2018年9月13日木曜日

名古屋の歩道、衰弱する触感




 名古屋の都市計画を調べるために、史料を読みはじめている。いま1943年の防空法制定から、1950年の戦災復興計画の境界確定までの期間を読んでいる。名古屋市が、戦時中よりもむしろ戦後において強力な統制を実現していたことに驚く。名古屋市民は、戦争が終わってから5年もの間、自分の土地に自由に建物を建てることができなかったのである。この経緯を見ると、名古屋は、官民を動員する徹底した軍事都市という感がある。名古屋が「もっとも魅力のない街」となった一因は、この、戦後になってなお持続した戦争体制にあるのだろう。

 それはさておき。
 名古屋はかつて「白い街」と呼ばれていた。色彩のない街という意味だ。
 なぜ名古屋は色彩が乏しいのか。
 私はこのことを、もっぱら視覚の問題として考えていた。自動車の速度 → 速度による視覚の単純化 → 風景の陳腐化・視覚表現の衰弱 という機制で問題を考えていた。
 しかし、史料を読みながら思い至ったのは、問題は自動車道ではなく、歩道ではないかということだ。

 名古屋は歩道が広い。幹線道路の歩道は、車が一台乗り入れることができるほど広い。また、路地がすべて広い。名古屋の戦災復興計画は、すべての道路に自動車が通行できる幅を要求していて、市内のほとんどはこの基準を実現している。つまり、名古屋市内の路地は、ほんらい自動車が進入しないような路地であっても、すべて広いのである。
 歩道が広いのは良いことだ、と思われるかもしれない。それは、狭い路地をあたりまえに享受している環境にあるから言える話だ。人間のサイズの路地がまったくない環境を経験したら、そんな無邪気なことは言えない。

 広い歩道は、人間の触覚を衰弱させる。
ここで触覚というのは、直接に接触する感覚もあれば、直接に接触しない感覚も含む。直接に接触しない触覚とは、腕をまっすぐ横に伸ばしたときに接触可能な範囲に、対象物があるという感覚である。「人と人との触れ合い」と言うときの「触れ」は、直接にさわるという意味ではなく、腕のリーチの範囲内に人があるということだ。「街に触れる」というのは、街を遠くから眺めるのではなく、直接にさわってまわるというのでもなく、街なかを歩いて非接触的な触感を楽しむことである。
 広い歩道は、この触れる感覚を損なう。人と人、人と物との距離は縮まらず、何にも触れることなく歩行することが可能になる。街なかを歩きながら、眺めているが触れていないという状態に陥るのである。


 こうして考えていくと、街の色彩表現とは、純粋に視覚の領域に完結する問題ではなくて、触覚の延長されたものとして捉えることができる。色彩は、人と物との非接触的触感を基盤にして、この領域に含まれている。
 名古屋が「白い街」であるということは、実は深刻なことかもしれない。
名古屋の街が「白い」ということは、ギリシャの街が白いということとは違って、人間のより深い位相での疎外を示しているのかもしれない。