2014年12月26日金曜日

帰国しました


 約3週間にわたる爆走フランス縦断旅行は、ウインカーが壊れたトラックと、つねにガンジャをキメている運転手という悪条件にもかかわらず、無事に終了。パリ、リヨン、中央山塊のタルナック村、ピレネー山脈の麓マスドアジールで、パネル報告とディスカッションを行った。各地でお世話になったみなさん、ありがとうございました。

 来年の夏には、フランスの読者に向けて放射能汚染事件のアンソロジーを出すということで、私も原稿を書かなくてはならない。フランスで毎日ディスカッションしたおかげで、ずいぶん頭の中が整理された。中途半端になっているノート『牧神パーンの発明』も、仕上げることができそうだ。




年末年始はずっと名古屋にいます。
 会いたい人は名古屋に来てください。

2014年12月4日木曜日

フランスに行ってきます。


 明日12月4日から3週間の日程で、フランスに行ってきます。24日に帰国するまで、電話は通じません。

 フランスではいくつかのパネルディスカッションとミーティングに出席し、ユーロラディカルの活動家、理論家、出版関係者と意見交換をしてきます。放射能汚染後の世界について、ホットな議論ができるようにがんばります。



 東京電力による放射能汚染問題は、事件から4年を経て、風化するどころかますます顕在化してきています。2015年は地獄と動乱の始まりの年になるでしょう。
 これから防護派の巻き返しです。「復興」を呼びかけてきた偽善者と理想主義者を黙らせるために、反転攻勢に出る機会です。

 フランスから帰国したら、いろんな人に会いたいと思います。防護派の集会も企画したいと思います。


 では、また年末に。

2014年11月10日月曜日

朗報



この夏に東京で知り合ったHくんから、ひさしぶりに連絡があった。
この2ヶ月ほど連絡が途絶えていたが、高円寺から大阪に引越しをしたとのこと。
よかった。
おなじく高円寺を拠点に活動していたKくんも、いまは神戸で働いているという。
別のTくんは、和歌山に就職先を見つけ来年度から移住するそうだ。
少しづつではあるが、東京からの脱出が始まっている。

 2011年以降、大規模な国民運動がまきおこり、まもなく自壊した。
この経験からひきだすべき教訓はなにか。それは、何万人もの頭数を揃えても陳情してもそれだけで状況を変えることはできない、ということだ。
 私はアナキストだからこういうのではない。状況にかかわる力学は、社会民主主義的な政治運動が考えるほど単純なものでも素朴なものでもないということだ。
じっさい、事件が起きる前、2000年代にまきおこった社会運動について考えてみればよい。変化はごく少数の逸脱的な分子から始まった。3人や5人の小さなグループが行動し、行動が乱反射し、複製と細胞分裂を繰り返していった。それらの活動は、結果として大きな政治的思想的潮流をつくりだしていったわけだが、彼らははじめから大きな「運動」を志向していたわけではない。「運動」の動員規模などというものは、活動の結果にすぎない。大切なのは、状況を変えるという意志をもち、状況は可変的だと確信している3人が動くことである。

 東京を離れたそれぞれは、いまはまだ孤立しているかもしれない。しかし彼らが孕んでいるポテンシャルは、はかりしれないほど大きい。東京の一元的陳情行動が求心力を失うことで、闘いの焦点は拡散している。
どこで何が起きるかわからない。
誰も予想しなかったような意外な場所で、堤防の決壊が準備されている。


2014年10月8日水曜日

リアリストたちの名古屋



 しばらくブログの更新をとめて様子を見ていたが、ひとつだけ良いことがあった。
 東京の友人が名古屋に訪ねてくるようになった。以前は私が東京に赴くことが多かったが、いまは名古屋で迎えることのほうが多い。しっかりと話さなければならないことは、名古屋で話す。これからはそういうことにしよう。

 名古屋に移住して3年半になるが、この街の特質が少しだけわかってきた。
よく言われることなのだが、「名古屋には文化がない」。
もうちょっと言えば、名古屋は「文化」に抵抗する。名古屋人は「文化」を解消し、無毒化してしまう。
こうした気風は、放射能汚染からの移住者にとって、とてもすごしやすいものだ。

 20113月以降の「復興」政策は、「絆」キャンペーンに始まる文化政策を伴って強行されている。二言目には「絆」だの、「応援」だの、感情に訴えかけるやりかたで人々を動かし、展望のない不合理な政策を正当化している。しかし、名古屋では感情論や精神論は通用しない。名古屋人は実質を見る。政府と広告会社が「食べて応援」を叫んでも、真に受ける者はいない。さすが近代専制国家を完成させた土地柄だ。名古屋人は冷徹なリアリストなのである。
 「復興」政策が現実離れした精神論をふりかざし、社会全体が感情的な衝動に突き動かされている状況のなかで、名古屋には落ち着いた環境がある。この街では、感情にまかせて声をあげることが戒められている。「こうやるべきだ」とか「こうあるべきだ」とか訴えてみても、無理なものは無理だと突き返される。かつてはこの「ノリの悪さ」がとても嫌いだったのだが、今はとても助かる。名古屋には、東京や大阪にはない反文化的な気風があって、「復興」政策から逃散してきた移住者にとって落ち着ける街なのだ


 ブログになにも書かないことで良い効果があったので、この状態を維持しようと思う。
 名古屋で話をしよう。
 歓待する。


2014年9月2日火曜日

フリーター労組との討議の記録

 一ヶ月ほど遅くなってしまいましたが、8月2日に東京で行われたシンポジウムの記録です。



https://www.youtube.com/watch?v=O5fAi3laUVg




2014年7月31日木曜日

カンパ募集


先月の一ヶ月間、このブログの閲覧数はちょうど1万ページビューでした。

人数にして1000人~2000人ぐらいでしょうか。

にしては、カンパの振込額が少ないのです。

金額はいいませんが、びっくりするぐらい。

ほとんどタダ読み状態です。




悲しいよ先生は。

みんなは、商品みたいに値札がついていないとお金が出せないぐらい
消費者然としちゃってるんですか。

カンパ制にはびた一文支払わないという、そういうルールなんですか。

ちょっとみんな考えてほしい。


  

2014年7月25日金曜日

渋谷要氏の革命的祖国敗北主義論



 京都の友人が、フェイスブックで放射能汚染問題について書いていたので、かってに転載します。
「日帝」とか「人民」とか、左翼の機関紙みたいで嫌だという人もいるかもしれませんが、私は好きです。
左翼の政治論文はこうでなくっちゃ。


以下、本文です。

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試論・放射能被ばくとの闘いと日帝の祖国防衛主義
 ――革命的祖国敗北主義と抵抗権で闘おう!

渋谷要

※本レポートの注意点(必ず読んでください)。

本レポートは、問題意識としての論脈を鮮明にするために書かれたものであり、論脈だけで書かれている。したがって、どうしても説明する必要があった<2>の当該論述部分以外、論中の各事項に関する説明は、意識的に省略したものとなっている。論文にするときは、これらの各事項は、その内容を説明しなくてはならないものとしてある。

               <Ⅰ>

日帝国家権力のこの間の福島原発事故に対する対応の基本になっているものは、放射能汚染の賠償額の軽減政策・管理費用の軽減政策であり、そのために地域の汚染調査・住民の健康診断を不徹底にしてしまうことであり、福島事故原発労働者の被ばく線量管理などに関する諸問題、そして除染作業での被ばく問題をはじめ(これらの労働問題では「被ばく労働を考えるネットワーク」のHPなどを参照のこと)、放射能をまき散らし、あるいは移動させるだけの「除染」(もちろん、そのすべてが不要だとは、言えない)などとして、それは原発再稼動の前提をなす、放射能汚染の後景化・隠蔽政策として展開されている。そうした日帝の原発事故対応は、日帝権力者たちと日本経団連などのブルジョアジーたちが、統治技術として自分の国で利害関係をつくりあげてきた、その国家の様々な利害関係を壊さず維持し拡大してゆくという階級的利益をまもるものとして意味をもつところの、帝国主義国の「祖国防衛主義」以外の何ものでもない、ということだ。地方自治体においても、その地域における地域権力の利害関係が存在する。

例えば、福島での甲状腺がんの多発化は、多発ではなく、また放射能汚染とは関係ないなどというたぐいの原発推進派たちの対応が、それだ。そうして、早く以前から住んでいた住居地に帰還させようとし、それによって、住民の移住・避難の権利は、ないがしろにされてきたのである。まさに統治技術としての「人口政策」の帝国主義的コントロールということだ。

これに対し第一に、放射能汚染の国家責任、賠償、移住・避難の権利の徹底化、調査・検査、汚染物資の徹底管理そして、いまも続く事故の完全な情報公開などをもとめ、それが国家財政の危機を招くようであっても、徹底的に行なわれることを求める立場が、帝国主義国における祖国敗北主義の立場である。

そして第二に、それらを実行させてゆくものとして、あるいは、それらの政策を現国家体制が行なわない以上、それらの政策を実現するために、現政権を打倒するため、とられる自然法上の権利として、人民の抵抗権が、措定されるべきだというのが、本論の主張である。
まさにグローバルな放射能汚染の進行と展開のなかで、人民は「生命と財産」を危機に落とし込められ、人権を蹂躙されつづけている。かかる人民の平和的生存権(平和の内に生きる権利)を破壊する政権に対しては、人民はこれを打倒するため、平和的生存権が確保される状態を取り戻すために、抵抗権を行使することが必要である。

(注:さらに、もとより、各地、原発建設においては、日帝権力者たちは、反対運動に対して、警察機動隊を大量に投入し、暴力で反対派を弾圧した。そして、建設現地で、反対の声を上げている人たちを村八分にして、抑圧してきた。こうしたあり方には、それ自身、国家責任がとわれなければならない。まさに、国家暴力で原発は建設されてきたのであり、そうしたことも、人民の抵抗権の発動を正当なものとする権力側の不当性の根拠を立証するひとつの根拠をなすものと言えるだろう)。

<Ⅱ>

さらに、帝国主義国の祖国防衛主義として行われていることを見てゆくならば、以下のような重要な問題がある。

例えば「20ミリ問題」とは、もともと、米帝国主義の核戦略のための機関でしかないICRPが原子力事故からの「復興期」における被ばく限度として「年間1ミリ~20ミリシーベルト」と定めている、その上限の「20ミリ」を日帝が、基準にし、賠償削減政策を展開しようとしてきたという問題である。それは又、内部被曝を計算に入れず、内部被曝のリスクはわからないなどという、ふざけた主張を、基準にしてきたICRPの問題を、まったく隠蔽することから、立てられているものにほかならない。
さらに、食品の基準値でも、たとえば、野菜の基準値では、セシウム137の値は、チェルノブイリ事故原発に向き合っているウクライナで、1㎏当たり40ベクレルに対して日本では1キログラムあたり100ベクレルと、2倍以上の緩さだ。「今まで通りで、生産できます」としているわけである。ゼロベクレル派から見れば、これ自体が全くナンセンスな人民虐殺政策である。

そうしてまで日帝権力者たちは、賠償・保障低減・削減政策、汚染管理費低減・削減政策をとり、従来からの市場経済の利害関係を一つの秩序として維持しようとしているのだ。
さらに全国的に大問題となったガレキ処理の問題以外でも、例えば、汚泥の問題が存在している。
これは一つの事例にすぎないが、例えば、広瀬隆『第二のフクシマ、日本滅亡』(朝日選書)では次のようなデータが記述されているのだ。
「(2011年)6月16日、全国各地の上下水処理施設で汚泥から放射性物質が検出されて深刻になってきたため、政府の原子力災害対策本部は、放射性セシウムの濃度が1キログラムあたり(以下すべて同じ単位で示す)8000ベクレル以下であれば、跡地を住宅に利用しない場合に限って汚泥を埋め立てることができるなどの方針を公表し、福島など一三都県と八政令市に通知した。また、8000ベクレルを超え、10万ベクレル以下は濃度に応じて住宅地から距離を取れば、通常の汚泥を埋め立て処分する管理型処分場の敷地に仮置きができるとした。
さらに、6月23日の環境省の決定により、放射性セシウム濃度(セシウム134と137の合計値)が8000ベクレル以下の焼却灰は『一般廃棄物』扱いで管理型処分場での埋め立て処分をしてよいことになった。さらに環境省は、低レベル放射性廃棄物の埋設処分基準を緩和して、8000ベクレル以下を10万ベクレル以下に引き下げてしまい、放射線を遮断できる施設での保管を認めてしまった。
おいおい待てよ。原子力プラントから発生する廃棄物の場合は、放射性セシウムについては100ベクレルを超えれば、厳重な管理をするべき『放射性廃棄物』になるのだぞ。環境省は、なぜその80倍もの超危険物を、一般ゴミと同じように埋め立て可能とするのか。なぜ汚染した汚泥を低レベル放射性廃棄物扱いとして、ドラム缶に入れて保管しないのか。この発生地は、無主物どころか、福島第一原発なのだから、その敷地に戻すほかに、方法はないだろう。これが『廃棄物の発生者責任』という産業界の常識だ」。
「6月24日(2011年)、農林水産省は『放射性セシウムが200ベクレル以下ならば、この汚泥を乾燥汚泥や汚泥発酵肥料などの原料としてよい』というトンデモナイ決定を下した……放射性廃棄物が、いよいよ発酵肥料に化けるのか」という具合だ。
「2012年には、汚染砕石のコンクリートを使った福島県内の新築マンションなどから高線量の放射能が検出され、すでに数百ヶ所の工事に汚染砕石を使用済みという実態が明るみに出た」。「首都圏では、雨で流され、除染で流した水が、すべて海に流れていることが、本当に深刻である」。

こうした立体的な放射能汚染模様は、一度作られてしまうと、それが放射性物質の滞留・拡散・移動・濃縮という「乱雑」な動き、そのままに、人間生態系を動き回り、半減期などに象徴されるように、自分で消滅するまで、消えてくれないのだ。

ここで問題なのは、これらが、日帝権力者たちの恣意的な汚染賠償削減政策、汚染管理費削減政策として展開されているところの、反人民的犯罪行為以外ではないということなのである。

<Ⅲ>

まさに、現在も、福島事故原発からは、大量の放射性物質が放出されている。全国的な放射性物質の放出の影響はむしろ、広がっており、例えば関東平野の汚染は重大である。福島だけが汚染されているのではない。
だがしかし、福島の「復興」政策では、福島の農産物、お祭り、スポーツ行事など、がおこなわれ、福島に特化したものとなっており、それらにおいては、放射能汚染は軽微なものとしてあつかわれるという、欺瞞的な政策として展開されている。
 また例えば、福島における昆虫などの小動物に放射能汚染による生体破壊が進行していること、その人間への影響などは、タブーとされるような空気が、その「復興」政策では蔓延しているだろう。
そして「復興」の名によって、福島現地の放射能汚染をいう事はタブーとされ、もちろん、全国的に汚染が広がっていることは問題外のことになる以外ない。まさにこのような日帝による日帝の「復興」政策なるものは、受忍被ばくを強要するものに他ならない。

<Ⅳ>

このような汚染と闘うには、予防原則の徹底化が必要である。が、それは、これまでも述べてきたように、天文学的な国家財政の支出を前提とするものだ。予防原則とは、ある汚染物質と考えられる対象に対して、そのリスクについて、確証がないとき、それが安全であるという確証が得られるまで、それを使った工程を排除するというものである。ここでは、放射性物質の汚染が、どれだけ広がり、どれだけの影響を人間生態系に、この社会と地球にあたえているか、また、今後、どのように展開してゆくかという事を調べることであり、徹底した検査などを基本とし、移住・避難などを支援する、まさに、医学的にも、生活的にも、必要な総てのことを、それが必要なすべての人々に提供してゆくということである。

その財政支出は、他の財政を圧迫するし、ひいては、国家財政を危機に陥れるかもしれない。上限はない。東電はもちろん破産する。国家財政の危機がやってくるからやめろと、いうのが、祖国防衛主義者たちだ。
 しかし、その場合、予防原則の徹底化の立場にとっては、日帝国家は破産・崩壊し、反核政府を樹立することが必要となるだけだ。ここで問題となるのは、そうした革命的情勢を創出するために、労働者人民の生活圏に、日本帝国主義の放射能汚染責任という国家責任を追及する社会運動をつくりだしてゆくことが、問われるということである。

つまり、予防原則の徹底化の立場は、帝国主義の祖国防衛主義と対立し、日本帝国主義の祖国敗北主義をもってのみ、予防原則の徹底化は勝ち取れるという立場になる以外ない。そして、その武器が抵抗権にほかならないのである。
受忍被ばくを一つの前提とした帝国主義祖国防衛主義の立場に立つのか、それとも、日帝崩壊・祖国敗北主義の反帝ラジカリズムの立場、放射能汚染の加害者である日帝権力者に対する人民の抵抗権の立場に立つのか、そのことがまず前提として問われていると思うのだが、どうだろうか。(2014・7・20)





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いいですね。声に出して読むと、空気が入ります。

空気が入ったついでにコメントを書きます。

日本帝国主義権力の祖国防衛主義の側に立つのか、それとも、人民が平和に生きるための祖国敗北主義の立場に立つのか。ここにおいて問題となるのは、誰がこの闘いの主体となるのかである。既成「左翼」政党、労働組合、生活協同組合、大学と出版界、そのた諸戦線に深くしみついた帝国主義権力との妥協的態度を、点検し、刷新し、必要があればそれを解体することである。それぞれの戦線において、権力とのなれあいを続けるのか、それとも、人民とともに闘うのかが、問われている。
どうだろうか。






2014年7月24日木曜日

いわゆる「福島差別」について



 来月の8月2日に東京に行く。フリーター全般労働組合の招聘で、放射能汚染問題についてのディスカッションに参加する。
 伝え聞くところでは、私が登壇することについて、一部で異議が出ているようだ。その内容は断片的にしかわからないが、『インパクション』誌に書いた論考『シジフォスたちの陶酔』について、「矢部論文は福島差別を助長する内容だ」という声が出ているらしい。
 こうした異議はこの3年間ずっとくすぶっていたようだが、ぜひ、つぶやきのような断片的なものではなく、ひとつの論文のかたちで提出してほしい。言いたいことはしっかり言ったほうがいい。ぐずったり駄々をこねたりするような甘えた態度では、自分が恥ずかしいだろう。「矢部史郎は差別者だ」と、はっきりと論文にして発表するべきだ。



 さて、当日のディスカッションのために、私の側から「差別」について書いておこうと思う。

 まず、放射線から身を守ること、被曝を避けることは、差別ではない。被曝を強要したり受忍させる行為こそが、差別である。だから、いま全国で行われている放射線防護活動は、被曝強要の差別に抵抗する反差別運動であると言うことができる。我々はそういう言い方をすることはないが、反被曝の運動は反差別運動であると言うことができる。

 人々に被曝を強要しているのは政府である。しかし、市民の側でもそれに抵抗するか抵抗しないかで態度が分かれる。被曝に抵抗する者(防護派)が日常の実践のなかで直接に対峙するのは、遠くにある政府ではなく、身近な人間である。被曝受忍政策に抵抗しない(または翼賛する)自治体、教育機関、流通業者、観光業者、職場の上司、同僚、友人、家族と親戚である。彼らは放射性物質に対する無知や軽視によって、自分と他人を危険にさらしている。ここで、防護派とそうでない人々との対立が生まれる。

 我々防護派の言動が「差別だ」と非難されるのは、この対立に由来していると思われる。そもそもこうした場面で「差別だ」と口にする者が、文字通り差別について考えているのかというと、ひじょうに疑わしいからである。ここで口にされる「差別だ」という言葉を、文脈にのせて正しく言い換えるなら、「対立をつくるな」とか「和を乱すな」という意味になるのだろう。

 我々としても、無用な対立をのぞんでいるわけではない。
しかし、政府と福島県政が「復興」政策を強行し、放射性物質の二次拡散をすすめてしまっている以上、対立しないわけにはいかないのだ。福島県知事が汚染被害に目をつぶるのだとして、我々がそれに付き従って汚染を受けいれる理由はない。ほんらい政府と東京電力によって支払われるべき損害賠償が、現実に支払われていないからといって、我々一般市民がその肩代わりをするわけにはいかない。そんな要求は筋違いである。「東京都民は福島第一原発の電気を使ってきたじゃないか」というかもしれない。それはヤクザのインネンというものだ。原子力政策を決定した者たちがなんの責任も取らず、謝罪もせず、のうのうと暮らしているというのに、どうして当時生まれてもいなかった者たちが汚染食品を食べなければならないのか。それこそ差別である。そこはきっちりと退け、対立するべきところなのである。

 問題をなあなあで済ましてはいけない。
 放射線防護活動は、社会の対立をあぶり出し、和を乱す。そこでは、ひとりひとりの態度が問われ、試される。このことが、社会を恐慌状態に陥らせている。そして、反差別の闘いも、そうなのだ。反差別の思想とは、みんなが仲良く同調して「和の精神」でいきましょうということではない。そうではなく、みせかけの「和」にひそんでいる嘘を告発し、対立を顕在化させることだ。
 「日本中が一つになって」、「福島のために」、「絆」、そんなものは反差別の思想とはまったく関係がない。そんな聞き心地のよい国民主義の迷信は、問題の解決に少しもつながらない。実際にどうだろう。「絆」という美辞麗句を繰り返して、福島の何が解決したのか。住民は遺棄されているだけではないのか。むしろこう言ってもいい。人々は福島とその周辺県が被っている差別を直視しないために、その差別と闘わないために、「絆」の唱和に逃げたのだ、と。

2014年7月22日火曜日

近況報告と告知




712
 前瀬くんが印刷会社の編集の仕事を決めた。二人で祝い酒をしようということで、新栄で飲み歩く。酔っ払った前瀬くんが、ドゥルーズ/ガタリの有名な一節を引用して、言う。「女になること、動物になること、名古屋人になること」。なるほどね。「放射脳」になること、そしてさらに、名古屋人になること。この街はマイナーなものへと生成する容器だ。度胸と忍耐力が試される。


718
 RLLの河辺くんが、名古屋に来て2泊していった。彼は年内の東京脱出をめざして、西日本のいくつかの街をまわってきたらしい。そして旅の最後に、名古屋の街を下見していった。
 2016年になるまえに、すでに東京の文化シーンは解体している。足の速い者はすでに東京を去った。新宿も、高円寺も、過去の街になったのだ。


720
 毎月開催されている「三河アナキストの会」の飲み会に参加。今回は日進市の放射線防護派2名が飛び入り参加して、総勢8名の飲み会になった。はじめは4名でほそぼそと始めた会だったが、徐々に移住者が増えてにぎやかになってきた。今年はさらに人が増えていくだろう。


722
 来月、東京で、労働組合のパネルディスカッションに出る。
以下、告知文が送られてきたので転載。

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/////// トークセッション3  ////////////////////////////////////////

「放射能は人を選んで降り注ぐ」-都市貧困層はいかに自身となかまを原子力災害から守るのか

日時 8月2日 18時から
場所 フリーター労組会議室
資料代 500円(組合員無料)
【内容】2011312日以降、原子力災害からの避難をよびかけ名古屋で活動する矢部史郎さんを迎え、原子力災害の現状と災害から自身となかまたちを守るための活動についてトークします。


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 トークセッション3  ////////////////////////////////////////以下呼びかけ文
被害をいうことが強い非難の対象にされています。被害を疑うこと自体、「風評被害」を招くことであり黙るべきだというのです。
これでは高線量地域から逃げる権利も、放射性物質を吸入せず、放射線を浴びずに暮らす権利も、まったく保障されない。そしてこの被害を深刻に受けるのは、安定した所得がなく、食を自律的に選択することも難しく、医療からもはじかれた、私たちフリーター層を含む貧困者です。
放射能災害は何も終わっていません。福島原発での度重なる汚染水漏れ、高線量下での作業を強いられる収束作業員への被ばくのみを言っているのではありません。現在でも、法律的には1mSv/年が公衆被ばくの上限です。ところがそれを超える地域に人々は住み続けています。労働安全衛生法が「管理区域」に指定し、必要あるもの以外を立ち入らせず、18歳未満を就労させないことを事業者の義務とする線量の地域ですら、人は生活し就労しています。
被災地が日本の経済開発の周縁部と位置付けられた東北であったこと、収入を考えれば、安全性を第一に食物や水を選択できず、ファストフードやコンビニで飯を食わなければならないこと、これらのことが何を意味するのかを私たちは真剣に考えなければなりません。
放射能は人を選んで降り注ぎます。

2011
年3月以前も、そしてそれ以降も、放射能は貧困者の上にこそ強く降り注いできたことを私たちは忘れるわけにはいきません。原子力災害は貧困者に向けられているのです。
なのに被害の「科学的根拠がない」ことを理由に、低線量被ばくまたは内部被ばくの被害の訴えは切り捨てられ、「復興」イメージの維持のために、災害は意図的な忘却の中に置かれています。ホットスポットでの埃の吸入、放射性物質が含まれる食べ物や飲み物の摂取、これらが東日本に暮らす私たちの現実であることには変わりないのにです。
被害を語る人々にはこれまでも「放射脳」「似非科学」なる悪罵が投げつけられてきました。避難の権利を求める人々にも政府機関をはじめとして冷笑的な態度が投げつけられてきました。おそらくこれからも、その状況は大きく変わることなどないでしょう。その一方で冷徹に進められているのは、いまだ実証データに乏しい「低線量被ばく」「内部被ばく」のデータ収集です。
あたかも未曽有の人体実験の被験者として、私たちは位置づけられています。私たちは私たち自身を、この災害と人体実験からどのように守るのかを考えなければなりません。誰も守ってくれることなどない。だれも私たちを守りなどしないのですから。
原子力災害の中へ遺棄される貧困者は、どのように自分となかまを守ればよいのか。考えてみたいと思っています。

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 この会を主催するフリーター全般労働組合は、2002年に結成され、当時の労働運動に一石を投じた組合。フリーター全般労働組合は、共産党系の首都圏青年ユニオンとともに、新自由主義政策下の非正規労働問題を告発していった。いわば、青年労働者運動のオピニオンリーダー的存在と言えるだろう。

 この3年間、東京の左翼は階級的視点を失ってきた。福島第一原発の事件は、社会運動を愛国主義的に、または、社会民主主義的にしてしまい、汚染問題の階級的性格を充分に論じてこなかった。労働組合は、組合員の健康調査を独自に行うことなく、厚労省の「安全」見解を追認してきたのである。
 しかしこれから、フリーター全般労働組合が沈黙をやぶる。放射能汚染問題から、資本と労働との敵対性をあぶり出す。この問題提起は、労働運動の思想が試されるものになるだろう。
 







2014年7月18日金曜日

bcxxx、かっこわるいなあ


どうでもいいことだが、「男組」の暴処法検挙に関して、bcxxxという奴が逃げをうっていた。
ツイッターで。
おれは関係ねーよ的な。


これが噂の「ヘタレサヨク」というやつか。


まあ、新人にはありがちなことだが、ここまでみっともないものははじめてだ。
なにもツイートしなくてもいいのにな。

 

2014年7月17日木曜日

抗議声明



 大阪府警に抗議する共同声明


 2014716日、大阪府警は、市民グループ「男組」の関係者8名を「暴力行為等処罰に関する法律」(以下、「暴処法」と略す)違反の容疑で逮捕した。
 容疑となっているのは、昨年10月にヘイトスピーチを行おうとデモに向かっている者を「男組」が取り囲み、ヘイトスピーチをやめるよう働きかけた行為である。ここには暴力行為はなく、「男組」側も暴力行為に発展しないよう慎重に働きかけを行っている。
 今回の大阪府警の判断は、市民が討議する権利にたいして不当に介入するものであり、断じて許すことができない。
 とくに今回問題となっているのは、人権を著しく毀損するヘイトスピーチの是非である。ヘイトスピーチを行う者に対して、それをやめるよう働きかけるのは、良識ある市民の当然のつとめである。「男組」のおこなった行為は、市民社会の健全さを示すものであって、警察が介入するべきものではない。「男組」のおこなった行為が「暴処法」で罰せられるということになれば、人々の良心は萎縮し、見て見ぬふりが横行し、無責任な暴言がまかりとおることになってしまうだろう。
 大阪府警は、逮捕した8名を釈放せよ。警察が介入する事案ではない。
 


 矢部史郎(蕨市事件元被告)
 CHE★gewalt(ANTIFA★黒い彗星)




2014年7月15日火曜日

ビギナー向けに



 最近、このブログのアクセス数が多くなっている。
おそらく、矢部史郎を知らない人や、矢部史郎という名前は知っていたけどこれまで読めなかったという人たちが、このブログにアクセスしているのだと思う。

 このブログは、2011年2月までは海賊史研究の報告などを書いていたが、2011年3月以降は放射能汚染問題について書いてきた。「3・11」までは東京で、「3・12」以後は名古屋に移転して、そのときどきに考えたことを書いた。ブログのタイトルも『海賊共産主義へ』から『原子力都市と海賊』に変更した。ちなみに「原子力都市」とは、原発が立地する都市のことではなく、工業化時代の次にあらわれる「原子力の時代」の都市のことである。

 このブログの中から、ビギナーに向けて、私の主張が要約されている文章をピックアップした。「たちよみ」とあるのは、書籍や雑誌に掲載されているために全文を見せることができないものだ。関心を持った人は、書籍を購入するか図書館で借りるかしてほしい。











2014年7月8日火曜日

運動の「アンダーコントロール」




 首都圏反原発連合(以下、反原連と略す)の一部分子が、私を挑発してきた。共産党の木下ちがやと、それに随伴している野間易通である。いま反原連について書くべきことはないのだが、ある種のSOS信号をキャッチしたのだと考えて、建設的な提言をしてみようと思う。



 反原連の一部分子は、その行動方針をめぐって、多くの人々と対立してきたように見える。しかしその対立は表面的なものだ。
 真に問題であったのは、ABかという方針の選択ではなく、彼らの言う「方針」なるものが、それじたい粉飾であったということだ。
官邸前の行動に、全体の方針などと言えるものはなかった。方針をたてて統制をとろうとしても、現実にはまったく不可能だったはずだ。あれだけの規模の大衆行動である。成り行きまかせにならざるをえない。だから官邸前行動は(きびしい言い方をすれば)、ただ警察の規制に押し込まれただけに終わった。そのこと自体は良いも悪いもない。しょうがないことだ。ただしここで共産党の木下らが間違えたのは、警察に圧迫され押し込まれたにすぎないことを、自らそのように方針化したのだと粉飾したことである。本当は状況に流されただけなのに、自らの方針でそうしたのだと偽ってしまった。ようするに見栄を張ったのだ。

 反原連と同時進行していた「レイシストしばき隊」もそうだ。まったく統制がとれていない。それは私はいいと思う。みんなそれぞれのやりかたで言いたいことをぶちまければいい。ただ、統制がないことを、まるであるかのように見せかけるのはいけない。仕切れていないのに、まるで仕切っているかのように言うのはまちがいだ。そういう見栄を張ると、話がこじれてしまう。

 共産党・木下と野間易通のツイッターをみると、自己正当化の弁明が目立つ。それは、首相がオリンピックを誘致するスピーチで「アンダーコントロール」と言った姿とダブる。「運動はコントロールされています」と繰り返しているかのようだ。そういうやり方は良くない。もっと正直に、もうぐちゃぐちゃですどうしたらいいかわかりません、と言うべきだ。そう言ったからといって怒る人はいない。




 この三年間、多くの人々が手探りで闘い、それぞれの挫折を味わった。私もそうだ。もっとこうすればよかったとか、あのときもっと積極的に働きかければよかったとか、悔いが残ることばかりである。そうした人々を前に、「大丈夫、運動はコントロールされています」などとどうして言えるだろうか。人々が求めているのは、そんな強がりの言葉ではない。もっと正直な話だ。自分たちができなかったことを悔やみ、無力さにうろたえ、その事実を確認することから、もういちど議論をはじめることだ。

2014年7月4日金曜日

人間を直立させたのは人間自身




 人間はなぜ直立歩行をするようになったのか。
 この問いに、人間の生活環境の変化から説明しようとする考え方がある。たとえば、木の上の生活から平原の生活に移行したからだ、とか、水辺に暮らすようになったからだ、とか。人間の生活環境が変化したから身体が変化したのだ、という考え方だ。
 こうした説が説得力を欠いているのは、人間という種の最大の特徴、人間が環境に適応しない生物であるという特徴を見落としているからである。人間はジャングルだろうが平原だろうが直立して生きている。寒冷地帯の雪原から赤道直下のジャングルまで、どんな場所でも人間が生きていて、それらはまったく異なる環境に暮らしているにもかかわらず、サイズも能力もほとんど変わらない。人間はどのような環境にたいしても適合的でなく、環境から疎外されていて、だから、地球上の多種多様な環境に住まうことができたのである。

 人間を直立させたのは、環境ではない。ではなにが人間を直立させたのか。
答えは明白で、人間の祖先たちが性選択を繰り返した結果である。男たちが直立する女を選び、女たちが直立する男を積極的に受け入れた。何代にもわたってそれを繰り返し、人間は直立二足歩行を獲得したのだ。
 直立する個体は、はじめは異形だったかもしれない。四足で駆けたり登ったりした方が速いのに、わざわざ二足で歩く者があらわれた。動きのおかしい、へんなやつである。はじめはモテなかったと思う。動物としては明らかに劣っているのだから。しかし、あるときから二足歩行の個体がモテるようになる。運動能力が劣るにもかかわらず、二足がモテる現象。二足歩行ブーム。なにがあったのか。
 私が唱えている仮説は、「おみやげ説」である。二足歩行の個体は、運動能力が劣るかわりに、両手を使ってモノを運搬する能力を獲得した。二足歩行の男は、片手に自分が食べる食料を持ち、もう片方の手におみやげを持ってやってきた。そして誰かに与えたのだ。これは、モテる。二足歩行おみやげ男子の誕生。おみやげ個体が増えていくにしたがって、採集行為は社会化され、群れ全体に経済的な安定がうまれる。病気で動けない個体や、産後で疲弊している個体が、食べられるようになる。
 もうひとつの有力な仮説は、「だっこ説」である。二足歩行の女は、両手で子供を抱いた。四足歩行の個体が子供を片手でぶらさげて歩くのとは大違いである。つねに両手をつかって、丁寧に乳児を抱く個体。その姿に男たちは深い衝撃をおぼえただろう。これしかない、と思ったはずだ。

 人間を直立させたのは人間自身である。直立二足歩行の獲得とは、人間が環境に適応しようとした結果ではなく、その反対に、環境に背を向けて不適応を志向した結果である。人間は環境に愛されることをのぞむのではなく、どんな過酷な環境にあっても人間が自律的・自足的に愛しあう生き方を選んだのである。
 はじめはジャングルで、木に登ることのできない不適応者が生まれた。動物として弱く、環境になじめない個体。彼らは生の新しい様式を発明しなくてはならなかった。もっとも弱く生き難い者たちが、人間という種の前衛になったのだ。
 人間の体毛が徐々に薄くなっていったことも、同様のプロセスがあったと考えられる。全身が禿げていて傷つきやすい個体が生まれた。成人になっても赤ん坊のように禿げていて、むきだしの肌。彼(彼女)はいつも傷だらけで、強い痛みを感じながら生きなくてはならなかった。当時の男と女は、そんな傷だらけの者を選んでいった。なぜなら、傷を負う者はつねに慎重で、思慮深く、なにより愛を知っているからだ。




2014年6月18日水曜日

主体について

 ある男は、飼い犬がしつこく吠えている地面を掘り、宝を手に入れる。これを見た別の男は、この犬を借りて同じことをして、ゴミを掘りあてる。
 ある男は、地下の洞窟にころげ落ち、ネズミの村を発見する。男は猫の鳴き真似をしてネズミたちを追い散らし、そこにあった宝を持ち帰る。この話を聞いた別の男は、洞窟に行って同じことをするのだが、途中で正体がばれてしまい、ネズミたちの襲撃にあう。
 二人の男は、同じことをして、まったく違った結果をひきあてる。この寓話は、何を言おうとしているのか。

 まず、寓話に挿入された道徳的解釈を取り除いておこう。良いじいさんと悪いじいさん、正直じいさんと強欲じいさん、という解釈である。これは正しくない。ある男は宝を手に入れて、ある男は痛い目にあう。このことと、それぞれの男が道徳的にみて善人であるか悪人であるかとは、関係がない。なぜなら一人目の男が良い結果を引き当てたのは、善人だったからではなく、たんなる偶然だからである。
 善人が良い結果をひき、悪人が悪い結果をひくという解釈は、この寓話のもつ深みを捉えそこねている。道徳的解釈は、まず良い結果と悪い結果という結末の部分を捉えて、そこから時間をさかのぼって、それぞれの男が、善人だった、悪人だった、と言っているにすぎない。これは、原因と結果とを差し替えるインチキである。
 ここで見なければならないのは、二人の男が同じ行為をして、まったく違った結果を得たということだ。二人の運命を分けたものはなんなのか。そこを考えなければならない。良いじいさんと悪いじいさんという答えらしきものを用意しても、それは事態が起きたあとから理由をこじつけているにすぎない。まずはこの道徳的解釈を退けておこう。

 あらためて考えてみる。二人の運命をわけたのはなんなのか。
 まず頭に浮かぶのは「柳の下にどじょうは二匹いない」という格言である。二匹目のどじょうを狙っても、良い結果は得られない、と。こういう解釈は正解に近そうだ。しかし少しだけ違う。寓話では、二人目の男は何も得られないのではなく、悲惨な目にあってしまっている。彼はただ空振りに終わったのではなく、まるで制裁を加えられるかのように痛い目にあっている。なぜ二人目の男は痛い目にあわなくてはならないのか。
 良い結果を得た男から話を聴き、自分も真似をしてみる。あいつにできるなら俺にもできるのではないかと考える。そういうことはよくあることだ。ある成功した人のケースを参照して、そこから成功のための一般的な方法を取り出そうとする。たとえば事業に成功した実業家の講演を聞いて、金儲けの秘訣を知ろうとする。成功した人物の体験談を聴いて、真似をしてみる。そういう類の出版物は巷に溢れていて、お金を儲ける方法とか、子供を賢く育てる方法とか、人材活用術とか、異性の気を引く方法とか、とてもありふれたものとしてある。私たちはそうした講演会や出版物を横目で見ながら、「やくにたつかもしれない」と考えたり、「どうせやくにたたないだろう」と考えたりしている。
 しかし二人の男の寓話は、私たちが考えるよりもさらに踏み込んだ主張をしている。あるケースから一般的な方法を取り出そうとする試みは、やくにたったりたたなかったりするのではなく、痛い目にあうのだ。そういうことをやってはいけない、と戒めているのである。これは強烈な主張だ。
 アーティストやアスリートは、このことを経験的に知っている。あるとき抜群の筆致で絵を描いた。観客を総立ちにさせる最高の演奏をした。あるいは、ゲームで最高のパフォーマンスを見せた。彼はもういちど抜群のパフォーマンスを再現したいと考える。うまくいったときのことを思い出し、反芻し、どうすればそれを再現できるのかを考える。うまくやるための方法を探ろうとする。そうすると、うまくいかないのだ。うまくいかないだけでなく、かえって悪い結果をひいてしまう。簡単にできたはずのことまでぎこちなくなって、ドツボにはまる。スランプというやつだ。これもまたありふれたことなのだ。
 もっと日常的な例で知られているのは、恋愛である。恋愛にマニュアルは通用しない。男性が高価な贈り物をすれば女性の歓心をかうことができる、とは限らない。贈り物をされて気持ちが高まる場合もあれば、かえって冷めてしまう場合もある。こうすればうまくいくはずだと頭で考えてやることは、たいてい裏目にでる。方法にこだわればこだわるほど、気持ちの自然な流れが乱され、よこしまな印象がうまれてしまう。彼の目論見はただ空振りに終わるだけでなく、悪い結果をひいてしまうのである。

 二人の男が同じ行為をして、まったく違った結果になってしまう。二人の男を分けているのは、行為の一回性(サンギュラリテ)に忠実であったかどうかである。二人目の男に悪いところがあったとすれば、それは、行為の一回性を軽視してしまったことだ。
 一人目の男は、ある冒険を二度は起きないものとして経験した。彼はどのような結果になるかわからない特異で一回的な冒険に身を投じたのである。それに対して二人目の男は、頭で考えた方法で運命を操作できると信じてしまった。彼は良い結果を得ることだけを期待して、のるかそるかの冒険に身を投じる真剣さを失っていた。彼は実践にたいして斜に構えていた。つまり、運命を舐めてかかったのだ。
 ある人間が、富を得たいとか、痛い目にあうのは避けたいとか、考える。それはとてもありふれたことだ。彼は課題に当たる前に、その構造と機制を把握しようと努める。しかし、人間は事物を空間的に把握することには長けているが、時間を把握することまではできない。決定の瞬間、タイミング、流れの形成、チャンスを、あらかじめ把握できる者はいない。決定はつねに賽の目を振るような賭けを含んでいて、その決定がまずかったとしても、時間を巻き戻すことはできないのである。実践はつねに一回的で、だから、特異なのだ。



 何を言いたいのか。
私は主体の話をしているのだ。

 放射能汚染は取り返しのつかない特異な現実をうみだした。人間を生かしてきた安全な環境は剥ぎ取られ、私たちはつねに死を意識し、生の一回性を意識するようになった。そうした意識はとても不自由なものとして映るかもしれないが、そうではない。
 本当に不自由であるのは、運命に呑み込まれることを恐れて、その手前で立ち止まってしまうことだ。運命と格闘する主体を、自分自身の特異性を、封じ込めてしまうことだ。
強いられた状況の中で、身を投じるべき瞬間は、それぞれにある。良い結果になるか悪い結果になるかは、誰も保証しない。運命を克服するマニュアルは、ない。それが、自由だ。
 



2014年6月6日金曜日

なにが街頭行動を陳腐化させたのか


 いま、街頭行動はダサい。
なんだか目も当てられないほどかっこわるい。

 なぜか。
 右翼のせいか。
 議会政党のせいか。
 メディアのせいか。

 みんなちょっと考えてほしい。


 97年のロンドン、99年のシアトル、2001年のジェノヴァ、そして日本では2003年のリクレイム・ザ・ストリート(サウンドデモ)が、先鋭的な街頭行動のスタイルを普及させた。2000年代の東京は、デモに出ることがかっこいいという状況をつくっていた。当時は街頭デモを計画し、警察とつばぜりあうのが、めちゃくちゃ楽しかったのだ。

 それがどうだ。いまの街頭デモは、まったくワクワクしない。

 カンパニアだからか。
 行為の直接性が回避されているからなのか。
 いや、しかし、在特会に対抗する「レイシストしばき隊」の行動は、充分に直接的である。なのになぜ、彼らはかっこわるいのか。

 よくわからない。

 これちょっと考えてほしい。






追記

なんだかこの文章のアクセス数が異常なので、調べてみたら、野間とかいうのがツイートしていた。たぶん「反原連」の野間だね。

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野間易通 @kdxn
リクレイム・ザ・ストリートから矢部みたいなヘサヨサブカルの垢をそぎ落として洗練させたのが今の街頭行動。人脈も連続してるし。RT @sangituyama: 矢部史郎くんはこんな文章しかかけなくなったんだな。平井玄に続いて終了だな。

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これだよ。
自分で「洗練」っていうかね。
「人脈」とか言うかね。
言葉ひとつひとつに美意識が欠落してんだよな。目も当てられない。

2014年6月2日月曜日

書きかけノート『牧神パーンの発明』②


 電力不足による外観の綻びは、つぎにあらわれるさらに大きな衝撃の予兆に過ぎなかった。千葉県で栽培されたほうれん草から放射性セシウムが検出される。政府は食品流通のクリアランス基準を1キログラムあたり500ベクレルへと大幅に緩和していたが、その基準値をさらに上回る汚染が次々に報告される。葉物野菜、小魚、椎茸、茶葉、肉が汚染され、流通してしまった。食品を通じた人体汚染(内部被曝)が現実味を帯びるようになる。そしてこの年の秋に収穫された新米をめぐって、大規模な不買行為があらわれる。
 汚染食品の不買行為は、二つの段階を経て進行した。
まず1年目に焦点化したのは、食品の検査体制だった。日本政府は汚染調査に消極的で、汚染食品の出荷停止や回収という措置をほとんどとらなかった。そのため市民は自前で放射線測定器を購入し、食品検査を行い、情報を交換していった。市民は自治体に食品検査を要求し、いくつかの自治体では学校給食の食品検査体制がつくられた。こうした活動によって、食品汚染が非常に広範な地域に及んでいることが明らかになっていった。
 事件から1年をすぎた頃から、不買行為はより徹底したものになる。市民は食品をいちいち検査するのではなく、産地と品目だけで不買を決めるようになった。流通業者は食品検査の結果を示して安全性を訴えたが、無駄だった。このころには、検査技術の限界と抜け道が知られるようになり、消費者は、業者がどのような方法で「不検出」という結果をつくり出すのか知っていたのである。
 消費者が汚染地域の食品を買い控えているとき、政府は拡大する不買行為を「風評被害」と呼んで攻撃した。いくつかの市民団体は、母乳検査や尿検査を実施し人体汚染の実態を告発していたのだが、政府はそれもこれもすべて「風評被害」として片付けようとした。政府は、東京電力が汚染地域の生産者すべてに損害賠償することは不可能だと考えたのかもしれないし、政府自身が賠償を請求されることを避けたかったのかもしれない。あるいは、大量の生産者が破産することで発生する金融機関の破綻を恐れたのかもしれない。いずれにしろ、生産者をおそった汚染被害をできるだけ過小に評価したかったのだろう。政府は市民に向けて、福島県産の食品を買おうというキャンペーンを展開した。福島の生産者のために「食べて応援」しようと言った。本当は生産者ではない者たちの責任逃れのためなのだが。
 多くの生活協同組合は、政府の「食べて応援」政策と、消費者の不買圧力とのあいだで、玉虫色の態度をとった。なかでももっとも欺瞞的な対応は、検査をして安全なら食べようというものだった。この主張は、検査方法を学びその抜け道を知ってしまった人々には通用しない。しかし、知識のない会員にとっては、なにが問題なのかもわからない。知識のない会員は、自分が信頼を寄せる生協に裏切られたことすらわからないのである。
 このとき生活協同組合は、消費者運動の論理も歴史も忘れて、たんなる企業としての性格をむきだしにした。何が起きていたのだろうか。腐敗だろうか。そうかもしれない。しかしたんに組織の腐敗というだけなら、もうすこし躊躇があったはずだ。

 このとき不買行為は、根底的(ルビ・ラディカル)な拒絶を含んでいた。それは、「安全なものは買って危険なものは買わない」という、表面的で功利的な論理ではおさまらない。人々は表面的にはそのようにふるまいながら同時に、「安全なものも危険なものもすべて買いたくない」という心性を生みだしていた。もちろんそうは言っても、食品を買わないでは飢えてしまうから、そのときどき便宜的にベターと思われるものを買うわけだが、本当は、なにも買いたくなかった。
 広範な不買行為によって拒絶されたのは、たんに危険な汚染食品なのではなく、商品、商品経済、消費生活そのものである。なぜなら人々は、汚染食品が流通する過程で、どれだけ多くの嘘と秘密と印象操作が投入されているかを目の当たりにしたのだから。私たちはいやというほど見せられたのだ。商品が嘘で塗り固められていることを。その実相を見てしまったら、もう昨日までの「素敵な消費生活」という夢にのぼせることはできないのである。
(つづく)

次回予告
 次回は、ジョルジュ・ソレル『暴力論』とヴァルター・ベンヤミン『暴力批判論』をちゃんと読んで、不買行為のもつ暴力(反暴力)の性格を掘り下げる。「大罷業」(ソレル)または「神的暴力」(ベンヤミン)が発動する時間。暴力(反暴力)の時間。そこから本題の核心となる、裸足で逃げ出すプロレタリアートの正義性について。うーん。頭ぐるぐるしてやばい。

2014年5月30日金曜日

沈黙からなにを引き出すか



 多くの人々が放射能汚染について語らなくなった。ほとんど沈黙している。
 忘却だろうか。ちがう。日本に暮らしていて放射能汚染を忘れることなどできない。
たとえば、『美味しんぼ』という有名な漫画が放射能汚染問題を題材にして、福島県の自治体や日本政府が過剰な反応を見せている。政府・自治体とマスメディアが「炎上」状態になっているときに、その当事者である私たちは沈黙している。これは忘却とは対極に位置する沈黙だ。
 萎縮だろうか。事態の深刻さに恐れおののいているために、黙り込んでしまったのか。そうかもしれない。表面的にはそういうことにしておいたほうが世間的なとおりはいい。
 しかし本当の話をすれば、戦慄は官能を伴っている。人は恐怖で萎縮しているとき、それとはまったく反対に、興奮をおぼえ武者震いをしている。それはあまりあからさまに表明すると事態を喜んで歓迎しているように見えるから隠しているだけで、本当は心のどこかでこの運命を楽しんでいる。絶望している自分と、興奮している自分がいる。


 東京にいた頃、イラク反戦運動の街頭デモが大きく高揚した時期、私は被逮捕者の救援活動ばかりやっていた。私のいたグループは警視庁に狙い撃ちにされていたので、毎月のように逮捕者が出て、救援会活動で休む暇がないほどだった。
 誰かが逮捕されると、それから一週間は寝る暇もない。関係者が集まり、救援会を立ち上げ、弁護士に接見を依頼し、留置場に差し入れをする。被逮捕者の家族に事情を説明し、公式声明を書き、キャンペーンで資金を集め、留置されている警察署へ抗議に押しかける。警視庁は「過激派」とみなした者に対しては必ず家宅捜索を仕掛けてくるから、それへの監視もしなくてはならない。
 そのあいだ毎晩、会議である。我々は政党ではない有象無象の集まりだったから、救援のための対策部門をもっていなかった。いつも全員で救援活動に取り組んだ。だから大きい会議では30人や40人が集まって、議論をし、意志一致をはかり、さまざまな作業を割り振りしなくてはならない。
 こういうスタイルの救援会議は、喧騒と沈黙が入り乱れる場だ。しゃべりすぎてしまう人間と、まったくしゃべらない人間がいる。そのどちらも、初動の段階では恐怖によるものだ。一般的に言って、男は恐怖に駆られるとよくしゃべり、女はまるで硬直したように沈黙する。そしてこの沈黙する女が、救援活動の要である。
 被逮捕者の妻、恋人、母親、あるいは姉妹が、口を閉じたままじっと座っている。突然ふって湧いたような事態に戸惑いながら、考えている。逮捕されたのは何かの間違いだとか、検察と交渉すれば容赦してもらえるのではないかとか、最初はみなそう考える。間違いだったらいいな、と願望するのだ。しかしそれとは反対に、彼女は自身の経験の中からもうひとつ別の一般的事実を引き出してくる。つまり、暴力に正当も不当もなく、すべて不当であることを。本来的に不当である暴力に、交渉や駆け引きが通用するものかどうか。かりに通用したとして、そうやって釈放された人間はそれ以後、警察に脅えつづけるジメジメしたやくざのような者になってしまうだろう。その負の効果を直接おわされるのは家族や恋人なのだ。だから暴力に対しては、非和解的に対決する以外にないのである。
 彼女が警察・司法と対決することを決意したとき、救援会の腹が据わる。こうなると女はテコでも動かない。権力(暴力)への非妥協性・非和解性をあらわにする。だから議論すべきことなどほとんどない。それ以後、無駄なおしゃべりは消えて、全員が静かに、眼光を鋭くする。喧騒と沈黙の弁証法は、沈黙にいたる。それは最初に味わった恐怖による沈黙ではなく、明確な意志をもった沈黙である。

 2011年の事件から3年たって、反原発デモの喧騒はなくなった。いま多くの人々が沈黙している。この沈黙のなかには、意気消沈したものもあるだろうし、建設的な意志をもったものもあるだろう。じっさい声を上げて議論すべきものはそれほど多くない。暴力は本来的に不当で、請願しようが陳情しようが、放射能汚染は譲歩してくれないのである。

黙って腹を据える時期だ。やるべきことはたくさんある。

2014年5月17日土曜日

書きかけノート『牧神パーンの発明』

矢部+山の手緑の作業が、遅々としてすすまない。
理由は私が煮詰まっているから。
私には悪い癖があって、明確に人格化した敵を設定しないと、モチベーションが上がらない。山の手氏には批判されているところだが、どうもやる気が起きない。

ということで次回の文章は、映画評論家の町山某を批判するつもりで、表面的にはそうは書かないが、腹積もりとしてはそういう意図で書く。山の手さん、ごめんなさい。

といっても、まだまだ全然書けてない。
ので、これまで書いたノートの一部を公開して、自分にプレッシャーをかける。
仮題は、『牧神パーンの発明』。
以下、本文。

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 牧神パーンは、ギリシャ神話に描かれた古い神である。パーンは父ヘルメースと母ニュムペーのあいだに生まれた。ヘルメースはニュムペーと交接するさい羊に変身していたため、パーンは人間の体に山羊の脚と角をもつ半獣半人の姿で生まれた。パーンはその異形のために、生まれてまもなく母に捨てられてしまうが、ギリシャの神々はみな喜んで彼を迎え入れる。なかでももっとも喜んだのは、酒の神ディオニュソスだった。
 パーンの逸話の中で最も有名なのは、変身の逸話である。ある日、神々の宴会に、ゼウスの仇敵テューポーンが奇襲をかける。突然の襲撃に驚いた神々は、それぞれ動物の姿に変身して攻撃をかわす。ゼウスは大鷲に、アポローンはカラスに変身して空を飛ぶ。 アフロディテの母子は魚に変身して水中に逃げる。このときパーンは、上半身を山羊に、下半身を魚に変えて、水に飛び込んだ。神々はこの姿を見て大いに喜び、その姿のまま天の星座にした。これが山羊の上半身と魚の尾びれをもつ山羊座である。
 山羊と魚、二つの生物を混合した姿は、異形である。ある種の神話解釈では、その姿は醜態とされる。彼はあわてすぎたために、おかしな生物に変身してしまったのだ、と。しかしパーンにとってそれは醜態ではない。彼は生まれつき半獣半人の混合種なのだから。二つの種が混合してなんの不都合があるだろうか。パーンの変身は醜態ではなく、力の発現である。彼は前足の蹄をけって険しい山を登り、大きな尾びれを振って水中に潜行する。山の頂きから海底まで、彼はすべて(pan)を踏破する力を発明したのである。
  

 はじめに外観の話から始めよう。
 2011年の東日本大震災は、東京の都市機能を麻痺させた。電車が不通となり膨大な帰宅困難者がうまれた。物流が滞り、水や電池やガソリンが入手できなくなった。そして関東全域で電力が不足する。多くの地域で電力供給が止められ、都心部でも節電が実施された。
 このとき私たちが知ったのは、電力は都市の動力であるというよりもむしろ都市の外観を支えるものであるということだ。節電の要請によって照明が間引きされていく。そうすると建物はまったく違った印象を与える。薄暗いコンビニエンスストアは、とても惨めな気分にさせる。私たちがこれまで感じてきた都市の輝きとは、大部分が蛍光灯の輝きであったということを知った。店舗に設置された照明は、陳列した商品の見栄えを良くするためだけでなく、その空間そのものを明るく照らしていたのである。かつて建物の窓は、室外の光を室内に取り入れるためにあったが、現在では室内の輝きを室外に放つためにある。だから、節電によって照明が少し暗くされただけで、東京の風景はまったく違った印象になってしまったのである。
 1980年代の再開発以降、都市建築は外観を競うようになった。それはつまるところ、素材の表面が放つ輝きであり、照明の強化であった。薄暗い便所は改装され、明るく輝く化粧室があらわれた。建物の外壁にはタイルを貼り、あるいは枠のない一枚ガラスで光を反射させる。黒いアスファルトは剥がされ、多彩な色を放つブロックで敷き詰められていく。この再開発は、都市から薄暗い空間をなくし、明るさを充満させる事業だった。形・色・質感・電力が、光学的に再編され、都市空間全体がデパートの売り場のような輝きをもつようになる。都市は商業活動のためのたんなる容れ物ではなく、その空間自体がひとつの商品(ルビ・フェティッシュ)として輝きを放つようになったのである。
 ここで追求された外観のフェティシズムは、寺社仏閣や古美術のようなフェティシズムではない。新しい商業都市が要求するのは、新鮮さを印象づけるフェティシズムである。求められるのは、つねに新しいこと。いつまでも古びないこと。時間を蓄積させるのではなく、時間を蒸発させることである。過去の時間が蓄積して現在があり、現在の時間は過去となって堆積し未来を形成していく、そのような常識的な時間概念は、商品そのものとなった都市空間によって覆されていく。過去-現在-未来は切断され、〈ゆるぎない現在〉だけがいつまでも輝きつづけることになる。
 1990年代に問題となったプリッグ症候群(潔癖症)の流行や、グラフィティ(落書き)の流行は、この時間概念の再編に関わっていると思われる。それらは衛生や美観をめぐる葛藤であるよりも、時間をめぐる葛藤だったと言える。〈ゆるぎない現在〉に執着する病と、〈ゆるぎない現在〉に時間を書き込む者たち。あるいは、中年の女性たちのあいだでアンチエイジングが流行し、その反対に、若者たちはドレスアップではなくドレスダウンを意識するようになる。都市の新しい規則となった〈ゆるぎない現在〉が、人間の姿に強い光を浴びせ、そこに含まれている時間を意識させるようになったのである。

 20113月、東京電力・福島第一原子力発電所から放出された放射性物質が、首都圏を襲う。首都圏の水瓶である利根川が放射性物質に汚染され、東京都に水を供給する金町浄水場で放射性セシウムが検出される。
 3月末から4月にかけて、東京では花見をするかいなかが問題になる。当時の東京都知事は市民に向けて花見行事の自粛を呼びかけた。巨大災害に襲われている非常事態に花見などしている場合ではない、と。もっともである。
 これに対して日本政府は、市民に花見行事を実施するように呼びかけた。「こういうときだからこそ、平常どおりに生活することが大切です」と。「平常どおりに消費生活をおくることが、災害からの復旧に必要なのです」と。あるいはこうも言った。「都民が平常どおりの生活を取り戻すことが、被災地の復旧支援につながるのです」と。
 「平常どおり生活する」という政府の号令は、客観的に不合理で、多くの人々にとっては無理な要求だった。このとき東京から220キロの地点では、4機の原子炉が制御不能の状態にあり、放射性物質を放出し続けていた。都市機能災害はまだ復旧できていなかった。たとえば千葉県浦安市では、街のいたるところで地盤が液状化するという深刻な被害に見舞われていた。どの店でも物資の供給が滞り、水も電池も手に入らない状態だった。さらに東京電力が強行した「計画停電」は、東京圏郊外の電力を止めて、電灯も信号機も消えるブラックアウトを発生させていたのである。東京都知事に言われるまでもなく、市民は花見をしている余裕などなかった。「平常どおり」花見を楽しむことができたのは、都心部に暮らすほんのひと握りの人々だったのである。
 しかしそれにもかかわらず、政府のこの呼びかけが異常なものとして退けられることはなかった。少なくない人々が政府の呼びかけを支持し、「平常通り」に花見行事を敢行したのである。4月初旬、東京では市民が放射性物質を浴びながら花見をするという、まるでSF映画のような場面が現実になったのだ。
 おそらく彼らを駆り立てていたのは、東京の外観を取り戻すことであった。インフラの復旧や都市機能災害の回復を待つ前に、まず「平常通り」の花見を演じること。都市の基盤整備よりも先に、都市の表面的な見せかけを実現すること。そこに東京の秩序の核心があった。なにがあろうと東京は〈ゆるぎない現在〉を護持しなくてはならない。東京電力の強行した「計画停電」は、足立区と葛飾区を除く都心の21区では実施されなかった。その選別は産業的な理由からではなく、東京という街の綱領(ルビ・イデオロギー)に関わるものだ。東京はなにがあっても輝きを失わず、〈ゆるぎない現在〉を表現しなくてはならない。


 (つづく)


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次回予告

 自己啓発セミナーに軟禁されたとき、または、カルト教団に入ってしまったとき、人は単独で脱出(脱会)しなくてはならない。みんなで話し合ってどうしましょうという話ではない。トイレの窓から裸足で抜け出す力が必要だ。それがプロレタリアートに運命づけられた暴力の時間であり、牧神パーンが発動する瞬間、という話。

2014年5月15日木曜日

2016年問題に備えよ



 ウクライナの歴史を参照するならば、放射能汚染による病者・死者は事故から5年後に爆発的に増大する。日本では2016年に病者・死者が爆発的に増大するということになる。現在でもすでに感染症の増加がみられるが、2016年以降はパンデミックが発生する。関東・東北では充分な医療措置が受けられなくなると覚悟したほうがいいだろう。
 不吉なことを言うやつだといやがられるかもしれないが、私は霊的な予言をしているのではなく、ウクライナの歴史を参照しているだけである。東電の撒き散らした放射性物質がソ連邦の放射性物質よりも弱いということはないし、モンゴロイドがコーカソイドより被曝に強いというわけでもない。日本でもウクライナと同様の事態になると予測するのが妥当だ。2016年に東京は壊滅的な打撃をうける。

 2016年の危機は、現在の支配関係を反転させる契機でもある。目指すべきは、支配階級が混乱をきわめ、われわれがまったく混乱していないという状態を実現することだ。敵が混乱の中で主導性を失い、われわれがどのような攻撃も自由に選ぶことができる状態にしなくてはならない。

 2016年まであと二年間ある。この二年間、ただ不安を抱えて腕をこまねいているのではいけない。そんな態度は左翼とは言えない。2016年以降の反転攻勢を準備するために、いちはやく東京を脱出し、体調を整え、頭脳を明晰にしておかなくてはならない。2016年の段階でまだ東京をウロウロしているような者は、残念だが、戦力外だ。これからはじまる歴史的な闘争に加わりたいなら、東京を出よ。

2014年4月23日水曜日

軍手について


 最近、ある職人と友達になって、手の使い方やハサミの話とかができて、楽しい。
ので、ちょっと職人っぽい話を書く。今回は自分の楽しみのために書く。



 昔から不思議に思っていることがあるのだが、軍手ってなんだろうか。あの、綿でできた手袋。日本では作業用手袋の代名詞といえるほどポピュラーで、作業用品店にいけば、ごそっと束で売っている。あれは、謎だ。
 誰でも一度は軍手を使ったことがあると思う。そこでちょっと思い出してほしいのだが、軍手って使いづらくないか? 私の経験で言うと、「軍手って便利だなあ」と感じたことがない。あんな手袋で作業をしても、つらいだけだ。実際に現場で仕事をしている職人なら知っていると思うが、あれって使わないよね。ちゃんと作業をするなら、ゴム手袋か、革手袋か、もしくは素手だよね。
 いったい誰があの綿の手袋を買っているんだろう。


 軍手の使えなさは、言い出すときりがない。あらゆる面で機能性が低い。低いというだけでなく、マイナス面が多い。
 まず、隙間だらけだから、手にトゲが刺さる。木のささくれ、鉄のバリ、土に埋まっている釘やガラス片、等々、尖ったものを全部スルーしてしまうから、手が痛い。
 隙間だらけだから、手が汚れる。農作業をしたら手が泥まみれ、コンクリを扱えば手がセメントまみれ、金属加工をしたら油まみれ、なんのために手袋をしているのかわからない。
 厚みもない。建築や土木の作業では、モノを殴って動かしたりする場面があるのだが、あんなペラペラの手袋では力いっぱい殴ることができない。モノを握って曲げたり砕いたりということもできない。
 摩擦係数が低い。スルスルすべってしまうから、モノをしっかりつかむことができない。ハンマーやバールやラチェットが手から逃げてしまう。あと、ちょっと重量のあるダンボール箱も持ち上げられない。金属加工の現場では、しっとりと油にぬれた鋼材を扱うわけだが、軍手なんかはいていたらスルスルと手から逃げて落としてしまう。
 かといって、手の上をすべらせたいときには、ちゃんとすべってくれない。長さのあるモノをすべらせて動かしたいのに、枝木のトゲや材木のちょっとしたささくれにひっかかったりして、どうにも面倒くさいことになる。
 防水性がない。濡れ放題である。夏ならまだいいが、冬に手が濡れると凍えてしまって感覚がなくなる。
 断熱性がない。切削したばかりの鋼材とか、夏の日差しでチンチンに熱くなった鉄パイプとか、熱いモノをつかむことができない。
 機械に引っかかる。回転しているドリルの刃先とか、回転する旋盤のチャック(材料をつかむ爪の部分)とか、ひっかかってはいけないところに、あの綿のほつれが引っかかって手を巻き込んでしまう。こんなばかげたことで、指を失うような労働災害をひきおこすのである。

 こうやって書き出してみると、本当に謎だ。あの軍手という手袋はなんのためにあるのだろうか。手を保護しない危険な手袋。実質を欠いた、みせかけだけの手袋。作業効率をあげるどころか足をひっぱっているだけではないか。こんな不合理なものが作業用品の代表のようにみなされていることは、日本の産業文化の汚点だと思う。



 軍手をはいていたのでは、ちゃんとした作業はできない。知っている人間は知っていることだ。
 しかし、それでも軍手は大量に生産され、束で売られている。現在でも軍手は作業用手袋の代名詞である。だから学校は生徒たちに軍手を配るのだ。本当はちがうのに。

2014年4月10日木曜日

福島のトリアージ



福島赤十字病院・泌尿器科の常勤医不在、週1回診療

 福島赤十字病院(福島市)で今月から、泌尿器科の常勤医が不在となっていることが8日、同病院への取材で分かった。現在は週1回、非常勤の医師が診療している。 同病院によると、同科の常勤医は昨年12月に1人退職し、3月末でもう1人退職したことに伴い1人もいなくなった。現時点で新たな医師確保の見通しは立っていないという。週1回の限られた診療になったため、患者に市内の他の病院を紹介するなどの対応を取っている。昨年12月に退職した医師は県外に移ったという。 医師不足をめぐっては、本県はもともと全国平均と比べ顕著だったが、震災、原発事故が拍車を掛けていると指摘されている。医療機関や市町村は連携してさまざまな医師確保策を講じている。(2014年4月9日 福島民友ニュース)

 泌尿器科は、腎臓から膀胱の疾患を診る部門である。退職した二人の医師は、なんらかの異変を目の当たりにしたのだろう。福島医大官僚が「被曝による影響なし」を連呼している陰で、事態は着実に進行していると思われる。社会的分業がほころびを見せ、どこでも誰でも医療サービスを受けられるという状態は失われていく。まったく不思議ではない。福島第一原発はいまも毎時1000万ベクレルの放射性物質を放出しているのだから。
 


 今後、放射線防護活動が大規模になるにつれて、医療サービスをめぐる社会的合意もほころびをみせることになるだろう。
 今回の大規模被曝事件は、原爆による被曝とは少し違っている。放射能汚染はゆるやかに時間をかけて進行していくために、自力救済によって防護する余地がある。原爆のように誰もが等しく被曝するわけではない。防護した者と防護しなかった者がうまれる。そしてそのことが疾患の有無に重ねられることになるだろう。
 実際には、防護措置の有無と疾患の有無はイコールではない。ひとくくりに被曝者と言っても、それぞれの年齢、性別、職種、体質など、条件の違いが大きいからだ。疾患と防護とは切り離して考えるべきである。

 しかし、こんご医療費の負担が増大して、トリアージ(患者選別)の議論がでてきたとき、疾患と防護は結び付けられることになるだろう。それも正面から結びつけるのではなく、なんとなく遠まわしに、いいかげんな印象操作によって、防護の有無がトリアージの正当化に利用される。
 私にしても、気分としては、こういう議論を支持したい気持ちでいっぱいだ。
 これから、「復興」政策に翼賛して「食べて応援」した馬鹿どもが、医療保険制度を圧迫していくのだ。防護活動に協力しない者や、敵対した者、防護活動を馬鹿にした者たちが、病床の一画を占領していく。その負担はわれわれ防護派にもかかってくるのである。そんなとき、「医療資源には限りがあるので、児童と若年女性を優先し、老年科医療は抑制します」という主張が出てきたら、私もそれに乗ってしまうかもしれない。
 疾患に苦しむ被曝者にたいして、「自業自得」とか「自己責任」とかいう言葉は言わない。言わないが、心の奥底では、軽蔑している。直接対面したときにはまず、彼がきちんと防護したのかしなかったのか、不可抗力の部分とそうでない部分を、問いただすだろう。誰もが医療サービスを受ける権利がある、と、口では言う。しかし本心からそう思っているわけではない。放射線防護に取り組んだ人々は、その程度がどうであれ、社会の一員だと信じる。しかし放射線防護活動に敵対した者は、お荷物である。そんなやつらは医療保険制度から除外してよいのではないか。そんな気分だ。


 ここではあえてわかりやすく書いたが、現実の福島は、もっと隠微なやり方で、なしくずしにトリアージを進行させていく。

 福島赤十字病院の泌尿器科が週に一度しか診察できなかったとしても、誰も気に留めることもしなくなる。福島は汚染地域なのだから、医者がいないのは当然でしょ、と。そうして汚染地域の医療機関は徐々に機能をとめ、被曝者の被害の実態が書類の表面から消されていく。人々の暗黙の支持を得ながら。