2016年9月27日火曜日

「母性主義」という言葉の誤用について



 放射線防護に取り組む主婦に対して、また、子供を連れて退避している自主避難者を指して、「母性主義」という誤った指摘をする者がいるようなので、ひとつ文章を書いておく。

 まず、母性主義とは何か。正確に言おう。母性主義とは、家父長的支配関係のなかで、家事や育児など再生産に関わるさまざまな労働を女性に押し付ける際に、その労働の押し付けを正当化するための道徳・イデオロギー、である。
 母性主義は、母親である者たちが信じているイデオロギーではない。母性主義とは、母親ではない者たちが母親である者にさまざまな難渋な仕事を押し付ける際に、その押し付けを正当化するイデオロギーである。
 たとえば児童の放射線防護について、母親たちは市民測定や行政交渉などに懸命に取り組んできた。これは母性主義ではない。ここで母性主義とは、児童の放射線防護対策を、もっぱら母親たちに任せっきりにしている人々のイデオロギーである。児童の放射線防護は母親たちだけがやればよい、母親がやるのが当然である(自分にその責務はない)という考え方である。
「子供は社会全体で育てるもの」という綺麗な理念はある。しかしその理念を文字どおりに信じて実践した者は、残念ながら少なかった。多くの人びとは、「自分には子供がないから」とか「自分はもう子育てを終えた老人だから」とかいう理由で、児童の放射線防護対策を担うことがなかった。もっとも重大な被害が想定される児童について、対策を放棄した。多くの人びとがこの問題への取り組みを放棄してしまったために、母親たちの闘いは社会的に孤立した状態におかれてしまった。このように母親たちを孤立させて、その状態を自明視させているのが、母性主義イデオロギーである。
 児童の放射線防護対策は、部分的なものにとどまっている。なにより地震の被災地では、初期被曝を避けることができなかった。だから、これから多くの子供たちが被曝の被害に苦しむことになる。自分の子が被曝症状に悩まされたとき、母親は「自分がしっかりしなかったからだ」と自責の念を抱く。これは母性主義ではない。人間が一般的にもつ責任意識である。このとき、児童の放射線防護のために何も働かなかった者たちが、「母親がしっかりしなかったからだ」と責任を押し付けてくる。子供本人にたいして「自己責任だ」と言うわけにはいかないので、「母親の責任だ」ということにしてしまう。これが母性主義イデオロギーである。
 実際に放射線防護に取り組む人びとは、そうした展開を予測したうえで動いている。子供の健康状態になにか異変があったとき、他人は助けてくれない。子供を病院に連れていったり、医療情報を調べたり、金策をしたりという作業を担ってくれる人はいない。舅や姑は「気にしすぎだ」と言うが、そういう人間は実際に健康被害があった時に「自分の判断が間違っていた」と反省して子供の看護を積極的に担うということはない。まずい状態になったときには、彼らはしらばっくれるだろう。そして面倒なことはすべて母親に押し付けることになる。そうした展開になることを予見した母親は、放射線被曝をぜったいに予防しようと決めるのである。彼女は、この社会の母性主義イデオロギーが自分にどれほど困難な作業を押し付けてくるかを予期したうえで、それを予防するために、子供の防護対策をとっているのである。これは母性主義ではない。反母性主義である。
 子供の放射線防護のために果敢に闘っている母親の姿を見たとき、いったい彼女を突き動かしている衝動は何かということを、考えるべきである。そのありようを「母性主義」と呼ぶのは、間違いである。それは、たんに学術的に間違いであるというだけでなく、女を動物のようにみなす差別的な意識・習慣によって生じた間違いである。

 あるいは、穿った見方をすれば、こういうことかもしれない。
大学人から見て、家庭にある主婦というものは、もっぱら家父長的支配を受忍する存在、蒙昧な意識、自立していない女、と見えているのかもしれない。もしもそうだとしたら、それは間違った先入観である。
 もっと謙虚になってこう考えてみるべきだ。
 家庭にある主婦が家父長的支配関係におかれているのと同じ程度に、大学人もまた家父長的支配関係におかれ、不自由さと蒙昧さを生きているのではないか、と。
自分自身がおかれている条件・環境を精査してみるべきだ。自分が主婦とどれほど違うのか、違わないのか、みておくべきだ。






2016年9月9日金曜日

被曝者が書くということ


 いま少しだけ編集者のような作業をしている。
雑誌に特集の企画をもちこんで、何人かの執筆者に原稿を依頼した。もうほとんどの原稿が集まったのだが、まだ入稿していない執筆者に催促をしている段階である。これから原稿を並べて、目次を作らなくてはいけない。
 今回は自分の原稿を書くだけでなく、他人の原稿にも口を出して、書き直しや推敲を求めた。
 特に山の手緑の原稿については、内容に踏み込んで議論をした。この二ヶ月間、顔を合わせるたびに原稿の話をした。もともと作文が得意でないうえに10年近く執筆作業から退いていた人間に、いま決定的な内容を書けと要求するのだから、これはかなり大変な作業だった。むかし共同執筆をしていた20代の頃とは違う。二人とも体力が落ちていて、ちょっと考えるとすぐに息切れしてしまう。若い頃のように知恵熱を出すことはなくなったが、徹夜ができなくなったし、老眼と腰痛がひどい。すぐにくたびれてしまう。それでもなんとかがんばって、内容のある文章ができたと思う。



 40代も半ばになると、老いを意識する。自分はあと何年やれるだろうかと考える。生きている限り、書くことはできるだろうとは思う。だが、内容のあるアクチュアルな議論を展開することができるのは、あと何年だろうか。
 老いに加えて、私は被曝者である。山の手緑もそうだ。このことは西日本の人々はあまり意識していないようだからあえて書くが、我々は東京で被曝した人間である。初期被曝を被った人間は、心臓や脳に爆弾を抱えている。いつ絶命するかはわからない。人間はいつ絶命するかわからないという一般論として言うのではなくて、それ以上に、残り時間のわからない人間である。
 私は自分の残り時間を考えるように、他人の残り時間も想像している。今回原稿を依頼した執筆者のなかには、初期被曝者もいれば、そうでない者もいる。放射線防護の取り組み方もそれぞれに違う。たとえば今回、東京の園良太くんに原稿を依頼したが、彼の文章を読むのはこれが最後になるかもしれない。そういう覚悟をしなくてはならない。1年後も2年後もずっと議論ができるだろうというのんびりした構え方はできない。提起された議論に応答しようとしたら、相手が死んでしまったということが、ありうるのだ。

 被曝者はあてにならない、と言いたいのではない。たしかにそういう一面はある。仮に私が会社の人事部であったなら、被曝者を雇ったり重職につけることは避けるだろう。いつ死んでしまうかわからない人間なのだから。しかし私が言いたいのはそこではない。
 私が言いたいのは、明日の朝自分が絶命しても、あるいは相手が絶命しても、それで終わりになってしまわないような水準で文章を書かなくてはならない、ということだ。死んでしまったらはいおしまいというような議論なら、最初からやらなくていいじゃないか、ということだ。
 逆にこう言ったほうがわかりやすいかもしれない。大量の被曝者を抱えた社会というのは、言い換えれば、生者と死者との輪郭が不明瞭になった社会ということだ。そこで文章の価値というものを決めるのは、生者だけではなく、生者と死者を貫通する意識である。生者だけで講評をやって、意味があるねえとか意味がないねえとか言うことは、できなくなる。そんなやり方では価値がいっこうに定まらない。ある文章の価値、「社会的意義」は、生きている者だけでなく、生きられなかった者も含めて、論争されなければならない。そういう社会になるのだ。