2013年2月27日水曜日

決めることの難しさ




 汚染地帯に暮らすのか、移住するのか、決めなくてはならない。しかしほとんどの人はなかなか決められない。汚染の知識とか放射性物質の知識とかいう問題ではなくて、それとは別の次元で、移住を決めることに躊躇している。問題は充分に認識しているが、移住の案は保留する。では、放射能汚染と共に暮らすことを決めたのかというと、そうではない。結局、動くことも動かないことも決まらない宙吊りの状態が継続する。

 よく考えてみれば、決めることは難しい。難しいのは移住することではなくて、決めることである。
自分の人生のある場面で分かれ道にあたったとき、右に行くか左に行くかを自分で決めることは少ない。いや、人によってはほとんどないと言っていい。多くの現代人は、自動化された分業社会のなかで、自分の人生を決めないで生きていく。たとえ自分で決めようとしたときにも、社会はそれを許さない。「自由主義社会」に暮らす者の「自由」の内実がこれだ。


 私は放射能拡散後に名古屋に移住したのだが、このとき聞こえてきたのは「矢部は金持ちだから移住できるのだ」という説だ。まあ、そうかもしれない。かなり有利な条件が揃っていたのは事実だ。しかし「金持ち」というのは正確ではない。私は東京にいたころからずっと低所得で、生活は貧しかった。私の実家はというと、貧乏ではないのだが、「一億総中流」というときの「中流」ぐらいのもので、けっして金持ちに分類されるような水準ではない。
実際に移住している人たちの経済力を見ても、低所得者から高所得者までさまざまだ。移住と所得水準との関係はイコールではない。「金持ちは移住できるが、貧乏人は移住できない」という仮説は、事実としては違う。

 事実としては違うのだが、ただ、ここにはひとつだけ真実が含まれている。
それは、貧乏人は自分の人生を決められない、ということだ。自分の人生を決めるという習慣がない。決めたことがないし、決めることを許されないできたからだ。
 たとえば、どこの大学に進学するとかしないとか、学生が自分で決めるわけではない。ただ偏差値と学費と地域で自動的に決まってくるだけであって、自分の学力に見合った大学が地元になければ、京都に行くか東京に行くかするというだけの話である。
 仕事だって、自分のやりたい仕事につけることは、希だ。どこでも入り込めるところに入り込むというだけの話だ。
結婚だって決められない。遊んでいるうちにズルズルと20代を過ぎて、30代なかばになってから、そろそろなんか決めなきゃなという感じだ。
私は30歳で結婚したが、これだって自分でしっかりと決めたわけではない。赤ん坊ができたから結婚したのであって、そこらによくある「でき婚」である。「でき婚」でなければたぶん今でも独身だったと思う。では結婚してからその実態はどうなのかというと、別居生活を続けていたわけだ。本当はどこかの段階で決めなくてはいけなかったのだ。どちらかに決めるということができずに、父親になるでもなく、父親をやめるのでもなく、ズルズルと宙吊りの状態を続けてきたわけだ。

 酔っぱらいの繰り言のように聞こえるかもしれないが、もう少し言わせてもらう。
貧乏人は自分ではなにも決められないのである。たとえ頭から放射性物質を浴びせられても、怯えておし黙るか、ばかばかしい気休めを言って酒を飲むことしかできない。そういう階級なのだ。それが「自由主義社会」の我々に許された「自由」だ。なにも決められない。自分を守れない。仲間も守れない。私が恐れたのは、このことだ。私が本当に恐ろしかったのは放射能ではなくて、自分で自分を呪うことである。自分のことを惨めだと感じることだ。だから私の場合、移住という決断に賭けられていたのは、自分の階級に抗うことである。「階級」と言ってもこれは政治闘争ではない。奴らか俺たちかという闘争ではなくて、自分自身の内部で、自分自身に染み付いた「階級の運命」に抗う、ひとつの階級闘争を見たのである。
わかるだろうか。たぶん、わかるはずだ。
私は酔っ払ってはいない。シラフで書いている。これは友人たちへの呼びかけだ。