2021年8月18日水曜日

未来のゲート都市

 


 

 新型コロナウイルスはデルタ株・ラムダ株の登場によって、長期化する見込みとなっている。私は感染が始まった当初、三年ほどで収束すると想定していたが、そういうわけにもいかないらしい。新型株が流行するたびに、それに対応するワクチンを接種するという作業を、何年も続けなければならないらしい。短期の収束が難しいとなると、当初はばかばかしいと思っていた「ウィズコロナ」という方針が、現実味を帯びてくる。

 

 私は拙著『夢みる名古屋』の第三章、ジェントリフィケーションの始まりについて、「都市開発の力点は工学的なものから光学的なものに移行」すると書いた。1989年の世界デザイン博覧会以降のビル開発は、実際そうした傾向が持続していると考えている。90年代の再開発に伴う喫煙規制も、基本的には美観の管理という意図で進められてきたものと言える。他方で、都市の放射能汚染がまったく問題視されないでいるのも、その汚染が目に映らず、美観に影響を与えないためであろう。

 

 ところで、今次のパンデミックという事態は、目に映らないものとの闘いになる。都市開発の力点は、光学的・美学的なものから、別の課題へと移行することになるだろう。

建物は、美観よりも換気能力が重視され、容積よりも入退室のコントロール機能が重視される。人間の移動をコントロールし、呼気の滞留/排出をコントロールする装置として、建物は設計されなければならない。人間が集まるという行為は、これまでのような素朴なものではなくなる。センサーによって制御されるポンプと弁と入退室ゲートが、会議や会食の必要条件になる。

かつてフェリックス・ガタリは、ある都市のイメージを語っている。その都市は、都市の隅々に設置されたゲートを制御することで、人間の動きを集中的に管理する都市だ。都市の隅々が警察装置と化すことで人間が管理される、ディストピアのイメージだ。

このゲート都市のイメージは、すでにオフィスビルや大学施設、オートロックマンションなどに実現しているのだが、今後はこのゲート管理の方法が、「公衆衛生」の要請を背景に全域化する可能性がある。オフィスや病院に限らず、盛り場や遊技場でも入場制限が当然のようにおこなわれる風景が、あらわれるかもしれない。


 追記

 管理社会の到来について想像するとき、私たちはつい中国のような強く発達した国家権力を想定してしまいがちなのだが、ここでは中国は関係ない。中国のような強力な感染対策が実行されたなら、先に書いたような都市の再編は起きない。このディストピアは、日本のような棄民政策の下で、資本蓄積の主役となった不動産業者・観光業者によって実行される。日本政府は何もせず、民間に課題を丸投げしていればよいのだ。

不動産業・観光業が延命のために死にもの狂いで試みる都市改造が、街を一層息苦しいものにしてしまうだろう。

もう東京は死んだも同然だ。明るく輝いていた都市の時代は、完全に終わる。