2013年3月2日土曜日

日本の主婦




 放射線防護活動の特異性について、みんなもっと驚くべきだと書いたが、その続きを書いてみる。なんか筆が進むなあ。脳の具合がおかしいのかな。まあいい。

汚染食品に対する不買行動はとどまるところをしらないわけだが、この力の背景には、日本の食文化がおおきく関わっているように思う。
海外旅行をしたことのある人ならわかると思うのだが、あ、海外といってもリゾート旅行じゃなくて都市観光なのだが、海外に行って思うのは、日本の食卓はすごいということだ。普通の家庭の食卓が驚異的である。なにがすごいかといって、国際色が豊かで、民族料理に拘束されず、バラエティーに富んでいる。和食はもちろん、中華料理に、ヨーロッパの料理に、インドカレーまで作ってしまう。普通の家なのに。海外でこんな国はなかなかないと思う。
10年ほど前に韓国に行ったとき、現地で知り合った若者のアパートに転がり込んで寝泊まりしていたのだが、彼らは中華料理を知らなかったし、イタリア料理も知らなかった。韓国人はほとんど毎日韓国料理を食べているのである。ヨーロッパの若者たちも食べ物を知らなかった。ちょっと小腹がすいたから何か食べようと思ったら、まあケバブ。ケバブしかない。アメリカ人の食事もバラエティに富んでいるわけではない。ニューヨークは世界中の人種が集まっている街だが、その割にはいろいろない。寿司は食べ慣れていたが。
 世界の人は、世界の食べ物をあんまり知らない。もしかすると、自宅で普通に餃子を作ったりしているのは、中国人と日本人だけなのではないだろうか。あと、自宅でパエリアを作ったりしているのは、スペイン人と日本人だけではないだろうか。そして、自宅で餃子を作った翌日にパエリアを作っちゃったりするのは、世界中見回しても日本の主婦だけではないだろうか。
日本の食卓の国際主義は驚異的である。その分、それをつくる主婦の知識が、ハンパではない。赤味噌、白味噌、醤油、ポン酢にとどまらず、豆板醤、テンメン醤、オイスターソースを使い分け、外国のハーブやスパイスも貪欲に取り入れ、もちろんナンプラーも普通に知っている。職業的な料理人ではない。普通の家庭の主婦が、このレベルなのだ。

 何を言いたいかというと、いま厚生労働省が「食べ物と放射性物質のはなし」というおかしなリーフレットをつくってスーパーで撒いているわけだが、こういう無駄なあがきはやめろということだ。
もう、そういうの無駄だから。だって知性のスケールがぜんぜん違うんだから。
食品に関して日本の主婦がもっている知識と意欲はけたちがいなのである。どんな食材も彼女たちにとってはワンオブゼムにすぎない。この人たちが放射能汚染を問題にした時点で、もう勝負は決まっていたのだ。