2011年6月17日金曜日

疎開したほうがいい

 いま茨城県守谷市の砂場を優先的に計測しているが、問題はバックグラウンド値がとれないことだ。
 私の場合、公園の中心のひらけた場所でバックグラウンド値を計測しようとしているのだが、これがどうやっても高い数値しか出ない。計測器が壊れてるんじゃないかと思って、二台の計測器(RADEX)で測ってみたりもするのだが、どうしても0.3μsv/h とか出てしまう。もう、やってらんねーよレベルの数値だ。

 そういうことなので、茨城県守谷市の母子は、西日本に疎開してください。
 とりあえず5年ぐらい。
 5年たてば放射性セシウムが低減するということはないのだが、自治体や教育委員会が放射線防護対策をとるようになるには、おそらく5年ぐらいかかるだろう。5年も待てばなんらかの措置をとるようになるだろう。それまでの期間、黙って被曝しながら愚図につきあってやる必要はない。あるていど安全だと思える防護体制ができるまで、田舎に疎開して様子を見た方がいい。

守谷市みずき野〜緑

昨日は守谷市の砂場計測(二日目)。

郷州文化財公園  みずき野7-16-1  砂場なし
どんぐり公園   みずき野7-16-2  砂場なし
もものき公園   みずき野7-7-15  砂場なし
あんず公園    みずき野8-12   0.53
立沢公園     久保ケ丘1-21   0.32
すずめ公園    久保ケ丘4-5    砂場なし
つつじ公園    御所ケ丘2-6    0.53
こじゅけい公園  御所ケ丘3-7    0.37
ひばり公園    御所ケ丘4-13   0.58
せせらぎの小路  久保ケ丘4-33-5外 砂場なし
そよかぜ公園   松ケ丘1-19    0.43
20号緑地    松ケ丘2-2     砂場なし
19号緑地    松ケ丘3-15    砂場なし
松ケ丘公園    松ケ丘4-4     0.53
ゆうやけ公園   松ケ丘5-11    0.49
ひだまり公園   松ケ丘7-11    0.41
たけのこ公園   緑1-10      0.54
すぎのこ公園   緑1-21      0.56
ログハウス公園  緑2-2外      0.50
四季の里公園   緑2-37      0.41

ようやく半分おわった。あと二日かければ守谷市の計測は完了する。

追記
 守谷からつくばエクスプレスで帰ってきたのだが、車内の様子は少し異様だった。20人ほどしかいない乗客のうち、15人が眠っている。それも、ただ目を閉じているという眠り方ではなく、口を開けて眠っている。疲れているのだ。
 放射線の被害はガンだけではない。万人に薄く広く与える影響は、疲労だ。こどもは特に疲れるだろう。今後、東北・関東では、こどもの学力・体力が著しく落ちていくはずだ。
「ゆとり世代」の次は、疲れやすく体力のない「ぶらぶら世代」があらわれる。

2011年6月15日水曜日

茨城県守谷市、けやき台〜みずき野

今日はつくばみらい市の友人に車を借りて、砂場計測にまわった。京都から遠征してきてくれた渋谷さんと私と、二人組での作業。まずは渋谷さんに運転してもらい、守谷市の公園からまわった。

 かげろう公園  けやき台2−16  0.37μsv / h
 17号緑地   けやき台2−32  0.43μsv / h
 うららか公園  けやき台3−17  0.59μsv / h
 けやき台公園  けやき台4−4   0.37μsv / h
 にじの公園   けやき台5−20  0.51μsv / h
 くりのき公園  みずき野1−5−1 0.57μsv / h
 くわのみ公園  みずき野3−12−23 砂場なし
 さくらの杜公園 みずき野4−14  砂場なし
 みずき野中央公園 みずき野5−1  砂場なし
 ざくろ公園   みずき野5−17−13 砂場なし
 かきのき公園  みずき野5−7−7 砂場なし
 さくらんぼ公園 みずき野6−14−13 0.48μsv / h

ここまで計測するのに3時間。知らない土地の道って、けっこう複雑で迷う。
もともと方向音痴ってのもある。かっこ良く言えばデリーブ(漂流)な体験。

 けやき台のラーメン屋で昼食をとって、午後の作業を開始すると、「福島第一の4号機が白煙を上げている」という情報が。
もう、やんなっちゃうね。
計測活動で被曝したんでは馬鹿馬鹿しいので、午後二時に撤収。
福島第一の様子を見て、明日に備える。

2011年6月14日火曜日

「国民」全員が苦しむわけではない

 昨日は高田馬場で砂場ミーティング、今日は八王子で計測器のワークショップをやった。
JR八王子駅北側の公園に行き、参加者に計測器を使ってもらった。
滑り台の周りの砂場は水はけが悪く、大きな水たまりになっていて、ここでは0.2μsv/hだった。
 23区に比較すれば低い印象だが、もっと低いと予想していた八王子の参加者にとっては、深刻な数字だった。

 ワークショップのあと喫茶店で話していて驚いたのは、八王子在住の人でも、ずっとのどが痛いとか、鼻血が頻繁に出ている、という人がいる。そのなかの一人は、実家のある田舎に移住をしようかと考えているというので、早く移住した方がいいと勧めた。
 
 被曝問題が憂鬱な気分になるのは、個体差が大きいことだ。
これが食中毒やインフルエンザであれば、(比較的)無差別に襲ってくる。
しかし、低線量被曝は無差別ではなく、被害に遭う者だけが苦しむのだ。
 これは戦争に似ている。
 戦争もまた被害に遭う者だけが苦しみ、生き残った者はそのことに目もくれず忘れてしまう。忘れたふりをする。嘘をつくという意識もなく嘘をつき、隠そうという意識もなく隠蔽するのだ。

 「国民」というものほど酷薄なものはない。こんなものと心中するわけにはいかない。

2011年6月8日水曜日

原水禁国民会議、しょせんは国民なのか

原水禁大会、福島で7月開幕

 原水禁国民会議などは7日、今夏の原水爆禁止世界大会の開幕集会を7月31日に福島市で開く方針を決めた。福島第1原発の事故を受け、「フクシマ」を原点に広島、長崎、沖縄まで続く一連の大会で「脱原発」の訴えを掘り下げ、広げる。

 世界大会は例年、広島、長崎両大会と国際会議を開催。今年は原発に依存してきた社会を問い直す転換期と位置付け、「核と人類は共存できない」との根本に立ち返って議論を深めようと、大会内容の大幅な変更を検討してきた。この日までに福島の地元組織からも内諾を得たという。

 福島大会には福島第1原発事故の被災者やチェルノブイリ原発事故(旧ソ連)の被災者、被爆者らを招き、「脱原発」を提起。8月4~6日の広島大会、7~9日の長崎大会では原発の周辺住民への影響や原発作業員の被曝(ひばく)などを取り上げる。広島市で5日にある国際会議も原発を議論の柱とする。

 世界大会の日程は17日に開く実行委員会で正式決定する。

(6月8日 中国新聞)

 原水禁はどういうつもりなのか。
「核と人類は共存できない」と訴える団体が、なぜ福島大会なのか。この大会に誰をどれだけ動員するのか。若い学生たちにも福島大会参加を呼びかけるつもりなのか。
 福島のはかりしれない被害を訴え、迅速な汚染調査・避難措置・防護措置を政府に要求し、民間レベルでも避難を援助すべきときに、まるで政府・福島県の安全宣言に加担するような動きである。
 主張と行動がちぐはぐだ。何を考えているのか。


追記
 私の若い友人と女性の友人には、絶対に福島には行かせない。こんな集会は百害あって一利なしだ。
 「じゃあ福島の人はどうしたらいいのか、福島市民を見捨てるのか」と言う声が聞こえる。
その言葉はそのまんま返そう。おまえらが物見遊山の冷やかしの自己満足集会をやって、福島の政治状況が少しでも良くなるのか。その大会は、政府・自治体を1ミリでも動かすことができるのか。福島がかならず復興できるのだと、責任を持って言えるのか。
 いまできるのは、福島県民の避難を促すことしかない。福島第一原発の蒸気が収束するまで、畑をブルーシートで覆って避難するしかない。そのための実態調査、世論づくり、行政交渉、資金調達が必要なのだ。だいたい国民運動づらしてる自治労やら日教組は、なぜ福島のために時限ストひとつうたないのか。ストをうてないなら、せめて金を出せ。

CRIIRADの記者会見

6月2日に講義をしていただいた CRIIRADのブルーノ氏、測定器47台プロジェクトの岩田氏が、前日に日本記者クラブセンターでおこなった記者会見の様子です。

2011年6月4日土曜日

とりとめのない世界

 6月2日のワークショップ「誰でもできる! 素人による素人のための放射線計測講座」は、立ち見が出るほど多くの人が集まった。
講座の内容は時間切れで終わってしまったが、学校のプール清掃問題や地方議員ネットワークなど既に行動を始めている人たちに出会えて、とても勇気づけられる集会だった。

 この一ヶ月間、土壌の放射線計測の問題を考えて、ようやくわかったことがある。それは、散逸してしまった放射性物質については、通常のサンプル調査という方法が無効であるということだ。
 土壌表面の放射線量を調べると、ほんの50センチ移動しただけで数値が違ってしまう。これは高性能の計測器でそうなるというだけではなくて、我々が使う簡易型の計測器でも2倍3倍の変化が出てしまう。放射性物質が堆積した「ホットスポット」というのは、実際には直径30センチにも満たない小さなスポットで、これが無数に偏在しているのである。
 ホットスポットの形成には多くの要素がかかわっている。大気の流れ、雨の流れ、土地表面の材質、土地の勾配、排水設備、屋根と植え込みの配置、道路の交通量。建築物があれば、その建物の高さ、構造、壁の表面積、壁の材質も関わってくるだろう。
 放射性物質が降り注ぎ、流れにあらわれた土壌表面は、細かく激しく波打っている。ここでは環境のありようを線形のイメージで捉えることができなくなっている。断片的で動的でもある土壌表面は、それを再現する(表現する)ために、何をどれだけ計測したらよいのかわからない、また、どこまで計測すれば計測を完了したと言えるのかわからない、とりとめのない世界なのだ。

 我々がふだん慣れ親しんでいる線形のイメージというのは、複雑でとりとめのない世界を把握するためのひとつのわりきりかただ。しかし、内部被曝の想定される汚染地帯では、この「わりきり」は生死にかかわる。
 アスファルトを歩きコンクリートのオフィスにおさまる人間は比較的安全だ。田畑を耕す農民、土を掘りかえす土工、ビルの清掃員、植木屋、屋台、ヤクルトおばさん、砂場で遊ぶこども、草むらを這う猫たちは、それぞれにまったく違った強度に触れ、放射線被曝にさらされる。ここでは、「世界は一様ではない」というあたりまえの事実が、深く認識されなければならないのだ。
 
 線形の環境が想定できないとき、つまり何をどれだけ測ったらよいのかわからなくなってしまったときに、では、なにが計測の基準となるのか。計測行為の方法的根拠はどこに見出されるか。
 私の解答は、人文主義(ヒューマニズム)だ。
 すでに多くの人が口々に訴え、実際に働きかけているのは、「こどもの内部被曝を防ぐ」ということだ。これは「野良猫の内部被曝を防ぐ」でもよい。言わんとしているのは同じことだ。
 これらの人文主義が、計測のための視点を与え、計測の主体と対象を定める(主体と対象が生成する)。そして明確な対象を定めたうえで、サンプル調査ではなく全数調査を実行する。東京砂場プロジェクトでは、関東のすべての児童公園の砂場を調査する。

 こどものために大騒ぎする我々は、「ヒステリー」と揶揄されるかもしれない。しかし我々の「ヒステリー」をあざ笑う人間は、このカオス化した空間を、どのように把握し再現できるというのか。何を計測すべきかという明確な視点を提示しているのか。不充分なサンプル調査でお茶を濁したつもりになっている奴らは、旧い「科学」の方法にしがみついて世界を捉え逃す劣った反動分子にすぎない。