山の手緑氏が名古屋に移住して1年。彼女もようやく名古屋の酷薄さについて口にしはじめた。
今日は二人で名古屋市内をドライブした。中区から中川区へ、さらに港区金城ふ頭へ。そこから折り返して名古屋港。熱田区。新堀川を北上して中区へと戻る。
新堀川ぞいにあるコメダ珈琲で、二人で深いため息をついた。
問題は名古屋ではないし、ましてや、東京や大阪といった特殊な都市圏でもない。世界に拡張してゆくこのありふれたメトロポリゼイション、とりとめなく拡がる冷たい産業都市の風景と、正面から向き合うことである。
山の手氏と同じころ移住した前瀬くんはかつて、名古屋の酷薄さに触れて、「いくつもの概念装置を用意しなければ、この街を見ることはできない」と言った。
そしていま山の手緑は、「言葉がまったく足りない」と言う。「この街に答えはなく、ただ問いだけがある」と。
我々は都市について、なんら有効な概念も言葉も持っていない。この認識にたっして、むくむくとやる気が沸き起こってきた。誰も見たことのないハードコアな都市論が、名古屋から生まれる。新しい分析枠組みは、東京でも大阪でもなく、名古屋の酷薄さのなかから登場するだろう。
我々はいま野心的である。
名古屋は人を野心的にさせる。