2022年3月17日木曜日

ウクライナ国旗を掲げる流行について

ロシアとウクライナの戦争について、世界中で反戦デモが起きている。
私はまだ一度も参加していないが、あさって、名古屋の集会でこの反戦運動の議論になると予想されるので、頭を整理しておく。

 まず、現在行われているデモの特徴は、国旗を掲げる反戦運動になっていることだ。青と黄色のウクライナ国旗を掲げることが流行っている。反戦と国旗という異例の取り合わせで、ちょっと頭がバグる。

 私は、2001年のアフガン戦争、2003年のイラク戦争に際して、反戦運動に加わった。イラク反戦運動は世界中に拡大して、東京でも連日1万人規模の反戦デモが行われていた。私たちはアメリカ軍によるイラク侵攻に反対していたのだが、このとき、イラクの国旗を掲げる者は一人もいなかった。アフガニスタンの国旗を掲げる者も皆無だった。反戦運動というものは、特定の国の国旗を掲げないことが当たり前、暗黙の了解だったからだ。
 しかし、現在のウクライナ反戦運動は、ウクライナ国旗を掲げている。あまりに無原則で不用意な印象を受ける。これはやめるべきだ。

 そもそも反戦運動の始まりは、第一次大戦中のドイツ・ロシア両国の大衆運動に遡る。ドイツのローザルクセンブルグと、ロシアのレーニンが、反戦運動を提起し、行動し、大規模な大衆運動へと拡大したのである。このとき、ローザとレーニンが提起したもっとも重要な論点は、戦争をするどちらの政府にも正義はない、ということである。どちらの陣営に戦争の正当性があるかないかという議論は、馬鹿げている。どちらの政府も不正義である。戦争当事国はすべて悪である、と言ったのだ。では、正義はどこにあるか。正義は、民衆が殺しあうことも飢えることもなく平穏に暮らす権利である。国家間の敵対性などというものは議論する価値のないどうでもよいことであって、真の敵対性は国家と民衆の間にある、と言ったのだ。反戦運動がもつ説得力の核心は、この点にある。

 こうした運動の歴史を参照するならば、反戦運動に、特定の国の国旗を、肯定的な意味を付与して持ち込むことは、だめだ。まったく原則を外れている。
もしも国旗を持ち込みたいというのならば、ロシア国旗とウクライナ国旗を並べて、両方に×を描くことだ。ついでに、ウクライナに武器を供与したドイツ国旗とアメリカ星条旗にも×だ。国家のパワーゲームのせいで、200万人を超える難民が生まれているのだから、すべての国旗に×を描き、燃やすことだ。