2012年9月29日土曜日

「3月のクーデター」




 この週末、山の手さんが仕事の休みをとって春日井に来ている。
彼女とは来年3月に向けて文章を出すこと(できれば書籍化)を計画している。できれば単独で書いてほしいと思っているが、それが難しいようなら共同執筆でやりたい。

私と彼女との違いは、20113月になにを経験したかである。
 私が312日の正午に東京から退避したのに対して、山の手緑は3月下旬まで船橋市の自宅に留まっていた。このことで当時はかなり揉めたのだが(というよりも彼女の母親と私が揉めたのだが)、それはいまは措くとして、彼女は3月の船橋市で水不足や計画停電を経験している。そしてあの時期のさまざまな施策を、「ある種のクーデター」として認識しているのである。

 私はこの間の復興政策を、関東大震災後の虐殺/復興政策(1923)や、広島市の放射能隠ぺい/復興政策(1945)との連続性で提起している。これに対して山の手緑は、2003年のイラク戦争(復興/戦争政策)との連続性のなかで、今回の事態を捉えようとしている。私よりもずっと国家(軍事)的要素に重心を置いて、この間の復興政策を捉えているのである。もちろん1923年の帝都復興も、1945年の「ピカの毒」隠ぺいも、いずれも軍が強く関与しているのは間違いない。しかし、私が主に民間の(国民の)側からボトムアップで作動する復興政策を問題視しているのに対して、彼女は国家の側からトップダウンで強要される「復興」を問題にするのである。彼女はそのことを「ある種のクーデター」というのだ。

 20113月~4月にかけて、さまざまな事件があった。市原のガスタンク火災にかかわる「チェーンメール問題」、政府によるその統制、東京電力による輪番停電、津波被災地(旭市)の停電、浄水場汚染の事後報告、千葉県議会選挙での浦安市はずし問題、等々、通常ではありえないような強権的・反民主主義的政策が強行されていった。それらは、ひとつひとつは「小さな」ものだったかもしれない。あるいは「非常時だからしょうがない」のかもしれない。そうして膨大な人口の「小さな」人権が無視され、行政による人権無視が正当化されていったのである。
 東京電力による輪番停電は、東京23区主要部を除く、郊外住宅地域で実施された。これらは一般的な報道ではほとんど注目されない、不可視の「ゾーン」である。ユーチューブの動画を検索すると、当時の市川市や町田市といった地域で、どんな暗闇が広がったかが記録されている。それは山の手氏が言うように、ある種の「戦争」である。このとき首都圏の「ゾーン」でなにがあったのかを記録し、証言し、活字にするべきだと思う。「復興」政策を、「復興/戦争」政策として捉える視座が挿入されるべきなのだ。


補足
 山の手氏が2003年のイラク戦争を「復興/戦争」と言うのは、この戦争が国家間の「戦争」と戦後の「復興事業」とが時間的に入り交じっているということを指している。日本の陸上自衛隊はサマワに派遣されたのだが、これは飲料水をつくる「復興事業」のためである。つまり、米軍がイラクを完全に掌握する以前の段階に、戦後処理の派兵(まるでPKOのような)がなされていたのである。これはたんに時間が前後したという問題ではない。戦争の構造が、復興のために空爆するというようなパラドキシカルな構造をもち、「復興/戦争」になっているのだ。




2011年3月23日 町田駅
 

2012年9月27日木曜日

甲状腺にのう胞10個




今日、甲状腺の超音波検査と血液の採取をした。

妻と娘のエコー画像には異常がなかったが、私の甲状腺からは10個ののう胞がみつかった。
小さいものは3.5mmから、最大10.5mmの「ふくろ」が並んでいる。担当の医師は「数が多すぎる」と。来週、血液検査の結果が出てからまた考えるが、いずれにしろ経過を観察するしかない。

私について言うと、ヨウ素131はほとんど吸入していないはずである。愛知から東京へ公園調査に行ったのは20115月の下旬。爆発拡散から約70日後にはじめて東京に行ったのだから、ヨウ素131(半減期8日)500分の1にまで減少していたはずだ。ここから推測すると、私の甲状腺のう胞は、セシウムなどヨウ素以外の核種によってできたのではないかと思う。
5月末から7月中旬まで首都圏の各地を走り回っていたが、この程度の活動でも、10個ののう胞ができてしまうのだ。首都圏に住み続けている人たちは充分に用心してほしい。というか、医者に行って検査してほしい。たぶん異常が出る。


追記
 ちなみに検査費用は、保険適用3割負担で4920円だった。
 10割負担だと16400円か。
 はやめに検査して画像をもらうことを推奨。
 被曝という事実を受け容れるのは恐ろしいことだが、敵もまた我々以上に恐怖しているのだから、攻め手をゆるめてはならない。着実に歩を進め、包囲しよう。

2012年9月26日水曜日

ナンシー関が生きていたら山下俊一の顔面をどう批評するだろうか




ナンシー関画伯が亡くなって10年になる。没後10年だ。

なぜ突然こういうことを書くかというと、いまひさしぶりにピエール・ブルデューの本を読んでいて、まだ自分が若かった90年代を思い出したからだ。そういえばブルデューも没後10年だ。
90年代に出会ったいくつかのテキストのなかで、まだ20代だった自分が本当にウキウキして読んだのは、ブルデューとナンシー関だ。この二人が著す軽妙な文章から、観察と表現の科学的スタイルを学んだような気がする。
 いまナンシー関が生きていたら、日本の顔面をどう批評するだろうか。東電広報松本とか、東工大の赤メガネ澤田とか、いじりたくなる顔面がたくさんあるだろう。なんてことを考えていたらまた眠れなくなっちゃったよ。というわけで、今日は故ナンシー関画伯をリスペクトしつつ、山下俊一の顔面について書いてみよう。


 山下俊一である。福島県の「放射線健康リスク管理アドバイザー」である。
 彼の特徴はまず紳士であるということだ。姿勢が良く、落ち着いた話しぶり、そして清潔感がある。微笑んだ顔なんかはけっこう可愛い。いやはっきり言おう。山下は、いかしてる。このことは彼の師匠である長瀧重信と比較するとよくわかる。長瀧の顔はいかにも悪代官の顔面で、微笑んだりするとさらに悪い連想を惹き起こすいやな顔だ。山下も長瀧も言っていることは同じなのだが、やはり大衆向けの見栄えする顔というのはあって、そういう面で長瀧はアウトだ。山下が福島県に派遣された主な理由は、彼の見た目が抜群に良かったということだろう。
 しかし山下の秘密の核心は、たんに見た目がいかしてるということではない。彼が口を開いたときにふっと見せる間の抜けた雰囲気、バカっぽさである。山下が口を開くと、なんか学者という感じがしない。定食屋の気のいいおやじみたいな。っていまどきそんな定食屋はないか。このことは静止画では良くわからない。動画で見るとわかる。山下は、止まっている状態では身だしなみの良い賢そうな紳士なのだが、口を開いて話し出すとそれが反転して、一気にバカっぽくなるのである。緩急があるというのか、ギャップで勝負というのか。彼の本領はこの点にあって、私はただのバカだとしか思えないが、ある種の人々にとってはまさにそれが「フランクさ」として映るだろう。学者に対する恐れや反感をもつ人にとっては、「親近感」すら覚えるかもしれない。そもそも講演に来ている聴衆のほとんどは話の内容など聞いていないのだから、ここではどのような印象を獲得するかが勝負なのである。
 山下を批判する人々にとって彼の講演は悪魔的に受け止められているのだが、多くの聴衆にとって話の内容なんてなんだっていいのである。講演を成功させるコツは、内容を最小限に抑え、表面的な印象で気分を高揚させることだ。瀬戸内寂聴がやってきて耄碌じみたウワゴトを喋っても喜ぶ連中だ。大切なのは身だしなみ、そして話したときの親近感である。はじめから議論の接点はなかったのだ。
 放射能汚染という重大な事態にたちいたっても、この中身スカスカな感じが「原子力の時代」ってことなのか。っつっても納得できないなぁ。そもそも「アドバイザー」って役職がなんなんだってのもある。怪しすぎるだろう、肩書きとして。

2012年9月21日金曜日

スリーマイルきたぁ



スリーマイル島原発、大音響発し突然停止
米ペンシルベニア州にあるスリーマイル島原子力発電所1号機で20日、冷却水のポンプが突然停止したのに伴い、原子炉が自動停止するトラブルがあった。
 周辺住民に聞こえるほどの大きな音がして、蒸気が外部に放出されたが、同原発を運営するエクセロン社は「原子炉は必要な時には自動停止する仕組みになっており、周辺住民の健康や安全性には問題ない」としている。米原子力規制委員会(NRC)が原因や影響を調べている。
 同原発では2号機で、1979年、炉心溶融事故が起きた。
(2012年9月21日12時02分  読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/science/news/20120921-OYT1T00640.htm

 


 エクセロン社の見解、なんか聞いたことのあるセリフだ。

 ああ知ってる、知ってるよ、これ!
 自動停止だよ!
 爆破弁だよ!

 おれ知ってるよ、こういうの!

大飯原発反対運動に警察が介入

 詳細はまだわからないが、大飯原発に反対する市民が、警察にやられた模様。

わずかでもカンパを。

http://oikyuen.blog.fc2.com/blog-entry-1.html

2012年9月20日木曜日

町村緊急入院

 自民党総裁選にでていた町村信孝が入院。胸が痛いとか。

  こいつは記者会見の映像でも、ろれつの回らない状態をさらしていた。

  安倍なんかも舌がひっついてるような話し方で危ない。

  まあ、右翼議員はみんな被曝して死ねばよいのだ。


 おまけ(1:24:30からの町村の話し方が被曝症状)

2012年9月18日火曜日

仮説 希ガス潜水病



 次の論集に向けて原稿を書いているが、ちょっと息抜き。
 最近あたまから離れない仮説があって、少し吐き出しておかないと他の重要な問題に専心できないので、書く。

 放射性ヨウ素は、β崩壊をするとキセノンという希ガスになる。
 トリチウム(三重水素)は、やはりβ崩壊をしてヘリウムになる。
 これらの核種が体内で崩壊したときに、壊変したあとの(安定した)希ガスはどこに行くのか、という疑問がある。たとえばトリチウムというのはようするに放射性の水だから、体のどんなところに侵入して崩壊するかはちょっと予測しがたい。そういうものが崩壊した後に、ヘリウムになってしまったものは、どういうふうに体外に排出されるのだろうか。あるいは排出されずに体内に残ってしまうのか。
 体内のガスということで気になるのは、潜水病である。潜水病はスキューバダイビングなどで起きる病気で、まず高い気圧(水圧)のなかで肺から血液に窒素が溶解し、つぎに急速な浮上とか減圧によって血液中の窒素が気泡になり、毛細血管に滞留してしまうという病気だ(減圧症)
 窒素の気泡が静脈に詰まると、疼痛・知覚障害などが起き、気泡が動脈に詰まると、脳塞栓・心筋梗塞などが起きる。ほとんどは軽度なもので、関節痛とか偏頭痛という症状でおさまるのだが、重度になると死んでしまう病気だ。
 トリチウムという核種はほとんど測定されていないので、水や食品にどの程度含まれているのかはなんとも言えない。しかし測定しがたいだけに、意外に摂取してしまっている可能性もある。ヘリウム排出やキセノン排出のメカニズムがわからないかぎり、あるていど体内に蓄積していると考えることもできる。
 すべて仮説だからあまり断定的に広言できないが、我々の動脈・静脈・脳血管は、静かな希ガスを抱えてしまっている可能性がある。


2012年9月17日月曜日

復興か米騒動か


 大阪天王寺にある大学受験予備校『河合塾』に呼ばれたので、講演をしてきた。
名古屋から近鉄特急に乗って鶴橋へ、そこから環状線に乗り換えて、天王寺へ。
近鉄特急は風景の変化に乏しく、ものを考えるにはちょうど良い電車だ。呼んでくれた河合塾講師に感謝だ。
 学生たちに向けた講義はいいかんじでドライブがかかったので、覚書としてのこしておく。



東日本大震災は、二つの事態が複合している。3・11の震災・津波と、3・12の放射能拡散事件である。3・11は「復興」を要請し、3・12は大規模な放射線防護活動を要請する。
3・11は、2万人の死者を出した巨大自然災害であり、これによって日本社会は愛国的気分に支配されることになった。官民あげての愛国的風潮のなかで、政府は放射線防護をネグレクトしている。市民による放射線防護の取り組みは、「復興」を妨げるものとして退けられる。
食品の流通やガレキ拡散に際して採用されているクリアランス制度は、放射線影響研究所などが主張する「閾値」仮説に基づいている。この仮説が根拠にしている「データ」は、広島・長崎での被爆者の調査に基づいている。
放射線影響研究所の前身である原爆傷害調査委員会(ABCC)は、原爆被爆者の調査をおこなったが、この調査は内部被曝を考慮しないものだった。広島の人々は原爆投下直後から「ピカの毒」を怖れ、放射性物質の存在を認識していた。しかしABCCは一貫して「残留放射線は存在しない」という見解をとり、放射性物質による内部被曝を否認しつづけた。日本政府が低線量被曝に閾値を設定するのは、このときの否認を継承しているからである。
広島では公式には「ピカの毒」が否定された。また、「ピカの毒」を認める人々も、9月の枕崎台風によって「ピカの毒は洗い流された」という説を信じるようになった。なぜなら「ピカの毒」が残留しつづけているということになれば、広島の復興はできないからである。広島の復興のために、残留放射能はないことにされたのである。「復興」政策は「放射能安全神話」を要請するのである。

「復興」という政策が日本史に登場するのは、1923年の関東大震災である。関東大震災で世界の注目を集めたのは、大規模な虐殺事件である。軍と警察、そして警察に教唆された民間自警団によって、朝鮮人と社会主義者が捉えられ、殺された。東京の復興政策はまず官民協力した虐殺から始まったのである。
この事件がどのような歴史的文脈にあるかを見るためには、少しだけ時間を遡ればよい。震災の5年前、1918年夏に、日本全国で大規模な都市暴動が多発している。「米騒動」である。その翌年、19193月には、当時日本の植民地であった朝鮮半島で、朝鮮人の民族自決権を求める「3・1運動」が起きている。これに続いて中国では「5・4運動」が始まる。中国の学生と知識人が開始した「5・4運動」は、たんなる民族運動ではない。これは日本の政策が帝国主義政策であることを訴え、「日本帝国主義」という概念をアジア民衆に広めた運動である。「米騒動」「3・1運動」「5・4運動」は、日本・朝鮮・中国の民衆が、同時に日本政府の政策に異議を唱える事態だった。そして日本社会はここから大きな民主化運動へ、「大正デモクラシー」の最高潮期をむかえるのである。
1923年、東京の「復興」開始時に、朝鮮人と社会主義者の虐殺が行われる。そして1925年「治安維持法」が制定され、ここから日本は強権的な軍事政権と15年戦争に突入していく。「復興」政策は、人権や民主主義を退ける強権的性格をもつ。この直前まで高揚していた日本民主化運動は、「復興」政策によって阻止され、軍事独裁・戦争翼賛体制へと転換していくのである。
こうした歴史を参照するならば、現在起きている愛国的気分と「復興」政策がいかに危険なものかがわかる。とくに若い学生は、政策に動員されやすい位置にいるのだから、「復興」という言葉には充分に警戒しなくてはならない。福島の「復興」のために現地に派遣され重度の被曝をしても、日本政府は内部被曝を認めていないのだから、被害が認められることはない。使い捨てにされるだけだ。
希望は「復興」政策ではなく、「米騒動」にある。2011年秋、全国の主婦が汚染されていない米を買い求めて、新聞はこれを「平成の米騒動」と呼んだ。これは日本民主化運動がふたたび開始される兆候である。放射線防護活動は、日本民衆が政府に異議を唱え、人権と民主主義を要求するおおきな運動をうみだす契機なのである。



補足

 愛国的気分について補足。
 問題は政治的左右の問題ではない。むしろ政治的には「左派」とみなされる人々こそ、今回の愛国的気分に支配されているように思われる。私はこの一年半のあいだ、汚染地帯からの退避を呼びかけてきたが、そうした判断を鈍らせるイデオロギー的な問題として、愛国的気分の蔓延というのがある。
たとえば、「東北・関東のすべての住民が退避することはできない」という反論がなされることがある。こういうことを言う人が本心からそう考えているのかどうかはともかく、「言い分」としてしばしば登場する。
そもそも問題設定が間違いである。結論を言えば、汚染地帯から全員は退避できないし、全員が生きることはできないのだ。チェルノブイリ事件をみれば明白なように、これから大量の死者が出る。罪のない人間がたくさん死ぬだろう。それが「レベル7」ということだ。今回の被災で全員が助かることなど現実にはありえない。助かるものしか助からない。だからこそ退避を要請しているのだが、こういう肝心なときに、みんなで生きたいとかみんなで死にたいとかいう愛国的雑念に支配されるということがあるわけだ。
気持ちは分かる。
しかし現実は、そんな観念的で想像的な作業でどうにかなるものではない。
全員が助かるような方策はないし、私はそんなおおきな課題を請け負う義理はない。
自分の知る友人が、日本社会のことなど忘れて、生きながらえること。それだけで充分だ。



おまけ

2012年9月14日金曜日

石原伸晃は死にました

自民党の石原伸晃がテレビ番組のなかで、福島第一原子力発電所を「第一サティアン」と言い間違えて話題になっている。おそらく「第一サイト」と言おうとして間違えたのだろう。「サイト」と「サティアン」、似てる似てる。
 問題は、本人がこの言い間違いを自覚していない節があるということだ。他人に指摘されなければ気がつかなかったのではないか。
実は「2ちゃんねる」の放射能関連板では、ふた月ほど前から石原伸晃の様子が注目されていた。顔がやせて垂れ下がり、皮膚が茶色くなり、まるで別人のように老化してしまっていたからだ。「これは確実に食ってるな」「ベクレてるな」と、ウォッチャーのあいだで注目されていたのだ。8月末、自民党総裁選の話題が出てきたあたりから少しだけ顔色が回復し、「ちょっと白くなったな」「食うのやめたかな」「でもまだ目がうつろだよな」とささやかれていたところに、この言い間違いである。
これは被曝による運動機能障害である。断言する。

このひと月ほど、芸能人が舞台から転落したり、プールへの飛び込みで骨折したりという事故が起きている。水上ボードでひざのじん帯を断裂した芸能人もいる。こうした事故はおそらく、瞬間的な重心移動、体勢変え、足の踏み出しや踏みとどまりという機能が壊れているのだと思われる。こういう瞬発的かつ微妙な運動は、0.1秒や0.01秒というタイミングで成否が決まる。「マイクロスリップ」と呼ばれる微妙な位置調節運動が不全になってくると、身体のあちこちに負荷をかけながら運動することになるだろう。
話すこともまた運動である。よく話すことを「舌が回る」とか「あごがまわる」と表現するように、話すことにとって口まわりのマイクロスリップはとても重要な要素だ。私の場合、ガムを噛んでいると良い返しが浮かばなかったり、タバコをくわえると良いアイデアが出てきたりする。我々は脳で考えるだけでなく、あごで考えてもいるのだ。
石原伸晃は、あごがまわらなくなっている。奴はこれまでの無能に輪をかけて、ますます無能になっていくだろう。これは良いことだ。自民党の政治家は死ねばよい。

私が危惧するのは、東京に暮らす友人たちが、きちんと放射線防護をできているかどうかだ。我々プロレタリアートは己の才覚だけで勝負しなくてはならないのだから、あごがまわらなくなったら負けだ。


2012年9月3日月曜日

ポスト運動の分析


ニューヨークから来日した建築家と、大阪で懇談。
テーマは、情報技術に支援された都市空間における集団行動の力学について。
ようするに、携帯メール時代の暴動(フランス暴動、ロンドン暴動、アラブ暴動、ギリシャ暴動)についてなのだが、日本の現在の状況にぐっとひきよせて言えば、スマートフォンによって支援された放射線防護活動について議論をした。スマートフォンと線量計・核種分析機の大規模な利用が、どのような「メッシュワーク」を形成していて、それがこれまで不可視化されてきた郊外住宅地域のポテンシャルをどのように引き出していくのか、と。
 彼らの分析の要点は、都市住民の集団的行為の組織化が、ネットワーク(諸団体・グループの結合)から、個人のレベルまで分解されふたたび織り上げられる「メッシュワーク」へと転換したということであり、これは、従来考えられていた「運動」を後景化させ、「ポスト運動」と呼びべきものを前景化させているということだ。2000年代半ばに登場したこの「ポスト運動」を、彼らは、「レゾナンス(共振)」という概念にまとめたのである。彼らの整理によれば、2007年のハイリゲンダムサミットをピークに「ムーブメント」は後景化していき、2005年のフランス暴動を皮切りに「レゾナンス」の暴動戦が登場した、というのだ。

ネットワークから「メッシュワーク」へ。
ムーブメントから「レゾナンス」へ。
組織され統合されるデモから、共振する無数の直接行動へ。
むちゃくちゃ楽しい。
来月、ニューヨークに行って話の続きをする。




追記

頭がぐるぐるして眠れないのでもう少し書く。
メッシュワークという概念が刺激的であるのは、われわれが通常考えている知性の定義を再検討させる契機になるからである。メッシュワークの極端に脱中心的な性格は、書くことや考えることを無効にするかのように見える。
以前、ダナハラウェイのサイボーグ論について紹介したが、米軍が核戦争のために開発したサイバネティックス技術がC3I(コマンド・コントロール・コミュニケーション・インテリジェンス)で構成されるのに対して、反国家のサイボーグはここからコマンドとコントロールを廃棄してしまうのである。いま多くの人々が経験して思い知ることになったのは、メッシュワークにおける情報交換は、コミュニケーション‐インテリジェンスだけで構成されていて、誰も指令できないし誰にもコントロールできないということである。ここでは、実践的な知識だけを必要として、実践的知識だけを交換しているのである。
例えば暴動戦をドライブさせる短文メールの大半は、警察の位置と員数、体勢、装備、車両の有無であるだろう。ここでの関心は、空間と警察の身体とがどのような配置にあって、どのような展開可能性をもっているかという情報である。必要なのはそのディテールと分析だけだ。放射線防護活動においてやりとりされる情報は、空間線量計の機種、ロケーションと高度、計測時間、μSVh、核種分析機であればその機種、対象品目、測定時間と検出限界、Bq/kgである。より詳細な情報として要求されるのは、対象のどこをどうサンプルにしたか、魚であれば切り身であるかそれとも骨や内臓を含めたのかというディテールである。
メッシュワークが要求する知性とは、我々が考えてきたような抽象度の高い理論ではなくて、より実践的でより身体に近い情報と分析能力なのである。
これまで「運動」を考えるとき、そこにはかならず理論が必要だった。偉大な無政府主義者は偉大な教育者であった。レーニンは機関紙こそが党の中核であると考えていたし、スターリンは「プラウダ紙」の主筆だった。透徹した頭脳たちが前衛的任務を自覚して社説を書くこと、これが運動にとって不可欠な要素であった。しかし、暴動戦や放射線防護のメッシュワークにとって、そんな脳みそで考える理屈はいらないのである。必要なのは、身体の実際を知っているかどうかだ。徹底的に身体に執着し、身体の限界を教えつつ身体をエンパワーメントできるかどうかなのだ。
状況をもうすこし俯瞰してみれば、現代という時代は、「脳死は人の死か否か」が議論され、うっかりすると生きている身体をバラバラに刻まれて転売されてしまう時代である。脳死臓器移植とは、脳こそが生命の核であり身体はその付属部品にすぎないとする思想であるわけだが、その同じ時代に現れたサイバネティックスの転用(メッシュワーク)は、頭のない身体だけの知性がひとつの生き物のようになって暴力を組織しているのである。ここで見るべきは、暴力が直接に行使されているということだけではなくて、暴力の組織化が、理論を媒介せずに直接に組織・集約されているということだ。暴力‐理論‐暴力ではない。暴力‐暴力-暴力なのである。
これはアナキストもおののく大発明である。冷戦の核/サイバネティックス戦争は、とんでもない怪物を生みだしたのだ。
これから我々は、警察のペッパーガスやβ線に傷つけられた甲状腺のう胞のなかに、詩を見出し、徹底的に身体化されたディテールのなかに思想を内蔵させることになる。