2022年7月17日日曜日

山上徹也と岸田文雄

 


 

 山上徹也氏が安倍晋三を殺害してから一週間がたつ。

 当時の警備担当者は、警護の失敗を振り返るなかで、山上氏が発声をしなかったと述べている。警備担当者は、襲撃者は必ず怒声を上げてやってくるという想定で訓練していたのだという。「安倍!」「死ね!」または、「天誅!」といった怒声があり、その次に発砲か体当たりをしてくるだろう、という想定だ。しかし、山上氏は無言で接近し、無言のまま発砲した。これには完全に虚を突かれた、というのだ。

 山上氏の行動には無駄がなく、無駄な表現がない。どこにでもいそうな目立たない服装で、その動きには殺気がなく、警備担当者がまったく関心を向けなかったというのも無理もない。山上氏の行動は、政治というよりも業務に近く、テロではなくソリューションである。彼はまったく無駄のないやり方で、課題を解決したということだ。

 

 山上氏の行動スタイルは、安倍晋三のやり方とは対照的だ。

安倍晋三はやたらと声がでかく、挑発的な言辞を繰り返し、芝居がかったパフォーマンスを好んでいた。それは内容があってそうなったのではなく、安倍晋三が権力をそのようなものとして理解していたということだ。大声で号令をかける演説屋。それこそが権力であると安倍は理解し、演説屋として振舞ったのである。振り返ってみれば、ずいぶん古風な権力観ではある。

山上徹也氏は、安倍よりもはるかに現代的なやり方で、安倍を処理した。彼は無言で銃を作成し、無言のまま近づき、発砲した。見事である。山上氏に対する人々の称賛の多くは、この現代的な行動スタイルと問題解決能力の高さに向けられている。目立たずけれんみは無いが、着実に問題を処理する人間。彼が作戦を成功させたことで、声のでかい政治家は陳腐なものとなった。維新の会のような口数の多い政治家は、その言葉の無内容ではなく、表現の過剰によって、前時代的な政治家とみなされるようになるだろう。

 

こうした点からみて、岸田文雄はおそろしい。

彼の政治には、表現が欠けている。号令をしないまま、無言で権力を行使する。

岸田文雄は、山上徹也氏に似て、現代的だ。