2013年3月6日水曜日

ノート被曝労働(1~3)



来週末、名古屋で被曝社会研究会合宿がおこなわれる。
その準備のために、被曝労働について考えを整理している。
以下はそのノートだが、順次公開して共有しておきたい。
最終的に研究会のレジュメとしてまとめたいと思う。
以下、本文。

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被曝労働にどう対峙するか

1)福島第一原発の収束作業
2)汚染地域の除染作業
3)汚染地域の土木・建築作業
4)汚染地域のインフラ事業(ゴミ処理・下水処理・公園整備)
5)汚染地域の一般的屋外作業


1 福島第一原発の収束作業の特徴は、作業の有効性が不明確であることである。事故後の施設の状態は把握し難く、対処の方法も明確になっていない。すべてが未知の領域である。
チェルノブイリ原発の収束作業では労働者と兵士あわせて80万人が動員されたが、当時の指揮官は、「ほとんどの作業が意味のないものだった」と述懐している。多くの労働者兵士は意味のない作業のために被曝させられた。これは労働というよりも戦争に近い事態である。人権の極端な制限、使い捨て、「兵士の命は馬より安い」という状態が復活している。戦争であれば停戦や講和が可能だが、ここではそれもない。戦争よりも絶望的な事態だ。
 収束作業に対して労働運動が取るべき基本的態度は、作業の無人化の要求である。戦争を拒否するのと同じ理由で、「収束作業の拒否」を運動の軸にするべきである。
 日本では、日露・日中・太平洋戦争で死んだ兵士を靖国神社に祀り「英霊」化している。今後は収束作業の死者を「英霊」化する策動にも強く警戒しなければならない。

2 汚染地域の除染作業は、「復興」政策の要である。
一部地域では住民の退避措置と同時に除染が試みられているが、ほとんどの地域では退避措置なき除染作業が行われている。多くの除染作業は、住民を退避させないために行われている。
 「復興」政策は、長期的には破綻することがあきらかである。しかし政府と金融資本は急激なフクシマ危機を望んでいないから(フクシマの不良債権化はこれまで経験した債務危機を超えるだろう)、徐々にソフトランディングさせるために時間を稼いでいる。したがって現行の除染事業にもとめられる「実績」とは、汚染が低減できたか否かとは関係がない。「汚染の低減」は汚染評価を操作することによって可能だからである。では除染事業は何を「実績」とするかといえば、事業の「費用対効果」であり、「効果」があらかじめ決まっている場合、単純に費用の最小化をはかることになる。除染作業が充分な安全対策を施されないのは、そもそもこの事業が費用の最小化だけを求めているからである。
 チェルノブイリで行われた「意味のない作業」は、多くの除染作業を含んでいる。安全対策が杜撰な状態で、大量の労働者が重汚染地域に動員される。この部門が今後の被曝被害を押し上げる最大のグループになるだろう。

3、汚染地域の土木・建築労働者は、被害の補償をもっとも取りにくいグループだ。
日本の土木建築業は重層的下請け構造によって、雇用を流動化させ使用者責任を曖昧にする、脱法的性格をもっている。また、汚染地域が広大で、岩手県から静岡県まで膨大な労働者が働いている。彼らの健康被害は充分に検証されることなく最後まで放置されるだろう。
現実には2つの争点がありうる。一つは、退避措置や注意喚起を怠った使用者元請けに対して、労働災害の補償を求めること。もう一つは、労働災害としてではなく一般的な公害訴訟に組み込むかたちで、国や自治体の責任を問うことである。
いずれにしろ必要なのは、呼吸内部被曝の解明と、クリアランス制度によって流通した汚染建材の実態把握である。





補足1


権利意識の喪失について

 被曝社会において、労働者がはっきりとした権利意識を持つことは必要なことである。しかし、労働者の権利意識の徹底は、これまで以上の困難さを伴う。
 まず若年労働者においては、長く続いてきた慢性的失業状態によって、諦念の感情が支配的になっている。近年のユニオン運動や反貧困運動は、若年層の権利意識に働きかけるよう尽力してきたが、まだスタートラインにたったばかりである。自暴自棄になっている若者は多い。彼らは確実に被曝する。
 つぎに、関東・東北では、汚染の強度が財産の存否に関わるほどになっているから、当該住民は、私有の不動産や債権、無形の社会資本(コネ)と経済的諸権利を、質に取られている状態である。福島県と隣接県では、「復興」政策にはっきりと異論を唱えることのできない労働者・農民が数多くいるだろう。彼らは、「復興」に翼賛してしまうために、労働階級全体の利益と対立する役割を果たすことになる。
 被曝による労災認定は、被曝線量5mSVの水準を過去の判例で勝ち取っているが、汚染地域の労働者・農民はこの成果を覆し、被曝労災問題をなし崩しにしてしまうだろう。
 最後に、非汚染地域の労働者は、「日本再生」の国民意識に呑み込まれ、階級意識を眠らせている。福島県での医療検査が事実上棚上げにされていることを知りつつも、労働組合やナショナルセンターが自ら野戦病院を建設することはない。なぜなら、被曝者の(被曝労働者の)健康調査は、金融資本と労働階級の対立を鋭く表面化させるからである。またこのことは、構造的にルンペン化した汚染地域労働者との思想闘争を必然化させることになる。
日本労働者にそこまでの根性はない。みんなにいい顔したいだけの善人たちだからだ。