関東・東北の汚染地域から移住する動きがすすんでいる。
あたらしい移住先を決めてから、その土地では歓迎されたり歓迎されなかったりするだろう。多くの日本人は放射能汚染というものを理解していないし、移住者のおかれた境遇や困難を想像してくれたりはしない。甘い期待は禁物だ。
ちょっと乱暴な比喩だが、私たちのような公害被害者のおかれた境遇は、いわゆる「殴られ妻(バタードウーマン)」のおかれた境遇に似ている。まわりの人々はまず、問題を否認する。見て見ぬふりをする。つぎに、問題が否定できないほど明白になったとき、自分が関わりをもつことを避ける。どちらの側にもつきたくないという心理が働き、被害者を孤立させることで、結果的に加害者に加担してしまう。人々は、被害者が他人に頼ることなく自力で問題を解決してくれることを願う。あるいは、問題を言いたてるのではなく沈黙することを望む。「二人で話し合ってなんとかできないのか」と。そうして問題が「二人の話し合い」では解決しそうにないことを知ったとき、最終的に、「彼女自身にも問題がある」という結論にいたるのである。
「殴られ妻」が経験するだろう孤立を、われわれ移住者も経験する。地方都市には、論理的思考のできない人間や、おどろくほどデリカシーのない人間がいたりする。移住者の闘いを理解するものはほとんどいないと考えてよい。彼らは主観的には被害者に共感しているつもりで、結果的に加害者の側に加担するということがある。しかし、そういうがっかりする場面にあたったからといって、いちいち落胆することはない。
無理解や排除はよくあることだ。
日本社会なんてその程度のものなのだから、遠慮なくずかずかと踏み込んで、われわれのやり方で書き換えてしまえばよい。