2012年8月2日木曜日

3・10の思想

8月2日午後1時頃、福島第一原発付近の住民が、大きな爆発音を2回聴いたらしい。ツイッターで複数のつぶやきがあった。真偽を確認するには時間がかかるだろうが、用心に越したことはない。東北・関東の放射線量を注視して、上昇する気配があれば早めに退避してほしい。
  こういうときに情報の真偽を確認するのは簡単だ。普通は嘘を言う動機があるかどうか考えればいいわけで、この動機づけという点で、新聞やテレビはまず眉に唾したほうがいいというのが大方の見方だ。では、一般市民が発信する情報の確度はどうかというと、これは嘘をつかなければならない理由がないのだから、私はだいたい信用している。

 ただしひとつ例外があって、政治闘争の場面では、一般市民であっても嘘をつくことがある。
  私の本をいくつか担当している編集者のF氏は、最近の東京の大規模デモの仕切り方に怒っているのだが、その最大の理由は、動員数の盛り方である。
デモの主催者はたいてい動員数を盛って発表する。実際には1200人が参加した集会を1500人と発表したりする。そういうことは私もいままでやってきた。で、現在の東京のデモも、主催者は動員数を過大に発表している。先月の日比谷公園での反原発デモは、主催者発表で17万人、警察発表で7万5千人だった。F氏が問題にするのは、盛り方の程度がはなはだしいということではない。無党派主催はせいぜい3割増しだけど、さすが大党派は盛り方がすごいね、ということではない。彼が怒っているのはそういう「程度の問題」ではなくて、「3・12」以後は、もうそういうやりかたは通用しないはずだということである。

  「3・12」の原発爆発後、我々が何に苦しめられたかを想いおこしてほしい。それは、数字である。我々は数字に翻弄され、憤り、疑心暗鬼になったすえに、各自がガイガーカウンターを入手して線量を調べたのである。問題は空間線量だけではない。食品の放射線濃度、人体の被曝線量評価、原子炉容器の圧力と温度、真夏の電力需要、等々、原子力にかかわるあらゆる数字が、嘘と印象操作にまみれてきた。客観的に示されるべき数字が政治的な理由によって曲げられたという事実に、我々は怒っているのである。この怒りの焦点を、デモ主催者はほとんど理解していないようにみえる。市民のこの怒りをおおきな共感へと束ねていくのではなく、まったく逆に、政府とほとんど同じ手つきで動員数を操作し過大発表している。なにをやっているのか。まったく空気が読めていない。

   原発の爆発事件は、多くの人の認識を変えた。しかし、これまで政治運動をやってきたと自認する人々は、いまだに旧い認識と旧い手法のままでこの事態を乗り切ろうとしている。これは最近きいた新しい用語で言うと、「3・10の思想」というやつだ。爆発後にあらわれる「3・12の思想」に対して、爆発以前の旧態依然とした姿勢を「3・10の思想」と呼ぶらしい。こういうのは、もう、退場だ。いい加減にした方がいい。まじめにやらないと三行半を突きつけられて終わっちゃうぞ。