矢部+山の手緑の作業が、遅々としてすすまない。
理由は私が煮詰まっているから。
私には悪い癖があって、明確に人格化した敵を設定しないと、モチベーションが上がらない。山の手氏には批判されているところだが、どうもやる気が起きない。
ということで次回の文章は、映画評論家の町山某を批判するつもりで、表面的にはそうは書かないが、腹積もりとしてはそういう意図で書く。山の手さん、ごめんなさい。
といっても、まだまだ全然書けてない。
ので、これまで書いたノートの一部を公開して、自分にプレッシャーをかける。
仮題は、『牧神パーンの発明』。
以下、本文。
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牧神パーンは、ギリシャ神話に描かれた古い神である。パーンは父ヘルメースと母ニュムペーのあいだに生まれた。ヘルメースはニュムペーと交接するさい羊に変身していたため、パーンは人間の体に山羊の脚と角をもつ半獣半人の姿で生まれた。パーンはその異形のために、生まれてまもなく母に捨てられてしまうが、ギリシャの神々はみな喜んで彼を迎え入れる。なかでももっとも喜んだのは、酒の神ディオニュソスだった。
パーンの逸話の中で最も有名なのは、変身の逸話である。ある日、神々の宴会に、ゼウスの仇敵テューポーンが奇襲をかける。突然の襲撃に驚いた神々は、それぞれ動物の姿に変身して攻撃をかわす。ゼウスは大鷲に、アポローンはカラスに変身して空を飛ぶ。 アフロディテの母子は魚に変身して水中に逃げる。このときパーンは、上半身を山羊に、下半身を魚に変えて、水に飛び込んだ。神々はこの姿を見て大いに喜び、その姿のまま天の星座にした。これが山羊の上半身と魚の尾びれをもつ山羊座である。
山羊と魚、二つの生物を混合した姿は、異形である。ある種の神話解釈では、その姿は醜態とされる。彼はあわてすぎたために、おかしな生物に変身してしまったのだ、と。しかしパーンにとってそれは醜態ではない。彼は生まれつき半獣半人の混合種なのだから。二つの種が混合してなんの不都合があるだろうか。パーンの変身は醜態ではなく、力の発現である。彼は前足の蹄をけって険しい山を登り、大きな尾びれを振って水中に潜行する。山の頂きから海底まで、彼はすべて(pan)を踏破する力を発明したのである。
はじめに外観の話から始めよう。
2011年の東日本大震災は、東京の都市機能を麻痺させた。電車が不通となり膨大な帰宅困難者がうまれた。物流が滞り、水や電池やガソリンが入手できなくなった。そして関東全域で電力が不足する。多くの地域で電力供給が止められ、都心部でも節電が実施された。
このとき私たちが知ったのは、電力は都市の動力であるというよりもむしろ都市の外観を支えるものであるということだ。節電の要請によって照明が間引きされていく。そうすると建物はまったく違った印象を与える。薄暗いコンビニエンスストアは、とても惨めな気分にさせる。私たちがこれまで感じてきた都市の輝きとは、大部分が蛍光灯の輝きであったということを知った。店舗に設置された照明は、陳列した商品の見栄えを良くするためだけでなく、その空間そのものを明るく照らしていたのである。かつて建物の窓は、室外の光を室内に取り入れるためにあったが、現在では室内の輝きを室外に放つためにある。だから、節電によって照明が少し暗くされただけで、東京の風景はまったく違った印象になってしまったのである。
1980年代の再開発以降、都市建築は外観を競うようになった。それはつまるところ、素材の表面が放つ輝きであり、照明の強化であった。薄暗い便所は改装され、明るく輝く化粧室があらわれた。建物の外壁にはタイルを貼り、あるいは枠のない一枚ガラスで光を反射させる。黒いアスファルトは剥がされ、多彩な色を放つブロックで敷き詰められていく。この再開発は、都市から薄暗い空間をなくし、明るさを充満させる事業だった。形・色・質感・電力が、光学的に再編され、都市空間全体がデパートの売り場のような輝きをもつようになる。都市は商業活動のためのたんなる容れ物ではなく、その空間自体がひとつの商品(ルビ・フェティッシュ)として輝きを放つようになったのである。
ここで追求された外観のフェティシズムは、寺社仏閣や古美術のようなフェティシズムではない。新しい商業都市が要求するのは、新鮮さを印象づけるフェティシズムである。求められるのは、つねに新しいこと。いつまでも古びないこと。時間を蓄積させるのではなく、時間を蒸発させることである。過去の時間が蓄積して現在があり、現在の時間は過去となって堆積し未来を形成していく、そのような常識的な時間概念は、商品そのものとなった都市空間によって覆されていく。過去-現在-未来は切断され、〈ゆるぎない現在〉だけがいつまでも輝きつづけることになる。
1990年代に問題となったプリッグ症候群(潔癖症)の流行や、グラフィティ(落書き)の流行は、この時間概念の再編に関わっていると思われる。それらは衛生や美観をめぐる葛藤であるよりも、時間をめぐる葛藤だったと言える。〈ゆるぎない現在〉に執着する病と、〈ゆるぎない現在〉に時間を書き込む者たち。あるいは、中年の女性たちのあいだでアンチエイジングが流行し、その反対に、若者たちはドレスアップではなくドレスダウンを意識するようになる。都市の新しい規則となった〈ゆるぎない現在〉が、人間の姿に強い光を浴びせ、そこに含まれている時間を意識させるようになったのである。
2011年3月、東京電力・福島第一原子力発電所から放出された放射性物質が、首都圏を襲う。首都圏の水瓶である利根川が放射性物質に汚染され、東京都に水を供給する金町浄水場で放射性セシウムが検出される。
3月末から4月にかけて、東京では花見をするかいなかが問題になる。当時の東京都知事は市民に向けて花見行事の自粛を呼びかけた。巨大災害に襲われている非常事態に花見などしている場合ではない、と。もっともである。
これに対して日本政府は、市民に花見行事を実施するように呼びかけた。「こういうときだからこそ、平常どおりに生活することが大切です」と。「平常どおりに消費生活をおくることが、災害からの復旧に必要なのです」と。あるいはこうも言った。「都民が平常どおりの生活を取り戻すことが、被災地の復旧支援につながるのです」と。
「平常どおり生活する」という政府の号令は、客観的に不合理で、多くの人々にとっては無理な要求だった。このとき東京から220キロの地点では、4機の原子炉が制御不能の状態にあり、放射性物質を放出し続けていた。都市機能災害はまだ復旧できていなかった。たとえば千葉県浦安市では、街のいたるところで地盤が液状化するという深刻な被害に見舞われていた。どの店でも物資の供給が滞り、水も電池も手に入らない状態だった。さらに東京電力が強行した「計画停電」は、東京圏郊外の電力を止めて、電灯も信号機も消えるブラックアウトを発生させていたのである。東京都知事に言われるまでもなく、市民は花見をしている余裕などなかった。「平常どおり」花見を楽しむことができたのは、都心部に暮らすほんのひと握りの人々だったのである。
しかしそれにもかかわらず、政府のこの呼びかけが異常なものとして退けられることはなかった。少なくない人々が政府の呼びかけを支持し、「平常通り」に花見行事を敢行したのである。4月初旬、東京では市民が放射性物質を浴びながら花見をするという、まるでSF映画のような場面が現実になったのだ。
おそらく彼らを駆り立てていたのは、東京の外観を取り戻すことであった。インフラの復旧や都市機能災害の回復を待つ前に、まず「平常通り」の花見を演じること。都市の基盤整備よりも先に、都市の表面的な見せかけを実現すること。そこに東京の秩序の核心があった。なにがあろうと東京は〈ゆるぎない現在〉を護持しなくてはならない。東京電力の強行した「計画停電」は、足立区と葛飾区を除く都心の21区では実施されなかった。その選別は産業的な理由からではなく、東京という街の綱領(ルビ・イデオロギー)に関わるものだ。東京はなにがあっても輝きを失わず、〈ゆるぎない現在〉を表現しなくてはならない。
(つづく)
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次回予告
自己啓発セミナーに軟禁されたとき、または、カルト教団に入ってしまったとき、人は単独で脱出(脱会)しなくてはならない。みんなで話し合ってどうしましょうという話ではない。トイレの窓から裸足で抜け出す力が必要だ。それがプロレタリアートに運命づけられた暴力の時間であり、牧神パーンが発動する瞬間、という話。