2012年3月8日木曜日

シーベルトについて

放射性物質による汚染を測るとき、いまは二つの単位が使われている。
 ベクレル(Bq)とシーベルト(Sv)だ。人体への影響を測るシーベルト(Sv)を別の単位として数えれば、正確には三つの単位があることになる。
 いま食品や土壌の測定はベクレル(Bq/kg)という単位で表現し、空間線量や被曝線量はシーベルト(Sv/h)という単位で表現している。

 しかし考えれば考えるほど、シーベルトというのは使えない単位だ。これは何かというとつまるところ熱量である。ジュールとかカロリーみたいなものだ。α線、β線、γ線、X線という種々の放射線を、全部ジュール換算にして表現するみたいな、非常に大雑把な話だ。放射線の研究というのがもともと兵器開発を中心にしているものだから、人間や鉄材をどれだけ焼くことができるかってことなんだろうが、まあ使えない。
 たとえば薬学の研究者が毒物の強さを表現するときに、熱量で表現したらおかしいだろう。このトリカブトの毒は0.001カロリーまでは健康に被害はない、とか。おいおいカロリーかよ、と。そこはグラムだろ、と。もうマンガだ。

 放射線による健康被害というのは、こういうマンガのような次元で議論されている。
 冗談ではない。
 怒りが抑えられない。

2012年2月17日金曜日

ガレキを燃やすな

静岡県島田市の市長が、震災ガレキを燃やそうとしている。ガレキ焼却に反対する市民が島田市に集結している。
問題にされているのは2点。

1、被災地からガレキを移送すること
2、ガレキを燃やすこと

 問題の中心は、震災ガレキを燃やすことだ。ガレキ焼却とは、低レベル放射性廃棄物の焼却濃縮である。原発のなかでは、汚染された衣服やウエスを焼却して分量を圧縮する作業が行われている。こういう作業のもっと大規模なものを一般のごみ焼却場でやらせようというのだ。これは市民が反対しないほうがおかしい。
環境省と市長は、とにかく被災地からガレキを動かしたいと言う。であれば、焼却ではない方法を考えるべきだ。いつまでも焼却にこだわっているからガレキが動かせないのだ。これは痛みを分かち合うとか分かち合わないとかいう問題ではない。これ以上誰も被曝させてはいけない。現在の技術水準を考慮すれば、どこの焼却場であれ、ガレキを燃やしてはいけない。
 どうせ結末は見えているのだから言うが、震災ガレキは福島県双葉郡に移送して、積み上げて、飛散防止の塗料をかけておくしかない。すでに双葉郡の一部自治体はその意向を示しつつある。

2012年2月16日木曜日

まだらめが謝った

斑目委員長陳謝“安全指針に瑕疵”

国の原子力安全委員会の班目春樹委員長は、国会に設置された原発事故調査委員会に参考人として出席し、原発の安全対策を示した国の指針について「瑕疵(かし)があったことは、はっきり認めざるをえない。おわびする」と陳謝したうえで、見直しを進める考えを示しました。
15日に開かれた国会の原発事故調査委員会には、国の原子力安全委員会の班目春樹委員長と、原子力安全・保安院の寺坂信昭前院長の2人が参考人として出席しました。
この中で班目委員長は、原発の安全対策を示した国の指針について「いろんな意味で瑕疵があったことは、はっきり認めざるをえない。津波に対する十分な記載がなかったり、すべての電源の喪失も『長時間考えなくてもいい』とされていた。原子力安全委員会を代表しておわびする」と述べたうえで、見直しを進める考えを示しました。
また、班目氏は、放射性物質の拡散を予測する「SPEEDI」と呼ばれるシステムのデータの扱いについて「迅速に公開されていたらもっとうまく避難できたというのは、全くの誤解だ。しかし、データの公開は早い時期にされてしかるべきものだった」と述べました。
一方、原子力安全・保安院の寺坂前院長は、政府の原子力災害対策本部の議事録が作成されていなかったことについて「事故発生当時の事務局長として、大変申し訳ないと思っている。概要的なものは途中からは残されているので、復元する作業を行っている」と述べました。
国会の原発事故調査委員会のあと、黒川委員長は記者会見し、「班目氏が、原発の安全対策を示した国の指針が不十分であったことを認めるなど、今後の調査に向けて極めて参考になるヒアリングだった。緊急時の備えが、極めて出来ていなかった。原発事故を引き起こした日本としては、国際的に認識されるような安全基準をつくる責務がある」と述べました。

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20120215/k10013043211000.html

 謝ってすむ問題ではない。しかし原子力安全委員会が自らの罪を認めたという事実は大きい。国の原子力行政がきわめて疑わしいものであることが、公にされたわけだ。経産省は大飯原発の再稼働を企んでいるが、住民説明会はまずこの点で紛糾するだろう。つまり、充分な対策をとれなかった無能の組織が、もういちど安全性テストをする資格があるのかということだ。どんな蓋然的根拠があって彼らが原発の安全性を評価できるのか。「仏の顔も三度まで」というが、放射能拡散は二度も三度もゆるされない。

2012年2月13日月曜日

『3・12の思想』(以文社)

やっとゲラ校正が終わった。今日いれた。
 3月に以文社から発売します。
 書名は『3・12の思想』



 「3・12」というのは誤植ではなくて、放射能拡散が始まった日付ということで、「3・11ではない、3・12の話をしよう」というコンセプトで話しました。大阪の杉村昌昭さんの仕事場で、年末年始二日間かけて収録したロングインタビューです。でもインタビューだけでは分量が足りないので、かなり加筆して、この3週間は加筆分を書くためにこもっていました。
 今週末には印刷所に入れるということなので、順調にいけば3月初旬に配本になると思います。
では、冒頭のさわりだけ公開。


はじめに
 二〇一一年三月一二日、私は娘を連れて、東京をあとにしました。  前日の三月一一日、東日本大震災——津波の恐るべき被害が徐々に明らかになっていくなか、夕方のNHKのニュースで「福島第一原発が電源を失い冷却機能を喪失した」と報道されます。この報道に接して、私は、これはまずいことになるなあと思いました。おそらく原子炉容器は破壊されるだろう、と。そこでまず近所の薬局に行きました。安定ヨウ素剤が必要だと考えたのです。しかしまったく不勉強だったんですが、薬局では安定ヨウ素剤というものは売っていないんですね。しかたがないので、うがい薬のイソジンで代用することにしました。それから私は一晩考えて、翌朝、愛知県の実家に娘を避難させることにしました。  私は放射性物質の放出を予想し、十二日の午前の段階で東京からの退避を決めました。ただ正直に言うと、私はもう少し軽い事故になるだろうと思っていたのです。二〇〇七年に中越沖地震が起きたとき、東京電力・柏崎刈羽原子力発電所は火災を起こしました。あのときのような状態になるのではないかと予想したのです。福島第一原発は一日か数日か一時的に放射性物質を放出し、東京にも多少の放射性ヨウ素が到達するだろう、と。もちろん、多少とはいえ放射性ヨウ素を子供に浴びさせてしまうわけにはいかないので、娘だけ一時的に避難させることにしたのです。朝、電車はダイヤが乱れて遅れていましたが、なんとか昼前に東京駅にたどりつきました。東京から名古屋までは新幹線が順調に動いていました。昼過ぎには名古屋駅に到着して、実家の母親に娘を預けて、そうして私は東京に戻るつもりだったのです。ところが、私が東京に戻ろうとすると娘がむずがるわけです。心細かったんでしょうね。前日の地震のショックもあったので、一人で残されるのは嫌だったんでしょう。そういうわけでちょっと時間をかけて娘に事情を話して、諭しているときに、テレビ画面のなかで原発が爆発したんです。
十二日の午後です。もう、声も出ないほど驚きました。建屋が爆発したんです。建屋というのは、国や電力会社が言ってきた「五重の壁」の最後の壁です。どんな深刻な事故が起きても最後は厚いコンクリートの壁で閉じ込めるんだと言ってきた、その最後の壁が、木っ端みじんに吹き飛んでしまった。こうなると、放出なんていうレベルではない。終わったな、と思いました。
 この一連の出来事を人々は「三・一一」という日付で呼んでいます。
そうなんです。いろんな出来事が、ほんの一日のあいだに、怒涛のように押し寄せてきた日です。あの日自分がどこにいて、何時にどこに行って、何を考え、誰と何を話し合ったかということを、いまでも詳細におぼえています。そのときに受けた衝撃や、その日の判断が、自分の人生にとって非常に重要な転機になった。そういう決定的な日です。
しかし、どうなんでしょうか。ここで、巨大地震から放射能拡散まですべてをまとめて「三・一一」と呼んでしまって、それでよいのでしょうか。ここに私はなにか乱暴なものを感じてもいます。一口に「三・一一」というだけではすまないのではないか。「三・一一」と言ってしまったときに、何か大事なものをとりこぼしてしまうのではないか。もう少していねいに、じっくりと考えようじゃないか、と。
放射能を拡散させた東京電力は、なにからなにまで津波のせいにするかもしれません。しかしそれは火事場泥棒というものであって、本当は、問題となる事柄をもっと厳密に、慎重に、きりわけていかなくてはならないのです。私たちを悩ませている諸問題を、どこからどこまでを、問題として把握していくのか。問題をどのようなものとして捉えていくのか。そうした議論のベースとなる見取り図を、正確に捉えておきたい。
そう考えるなかで、あるとき「三・一二」という日付が頭に浮かんだのです。私たちにとって本当に決定的であったのは、三月一二日なのではないか、と。
今回私が話すのは、「三・一一」ではない、「三・一二」の話をしようと思います。

2012年1月17日火曜日

国の言う「空間線量」はでたらめです

空間線量の計測・評価の方法について、文部科学省に電話で質問をした。
確認したかったのは、外部被曝を評価する際のベータ線のとりあつかいの問題である。
国が定める測定のガイドラインでは、空間線量の測定はシンチレーションサーベイメータで行うこととされている。現実に国・自治体が実施しているモニタリングは、すべてシンチレーションサーベイメータで行われ、マイクロシーベルト毎時(μSV/h)という単位で発表されている。
シンチレーションサーベイメータは、ヨウ化ナトリウム等の検出器によってガンマ線をカウントし、そのCPM(カウント・パー・ミニット)に係数をかけて、シーベルトにしている。
 これに対して、一般に普及している空間線量計は、GM管(ガイガー・ミュラー管)が使われていて、これはベータ線とガンマ線をカウントして、そのCPMに係数をかけてシーベルトにしている。
 拡散している放射性物質には、アルファ線を出す核種、ベータ線を出す核種、ガンマ線を出す核種があって、代表的なヨウ素131・セシウム134・セシウム137という核種は、いずれもベータ崩壊をしてベータ線を出す核種である。ガンマ線はそのついでというか、ベータ崩壊に伴ってでてくるものだ。セシウムが崩壊すると、ベータ線とガンマ線の二種の放射線が撃ち出される。だから、ロシアやウクライナから輸入された空間線量計は、ベータ線とガンマ線を両方カウントする仕様になっているわけだ。
 簡単に整理すると、シンチレーション式はガンマ線のみ、GM管式はベータ+ガンマをカウントしている。当然、シンチ式がだす数値は、GM管式の数値よりも少ないものになる。
 では国・自治体は、シンチレーション式で拾えなかったベータ線の被曝線量について、どういう評価をしているのか。シンチで拾ったガンマ線シーベルトの値から、ベータ線の分を推定して割り増ししているのか。あるいは、土壌・空間のベクレルの値から推定して、ベータ線による被曝線量を追加しているのか。
 文部科学省の回答は、「ベータ線の分は勘定していない」だった。
国・自治体が発表している「空間線量」とは、人がある空間に立った時に、ガンマ線を浴びる量だけを評価したものだというのだ。では、人が土に触れたり、衣服に放射性物質が付着した状態で浴びてしまうベータ線の影響は勘定していないのかと聞くと、「そういうことは無いものとして考えている」というのだ。

 これは素人でも分かることだが、まったく実態にあっていない。放射性物質は、屋外にも屋内にもごろごろブツが転がっていて、肌の表面や衣服に付着してしまっている。これはもうどうあがいてもベータ線を浴びてしまう。しかし国・自治体が言う「空間線量」は人が放射性物質に触れないという前提での線量なのだから、もしこれを実現しようとするならば、まず体をよく洗い、汚染されていない衣服を着たうえで、ベータ線を遮蔽するために厚さ10㎜程度のアルミ板で全身を鎧のようにくるみ、顔は全面マスクで覆っておかなくてはならない。地下足袋なんかもう絶対禁止で、靴底に20㎜ぐらいのアルミ板を貼ってベータ線を遮蔽しなくてはならない。この状態にしてようやく、国の言う「空間線量」になるわけだ。

では、ICRPが定める追加被曝線量の許容量というのは、どうやって計算するのか、国は、このガンマ線評価のみの特殊な「空間線量」を積算して、年間被曝線量を評価していくのかと聞くと、「そうではありません」と言う。「追加被曝の許容量は、ベータもガンマも、外部も内部も、すべてひっくるめて合算した線量です」と。じゃあこの発表されている「空間線量」は被曝線量の評価と関係ないんですね、と聞くと、「そうですね」と。
なんなんだよ。
外部被曝の評価方法も定まらず、年間許容量とも関係のない意味不明な数値で、退避とか除染とか線引きしてるのか。
馬鹿か。馬鹿なのか。



おまけ(クリスバズビーが原子力スターリニズムを批判)

2012年1月12日木曜日

たかが米のために人間を被曝させるな

福島県が馬鹿なことを言いだした。まず1月4日の報道。

 福島県の一部で収穫されたコメ(玄米)から国の暫定規制値(1キロ・グラムあたり500ベクレル)を超える放射性セシウムが検出された問題で、県は2012年のコメの作付けの際に、カリウム肥料を多く与えるよう農家に、技術指導を行うことを決めた。
 カリウム肥料にはイネがセシウムを吸収しにくくする働きがあるという。
 同県では福島、伊達、二本松各市の計9地区31戸(昨年12月30日現在)で作られたコメから規制値超の放射性セシウムが検出されている。県と農林水産省が水田などを調べたところ、コメの放射性セシウム濃度が高いほど、土壌のカリウム濃度が低い傾向があることがわかった。
 財団法人・環境科学技術研究所(青森県六ヶ所村)の大桃洋一郎相談役(環境放射生態学)によると、カリウムは窒素、リンとともに植物の3大栄養素で、化学的性質が似ているセシウムより吸収されやすい。カリウムが欠乏した土壌では、セシウムを吸収しやすくなる。
(2012年1月4日 読売新聞)

 これは昨年の『atプラス』誌上でも指摘した問題だが、再度批判し、注意喚起しておきたい。
問題はおおきく2点ある。

1、カリウム投与によるセシウム移行低減は、商品流通の正常化を優先して、生産現場の土壌汚染を放置し、農家・農業労働者を被曝させる政策である。県は生産者を防護する責務を放棄している。

2、セシウム移行低減は、食品測定の指標となるセシウムを「不検出」にする一方で、汚染の全体(ストロンチウム等の核種の有無)を隠すはたらきをする。これは汚染作物のロンダリングであり、農産物に対する消費者の不信はさらに高まることになる。

 福島県は、作物が商品として流通できるかどうかだけを考えている。それは、大規模な土壌汚染問題に正面から向き合わない、ごまかしの「対策」だ。
 こうした県側の動きに対して、福島の農業団体は対抗的な方針を出しつつある。

 福島県のコメから放射性セシウムが検出された問題を受け、JAグループ福島は、県内のコメに少しでもセシウムが検出された場合、当該農家に今春の作付け中止を要請する検討を始めた。

 JA側は作付けを見送った農家への補償を国に求める考えだが、国は暫定規制値(1キロ・グラム当たり500ベクレル)を超えた地区に限って作付けを制限する方針で、補償が実現するかどうかは不透明だ。

 同県では昨年11月末までに、福島市や二本松市など29市町村で収穫されたコメからセシウムが検出。このため、農林水産省と県が同月から、29市町村の全農家約2万5000戸の調査を始めており、昨年末時点で4840戸の農家のコメ5291点のうち、約20%の1094点からセシウムが検出された。
(2012年1月10日 読売新聞)

 福島第1原発事故を受け、JA新ふくしま(福島市)は11日、土壌の放射性物質濃度を調べる新型測定器の試験を市内のブドウ農園で公開した。新型の測定器は小型で持ち運べるのが特徴。農地の汚染状況を迅速に調べることができると期待されている。
 測定器はベラルーシ製。重さ約5キロで、調べたい場所に置くと、その場の土壌に含まれるセシウムなど代表的な放射性物質の濃度を表示する。従来の機器は、精度は高いが重さが100キロを超す固定式で、土壌の汚染濃度を調べる際には、現場から土を持ち帰って乾燥させるなどの手間がかかった。
 JA新ふくしまは「消費者の信頼回復を進める上でも、農地を広く調べる態勢をつくりたい」としている。
(2012年1月11日 共同通信)

 これが正しい。土壌を調べることが唯一の解だ。
 福島県はさっさと土壌を調べて、必要な退避措置を講じるべきだ。経済のために人間を被曝させるな。

2012年1月1日日曜日

日本紅白歌合戦

毎年恒例になっている紅白歌合戦という番組を、久々に観た。

 以前からそうだったのかもしれないが、ずいぶんグループが多いなあという印象をもった。グループと言ってもバンドスタイルではなくて、歌って踊る人がたくさん並んでいるという形態。これはなんというのか、ホストクラブやキャバクラのショーみたいな賑やかさがある一方で、水商売のもつ刹那的な雰囲気も醸し出されてしまう。かつて流行したバンドというスタイルが、かけがえのないメンバーシップを演出するのに対して、EXILEとかAKB48とかK-POPというのは、まあ使い捨て感が強い。この形態、メンバーがむやみに多いから、いつ誰が欠けても気がつかない。一度に3人ぐらい放射線障害でダウンしても、ちょっと残念なお知らせをしただけであとは問題なく興行が成立してしまう。すげーなこれは。若者がばんばん使い捨てられる時代の、ある種海賊的な心性にマッチしているということか。

 まあそれはいいとして、問題は長淵剛だ。
 長淵剛には何も期待しないしただのバカということで話題にしないのが我々インテリの作法なのだが、今回の紅白歌合戦では意表を突かれた。
 この歌合戦の基調は一言で言えば「3・11」を想起することであり、「故郷再生」を願うことだった。故郷再生に希望を託すということであるからには、放射性物質の大規模大量拡散問題にはぜったいに触れないというのが暗黙のお約束だったのだが、唯一、長淵剛だけは違った。彼は、福島第一原発の事故と、放射能汚染によって家に帰ることができなくなった人々について語った。「3・11」の経験に対して「3・12」の経験を突きつけ、「故郷」への共感ではなく「難民」への共感を示したのだ。
 これはアゴが外れるほど驚いた。痛快だった。
 長淵剛、GJだ。

http://www.avaaz.org/jp/save_the_fukushima_children_1/?tta