2023年7月5日水曜日

偽善を組み込んだ権力

 


 

 言葉には流行りすたりがあって、ある時期さかんに口にされていた言葉が急に使われなくなるということは、よくあることだ。流行語がある時期を境に死語になってしまうというのは、特に珍しいことではないのだろう。

 

 私がいま記憶をたどりながら考えているのは、「偽善」という言葉だ。

私がまだ若かったころ、高校生や大学生が交わって青臭い議論をしていたころ、「偽善」という言葉は生きていた。自分の信じる行いが、真に善行といえるものなのか、たんなる主観的なものにすぎないのか、わりと真剣に議論したものだ。30代になって、イラク反戦運動に加わったころも、「偽善」という言葉は使われていた。当時、無名の市民による平和活動やボランティア活動が注目を浴びるたびに、「偽善」という非難が飛び交っていた。ボランティアグループのリーダーは「やらぬ善より、やる偽善」などと言って反論していたものだ。

私の記憶では、2009年の民主党政権成立時には、まだ、「偽善」という言葉が使われていたように思う。

ところが現在は、「偽善」という言葉をまったく耳にしなくなった。口汚く論争することで有名なネット掲示板を見ていても、誰も「偽善」という言葉を使わない。「偽善」は、死語になっている。

この10年ほどの間に、どのような変化があったのか。

 

日本人の全体が知的に成熟し、善悪という概念から解放されたのだろうか。そうなれば喜ばしいことだが、残念ながらそうではない。おそらく起きている事態は、善悪からの解放(善悪概念の揚棄)ではなくて、善悪の陳腐化である。善は信じられていて善行は行われているのだが、それが重みを失っているのだ。

 陳腐化の兆候はすでに2000年代にはあらわれていた。ボランティア活動の中心的なグループが、「やらぬ善より、やる偽善」といった功利主義的な論理をもっていたわけだから、ボランティア活動の意義と正当性は、その方針であるまえに、動員力・実行力にかけられていたわけだ。だから、その行為の意義がほとんど信じられていないのに人や資金が動員されるという事態も、起きうるのである。

 

 2010年代の出来事として決定的であったのは、東日本大震災にかかわる復興ボランティア活動だ。ここで民主党政権がおこなったのは、災害復旧のためのボランティア動員を、福島県や宮城県の放射能汚染地域にも適用したことである。ボランティア活動が含み持っていた翼賛的性格が、このときむき出しになった。政府の号令に呼応したボランティアグループは、自ら被ばく地帯に赴き、福島県・宮城県の被ばく受忍政策を支援したのである。

  このとき、放射能汚染の事実が知られていなかったわけではない。誰もがそれを知っていて、福島「復興」の非現実性を指摘する人々も少なからず存在した。私も、福島に向かおうとする友人に向けて、考えを改めるように強く警告した。

私が我慢ならなかったのは、若者たちの自己犠牲的行動が、東京電力と日本政府と原発推進派の福島県政を助けるような方向に操作されていることだった。原発事故の後始末は原発を推進してきた連中だけでやるべきなのに、なぜ責任のない若者たちの命が削られなければならないのか、ということだ。原発推進派はどさくさに紛れて責任の付け替えを行い、福島「復興」を全国民の責務にしようとしたのである。

 こうした権力の策動を積極的に受け入れたボランティア団体は、たんなるお人よしでは済まされない。ただのマヌケでもない。権力に迎合して人々を動員する戦争機械である。「復興」ボランティアは、原子力官僚制という国家装置の全体に活力を与える戦争機械になったのである。(※1)

まったくおぞましい光景だ。

 

 

 2011年以降のボランティア活動の変化をみれば、なぜ私たちが「偽善」という言葉を使わなくなったのか、ひとつの説明がつく。

そもそも「偽善」という批判が成立するためには、批判者がその対象をあるていど善だと感じ取っていることが前提となる。ある行為が善行だと信じられているからこそ、その批判者は「偽善」という言葉を使わなければならないのである。もしもボランティア活動に「偽善」という批判が向けられないのだとすれば、それはその活動が批判者にとって善行だと信じられていないのである。

善悪は陳腐化し、行為の正当性が真剣に議論されることはなくなった。

福島「復興」政策においては、誰も自信をもって正当だと言えない状態のまま、「食べて応援」キャンペーンが続けられたのである。

 

※1 ”戦争機械”と”国家装置”の概念については、ジル・ドゥルーズ/フェリックス・ガタリの著書『アンチ・オイディプス』及び『千のプラトー』を参照。