2014年11月10日月曜日

朗報



この夏に東京で知り合ったHくんから、ひさしぶりに連絡があった。
この2ヶ月ほど連絡が途絶えていたが、高円寺から大阪に引越しをしたとのこと。
よかった。
おなじく高円寺を拠点に活動していたKくんも、いまは神戸で働いているという。
別のTくんは、和歌山に就職先を見つけ来年度から移住するそうだ。
少しづつではあるが、東京からの脱出が始まっている。

 2011年以降、大規模な国民運動がまきおこり、まもなく自壊した。
この経験からひきだすべき教訓はなにか。それは、何万人もの頭数を揃えても陳情してもそれだけで状況を変えることはできない、ということだ。
 私はアナキストだからこういうのではない。状況にかかわる力学は、社会民主主義的な政治運動が考えるほど単純なものでも素朴なものでもないということだ。
じっさい、事件が起きる前、2000年代にまきおこった社会運動について考えてみればよい。変化はごく少数の逸脱的な分子から始まった。3人や5人の小さなグループが行動し、行動が乱反射し、複製と細胞分裂を繰り返していった。それらの活動は、結果として大きな政治的思想的潮流をつくりだしていったわけだが、彼らははじめから大きな「運動」を志向していたわけではない。「運動」の動員規模などというものは、活動の結果にすぎない。大切なのは、状況を変えるという意志をもち、状況は可変的だと確信している3人が動くことである。

 東京を離れたそれぞれは、いまはまだ孤立しているかもしれない。しかし彼らが孕んでいるポテンシャルは、はかりしれないほど大きい。東京の一元的陳情行動が求心力を失うことで、闘いの焦点は拡散している。
どこで何が起きるかわからない。
誰も予想しなかったような意外な場所で、堤防の決壊が準備されている。