2016年9月9日金曜日

被曝者が書くということ


 いま少しだけ編集者のような作業をしている。
雑誌に特集の企画をもちこんで、何人かの執筆者に原稿を依頼した。もうほとんどの原稿が集まったのだが、まだ入稿していない執筆者に催促をしている段階である。これから原稿を並べて、目次を作らなくてはいけない。
 今回は自分の原稿を書くだけでなく、他人の原稿にも口を出して、書き直しや推敲を求めた。
 特に山の手緑の原稿については、内容に踏み込んで議論をした。この二ヶ月間、顔を合わせるたびに原稿の話をした。もともと作文が得意でないうえに10年近く執筆作業から退いていた人間に、いま決定的な内容を書けと要求するのだから、これはかなり大変な作業だった。むかし共同執筆をしていた20代の頃とは違う。二人とも体力が落ちていて、ちょっと考えるとすぐに息切れしてしまう。若い頃のように知恵熱を出すことはなくなったが、徹夜ができなくなったし、老眼と腰痛がひどい。すぐにくたびれてしまう。それでもなんとかがんばって、内容のある文章ができたと思う。



 40代も半ばになると、老いを意識する。自分はあと何年やれるだろうかと考える。生きている限り、書くことはできるだろうとは思う。だが、内容のあるアクチュアルな議論を展開することができるのは、あと何年だろうか。
 老いに加えて、私は被曝者である。山の手緑もそうだ。このことは西日本の人々はあまり意識していないようだからあえて書くが、我々は東京で被曝した人間である。初期被曝を被った人間は、心臓や脳に爆弾を抱えている。いつ絶命するかはわからない。人間はいつ絶命するかわからないという一般論として言うのではなくて、それ以上に、残り時間のわからない人間である。
 私は自分の残り時間を考えるように、他人の残り時間も想像している。今回原稿を依頼した執筆者のなかには、初期被曝者もいれば、そうでない者もいる。放射線防護の取り組み方もそれぞれに違う。たとえば今回、東京の園良太くんに原稿を依頼したが、彼の文章を読むのはこれが最後になるかもしれない。そういう覚悟をしなくてはならない。1年後も2年後もずっと議論ができるだろうというのんびりした構え方はできない。提起された議論に応答しようとしたら、相手が死んでしまったということが、ありうるのだ。

 被曝者はあてにならない、と言いたいのではない。たしかにそういう一面はある。仮に私が会社の人事部であったなら、被曝者を雇ったり重職につけることは避けるだろう。いつ死んでしまうかわからない人間なのだから。しかし私が言いたいのはそこではない。
 私が言いたいのは、明日の朝自分が絶命しても、あるいは相手が絶命しても、それで終わりになってしまわないような水準で文章を書かなくてはならない、ということだ。死んでしまったらはいおしまいというような議論なら、最初からやらなくていいじゃないか、ということだ。
 逆にこう言ったほうがわかりやすいかもしれない。大量の被曝者を抱えた社会というのは、言い換えれば、生者と死者との輪郭が不明瞭になった社会ということだ。そこで文章の価値というものを決めるのは、生者だけではなく、生者と死者を貫通する意識である。生者だけで講評をやって、意味があるねえとか意味がないねえとか言うことは、できなくなる。そんなやり方では価値がいっこうに定まらない。ある文章の価値、「社会的意義」は、生きている者だけでなく、生きられなかった者も含めて、論争されなければならない。そういう社会になるのだ。