12月4日渋谷での排外主義リンチ事件について。
事件は産経新聞の誤報によって、抗議者が「デモ参加者に飛びかか」ったものとして片付けられようとしている。このような誤報が生み出されたのは、おそらく次のようなプロセスがあったと思われる。
1、排外主義デモの主催者が「男が飛び込んできた、暴行を受けた」と言う。デモ参加者もそれを信じて口々に被害を訴える。
2、渋谷署がこれを追認。「男が飛び込んできた」として発表する。
3、多くの報道関係者は無視。産経新聞だけが鵜呑みにして報道。
こうして事件は「男が飛びかか」ったことになってしまった。
しかし真相は違った。渋谷署は男を逮捕したが、東京地検はとても逮捕勾留できるものではないと判断したのだろう、地検調べの直後に釈放した。
事件現場を撮影した動画がでてきた。
http://www.youtube.com/watch?v=qvdXPdxFjt8
動画の3分15秒から、画面右端の男性に注目してほしい。ゆっくりと歩きながら近づいた男性に、デモ隊の男(西村修平)がタックルをする。
これが、渋谷署が発表し産経新聞が報道した「飛びかかり」の瞬間である。
嘘をまきちらした者すべてに、責任を追及していきたい。
2010年12月8日水曜日
2010年12月7日火曜日
凡庸なものとの対決
月刊現代の後継誌『g2』の6号を買った。
「行動する保守」ウォッチャーの間で話題になっているルポ『「在特会」の正体』を読むためだ。著者の安田浩一氏は、「在特会」桜井誠の周辺取材を重ね、ついには出入り禁止になってしまうほど彼らを調べ尽くした人。桜井誠の生まれ故郷である福岡まで訪ね歩き、すごい情報量。このルポは「在特会」研究のための基礎資料になるだろう。今後、第二弾第三弾が期待される。
安田氏のルポを読んだ感想。
まず問題点。
桜井誠の生まれ故郷を詳細に紹介しているのはよいが、そこに重心が置かれすぎているようにも見える(紙数の問題でそうしたのかもしれないが)。また、中高年が主体となっている「在特会」のなかで、あえて若年層に目を向けてしまう(若年層の言動から結論を導こうとする)傾向があるようにも思う。これはもしかすると「ネットカルチャー=ユースカルチャー」「ネット右翼=若者」という理解からきているのかもしれない。
良かった点。
桜井誠の上京前の生い立ちを調べることで、階層秩序における彼の中間的位置が明らかになっている。ネット上の桜井ウォッチャーのなかでは、「筑豊出身=下層階級」というちょっと旧い読みかたが大勢を占めているが、このルポをよく読むと、彼は下層ではない。桜井の出身高校は普通科。偏差値も普通程度。桜井の家は母子家庭であるが、母親は再婚していない。再婚せずに自分の店を持って子供二人を育てたということは、経済的に成功していると言えるだろう。もちろん裕福ではない。桜井は大学進学をしていないが、それは経済的な理由からだったかもしれない。しかし大学進学こそしていないが、桜井は読み書きができるのである。我々の読み書きの基準に照らせば、桜井はおそろしく下層に見えるのだが、それは相対的な見え方の問題であって、一般的な基準に照らしてみれば、彼は知的にも経済的にもまずまずの中途半端な階層に位置している。
凡庸なものとの対決
安田氏のルポを読んで腹におちたのは、彼らがもつこの中途半端な位置感覚である。「在特会」をはじめとする「行動する保守」の中高年を見ていて感じるのは、なぜこんなに愚鈍なのに文章を書けるのだろう、なぜ読み書きができるのにこの水準にしか届かないのだろう、という違和感である。あれだけ大量の文章を書いて発表しているのに、それに見合うだけの内容も評価も得ることができない。むしろ書けば書くほど内容が失われ、軽蔑されてしまう。いったいなんのために書いているのか。この出口のない中途半端な知性は、ぞっとするような不全感を抱えておかしくない。
ベルナール・スティグレールが『象徴の貧困』で問題にしているのは、こういうことなのだろう。スティグレールが明らかにするのは、メディア社会によって蔓延する「耐え難い凡庸さ」、「自己愛の喪失」である。自己愛が弱く、他人からの承認を求めてさまよっているのは、具合の悪い若い女性ばかりではない。排外主義右翼の中高年は「承認欲求」の虜となって、書けば書くほど軽蔑されるような内容を飽くことなく書き続けている。その内容は一見すると過激だが、よく読むとありきたりな視点しかない。彼らは「マスコミ」を批判するが、それは彼らが「マスコミ」と全く別の視点を持っているからではなくて、むしろ「マスコミ」以上に「マスコミ」的な視点に留まっていて「マスコミ」(の承認)にこがれているからである。「国民」「防衛」「防犯」、うんざりするほど凡庸な奴らだ。
知性、暴力、性愛が、それぞれに特異な視点を構成している傍らで、なにをとってもいまひとつの中途半端な中高年たちがのたうちまわっている。かつての「国民」の残骸、あるいは「国民」のゾンビ。
これら凡庸なものと対決しなくてはならない。
12・4渋谷事件の詳報
先週末、東京・渋谷で起きた排外主義リンチ事件について。
リンチを受けた被害者が逮捕されるという前代未聞の出来事に慌てながら、彼の友人たちは迅速に弁護士接見を手配し、救援組織をつくった。私もこれに加わって、地検押送での激励街宣などに動いていたのだが、この日(6日)被害者は釈放された。あたりまえだ。そもそも渋谷署の逮捕・勾留が間違いなのだ。不起訴処分が確定するまでまだ警戒は続けなければならないが、ひとまず安心した。
これから反撃だ。必ずおとしまえはつけさせる。
以下、救援会からの報告と声明。
リンチを受けた被害者が逮捕されるという前代未聞の出来事に慌てながら、彼の友人たちは迅速に弁護士接見を手配し、救援組織をつくった。私もこれに加わって、地検押送での激励街宣などに動いていたのだが、この日(6日)被害者は釈放された。あたりまえだ。そもそも渋谷署の逮捕・勾留が間違いなのだ。不起訴処分が確定するまでまだ警戒は続けなければならないが、ひとまず安心した。
これから反撃だ。必ずおとしまえはつけさせる。
以下、救援会からの報告と声明。
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【転送・転載歓迎】
12.4排外主義デモに抗議した「黒い彗星」
の不当逮捕にかんする声明(6日に釈放)
《追記: 以下の声明の発表日である6日の夜に、「黒い彗星」さんは釈放され、友人たちと再会することができました。釈放後の詳細などについては、あらためてお知らせします。》
京都の朝鮮初級学校を排外主義団体「在日特権を許さない市民の会」が襲撃した日から、12月4日で一年になります。ちょうどこの日に「排害社」なる団体が、在日朝鮮人への差別と排斥をあおるデモを渋谷でおこない、またそれにたいして、差別・排外主義に抗議する個人やグループも渋谷に集まりました。ところが、その抗議者のひとりが不当にも逮捕されるという事態が起こりました。
わたしたち救援会は、経緯を次のように確認しています。この日の午後に逮捕された「黒い彗星」は、排外デモにたいして単身で抗議の横断幕を正面から示すという、非暴力直接抗議をおこないました。それにたいして、排外デモ参加者のひとりがすぐさま飛びかかり、両者がかれと接触するやいなや、ほかの排外デモ参加者たちもいっせいにかれを囲み、袋叩きにしました。しばらくして、渋谷警察はかれを排外デモから引き剥がし、「保護」と称してかれを渋谷署に連行します。しかし、取調室に到着するや、前言をくつがえして「暴行による現行犯逮捕だ」とかれに告げ、そのまま署に勾留したのです。しかも、かれは排外デモの暴行により顔などをケガしていましたが、警察は同日の深夜までそれを放置し、病院に連れて行きませんでした。
これがどういう事態かは誰にもあきらかでしょう。排外デモへのひとりの抗議者を、排外デモ参加者はよってたかって暴行したのです。しかも、あろうことか渋谷警察はその集団暴行をとがめることもなく、逆に暴行をたったひとりで受けた抗議者のほうを逮捕したのです。
在日朝鮮人への差別を扇動し、朝鮮学校を襲撃したレイシストをまつりあげるような、とんでもない排外デモに抗議することは、100パーセント正当なことであって、そのような抗議への弾圧をわたしたちは許せません。そのうえで、暴行をおこなった排外デモは事情聴取だけで放免し、逆に集団暴行の被害者であるかれを「暴行」罪で逮捕した渋谷警察は、二重にも三重にも不当であると訴えます。そして、かれを袋叩きにし、自分たちはピンピンしていながら、被害づらをしている排外デモ参加者たちは、どこまでも徹底的に糾弾されねばなりません。
したがって、わたしたちはこの不当逮捕を断固として糾弾します。
2010年12月6日 12.4黒い彗星★救援会
【救援カンパをお願いします】
弁護士費用や「黒い彗星」さんのケガの治療・検査費のために、みなさまからのご支援が必要です。カンパへのご協力をお願いいたします。
ふりこみ先
ゆうちょ振替 口座番号:00180-2-338249 口座名義:カシワザキ マサノリ
※ 通信欄に「12.4救援」とお書きください。
問い合わせ先(メール) schwarzerkomet<@>gmail.com ※< > は外してください。
2010年12月6日月曜日
民族排外主義と闘うぞ
私はいま怒っている。
渋谷警察署と排外主義右翼だ。
詳細はまだ書かない。今夜から明日にかけて公式声明がでる予定なので、それまでちょっと待ってほしい。そのころには詳細な動画も出るはずだ。
いまはまだ初動段階なので、まだ救援会の人数は多くないが、みな怒っている。
今回渋谷で起きた事件は、もう、むちゃくちゃだ。
民族排外主義と闘う諸君、集合だ。
「主権回復」の右翼西村、「排外社」のチョロスケ、そして渋谷署。
君たちに重い後悔をさせてやろう。待ってろ。
渋谷警察署と排外主義右翼だ。
詳細はまだ書かない。今夜から明日にかけて公式声明がでる予定なので、それまでちょっと待ってほしい。そのころには詳細な動画も出るはずだ。
いまはまだ初動段階なので、まだ救援会の人数は多くないが、みな怒っている。
今回渋谷で起きた事件は、もう、むちゃくちゃだ。
民族排外主義と闘う諸君、集合だ。
「主権回復」の右翼西村、「排外社」のチョロスケ、そして渋谷署。
君たちに重い後悔をさせてやろう。待ってろ。
12/4海賊研報告「カリブの清教徒革命」
知り合いがパクられて、私は救援に動くので、今後それ関連の身辺雑記が増えてしまうと思う。
で、海賊研究会。前回はどうにもアツいヤバい感じだったが、詳細を報告している時間がない。
レジュメをそのまんま貼るという暴挙にでようと思う。
次回は12月18日(土) カフェラバンデリアにて
廣飯くんの研究報告で、今年は締め。
そのころに釈放されてると良いのだが、こればっかりは予測できない。
以下、前回れじゅめ。
ーーーーーーーーーー
海賊研究会 れじゅめ 20101204 矢部史郎
・まずは清教徒革命のあらすじ
革命前の状況
政治 対外戦争による財政悪化、国王大権による徴発、国王と議会の対立
経済 資本主義的農場経営、貴族・富農のジェントリー化、人口爆発と貧困層の形成
宗教 国教会の権威低下、ピューリタン諸派の活性化、「千年王国」信仰
1628 議会からチャールズ1世に対して「権利の請願」
1629 議会の強制解散、チャールズ1世の専制(11年間の専制)
チャールズ1世は、王権神授説に基づく国王大権(徴発権)を行使して財政再建を進めようとしたが、王室は徴税を実行するための有効な官僚組織を持たなかった。現実には、地方貴族とジェントリーの協力がなければ、徴税と財政再建は不可能だった。
1640 国王が議会を招集。
1641 議会は、国王大権の制限、議会主権を主張する「大抗議文」を可決
1642 「大抗議文」をめぐって議会が分裂。国王逃亡。
国王派と議会派の内戦に突入。
議会派は、政治的に反国王であるだけでなく、国教会支配に対抗するピューリタン諸派の宗派闘争も含んでいた。また、普通選挙権や社会主義を目指す諸派(レヴェラーズ、ディガーズ、ランターズ)は、資本主義化によってうみだされた都市貧民や貧農を代表する階級的性格を持っていた。
1645 ニューモデル軍結成
議会軍の弱体を痛感したクロムウェルは、私兵を解散させて議会軍に編成し、ユニフォーム、食料、賃金を支給し、交戦規定、戦術などを記した軍事要理を配布することで、最強の軍隊を創設することを議会に提案した。ニューモデル軍と呼ばれたこの軍事組織のもっとも革新的な部分は、昇進が、出生や家柄、人脈によるものでなく、戦場の功績によって行われることだった。(http://gold.natsu.gs/WG/ST/226/st226i.html)
これはフランスにおけるナポレオン軍のようなもの。ニューモデル軍は、イングランドのサンキュロットであると考えてよいだろう。ヒルの表現では、クロムウェルとは、ロベスピエールとナポレオンが一つになったような人物。革命とその後の反動を一人で担うことになった人間である。
1648 チャールズ1世捕獲。議会派勝利。
1649 共和政宣言
長老派、レヴェラーズの粛正
議会の強制解散
1653 クロムウェル、護国卿に就任。護国卿体制。
第五王国派を粛正
議会と軍の主導権争いで大混乱するなか、クロムウェル死去
1660 王政復古(チャールズ2世)
1688 名誉革命
・航海条例と英蘭戦争
1623 アンボイナ事件。東南アジア・東アジアとの貿易をオランダが独占。
1651 航海条例 イングランドと植民地への輸入をイギリス籍船舶に限定
1652 英蘭戦争
1654 英蘭戦争講和。クロムウェル(護国卿体制)がジャマイカを占領。
1660 航海条例 イングランド圏の輸出入すべてをイギリス籍船舶に限定
1665 第二次英蘭戦争
1667 第二次英蘭戦争講和
ここから本題。
クリストファー・ヒル著 『17世紀イギリスの民衆と思想』
第8章 「急進的な海賊?」
「1640年以降の期間を扱う本稿の目的にそって、「急進的」という言葉は国家教会を拒否し、完全な宗教的寛容を支持し、この点を ーー世間で認められたピューリタニズムの範囲を越えるところまでーー 追求して民主的、共産主義的、反律法主義的理念の唱導にまでしばしばたちいたった人々のことを指すものとする。」(221)
「私たちをあれほど魅了した1640年代と1650年代のあのすべての素晴らしい理想や理想家たちはどうなったのだろうか。」(221)
「1660年以降の急進的な思想の消滅は、より厳格で包括的な検閲が復活したことによって生じた視覚的幻想なのかもしれない。」(222)
・イングランドからカリブへの移住
チャールズ専制期の移住
「1630年代に、プロヴィデンス・アイランド会社はカリブ海南米北部沿岸沖の島を奪取して、宗教上の問題で不満を持っている者の避難所、そしてスペインの中南米独占をこじ開けるための基地とした。この会社は(…)1630年代におけるチャールズ1世に対する反対の一つの台風の目となっていた。」
革命から反動期の移住
「レヴェラーズが敗北した年である1649年10月に、ジョン・リルバーンは政府が財政援助をしてくれるつもりがあるのなら、自分の信奉者を西インド諸島に連れ出してやろうと申し出た。
イングランドの驚くほど多数の急進主義者が1660年の直前あるいは直後に西インド諸島に移民した。ランターのジョウゼフ・サモンはバルバドスに行った。」(230)
(ジョン・リルバーンはレヴェラーズの指導者)
カリブに渡っていった宗派には、クエイカー教徒、ランターズ、マグルトン派、第五王国派、アナバプテスト派、ユダヤ教徒などがいた。
クエイカーは平和主義者で知られるが、カリブのクエイカーは平和主義者になる前の世代(1661年以前の移民)なので、平和主義者でない者たちが含まれる。また、実際にはクエイカーではない者が「変な奴はみなクエイカー」と一括りにされていたふしがある。
ランターズは、道徳律廃止論を唱える「千年王国」思想の一派。不道徳な人たち。
マグルトン派はランターズと同じく「千年王国」の一派。ウェブで調べたところ、「教会を否定してパブ(居酒屋)に集う宗派」であるらしい。ちょっとおかしい。
第五王国派は、クロムウェルの護国卿体制を支えた貧困層の「千年王国」派。護国卿体制確立後に弾圧・排除された。レヴェラーズ粛正に加担して最後には裏切られた人たち。
アナバプテスト派は、もっとも古くから政教分離を唱えた一派。カトリックからもプロテスタントからも迫害された。
「ピューリタン」と言っても、相当いろいろな宗派が乱立している。ここにユダヤ教徒と、国王派(国教会派)が加わる。あと、アイルランド人やフランス人(ユグノー派)がいて、島によってはマルーン武装勢力が控えている。この状況は、本国イングランドで終息した革命状況が、緩慢に継続した状態といえるかもしれない。
・宗教的寛容
「1660年以降西インド諸島は、計画的な統治政策の一環として、イングランド以上にずっと寛容な取り扱いを受けるようになった。リーワード諸島の主席総督は、1670年に忠誠と国王至上権の誓約はしなくても良いと特別に支持された。移住者を引きつけることが望ましかったということの他に、カリブ海地域にすでにいた者たちの性質が寛容を必要なものとした。」(233)
「(ジャマイカには)ほとんどのプロテスタント国よりも大きな自由がある、と1687年にある聖職者が主張した。1718年には、ジャマイカにおいては、罰金や罰則を課すことのできる教会法や司法権はないということが合意された。」(239)
・余剰人口
「1650年代に砂糖キビ栽培が拡大すると、急激に増加する奴隷人口がさらに大きな脅威の原因となり、それは1654年には6千人足らずであったが、1667年には8万人を超えると推定されている。」(234)
「1647年までには、契約期間を終えた年季奉公使用人が手にすることのできる土地はもはやなかった。(…)土地不足と過酷な課税は大量の移民流出を生み出したが、とりわけ1655年の征服以降のジャマイカに行く者が多かった。バルバドスの白人人口が最高に達した1643年以来、1667年までに1万2千人が他の島に移住してしまったと言われた。」(235)
ヒルは結論部分で、エリック・ホブズボーム(『素朴な反逆者たち』『盗賊』)を引用して言う。
「「盗賊行為は貧民化と経済危機の時代には風土病のようなものになる傾向があった」が、とりわけ「労働力の需要が比較的小さな……地方経済の形態において」それは顕著だった。(17世紀後半の西インド諸島は、大陸本土の植民地とは明確に異なり、自由労働の需要が下落していた)。盗賊行為は「他の収入源を探さなければならない」ような「地方の余剰人口」にとって「一つの自活形態」だった。」(250)
・航海条例による影響
「より小規模な農園主は自分たちの土地から追い出された。なぜなら、イングランド市場獲得のための競争において、大規模生産者についていくことができなかったからである。彼らの中のある者たちにとっては、海賊というのがそれにかわる唯一の職業だった。」(238)
二度の英蘭戦争と航海条例の徹底は、オランダの貿易船を排除することを目的としていた。そもそもオランダによる投資と貿易ではじまったバルバドス経済は、充分に成長した頃にイギリスに独占されてしまうのである。植民地の貿易は対イングランド市場に限定され、イギリス海軍は密貿易を取り締まった。この政策転換によって、カリブでは資本集中が進み、体力のない植民者がますますおちぶれていった。
・植民地経営を支えるインフォーマル経済
「短期的な観点から言うと、海賊行為は大農園主にとって便利な投資だったかもしれない。しかし長期的な観点から言うと海賊は厄介者であり、いったんカリブ海の治安警備が行われるようになると消耗品になった。海軍及び陸軍基地の維持に必要な定期的で恒常的な収入がイングランドからも西インド諸島からもないあいだは、カリブ海は密輸入業者と海賊の餌食になっていた。スチュアート王家が取り除かれることによって、イングランドにおける軍事的絶対主義の恐怖が取り除かれるまでは、西インド諸島にはそのような歳入も陸軍および海軍力もありえなかったのである。一方、戦争や非常事態において、西インド諸島の総督は海賊を必要としていた。1688年以降になってようやく、そのようなものなしでやっていくことが可能になった。」
で、海賊研究会。前回はどうにもアツいヤバい感じだったが、詳細を報告している時間がない。
レジュメをそのまんま貼るという暴挙にでようと思う。
次回は12月18日(土) カフェラバンデリアにて
廣飯くんの研究報告で、今年は締め。
そのころに釈放されてると良いのだが、こればっかりは予測できない。
以下、前回れじゅめ。
ーーーーーーーーーー
海賊研究会 れじゅめ 20101204 矢部史郎
・まずは清教徒革命のあらすじ
革命前の状況
政治 対外戦争による財政悪化、国王大権による徴発、国王と議会の対立
経済 資本主義的農場経営、貴族・富農のジェントリー化、人口爆発と貧困層の形成
宗教 国教会の権威低下、ピューリタン諸派の活性化、「千年王国」信仰
1628 議会からチャールズ1世に対して「権利の請願」
1629 議会の強制解散、チャールズ1世の専制(11年間の専制)
チャールズ1世は、王権神授説に基づく国王大権(徴発権)を行使して財政再建を進めようとしたが、王室は徴税を実行するための有効な官僚組織を持たなかった。現実には、地方貴族とジェントリーの協力がなければ、徴税と財政再建は不可能だった。
1640 国王が議会を招集。
1641 議会は、国王大権の制限、議会主権を主張する「大抗議文」を可決
1642 「大抗議文」をめぐって議会が分裂。国王逃亡。
国王派と議会派の内戦に突入。
議会派は、政治的に反国王であるだけでなく、国教会支配に対抗するピューリタン諸派の宗派闘争も含んでいた。また、普通選挙権や社会主義を目指す諸派(レヴェラーズ、ディガーズ、ランターズ)は、資本主義化によってうみだされた都市貧民や貧農を代表する階級的性格を持っていた。
1645 ニューモデル軍結成
議会軍の弱体を痛感したクロムウェルは、私兵を解散させて議会軍に編成し、ユニフォーム、食料、賃金を支給し、交戦規定、戦術などを記した軍事要理を配布することで、最強の軍隊を創設することを議会に提案した。ニューモデル軍と呼ばれたこの軍事組織のもっとも革新的な部分は、昇進が、出生や家柄、人脈によるものでなく、戦場の功績によって行われることだった。(http://gold.natsu.gs/WG/ST/226/st226i.html)
これはフランスにおけるナポレオン軍のようなもの。ニューモデル軍は、イングランドのサンキュロットであると考えてよいだろう。ヒルの表現では、クロムウェルとは、ロベスピエールとナポレオンが一つになったような人物。革命とその後の反動を一人で担うことになった人間である。
1648 チャールズ1世捕獲。議会派勝利。
1649 共和政宣言
長老派、レヴェラーズの粛正
議会の強制解散
1653 クロムウェル、護国卿に就任。護国卿体制。
第五王国派を粛正
議会と軍の主導権争いで大混乱するなか、クロムウェル死去
1660 王政復古(チャールズ2世)
1688 名誉革命
・航海条例と英蘭戦争
1623 アンボイナ事件。東南アジア・東アジアとの貿易をオランダが独占。
1651 航海条例 イングランドと植民地への輸入をイギリス籍船舶に限定
1652 英蘭戦争
1654 英蘭戦争講和。クロムウェル(護国卿体制)がジャマイカを占領。
1660 航海条例 イングランド圏の輸出入すべてをイギリス籍船舶に限定
1665 第二次英蘭戦争
1667 第二次英蘭戦争講和
ここから本題。
クリストファー・ヒル著 『17世紀イギリスの民衆と思想』
第8章 「急進的な海賊?」
「1640年以降の期間を扱う本稿の目的にそって、「急進的」という言葉は国家教会を拒否し、完全な宗教的寛容を支持し、この点を ーー世間で認められたピューリタニズムの範囲を越えるところまでーー 追求して民主的、共産主義的、反律法主義的理念の唱導にまでしばしばたちいたった人々のことを指すものとする。」(221)
「私たちをあれほど魅了した1640年代と1650年代のあのすべての素晴らしい理想や理想家たちはどうなったのだろうか。」(221)
「1660年以降の急進的な思想の消滅は、より厳格で包括的な検閲が復活したことによって生じた視覚的幻想なのかもしれない。」(222)
・イングランドからカリブへの移住
チャールズ専制期の移住
「1630年代に、プロヴィデンス・アイランド会社はカリブ海南米北部沿岸沖の島を奪取して、宗教上の問題で不満を持っている者の避難所、そしてスペインの中南米独占をこじ開けるための基地とした。この会社は(…)1630年代におけるチャールズ1世に対する反対の一つの台風の目となっていた。」
革命から反動期の移住
「レヴェラーズが敗北した年である1649年10月に、ジョン・リルバーンは政府が財政援助をしてくれるつもりがあるのなら、自分の信奉者を西インド諸島に連れ出してやろうと申し出た。
イングランドの驚くほど多数の急進主義者が1660年の直前あるいは直後に西インド諸島に移民した。ランターのジョウゼフ・サモンはバルバドスに行った。」(230)
(ジョン・リルバーンはレヴェラーズの指導者)
カリブに渡っていった宗派には、クエイカー教徒、ランターズ、マグルトン派、第五王国派、アナバプテスト派、ユダヤ教徒などがいた。
クエイカーは平和主義者で知られるが、カリブのクエイカーは平和主義者になる前の世代(1661年以前の移民)なので、平和主義者でない者たちが含まれる。また、実際にはクエイカーではない者が「変な奴はみなクエイカー」と一括りにされていたふしがある。
ランターズは、道徳律廃止論を唱える「千年王国」思想の一派。不道徳な人たち。
マグルトン派はランターズと同じく「千年王国」の一派。ウェブで調べたところ、「教会を否定してパブ(居酒屋)に集う宗派」であるらしい。ちょっとおかしい。
第五王国派は、クロムウェルの護国卿体制を支えた貧困層の「千年王国」派。護国卿体制確立後に弾圧・排除された。レヴェラーズ粛正に加担して最後には裏切られた人たち。
アナバプテスト派は、もっとも古くから政教分離を唱えた一派。カトリックからもプロテスタントからも迫害された。
「ピューリタン」と言っても、相当いろいろな宗派が乱立している。ここにユダヤ教徒と、国王派(国教会派)が加わる。あと、アイルランド人やフランス人(ユグノー派)がいて、島によってはマルーン武装勢力が控えている。この状況は、本国イングランドで終息した革命状況が、緩慢に継続した状態といえるかもしれない。
・宗教的寛容
「1660年以降西インド諸島は、計画的な統治政策の一環として、イングランド以上にずっと寛容な取り扱いを受けるようになった。リーワード諸島の主席総督は、1670年に忠誠と国王至上権の誓約はしなくても良いと特別に支持された。移住者を引きつけることが望ましかったということの他に、カリブ海地域にすでにいた者たちの性質が寛容を必要なものとした。」(233)
「(ジャマイカには)ほとんどのプロテスタント国よりも大きな自由がある、と1687年にある聖職者が主張した。1718年には、ジャマイカにおいては、罰金や罰則を課すことのできる教会法や司法権はないということが合意された。」(239)
・余剰人口
「1650年代に砂糖キビ栽培が拡大すると、急激に増加する奴隷人口がさらに大きな脅威の原因となり、それは1654年には6千人足らずであったが、1667年には8万人を超えると推定されている。」(234)
「1647年までには、契約期間を終えた年季奉公使用人が手にすることのできる土地はもはやなかった。(…)土地不足と過酷な課税は大量の移民流出を生み出したが、とりわけ1655年の征服以降のジャマイカに行く者が多かった。バルバドスの白人人口が最高に達した1643年以来、1667年までに1万2千人が他の島に移住してしまったと言われた。」(235)
ヒルは結論部分で、エリック・ホブズボーム(『素朴な反逆者たち』『盗賊』)を引用して言う。
「「盗賊行為は貧民化と経済危機の時代には風土病のようなものになる傾向があった」が、とりわけ「労働力の需要が比較的小さな……地方経済の形態において」それは顕著だった。(17世紀後半の西インド諸島は、大陸本土の植民地とは明確に異なり、自由労働の需要が下落していた)。盗賊行為は「他の収入源を探さなければならない」ような「地方の余剰人口」にとって「一つの自活形態」だった。」(250)
・航海条例による影響
「より小規模な農園主は自分たちの土地から追い出された。なぜなら、イングランド市場獲得のための競争において、大規模生産者についていくことができなかったからである。彼らの中のある者たちにとっては、海賊というのがそれにかわる唯一の職業だった。」(238)
二度の英蘭戦争と航海条例の徹底は、オランダの貿易船を排除することを目的としていた。そもそもオランダによる投資と貿易ではじまったバルバドス経済は、充分に成長した頃にイギリスに独占されてしまうのである。植民地の貿易は対イングランド市場に限定され、イギリス海軍は密貿易を取り締まった。この政策転換によって、カリブでは資本集中が進み、体力のない植民者がますますおちぶれていった。
・植民地経営を支えるインフォーマル経済
「短期的な観点から言うと、海賊行為は大農園主にとって便利な投資だったかもしれない。しかし長期的な観点から言うと海賊は厄介者であり、いったんカリブ海の治安警備が行われるようになると消耗品になった。海軍及び陸軍基地の維持に必要な定期的で恒常的な収入がイングランドからも西インド諸島からもないあいだは、カリブ海は密輸入業者と海賊の餌食になっていた。スチュアート王家が取り除かれることによって、イングランドにおける軍事的絶対主義の恐怖が取り除かれるまでは、西インド諸島にはそのような歳入も陸軍および海軍力もありえなかったのである。一方、戦争や非常事態において、西インド諸島の総督は海賊を必要としていた。1688年以降になってようやく、そのようなものなしでやっていくことが可能になった。」
2010年12月5日日曜日
産経新聞の誤報
朝鮮学校への抗議デモ参加者に飛びかかり妨害 27歳男を逮捕
http://sankei.jp.msn.com/affairs/crime/101205/crm1012050003000-n1.htm
知り合いのアナキストが逮捕された。
昨日、「主権回復を目指す会」という市民右翼ら100人が、民族差別デモをおこなっていたので、これに抗議したものだ。
報道では「デモ参加者に飛びかかり」となっているが、実際はそうではない。飛びかかったのは右翼の側である。
真相は、彼が抗議の横断幕を持って立ちはだかったところ、「主権回復」の代表(西村修平)が飛びかかってきたのだ。
ちょっと想像すればわかりそうなものだが、「横断幕を掲げ」ながら「飛びかかる」というのは、行為のプロセスとしてちょっと難しい。奴らに飛びかかってやろうというのなら、横断幕など捨ててしまうか最初から持っていかない。まあ、もみ合いになってしまえば誰が誰をどうしたかなどわからない状態になってしまうわけだが、最初の発端にどちらが先に手を出したかはとても重要だ。
西村たちは過去のデモなどでも、抗議者に暴行を加えてきた事実がある。 また、アナキストは先に手を出したことはない。やられたらやりかえすけどね。
というわけで、産経は嘘を書くな。訂正せよ。
http://sankei.jp.msn.com/affairs/crime/101205/crm1012050003000-n1.htm
知り合いのアナキストが逮捕された。
昨日、「主権回復を目指す会」という市民右翼ら100人が、民族差別デモをおこなっていたので、これに抗議したものだ。
報道では「デモ参加者に飛びかかり」となっているが、実際はそうではない。飛びかかったのは右翼の側である。
真相は、彼が抗議の横断幕を持って立ちはだかったところ、「主権回復」の代表(西村修平)が飛びかかってきたのだ。
ちょっと想像すればわかりそうなものだが、「横断幕を掲げ」ながら「飛びかかる」というのは、行為のプロセスとしてちょっと難しい。奴らに飛びかかってやろうというのなら、横断幕など捨ててしまうか最初から持っていかない。まあ、もみ合いになってしまえば誰が誰をどうしたかなどわからない状態になってしまうわけだが、最初の発端にどちらが先に手を出したかはとても重要だ。
西村たちは過去のデモなどでも、抗議者に暴行を加えてきた事実がある。 また、アナキストは先に手を出したことはない。やられたらやりかえすけどね。
というわけで、産経は嘘を書くな。訂正せよ。
2010年12月3日金曜日
2ちゃんねるの女たち
ずいぶんひさしぶりになるが、たまにはなんか書けよってことで、雑文。
この間、海上保安庁職員による尖閣ビデオの流出、警視庁公安の情報漏洩(クーデター?)などなどがあって、情報メディアはどうあるべきかみたいな正当な論議もまきおこりつつ、私は何をしていたかというと、もっぱら「2ちゃんねる」というサイトを見ていた。
深い意味はない。たんに、市民右翼がつるされる裁判(朝鮮学校の民事裁判、徳島県教組の刑事裁判)が進行していて、ヲチャ(ウォッチャー)のブログや、ヲチャの集まる2ちゃんの書き込みを読んでいるうちに、おもしろくなっちゃったのだ。
というわけで、いま、私は、ねらーだ。見てるだけだけどね。宿題もせずに「ねらー」。「仕事しろよ>俺」って感じだ。
さて2ちゃんねるのおもしろさは、短い一文だけの罵倒や中傷である。いや、おもしろいというのとは違う。非常に不快な書き込み、悪意むき出しの書き込みが多い。いま「政治思想板」を中心に見ているが、ブサヨ(不細工な左翼?)とか、草加(創価学会のこと?)などの、レッテル貼りのためのレッテル、中傷のための中傷が、極端に短い文で並ぶ。民族差別もおぞましいほど大量にある。あとはAA(アスキーアート)という文字を並べて描く絵。女の子の絵が描かれ、吹き出しに「おじちゃんたち、どうして働かないの?」という、ぐさっとくるセリフが。こうした短い文や絵で交わされる罵倒の応酬は、まったく噛み合っていないような、がっぷりと組み合っているような、不思議な流れ、かっこよくいえば旋律のようなものを形成している。これを読む作業というのは、ちょっと頭をひねるパズルのような要素がある。
いわゆる「ネットウヨク」が跋扈する「政治思想板」は、差別的な書き込みで溢れている。民族差別、性差別、失業者への差別、信仰の差別、部落差別などなど。しかし、どの種類の差別も均等に揃っているかというと、そうではない。頻繁に繰り返される差別と、まれにしか登場しない差別がある。
頻繁に登場するのは、民族差別、部落差別、創価学会など新宗教に対する攻撃、失業者・ニートへの差別、である。これらの差別が頻繁に繰り返されるのに対して、女性差別、学歴(職業)差別は、あまり登場しない。
たとえば平日の昼間に為された書き込みは、「ニート男性・失業者男性の書き込み」と見なされ揶揄される傾向が強く、「専業主婦」や「家事手伝」や「年金生活者」と見なされることは少ない。女性差別は「ブス」や「ババア」という表現であらわれるが、「女」とか「女のくせに」というむしろありそうな表現がほとんど見られないのである。
こうした差別表現・差別意識の微妙な偏りは、この板に書き込む「住人」の属性を反映しているのだと思う。おそらく我々が想像している以上に多くの女性、とくに中高年女性が、「政治思想板」に書き込んでいるのだと思われる。
彼女たちのどす黒い悪意を想像しながら、これは男、これは女、というふうに差別書き込みを読んでいくと、もう背筋がゾクゾクしてしまうのは私の悪趣味だろうか。他人を蔑み傷つけたくてしょうがない女たちがいて、それは知性やら批評性やらのかけらもないどうしようもなく卑しい表現なのだが、ここには、なんらかの力が解放されようとする前兆(あるいはその反動)があるのだと思う。
追記 書き忘れていたが、民族差別に次いで頻繁に出されるのが、知的障害者や病者(分裂症など)に対する差別表現。こういう衛生的な表現が執拗に登場するとき、書き手のおかれている社会的位置がどこにあるか、書き手の生活世界がどういうものであるか、想像してみるべきだろう。
この間、海上保安庁職員による尖閣ビデオの流出、警視庁公安の情報漏洩(クーデター?)などなどがあって、情報メディアはどうあるべきかみたいな正当な論議もまきおこりつつ、私は何をしていたかというと、もっぱら「2ちゃんねる」というサイトを見ていた。
深い意味はない。たんに、市民右翼がつるされる裁判(朝鮮学校の民事裁判、徳島県教組の刑事裁判)が進行していて、ヲチャ(ウォッチャー)のブログや、ヲチャの集まる2ちゃんの書き込みを読んでいるうちに、おもしろくなっちゃったのだ。
というわけで、いま、私は、ねらーだ。見てるだけだけどね。宿題もせずに「ねらー」。「仕事しろよ>俺」って感じだ。
さて2ちゃんねるのおもしろさは、短い一文だけの罵倒や中傷である。いや、おもしろいというのとは違う。非常に不快な書き込み、悪意むき出しの書き込みが多い。いま「政治思想板」を中心に見ているが、ブサヨ(不細工な左翼?)とか、草加(創価学会のこと?)などの、レッテル貼りのためのレッテル、中傷のための中傷が、極端に短い文で並ぶ。民族差別もおぞましいほど大量にある。あとはAA(アスキーアート)という文字を並べて描く絵。女の子の絵が描かれ、吹き出しに「おじちゃんたち、どうして働かないの?」という、ぐさっとくるセリフが。こうした短い文や絵で交わされる罵倒の応酬は、まったく噛み合っていないような、がっぷりと組み合っているような、不思議な流れ、かっこよくいえば旋律のようなものを形成している。これを読む作業というのは、ちょっと頭をひねるパズルのような要素がある。
いわゆる「ネットウヨク」が跋扈する「政治思想板」は、差別的な書き込みで溢れている。民族差別、性差別、失業者への差別、信仰の差別、部落差別などなど。しかし、どの種類の差別も均等に揃っているかというと、そうではない。頻繁に繰り返される差別と、まれにしか登場しない差別がある。
頻繁に登場するのは、民族差別、部落差別、創価学会など新宗教に対する攻撃、失業者・ニートへの差別、である。これらの差別が頻繁に繰り返されるのに対して、女性差別、学歴(職業)差別は、あまり登場しない。
たとえば平日の昼間に為された書き込みは、「ニート男性・失業者男性の書き込み」と見なされ揶揄される傾向が強く、「専業主婦」や「家事手伝」や「年金生活者」と見なされることは少ない。女性差別は「ブス」や「ババア」という表現であらわれるが、「女」とか「女のくせに」というむしろありそうな表現がほとんど見られないのである。
こうした差別表現・差別意識の微妙な偏りは、この板に書き込む「住人」の属性を反映しているのだと思う。おそらく我々が想像している以上に多くの女性、とくに中高年女性が、「政治思想板」に書き込んでいるのだと思われる。
彼女たちのどす黒い悪意を想像しながら、これは男、これは女、というふうに差別書き込みを読んでいくと、もう背筋がゾクゾクしてしまうのは私の悪趣味だろうか。他人を蔑み傷つけたくてしょうがない女たちがいて、それは知性やら批評性やらのかけらもないどうしようもなく卑しい表現なのだが、ここには、なんらかの力が解放されようとする前兆(あるいはその反動)があるのだと思う。
追記 書き忘れていたが、民族差別に次いで頻繁に出されるのが、知的障害者や病者(分裂症など)に対する差別表現。こういう衛生的な表現が執拗に登場するとき、書き手のおかれている社会的位置がどこにあるか、書き手の生活世界がどういうものであるか、想像してみるべきだろう。
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