岸田首相の演説に殺傷力のない爆発物が投げ込まれた。
犯人は24才。取り調べに対して黙秘しているという。
犯行の様態と動機から考えて、統一協会の手の者に決まっている。
統一協会は、朝日新聞阪神支局の殺傷事件とともに、中曽根首相(当時)に脅迫文を送りつけた疑惑がある。
警察庁は、統一協会の壊滅作戦をやるだろうか。
注視したい。
岸田首相の演説に殺傷力のない爆発物が投げ込まれた。
犯人は24才。取り調べに対して黙秘しているという。
犯行の様態と動機から考えて、統一協会の手の者に決まっている。
統一協会は、朝日新聞阪神支局の殺傷事件とともに、中曽根首相(当時)に脅迫文を送りつけた疑惑がある。
警察庁は、統一協会の壊滅作戦をやるだろうか。
注視したい。
献本をいただきました。ありがとうございます。
酒井隆史 著
亜紀書房
酒井隆史さんが過去10年に書いたエッセイをまとめたものです。
ラフに書かれたものとはいえ、当代一流の知識人が書いた「ラフ」な「メモ」です。毎月大量生産されているくっちゃべり新書の類と一緒にしてはいけません。彼が経験したこの10年の思索と懊悩が伝わってくる、非常に緊張感の高いエッセイ集です。
どうせあれだろう、左翼知識人が世界の右傾化を嘆いてけしからん云々ってやつだろうと予断をもって読むと、やけどします。彼の懊悩はそんな表面的なものではありません。ざっくりいえば、「大学人も新聞記者もみんな死ねばいいのに」というレベルの話をしています。(こんな直接的な言い方はしていませんが)
初めて読む読者にとっては、彼が何を問題にしているのかわかりにくいかもしれません。
しかし、こういうものは、慣れです。ゆっくりと時間をかけて何度か読みかえしているうちに、酒井氏(ら)の視座と、問題を扱う方法が、わかってきます。論じる際の手つき、空気感が、体にしみこんできます。
人文科学というものがどれほどの奥行きをもっているのか、その一端を垣間見ることができます。
『核分裂・毒物テルルの発見 ―原爆/核実験/原発被害者たちの証言から』
山田國廣 著 藤原書店
著者の山田國廣氏は、福島第一原発事故後のデータを解析し、核物質による健康被害を研究してきた科学者である。とくに、爆発直後に生成され短期間に壊変していった放射性物質(テルル・ヨウ素・キセノン)に強い関心をもって研究を続けている。
原子炉は核分裂反応を繰り返すことで、さまざまな物質を生成させている。放射性同位体が生成し、それらが壊変して安定同位体になり、さらにそれらが中性子を浴びて放射化する。原子炉に堆積していた代表的な物質をあげるだけでも、クリプトン(ガス)・キセノン(ガス)、放射性ヨウ素、安定ルビジウムと放射性ルビジウム、安定セシウムと放射性セシウム、安定テルルと放射性テルル、放射性アンチモン、安定ストロンチウムと放射性ストロンチウムがある。
著者の山田教授が特に注目するのは、安定テルルと放射性テルルである。
テルルは、原子炉に堆積していた質量としては、セシウムやストロンチウムには及ばない。セシウムが約200kg、ストロンチウムが約160kgにたいして、テルルは約30kg程度である。しかし、化学毒の強度において、テルルは最悪である。セシウムやストロンチウムの化学毒性が比較的無害とされるのにたいして、テルルの化学毒の半数致死量(LD50)は1~10mg。体重1kgあたり10mgを投与すると半数が死亡するという毒性を持つ。これは、カドミウムやクロム、鉛、水銀と同等の強い毒性である。
福島の原発事故では、テルルの化学毒によって死亡したというケースは考えにくいが、吐き気・異常な倦怠感・鼻血・皮膚の異常を引き起こすというのは充分にありそうな話だ。
ここで誤解がないようにくりかえし言っておかなければならないのは、この研究は放射線被ばくの影響を否定するものではないということだ。放射線被ばくによる健康被害はある。それに加えて、化学毒の被害もある、という主張だ。 私たちは、放射性物質と有害金属の複合汚染を経験しているということだ。
原発事故後、東北や関東の各地で、子どもが大量の鼻血を出したとか、異常な疲労感ですぐに眠ってしまう、といった報告があった。こうした健康被害の証言は、「気のせい」、「心理的なストレスが要因」、あるいは、「反原発派によるデマ」といって頭ごなしに否定されてきた。否定派いわく、関東のような低い放射線量では人体に急性症状が出るわけがない、と。たしかに、放射線被ばくの効果だけでは、これらの症状は説明がつきにくいものだ。しかし、説明がつかないからといって、被害がなかったということにはならない。「気のせい」ではないし、「デマ」でもない。これらの症状には何か理由があるはずだ。
山田教授の研究は、被害者たちが経験した記録・証言に立ち返って、もういちど違った角度から問題を考えなおしてみようという試みである。
本書はけっして読みやすいものではないが、議論に値する重要な指摘がある。
まずは、補論(本文257頁)とJAEAの公表資料(カラー図版69頁)を頭に入れてから、各章を読み解いていくことをおすすめする。
アナキスト大杉栄は、ファーブルの『昆虫記』の翻訳に力を注いだ。大杉は、アリの生態観察から集産主義や相互扶助の論理を説き、日本アナキズム思想の始祖と呼ぶべき存在となった。
時代は下って現在、アリの生態研究には新たな発見が加わっている。
日本の研究者が2012年に発表した論文によると、「働きアリ」のうちの2割は、まったく働かずにブラブラしていることがわかったのだという。「働きアリ」集団には、働いているアリと働いていないアリがある。仮にこの集団から働かないアリを除外して、真の「働きアリ」集団に純化してやる。すると、このうちの2割が働かないアリになってしまうというのだ。つまり「働きアリ」集団は、常に2割の働かないアリを保持しながら、働いているというわけだ。
働かないアリの存在をどのように解釈し説明するかについては、まだ定説がない。この2割の働かないアリにどのようなイメージを投影するかは、自由である。
2割の働かないアリはたんなる怠け者だ、という解釈もありうる。
この2割は予備役であり、不測の事態に備えた補充要員であろうという解釈もある。
この2割は全体の生産力に寄生するヤクザ・棒心・寄食者であるという解釈も成り立つ。
どのような説明が正解なのかは、まだわかっていない。
私が働かないアリに投影するイメージは、預言者・批評家としてのブラブラアリである。働かないアリは、ブラブラしながら状況を見ている。彼は働いているアリが見ていないものを見ていて、まったく違う角度から問題を眺めている。働かないアリは、働いているアリが知らないことを、知っているのだ。
かつて、首都圏反原発連合の野間某は、だめ連のペペ長谷川を激しく攻撃し、大衆運動からの排除を試みた。
首都圏反原発連合が生まれる以前、だめ連は東京の反戦派青年のなかで敬意をもって迎えられる存在であった。まさに働きアリ集団が保持する2割、ブラブラアリの代表的存在が、だめ連のペペ長谷川だった。私たちはみな、ペペ長谷川が怠け者の役立たずであることを知っていた。その上で彼を愛し、議論を交わし、ときに助言をもとめていた。有名な大学教授の講演よりも、喫煙所で交わすペペ長谷川の言葉に、重きを置いていたのだ。
反原連の野間某がペペ長谷川を激しく攻撃したのは、たんに怠け者が目障りだということではないだろう。それだけなら、あえて攻撃する必要はない。野間が怖れたのは、怠け者に正当な地位を与えてきた運動文化、怠け者との交流を知の源泉としてきた運動文化に、強い警戒心をもったのだ。素人が陥りそうな誤りである。
首都圏反原発連合は、2年ほどで雲散霧消してしまった。怠け者の役立たずに敬意を払わないような運動は、知的に後退し、運動の再生産に失敗したのだ。
教訓
社会運動には、怠け者が必要だ。
役立たずを愛し、もっと彼の話を聞くべきだ。
深夜に電話が鳴った。ぺぺさんが亡くなったという。
「だめ連」のぺぺ長谷川さんが亡くなった。
彼に最後に会ったのは、昨年の夏。
私に遺していった言葉は、ふたつ。
「ウクライナ反戦、どうするか問題」
そして
「このフェスはいま日本で一番おもしろいフェスだよ!」
昨年の夏、前触れもなく、ペペさんから電話がかかってきた。名古屋に遊びに行くからトークしよう、と。ぺぺさんに呼び出されたら、断れない。名古屋駅まで会いに行ったところ、もうすでに眼をらんらんとさせて、キマっていた。彼は、ゆっくりとシリアスな表情をつくりながら、ノリノリで、「ウクライナ反戦どうするか問題」をきりだした。
ウクライナ戦争をめぐっては、その認識に大きな分岐が生まれていた。ロシア政府の軍事侵攻・国際法違反を批判する人々と、NATO・米英政府の策動を批判する人々と。左翼全体に分岐が生まれていたし、小さなアナキストグループのなかでも分岐が生まれていた。「これは日本だけの話じゃなくて、ヨーロッパの左翼もこの問題で割れてるらしいんだよ」と、ぺぺさんはニヤニヤしながら話していた。
私は昔イラク反戦運動に加わってはいたが、2011年以降は原子力問題に絞って活動している。遠い外国の戦争よりも、いま日本で進行している放射能汚染が優先課題だからだ。頭から放射性物質を浴びせられながら、それより優先する課題などないはずだ。そんな私にたいしてウクライナ戦争の話題をむけるというのは、ずいぶん的外れだなあと思った。が、不愉快な気持ちにはならなかった。ぺぺさんはいつもヘラヘラと酔っぱらっているけれども、その中味は実に昔気質で、けれんみのない議論を好む。ドがつくほど真面目なのだ。彼は、誰も議論したがらないでいるウクライナ戦争について、バラバラになった仲間を集めてじっくりと議論するための方策を練っていたのだ。
ぺぺさんの意図にそうような返答は、何もできなかった。気持ちは受け取った。しかしこの件について、私は、役立たずだ。反戦運動をどうするかという問いだけが、のこった。
その後ひと月ほどして、ぺぺさんは再び名古屋にやってきた。豊田市の矢作川の河川敷で開催される「橋の下世界音楽祭」に遊びに来たのだ。河川敷にテントを張って、二泊三日の音楽フェスだ。私も誘いをうけたので、豊田に向かった。初日はどしゃ降りの雨で、私はテンションが下がりまくりだったのだが、東京から到着したぺぺさんは、すでにキマっていた。深夜には雨が上がり、私も気持ちがのってきた。夜の河川敷に光る電球の連なりが、キラキラと美しく輝いていた。一曲が20分にも30分にも感じられ、長く深い高揚感に包まれる。雨でぬかるんだ泥道がとても気持ちよくて、はだしになって泥の感触を楽しんだ。バンドが終わった深夜からは、トランスで3時間ほど踊りくるった。
ぺぺさんは眼をらんらんとさせて言った。
「俺も全国いろいろまわってるけど、ここはいま日本で一番おもしろいフェスだよ!」
彼が私に教えてくれた最後の言葉は、熱いフェス情報だった。
私が知るぺぺ長谷川は、いつもヘラヘラニヤニヤしていて、その実ものすごく真面目に考えていて、同時に、遊ぶことに本気だった。おそらく彼にとって、遊びは、闘いであった。
人間あんなふうに生きられたら、幸せだとおもう。
たぶん、悔いはないはずだ。
ペペさんの冥福を祈ります。
「育児休暇中のリスキリング」提案について、国会で岸田首相が詰問されている。
岸田首相は育児の大変さがわかっていないのではないか、と。
字面だけを見れば、まったくそのとおり。
産後の疲弊や、乳児の世話の大変さを少しでも知っていれば、こんなバカげた提案は却下されてしかるべきである。
だが、質問している議員が立憲民主党だ。これではまるっきり猿芝居である。
お前らにそれを言う資格があるのか、と言いたい。立憲民主党の議員は、岸田とは違って育児の大変さを認識しているというのか。
昔の話を蒸し返す。
2011年3月、福島第一原発の爆発事件のあと、日本政府は「原子力緊急事態宣言」を発令した。原子力基本法の大原則となっていた一般公衆の放射線防護は覆され、被ばく受忍政策へと大転換した。食品について1キロあたり100ベクレルの受忍、空間線量で年間20ミリシーベルトの受忍が、原子力緊急事態宣言下で強行された。
全国各地で、市民による食品検査と不買が広がった。この動きの主体となったのは、乳幼児を抱えた女性たちである。当時の民主党政権は、汚染食品の規制を求める声にまったく応えなかった。むしろ、汚染食品の不買に対して、「風評被害」などという中傷をくりかえしたのだ。まるで乳幼児を抱える女性たちが異常者であるかのようにレッテル張りをおこない、攻撃したのだ。
その時以来12年間、緊急事態宣言は解除されず、被ばく受忍政策が継続したままである。日本では1キロあたり100ベクレル未満の汚染食品が、合法的に流通する状態が維持されている。「風評被害」はまったく終わっていない。いまも私たちは食品の産地をチェックしながら、買えるものだけを慎重に選ぶという緊張を強いられているのである。
12年間もそんなことをし続けてきたのかと驚くかもしれない。よく飽きないなと言うかもしれない。だがこれは、飽きる飽きないの問題ではない。自分以外の人間の命に責任を持つということは、そういうことなのだ。
民主党系の議員連中に、この大変さがわかるわけがない。
彼らは育児に悩む女性たちに対してなんら説得する努力もしないで、一方的に被ばく受忍を要求してきたのだから。
立憲民主党の議員がこの件でえらそうに詰問する資格はない。
一週間ほど頭痛が続いているので、病院に行った。たぶん血圧の問題だろうと予測していたのだが、医者の診断は違った。血圧は不調の原因ではなく、結果なのだという。不調の原因となっているのは、高いストレスによる肩こり。肩こりは確かにあるのだが、これは不調の結果だと考えていた。私は原因と結果を取り違えていたのだった。
最近の生活を振り返ってみると、確かにストレスを抱えてはいる。だがそれはいつものことであって、とりたてて言うほどのものではない。おそらく問題は、ストレスの解消方法がうまくいっていないのだ。最近はとくにそうだ。酒を飲む機会も少ないし、YOUTUBEの動画を観ても退屈なものが多い。なかなか楽しめない。息抜きができていない。
YOUTUBEの動画のなかでどんなものを観ているかというと、私がずっとはまっていたのは、実話怪談のコンテンツだ。2010年代は、なにか煮詰まって疲れてくると、実話怪談を聞いて、息抜きにしていたのだった。しかし2020年あたりから、怪談のシーンは大きく変わってきた。新しい語り手がたくさん登場したが、どうにも退屈なものばかりだ。いま怪談は何度目かの大きなブームになっているが、2010年代のような勢いはない。お笑い芸人も参入して、軽妙なトークをまじえて楽しげにやっているが、楽しくない。
目につく変化は二つ。“怪談師”なるものがあらわれ、怪談を競う賞レースが開催されるようになった。若い語り手の多くが“怪談師”を目指して訓練をするようになった。賞レースは、滑舌のよさと緩急の技術、制限時間内に語りきる練度を競わせるようになった。結果として、怪談の語りはある様式に向かって収斂し、画一的になっている。
2010年代の実話怪談は、けっしてうまくはないが味のある語りが充満していた。中山市朗、いたこ28号、雲国斎、星野しずく、ファンキー中村、西浦和、等々、みなそれぞれの語り口で怪談を語っていた。このころの怪談シーンはアマチュアリズムを基調としていたから、誰も“怪談師”を目指してはいなかったし、賞レースなど想像もしなかった。アマチュアの自由さと解放感があった。
だが最近の新人は、プレッシャーでガチガチである。プレゼンテーションの技術を競い、キャラクターづくりに執心し、落語家や講談師のような“プロ”になるべく一生懸命である。背景には若年層の貧窮化ということもあるのだろう。観ている側としては、痛々しいばかりで、息抜きにはならない。
こう考えてみると、私が怪談に求めていたのは、下手くそな語りだったのだと思う。稲川淳二、桜金蔵、つまみ枝豆によって語られた昭和の怪談には、素朴で、生々しく、熱のある語りがあった。彼らのけっしてうまくない語り口に、民話の興奮があった。現代の新人“怪談師”たちには、この民話のグルーブが欠けている。彼らは民話のグルーブを忘れているか、知らないか、あるいは、民話に接する機会すら奪われているということなのかもしれない。
民話の成立する要件は何か。私はその方面の研究に疎いので、正確に言うことはできない。だが、ひとつ確かに言えるだろうことは、民話というものが民衆の自律性を基盤にしているだろうということだ。民話は、宗教的な権威からも世俗的な権力からも隔てられていて、それのみで自足している。公的な権威や権力から見れば、“愚にもつかない話”である。“愚にもつかない話”が民衆に語り継がれることで、自律的に運動している。ガタリ風に表現すれば、〈国家装置〉から逃れ続ける〈民話機械〉と呼ぶべきものがある。
民話は、権威・権力にとって捕捉することのできない〈他者〉である。民話を語る者、語られる場、語られる時間は、〈他者〉である。それが魅力的であるのは、民話を通じて人々の〈他者性〉を顕在化させるからだ。人間はみな〈他者性〉をもっていて、自分もまた〈他者〉であり、自分は自分にとっても〈他者〉である。民話はそうした精神の分裂を促すことによって、パラノイア化する現実を離れて、一息つかせてくれるのだ。
人間は社会的動物である、だから私たちは、あれをしろこれをするなとやかましく他律的な環境に身を置いている。権力の言葉をそのまま口写しにして、スキルをみがけだとか、タバコをやめろだとか、さしでがましい要求が蔓延している過干渉な時代である。人間はみな〈他者〉であるということ、それぞれが自律的な個人であるということが、忘れられている。そうした時代だからこそ、実話怪談という民話が人々に求められているのだとおもう。
だが、時代に抗してきた怪談の世界にも、権力の作法が持ち込まれつつある。
若く一生懸命で退屈な語り手たちだ。20代で“怪談師”を目指すというのは、そもそも世の中をなめている。
怪談とは“愚にもつかない話”であって、愚にもつかない中年が話すから、味わい深いのだ。