことで隠したのである。
 3月17日、おおがかりなショーが始まる。自衛隊のヘリコプターに大きなバッグを吊るし、フタの空いてしまった3号機原子炉にむけて、上空から海水を投下するという作戦である。この作戦を「ヘリバケツ作戦」と呼ぶことにしよう。ヘリバケツ作戦は、鎮火という意味では実効性のない作戦だった。そのことははじめからわかりきっていた。自衛隊機を使用したこの作戦は、あきらかに世界に見せるためのショーだった。
 世界中がヘリバケツ作戦に注視した。日本政府のしかけたスペクタクルに我々は釘づけになった。ではこのヘリバケツ作戦のスペクタクルは、どのような効果をもつものだったのか。「日本政府が事故収束への決意を示した」ということだろうか。名目としてはそうかもしれない。あるいは政府関係者のなかには主観的にそう考えた者もいたかもしれない。しかし、名目ではなく実質を考えるならば、問題はそれほど単純ではない。
 それがどのていど意図されたものかはわからない。だが結果としてヘリバケツ作戦が与えたスペクタクルの効果とは、見る者をガッカリさせること、人々の意思を挫き無力感を与えることだった。収束作業の具体的方策、有効性、優先順位、等々、国内外で交わされたさまざまな論議が、この唖然とする作戦によって空転させられる。おそろしくバカバカしいものを見せられたとき、人は沈黙する。知識がある者もない者も、すべて観客席へ、観客的な人間のふるまいへと、閉め出される。この日、ヘリバケツ作戦を見せられることによって、我々は蚊帳の外に置かれたのである。
 ヘリバケツ作戦によって誰が勝利したのか。問題解決にあたる日本政府である。世界中の人々がガッカリし、日本政府の能力に疑いを持ち、信頼を失う。そのことが日本政府にとって「失点」になるだろうか。ならないのだ。スペクタクルの政治にとって、人々の信頼などなんの意味もない。むしろ人々の信頼を突き放し、観客化し、沈黙させることで、政府が専制的にふるまうための条件を整えていくことになる。


 スペクタクル政治の専制的性格を説明するために、問題をアートの文脈で考えてみよう。ヘリバケツ作戦を、もっとも現代的なアート作品として捉えるならば、問題の構図がいくらかわかりやすくなる。
 第二次大戦後、アメリカではヨーロッパ近代芸術から離脱した現代アートが

 

 


2014年3月12日水曜日

ギー・ドゥボール『病んだ惑星』


 以下は、90年代に発表されたギー・ドゥボール(guy debord)のエッセー「Sick Planet」の全文です。
 ドゥボールは、『アンテルナシオナル・シチュアシオニスト誌』の中心メンバーであり、『スペクタクルの社会』の著者として知られる人です。大戦後のフランスで芸術運動を理論的に牽引し、68年5月革命を準備したといわれる人物。
『Sick Planet』は、ドゥボールが公害問題について書いたエッセーです。
 被曝社会研究会に参加してくれた菰田くんが、英語版から翻訳してくれました。

 実は内容的にはもうひとつです。晩年のドゥボール、あんまり冴えてないです。小手先でちゃちゃっと書きとばしてるんではないか疑惑。
ただ、このもうひとつ感を確認しておくのもいいかもしれない。ということで公開します。

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病んだ惑星

G・ドゥボール  
(菰田真介訳) 

 「公害」は今日流行している、まるで革命のように。それは社会の全生活を支配しており、スペクタクルのなかでは幻覚のかたちをとって表れる。このことを肴に多くのくだらない書き物が著され、多くのくだらない議論が戦われる。そのいずれもがちんぷんかんぷんで誤っている。しかし公害という問題は我々みなの首根っこを押さえている。それはいたるところでイデオロギーのかたちをとって表れているが、物質的には、ずっと拡大してきたものである。二つの対立する方向性がある。一つは商品生産の最高点へと向かう前進運動であり、もう一つはそれを全否定する計画である。どちらもそれ自身矛盾に満ちたものであるが、これらのあいだの緊張はかつてないほど高まっている。ここからある歴史的な瞬間が開けてくる。長らく待望され、ことの起こる前からしばしば部分的で不十分な言葉で語られてきたそれは、資本主義が存続不可能になる唯一の契機となる。
 地球に生きと生けるものすべての境遇を完全に変形してしまうに足る技術を手に入れた時代とは、階級社会で疎外された生産力の自動成長が我々に襲いかかってくる現場(とその期限)を数学的緻密さで突き止めて予見することができる時代でもある。なんとなればこの同じ技術と科学がそれぞれ発展してきたからだ。いいかえれば、生存のための条件そのものが、生存という言葉の一般的な意味においても些細な意味においても急速に悪化していることを計れる時代である。
 昔語りにふける野郎は、あいかわらずこのことを指して美的にどーだのと(あるいは美なんてなんぼのもんじゃいと)つべこべ抜かしている。連中はお粗末にも自分たちは賢明で近代的で時代にマッチしていると思い込んでいるのだ。いわく、高速道路やサルセルなどにある団地にも、それなりの美しさがあるし、「おどろおどろしい」昔の町の不快さに比べればきれいなものだうんぬん。彼ら「リアリスト」はもったいぶって話す。「本当の」料理に郷愁を感じる諸氏には恐縮だが、以前に比べて今の食べ物ははるかによくなっているんですよと。彼らは自然なものの全体性が崩壊していることを分かっていない。人間を取り巻く環境はすでに、美などといった質の喪失どころの話ではなくなってきている。今日の問題はより根本的なものである。すなわち、そうしたコースをたどるこの世界がはたして物質的に存続できるのかという問いである。事実この不可能性は、独立した科学の知の完全性によって完璧に証明されている。この科学は、その過程に関わるあらゆるものを議論の対象としない。もっとも残された時間の長さは議論するし、強力に使えば少しの間は一次しのぎになるだろう手段についても議論するのだが。この科学は、自分を生み出した世界、自分を固くつなぎとめる世界と手を取り合って歩くこと以上のことはできない。そして破壊の道を突き進んでいく。気付いてはいるが、そうしていくほかない。かくして科学は、適用されていない知識の無意味さの典型例となっており、ほとんど戯画のようだ。
 呼吸可能な大気、川、海などの急速な化学汚染に関して、すばらしく正確な計測、予測が絶えず立てられている。たとえば、いわゆる平和目的のための原子力の発展に伴う放射性廃棄物の不可逆的蓄積。騒音の影響。空間を恒久ゴミ処分場とせんばかりの勢いのプラスチックゴミの拡散。手をつけられなくなった出生率。食料品の狂気的腐敗。かつて街だったところも田舎だったところもすべてに広がった都市スプロール現象。そして同様に広がった精神病。その例として、公害そのものに反応して蔓延するようになる神経的恐怖と幻覚。公害の驚くべき事実はいたるところで告示されている。そして自殺の広がり。自殺率の増加は、このような環境の加速度的構築と正確に対を成している(いうまでもないが、核戦争や細菌戦の影響も計測されている。そのための手段はすでに身近にあり、ダモクレスの剣のように我々に迫っている。もちろん避けることもできるが)。
 要するに、「一千年目の恐怖」の広がり、そしてその現実までもが歴史家の間でなお論争の的となっているとしたら、二千年目の恐怖は歴然としていて十分な根拠があるものである。それはいまや科学的確実性のもとに根拠を置いている。だからといって、起こっていることが根本的に新しいものであるわけではない。むしろそれは、長期に及ぶプロセスから必然的に導き出された結果にすぎない。かつてないほど病んでいる社会、しかしかつてないほど強力な社会。それは、あらゆるところで具体的に世界を作り変えた。そうして世界は、社会の病をを引き起こす温床となった。社会は病んだ惑星を生み出したのだ。同質性をいまだ獲得していない社会。自己決定していない社会。しかし、自己の上に位置付けられた外在的な自己によって、かつてないほど規定されている社会。この社会は、いまだ自己を統御できていない「自然」による支配のための道筋を作った。資本主義は、もはや生産力を高めることはできないとみずからの力学によってついに証明したのだ。それは、多くの人が考えるような量的な意味でなく、質的な意味での生産力である。
 しかし方法論的に言えば、ブルジョワ思想にとっては量的なもののみが確実で計測可能で有効なものであり、質的なものは、漠然とした主観か、あるいは本当に確かなものを芸術的に装飾したものに過ぎない。確かなものは、唯一その現実の量によってのみ測られる。一方弁証法的思想、したがって歴史やプロレタリアートにとっては、質的なものが現実の過程の最も決定的な瞬間である。このことは、資本主義も私たちも最終的に証明することになるだろう。
 社会の支配者は、いまや公害について語るよう迫られている。それは公害と戦うため(なぜなら結局は連中も我々と同じ惑星に生きているのだ。資本主義の発展が実質的に階級融合をもたらすといわれるのも、こうした意味に過ぎない)であり、それを隠すためである。なぜなら、そうした有毒かつ危険なものが存在するという明白な事実が、暴動に十分すぎるほどの口実を与えてしまうからである。暴動の欲望は、搾取される者にとって物質的に欠かせないものであり、その重要性は、食べていく権利のために闘った一九世紀のプロレタリアートと共有されたものである。過去の改良主義――これらはすべて、例外なく階級問題の最終解決を目指したものである――が根底から失敗に終わったあと、かつてと同じニーズにこたえる新しい種類の改良主義が浮上してきている。すなわち、機械の油差しと先駆的な新しいビジネスチャンスのエリアを切り開くための改良主義である。もっとも近代的な産業部門は、こぞってさまざまな公害緩和策に携わろうとしている。それらは多くの新しいビジネスチャンスなのである。この領域においては、国家によって独占された資本のかなりの割合が投資にも運用にも回るとなっては、よりいっそう魅力的に映るのだ。こうした新しい改良主義は、以前の改良主義とまったく同じ理由により失敗に終わっていくのだが、以前のと根本的に異なるのは、今回の改良主義が時を使い果たしてしまったという点である。
 今日に至るまでの生産の拡大は、生産の本質が政治経済の実現にあることを完璧に立証した。すなわちその本質は、いのちの基盤そのものを侵害し、興廃させる貧困の拡大にある。生産者が働きながら自殺していく社会。労働の生産物のことしか考えられない社会。この社会は、いまや生産者たちに疎外労働の総体的結果をまざまざと見せつけている。これも[かつての過酷な労働と]同じように致命的なものなのだ。この社会を支配するのは、すべて――湧き水や都市の空気までも――を経済商品に変えるような過発達した経済である。すなわちすべてが経済的に病んでいるのであり、「人間性の全否定」は、完璧な物質的終結という高みにまで達している。ブルジョワ資本主義、もしくは官僚型資本主義のなかに存在する生産力と生産関係の対立は、最終段階に入った。非生命の生産率は、つねに右肩上がりで上昇を続け、蓄積している。この過程の最終段階を越えたところの今生産されているものは、まさに死である。
 労働が商品となったおかげで雇用者が全権力を行使できるような世界では、雇用の生産こそ、現行の発展した経済の究極的、本質的役目であると考えられている。彼方にこだまする一九世紀のとどろき。「進歩を遂げる」一九世紀は、科学と技術が生産性を高め、人間の労働を軽減させ、そうすることによってより容易に必要を満たすことになるだろうと考えていた。そうしたものは、それまですべての人たちが現実的に必要であると捉えていた。しかも必要に適合する商品の質は、根本からはいささかも変わらないだろうと期待していた。(いまや農民がいなくなった田舎においても)「職を創出」するため、すなわち人間労働を疎外労働として、賃労働として用いるために、ほかのすべての労力が割かれるのだ。したがっておろかなことに、種の生命の基盤そのもの――現在これは、なんとかケネディ、なんとかブレジネフが考えていた以上にもろいものである――が危機にさらされているのである。
 古い海は汚染を気にかけない。だが歴史はそれに無関心ではいられない。歴史は商品となった労働の廃止によってのみ救われる。歴史の世界を支配しようとする意識がこれほどまでに高まり、差し迫ったものとなったこともない。なぜなら扉で待ち構えている敵は目の錯覚などではなく、現実の死を意味しているからである。
 社会の哀れむべき主人の惨めな運命――かつてもっともラディカルだったユートピア主義者の掛け声に奮い立った者たちの末路よりひどいものである――がようやく明らかとなり、我々の境遇こそ社会問題である、すべての管理こそじかに政治的なものであると連中が認めざるを得なくなる瞬間が来る。このとき、旧来の専門化された政治は完全に破綻したといやおうなしに宣言されなければならないことが明らかとなる。
 破綻。まったくもってそれは、政治の自己運動の至上の形態である。つまり、いわゆる社会主義体制の全体主義的官僚権力は破綻に終わるのだ。権力を握っているはずなのに、官僚は資本主義経済の前段階すら管理することができない。社会主義体制は公害がはるかに少ないとしても(アメリカ合衆国だけでも世界の公害の五〇パーセントを排出している)、それは単純に貧しいからなだけである。貧困にあえぐ国々のなかで、中国は大国として一目置かれているが、その中国だって、わずかな予算に不釣合いなほどの額をなげうっていくばくかの公害を引き起こさざるを得ないのだ。たとえば、核戦争の(もっと正確に言えば、核戦争の恐るべきスペクタクルの)技術を(再)開発して改良するために。このような物理的、精神的貧困は、極度の恐怖によって強化されている。貧困は掛け算的に高まり、現在権力を握っている官僚制に死亡証明書を突きつける。一方、もっとも近代的なかたちをとったブルジョワ権力を終局に追い込むのは、実質的に毒にかかった過度の富である。民主的だと思われている資本主義の管理手段は、あらゆる国において、選挙の勝敗以外の何ものもよこさない。つねに明らかなことなのだが、選挙は一般に何も変えなかったし、特に階級社会に関してもほとんど何も変わっていない。階級社会は、みずからを永続していくものだと考えている。管理のシステムが危機に陥り、副次的ではあるが緊急の問題を解決するための指針らしきものを、疎外されて麻痺した選挙人に求めるふりをしたときも、それ以上は何も変わらない(たとえばアメリカ、イギリス、フランス)。専門家はみな、投票者がほとんど「意見」を変えることはないということに長いこと気付いているし、それを言葉にするのもやぶさかではない。なぜなら投票者とは、自分自身の権利では存在できない、つまり変わることができないように設定された抽象的な役割をちょっとのあいだ演じる人のことを指すからである(こうした仕組みは、霧の晴れた政治学や革命的な精神分析が何千回も分析を加えてきたものである)。投票者も変わる見込みがない。なぜなら彼らをめぐる世界が、例を見ないほど突然変わっていくからである。投票者としての彼らは、たとえ世界が終わりに向かいつつあるさなかになっても変わらないだろう。あらゆる代表制は、本質的に保守的である。資本主義社会を規定する諸条件は、そのままのかたちでの保存に耐えうるものではない。それらはつねに修正を受け、そのスピードもかつてなく速まっている。だがこうしたことを決める(そしてつねに最後には市場経済の思い通りにさせる)のはすべて政治家である。連中は広告業者に過ぎない。連中は、非難の声が向けられないこともあれば、まったく同じことをやろうとしている人と対立することもある。いずれにしろ大声でまくし立てる。しかしドゴール派に「進んで」一票を投じた人、フランス共産党に投じた人は、強制されてゴムウカなんちゃらに投じた人と同じで、山猫ストや蜂起に参加すれば、一週間後には自分が本当は何なのかが示せるようになっているはずだ。
 国家に管理され、統御されるようになった「公害との戦い」は、最初のうちは、新しい専門化、省庁、少年の職、官僚としての昇進以外なにも意味しない。戦いの効果は、戦い〔の目的〕と完全に合致するだろう。現行の生産システムが瓦解しない限り、この戦いから本当の変革への意志が沸くことはない。関連するあらゆる決定権が、生産所自身によって永久に監視され握られている限り、たとえ生産者が決定の仕方を民主的かつ問題を踏まえたやり方にしても、この戦いが厳格に実行されることはない(たとえば石油タンカーは、本物の船乗りソヴィエトの権威のもとで運行している限り、積荷を海にぶちまけざるを得ないのだ)。しかし生産者は、そのような問いに決定を下す前に、大人にならなければならない。彼らはみな、権力を握らなければならない。
 一九世紀の科学の楽観主義は、三つの大きな問題を抱えて挫折した。一つ目は、革命が到来することは確実であり、それによって現在のあつれきは幸福のうちに解決されるだろうという考え方である。これはヘーゲル左派とマルクスの思い違いであった。彼らはブルジョワのインテリゲンツィアのなかでもっとも鈍く、もっとも金持ちだったが、最終的には一番思い違いをしていなかった。二つ目の問題は、世界を調和的だとみなしていたこと、もっといえばものを調和的だとみなしていたことである。そして三つ目は、生産力は右肩上がりで上昇していくだろうとするお気楽な考え方である。最初の問題に関してだが、視点を広げて第三の問題も同時に扱おうと思う。そうすれば、だいぶ後にはなるが第二の問題についても検討できるようになるし、それを我々がのるかそるかの契機に変えることができるようになる。癒されなければならないのは、症状ではなく病気そのものである。今日恐怖はいたるところにあるが、我々は我々自身の力によってのみそれを逃れることができる。存在するあらゆる疎外と、我々から遠ざけられていた権力のイメージすべてを瓦解させる力をつけることによってのみ、恐怖を逃れることができる。我々自身を除いたすべてを労働者評議会の権力ただそれだけに従わせ、つねに世界の全体性を再構築していくこと、いいかえれば、すべてを真の理性、新しい正当性にゆだねることによってのみ恐怖を逃れられるのだ。
 「自然な」ものと人口の環境、あるいは出生率、生物学、生産、「狂気」などに関していえば、選択肢は祝祭と不幸のあいだにあるのではない。むしろそれは、無数の喜ばしい可能性、もしくは無数の破滅的ではあるが比較的後戻り可能な可能性に賭けるか、もしくはゼロかという選択肢なのだ。それは意識しながら路上を一歩一歩踏みしめているときにおこるものである。一方近い将来については、恐るべき選択肢が一つあるだけである。すなわち完全な民主主義を取るか、それとも完全な官僚制を取るかである。完全な民主主義に対して不安を抱く者は、一回自分たちでその可能性を試してみるがよい。それには行動の中で証明する機会を与えてやりさえすれば十分なのだ。さもなくば自分たちで墓石を拾ってしまうことになるだろう。なぜなら、「我々は権力が機能しているのを見た。その機能とは、みずからを徹底的に糾弾することである」とジョゼフ・デジャックも言っているのだ。
 「革命か死か」というスローガンは、もはや暴動における意識を詩的に表現したものではない。むしろそれは、我々の世紀の科学思想の最後の言葉である。それは、個々の種が環境になじめないという危機に対して当てはまるものである。この社会では自殺率が上昇を続けていることを誰もが知っているが、一九六八年五月のフランスでは自殺率がほとんどゼロに等しくなったということを専門家は心ならずも認めなければならない。あのときの春は我々に澄んだ空も授けた。空ががんばったわけではない。あの時は燃える車もほとんどなく、石油不足のために誰も大気を汚染できなかったのだ。雨が降ったとき、そしてスモッグの層がパリの空を覆ったときには、公害の非が政府にあるということをぜひ忘れないようにしよう。疎外された産業労働は雨を呼ぶ。革命は日差しを呼ぶ。

2014年3月4日火曜日

『主婦と不貞と放射線』についての注釈



 前回の文章『主婦と不貞と放射線』について、山の手緑氏から短いコメントをいただいたので紹介する。
 彼女のコメントを要約すると、以下のようになる。

「放射能汚染地域において、夫婦の間で認識がそろわず、母子避難をできないでいる家庭がある。夫が子供を手放さず、家族全員で汚染地域にくらすことを要求する場合がある。このとき彼女は単身で家を出て西へ逃げるべきである。夫も子供も捨てるべきだ。家族のために彼女が被曝を受忍することはない。「子供のため」という理由で自己犠牲をうけいれるのは、欺瞞である。彼女が家族の「愛」を見限り、家を出て、家庭生活を崩壊させることによって、もしかしたらその後の展開によっては子供の退避が可能になるかもしれない。子供を防護するために、子供を捨てることが必要となる場合がある。」


 おそらくこのコメントは、私の書いた一文、

「主婦の「不倫」の流行は、あるエコノミーの綻びであり、調整でもある。」

に、対応しているとおもわれる。
つまり、不貞が生活経済の調整として働くものである以上、それが汚染地域における被曝生活を延命させる機能も持っている、ということを指摘されたのだと思う。そうであれば、ここで強調して言い直すべきは、不貞がもつ調整としての機能ではなく、不貞が孕む破壊的な力である。主婦はいつでも家族を精算することができるということ、生活経済を破綻させるポテンシャルがあることを、確認し言わなくてはならないだろう。
 実践的には山の手氏が言うとおり、汚染地域の「家族愛」はいったん精算されるべきだ。それは幼い子供にはできない。親にしかできないことだ。



2014年2月25日火曜日

主婦と不貞と放射線




 主婦にとって、不貞は休息である。
 なにを休むのか。
主婦の勤めを。つまり、妻として母として家族を愛し慈しむことを、いっときだけ忘れる。そうして彼女は自分のための時間を確保し、ひとりたたずむ。
 主婦の不貞行為は、表面的には男と女の恋愛感情の問題として理解されがちである。しかし本当はそうではない。夫がどういう男で、恋人がどういう男で、愛があるかないかなんてことは、副次的な問題にすぎない。男女間の感情は、不貞行為の結果であって、原因ではない。主婦の不貞行為を促すのは、男女の恋愛感情ではなく、彼女が主婦であることによって日常的に感じている責任と緊張である。

 「主婦に休日はない」という。これは、半分は本当だが、半分は違う。
 主婦はつねに家族のためにスタンバイしている。24時間365日、何があっても対応できるように彼女はそこにいなくてはならない。子供がある家庭ならば、子供が独り立ちできるまで、その緊張が不断に継続する。自分の時間などない。「主婦に休日はない」というのは事実である。
 そしてこのことを認めた上で「違う」というのは、主婦の不貞が例外的な現象ではないからである。主婦は意外に手を抜いている。平日の昼間に郊外のモーテルに行けば、そこがほとんど満室であることに驚くはずだ。そして、「平日昼間のフリータイム」というものが誰のために用意されているかを考えてみれば、その活動の深さと広がりを想像できるはずだ。
 ここで誤解がないように付け加えておくが、私は主婦の不貞行為をたんに擁護しようとか正当化しようとかいうつもりでこれを書いているのではない。そうではない。私が言いたいのは、主婦の不貞を道徳的に断罪したり、あるいはその反対に、男女のロマンティックな夢物語として語るだけでは、見えないものがあるということである。ほとんど語られることなく、見えなくされているものがある。主婦の不貞行為は、その行為の性質上、もっとも語られることの少ない行為である。道徳的にも法的にも断罪される犯罪。にもかかわらず、飽くことなく繰り返されてきた日常的な犯罪。ここから考察されるべきは、主婦が置かれた一般的な条件と、生活経済、そして、それらの機制がどのように作動することで状況に関与しているかだ。

 なにかとても卑近な話を大げさにふくらませていると思われるかもしれない。ここにひとつ補助線を引いてみよう。
 かつて産業資本主義の黎明期、怠けることが犯罪視されていた時代がある。初期の産業労働者に休息はなく、おきている時間はずっと働いていた。労働運動は、労働時間の制限(8時間労働の原則)を要求し、サボタージュやストライキ戦術にうったえ、労働者が休息することを法的権利として認めさせていった。しかしこのとき、主婦が休息する権利はとりのこされた。育児や家事労働は休息がないままにおかれ、むしろその担うべき労働の強度を増していった。賃労働者が自由時間を確保していったのとは対照的に、主婦は自分の時間を失っていったのである。
 時代はくだって現在、新自由主義政策下の企業経営は、時代を逆回転させるかのように労働条件を圧迫している。労働時間は際限なくのびつづけ、おきているあいだはずっと働いているという状態が復活している。サービス業や知的生産といった“非物質的労働”の拡大が、この傾向を加速させる。こうした現象を“労働者の主婦化”として捉えるならば、問題は労働者の人権問題という枠組みを超えて、さらにおおきなスケールで「怠ける権利」を構想しなくてはならない。
 誰でも知っている事実だが、労働者のサービス残業は、法的にではなく(法的には違法だ)、道徳的な勤めとして強要されるのである。彼はおきているあいだずっと会社のためにスタンバイしている。なぜならそれが彼の勤めだから。彼が消耗しきってしまうまえに伝えなければならないのは、労働者の法的権利であるまえに、勤めを怠けるという反道徳の精神である。ある主婦は、不貞行為によって家族を裏切る。自分の時間をつくるにはそうするしかないと考えたから。家族への「愛」が、すきまのない全面的な勤めとしてあらわれたとき、彼女は「愛」を部分的に放棄するのだ。たいして、労働者は、会社を裏切る用意ができているか。主婦よりもずっと純朴に、会社への「愛」を信じさせられているのではないか。

 話を本題に戻して、もうひとつ歴史を参照したい。
 魔女の伝説がある。1517世紀のヨーロッパを揺るがした、あの魔女である。
 魔女は、分裂した二つの性格をもっている。
 ひとつは、民衆の医療の担い手としての魔女である。まだ病院がなかった時代、薬学と保健衛生学を手探りしていたころに、魔女は森でハーブを摘み、調合し、人々に与えた。出産、育児、医療を担う知識人として、魔女は村人の(女の)共同性を体現するものだった。
 もうひとつは、共同体の敵としての魔女だ。魔女は人々が寝静まった深夜、ほうきに乗って空を飛ぶ。魔女は村人の知らない秘密の場所に集まり、サバトという背徳的で官能的な時間をたのしむ。この「事実」によって、魔女は教会に断罪され、猛烈な弾圧をくわえられるのである。
 共同体の要であることと、共同体の敵であることと、どちらが魔女の実像に近いのかという話ではない。そうではなく、一見すると相反する二つの性格を同居させているところに、魔女伝説の深さがある。魔女には、母性と反母性の葛藤がある。
 彼女は、家族の生命に責任をもとうとして、実際にその責任を果たすだけの知識をもっている。毒も薬もよく知っていて、人体のあつかいかたを知っている。利他的で、知的で、頼りになる母だ。しかし母は、ただ家族に奉仕するだけの平板な存在ではない。深夜、彼女は母であることをやめて、誰も知らない秘密の場所にでかけてしまうのだ。



 放射線防護活動は、その多くが子供をもつ主婦によって担われている。このことをもって彼女たちの活動を「母性主義」とみなすのは、間違いである。そんな退屈な話ではない。
 ある主婦が全精力をかけて子供をまもっているときに、同時に、母であることにうんざりしているということは充分にありうる。むしろそのほうが自然だ。母としての勤めが強度を増すにしたがって、そこから離れようとする感情も増大していく。公害事件、再生産労働、性道徳が、生活経済の中心で循環し、変動する。主婦の「不倫」の流行は、あるエコノミーの綻びであり、調整でもある。
 だから、放射線防護という難儀な仕事を主婦に押し付けて、「彼女たちは頼りになる」なんてのんびり構えていると、見えないところから、「社会」が解体していくことになるだろう。どんな男と会っていたかなんてことは問題ではない。男に会う直前と直後に、彼女がひとりでたたずんでいたという事実が、不貞のプロセスの核心である。
 母性と反母性の葛藤がドライブを加速する。
 見えない場所で。
 それは郊外のモーテルかもしれないし、ショッピングモールの駐車場かもしれないし、あかるい喫茶店かもしれない。




2014年2月13日木曜日

”ディスパーシング・パワー”




 ニューヨークの友人が、名古屋に一泊していった。
 彼はこの一年、精力的に旅をしている。アムスやパリなどヨーロッパの街を訪ね、現在は日本に来ている。ここ名古屋では、矢部・山の手・前瀬で彼を迎え、酒を飲みながら近況を話した。
 彼が手土産に持ってきてくれたのは、“ディスパーシング”という概念だった。分離する、ばらけさせる、という意味だ。ある南米の理論家が、ドゥルーズ/ガタリの哲学をベースにして唱えている概念である。

 社会運動はしばしば、運動の統一・集約を構想する。バラバラに行動するよりは、要求を統一し行動を一本化した方が有利だと考えるからである。議会制度を自明視する傾向がつよまったり、あるいは、議会政党の介入がおおきくなったとき、運動の集約は自明視され、それが力なのだと誰もが思い込んでしまうことになる。
 “ディスパーシング”という概念は、この運動集約のイデオロギーを批判するものだ。各人・各地域の闘争は、統合されるのではなくバラバラにあるべきだ、と。

 バラバラに行動することは、力を分散させ、弱くなることだ、という信念が根強くある。
しかし実践を重ねるなかで明らかになっているのは、それとは反対のことを示す事例がたくさんあることだ。行動を集約してかえって弱くなってしまった例(勝てなかった例)や、行動を分散させることで力を発揮した例がある。
 例えば、愛知県における震災がれき受け入れ反対行動は、抗議行動を一本化していない。それぞれのグループ・団体がバラバラに動いたことで、受け入れを断念させている。もちろん初動の段階では、「抗議の声をひとつにしよう」という意見が出た。私は「それぞれバラバラにやったほうが効果が大きい」と主張した。諸グループをネットワークして行動調整をしようと動いた人もいたが、結果として行動の一本化はなされず、バラバラに申し入れ行動を行った。そうして成果をあげたのである。ここで集約派の人々は「バラバラにやったにもかかわらず成果をあげた」というだろう。しかしそうではない。もしも運動の一本化を実現していたら、我々の要求はとおらなかったと思う。バラバラにやったから、勝てたのだ。
 行動を統一することで敗北した例は、東京の「首相官邸前再稼働反対デモ」である。首相官邸前に集まった数万の人々の群れは、野田首相にいなされて終わった。彼らの集合は政治的な力を発揮したというよりも、左翼議会政党やジャーナリストを満足させるだけに終わった。いや、たとえその段では勝てなかったとしても、次の闘争・次の陣形につながればよいのだ、という考え方もある。しかし、どうだろうか。首相官邸前行動は、人々をエンパワーメントする経験になっただろうか。無力感といさかいをのこしただけではないのか。

 首相官邸前行動は敗北したと書くと、東京の活動家諸君は自尊心を傷つけられたと感じるかもしれない。それは全面的にまちがった、独善的態度である。もしも東京のデモが主戦場だったと考えているのだとしたら、とんでもない事実誤認だ。この2年間、全国の市町村で、学校給食に汚染食品を使わせないために闘ってきた人々がいる。彼女たちはたった2・3人で自治体と交渉し、東北・関東産食品を退けているのである。統一した組織もなく、バラバラに、しかし着実に成果を上げてきた。彼女たちの闘いこそが、原子力政策に肉迫する最前衛である。この力、戦略、戦術に、学ぶべきなのだ。


 ニューヨークの友人は今朝、大阪に向かった。
 明日(14日)は、彼に合流して、大阪の都市文化研究会に行こうとおもう。
 “ディスパーシング・パワー”について、論議を深めたい。





2014年2月5日水曜日

当事者をめぐる代理/表象の問題



 放射能汚染の被害は、これまでに知られる公害問題をはるかに超えるほど広域で、膨大な人口を包み込んでいる。フォールアウトの被害だけでも日本・カナダ・アメリカの三国にわたり、漁業被害ではロシアも加わる。食品流通ではさらに多くの国が被害にさらされるだろう。
この大規模な被害を考えるためには、思想的に二つの課題があると思われる。
第一は尺度の問題。私たちは日常的な感覚を超える大きなスケールで問題を捉えなくてはならない。
第二は代理/表象の問題。被害を切り縮めたり利害関係を反転させることのない仕方で、問題を表現しなくてはならない。


 今回の事件が起こされる前、代理/表象をめぐって私が思想的に争ったのは、靖国問題だった。
 靖国問題というと、一般的には新聞やテレビで語られる程度の単純な論争に見えるかもしれない。しかし、靖国神社に直接抗議を繰り返していたアナキスト/アウトノミア系の運動にとっては、とても複雑で重要な思想課題であった。私たちはたんに右翼と対決していただけではなく、「遺族」の平和運動とも一線を画し、平和遺族会と歩調をあわせる「左翼」諸派と緊張関係にあった。
 なにが問題だったのか。
 私なりに要約すればそれは、戦没者遺族の「当事者性」を対象化するか否かという問題だった。もちろん私たちは、戦没者遺族が靖国問題の当事者であることを認めている。しかし、靖国問題の議論の中心が、遺族の要求や遺族の想いにあるとは考えなかった。遺族は当事者のうちのひとりに過ぎないし、遺族が正しく問題を認識しているとも思われない。遺族には遺族の想いがあるだろうが、我々には我々の論理がある。だから、平和遺族会とは別の問題設定で、まったく別の行動形態で、靖国神社への攻撃を組織していったのだ。
 反靖国派の内部で、思想的分岐の契機となったのは、90年代のなかば、「犬死に」という表現の問題だった。靖国神社は戦没死者を「英霊」として顕彰し、さらには「彼らの死が日本の繁栄の礎になった」などという完全に転倒したデマゴギーを垂れながしていた。これに対して反靖国派は、「戦争で死んでもなんの意味もない」「戦死は犬死にだ」と言った。正しい。しかし、この「犬死に」という表現に対して、平和遺族会の一部が反発した。「犬死に」とは言って欲しくない、と。彼らが反発するのもわからなくはない。自分の肉親の死が「犬死に」だったと言われて、なんの抵抗もなくそうだと言うのは難しいだろう。この「犬死に」表現の問題は、反靖国派の内部で論争化した。私たちは遺族と歩調をあわせることは難しいと判断し、独自の行動をとっていった。
 靖国神社に参集する「遺族」に対して、我々は攻撃的だった。「死者を弔うなら自分の家の墓でやれ」「お前らの追悼は死者を冒涜する」「追悼が次の死者を要求する」「お前のような人間が若い兵士を殺したのだ」等々。私たちは「戦没死者の英霊化」が、もっぱら軍によって強制されたものではないと考える。「英霊」の実現には、遺族たちの下からの圧力があった。肉親の死を、ただひとりの死として、たったひとりで弔うということをしないで済ますために(それは命がけの壮絶な作業だ)、問題を直視せずごまかしておきたいという遺族の要求が、靖国の誠実ぶった追悼行事を実現させる。そしてそのごまかしの「弔い」が、次の戦死者を要求していったのである。私たちは靖国の黙祷行事を妨害することに専心していたが、それは、ごまかしの「弔い」や「弔いの不徹底」を、人間として憎んだからである。
 こういう問題設定と行動は、平和遺族会と足並みを揃えているうちはできなかっただろう。彼ら遺族の当事者性は、「犬死に」という表現に反発するていどに傷つきやすく、小さなものだったから。



 長々と靖国問題について書いたが、ここから問題にしたいのは、「当事者性」をどのように設定するかという問題である。ある特定の条件を設けて「当事者」を限定するとき、それがどんな人々を排除し見えなくさせてしまうかということに、意識的であるべきだ。
 放射能汚染について、政府は「空間線量率」の数値で被害当事者を線引きするだろう。あるいは、「被曝線量」推定によって健康被害認定の線引きをするだろう。そうして問題をより小さく「個別的な問題」に切り縮めようとするはずだ。
 問題の個別化に熱心な「左翼」は、まんまと政府の策動に乗っかり、それを補完する働きをするだろう。問題を個別的なものにして看板化したほうが、「運動」を形成するのに都合がよい(そのていどの「運動」しかやるつもりがない)からだ。そうしてたとえば、「福島県民こそが被害当事者である」というような印象をくりかえすことで、自分たちの当事者性を忘れさせ、被害を受けた多数の人々を排除してしまうことになる。汚染がれき問題における「左翼」諸党派の対応を見れば、容易に想像がつく。初動で間違えた者たちは、ずっと同じ間違いを続けるだろう。

 私たちは「全員が当事者だ」と言わなくてはならない。
放射能にまったく無縁でいられる者などどこにもいない。

 そして、自分こそ(彼らこそ)第一の中心的な「当事者」だと言う者があらわれたら、関わらないのがよい。そんな人間とは組めない。それは問題の大きさを捉えていないか、なにかをごまかしている者だから。誠実なふりをしたがる者が、自己欺瞞で首が回らなくなっているということは、ある。