2021年8月9日月曜日

保健所は無いものとして考えよう

  新型コロナウイルスは、デルタ株の登場によって、高い感染力をもって蔓延している。

市中に出かけている人々は、いつ感染しても不思議ではない状況だ。

 私は昨年11月の大流行の時期に、母がコロナ陽性者となり、自分自身も要検査対象者となり、2週間の緊張状態を経験した。まだ感染の経験のない方々に、経験者からのアドバイスをしたいと思うのだが、保健所というものは相手にするだけ無駄である。保健所とのやりとりは時間の無駄なので、直接病院に行くように。病院の受付の人は慌てたり迷惑がったりするだろうが、放り出されることはない。保健所に電話をしてもつながらないと言えば、状況を理解してくれる。検査もしてくれる。

 昨年の段階からすでに、保健所は機能不全に陥っている。保健所が存在するというのは、幻想である。客観的に見て、日本に保健所は存在しない。患者と病院だけがある。体調が悪いと思ったら、躊躇せず病院に行こう。存在しない制度にこだわっていたのでは、命を守ることはできない。

追記

もう少し慎重に言いなおそうと思う。

 私たちはいつのまにか保健所という制度を自明視してしまっているが、そこに少し留保をつけておくべきだろう。現在の保健所の機能不全状態を、新自由主義政策の結果だとみなすことは、政治的には正しいかもしれない。しかしそのうえで、本当にそうなのかと、この制度を根底から吟味する視点をもっておくことも忘れてはならない。現在の機能しない保健所は、私たちは異常な事態だと思っているが、本当はこれが保健所本来の姿なのかもしれない。これは近代史研究の成果を待たなくては白とも黒とも言えないのだが、私たちは保健所の歴史や実態を知らないままに、ただ自分たちの望む願望を口にしているだけなのかもしれない。それは、思想的に危うい。ここは冷静に見るべきだ。