2012年9月17日月曜日

復興か米騒動か


 大阪天王寺にある大学受験予備校『河合塾』に呼ばれたので、講演をしてきた。
名古屋から近鉄特急に乗って鶴橋へ、そこから環状線に乗り換えて、天王寺へ。
近鉄特急は風景の変化に乏しく、ものを考えるにはちょうど良い電車だ。呼んでくれた河合塾講師に感謝だ。
 学生たちに向けた講義はいいかんじでドライブがかかったので、覚書としてのこしておく。



東日本大震災は、二つの事態が複合している。3・11の震災・津波と、3・12の放射能拡散事件である。3・11は「復興」を要請し、3・12は大規模な放射線防護活動を要請する。
3・11は、2万人の死者を出した巨大自然災害であり、これによって日本社会は愛国的気分に支配されることになった。官民あげての愛国的風潮のなかで、政府は放射線防護をネグレクトしている。市民による放射線防護の取り組みは、「復興」を妨げるものとして退けられる。
食品の流通やガレキ拡散に際して採用されているクリアランス制度は、放射線影響研究所などが主張する「閾値」仮説に基づいている。この仮説が根拠にしている「データ」は、広島・長崎での被爆者の調査に基づいている。
放射線影響研究所の前身である原爆傷害調査委員会(ABCC)は、原爆被爆者の調査をおこなったが、この調査は内部被曝を考慮しないものだった。広島の人々は原爆投下直後から「ピカの毒」を怖れ、放射性物質の存在を認識していた。しかしABCCは一貫して「残留放射線は存在しない」という見解をとり、放射性物質による内部被曝を否認しつづけた。日本政府が低線量被曝に閾値を設定するのは、このときの否認を継承しているからである。
広島では公式には「ピカの毒」が否定された。また、「ピカの毒」を認める人々も、9月の枕崎台風によって「ピカの毒は洗い流された」という説を信じるようになった。なぜなら「ピカの毒」が残留しつづけているということになれば、広島の復興はできないからである。広島の復興のために、残留放射能はないことにされたのである。「復興」政策は「放射能安全神話」を要請するのである。

「復興」という政策が日本史に登場するのは、1923年の関東大震災である。関東大震災で世界の注目を集めたのは、大規模な虐殺事件である。軍と警察、そして警察に教唆された民間自警団によって、朝鮮人と社会主義者が捉えられ、殺された。東京の復興政策はまず官民協力した虐殺から始まったのである。
この事件がどのような歴史的文脈にあるかを見るためには、少しだけ時間を遡ればよい。震災の5年前、1918年夏に、日本全国で大規模な都市暴動が多発している。「米騒動」である。その翌年、19193月には、当時日本の植民地であった朝鮮半島で、朝鮮人の民族自決権を求める「3・1運動」が起きている。これに続いて中国では「5・4運動」が始まる。中国の学生と知識人が開始した「5・4運動」は、たんなる民族運動ではない。これは日本の政策が帝国主義政策であることを訴え、「日本帝国主義」という概念をアジア民衆に広めた運動である。「米騒動」「3・1運動」「5・4運動」は、日本・朝鮮・中国の民衆が、同時に日本政府の政策に異議を唱える事態だった。そして日本社会はここから大きな民主化運動へ、「大正デモクラシー」の最高潮期をむかえるのである。
1923年、東京の「復興」開始時に、朝鮮人と社会主義者の虐殺が行われる。そして1925年「治安維持法」が制定され、ここから日本は強権的な軍事政権と15年戦争に突入していく。「復興」政策は、人権や民主主義を退ける強権的性格をもつ。この直前まで高揚していた日本民主化運動は、「復興」政策によって阻止され、軍事独裁・戦争翼賛体制へと転換していくのである。
こうした歴史を参照するならば、現在起きている愛国的気分と「復興」政策がいかに危険なものかがわかる。とくに若い学生は、政策に動員されやすい位置にいるのだから、「復興」という言葉には充分に警戒しなくてはならない。福島の「復興」のために現地に派遣され重度の被曝をしても、日本政府は内部被曝を認めていないのだから、被害が認められることはない。使い捨てにされるだけだ。
希望は「復興」政策ではなく、「米騒動」にある。2011年秋、全国の主婦が汚染されていない米を買い求めて、新聞はこれを「平成の米騒動」と呼んだ。これは日本民主化運動がふたたび開始される兆候である。放射線防護活動は、日本民衆が政府に異議を唱え、人権と民主主義を要求するおおきな運動をうみだす契機なのである。



補足

 愛国的気分について補足。
 問題は政治的左右の問題ではない。むしろ政治的には「左派」とみなされる人々こそ、今回の愛国的気分に支配されているように思われる。私はこの一年半のあいだ、汚染地帯からの退避を呼びかけてきたが、そうした判断を鈍らせるイデオロギー的な問題として、愛国的気分の蔓延というのがある。
たとえば、「東北・関東のすべての住民が退避することはできない」という反論がなされることがある。こういうことを言う人が本心からそう考えているのかどうかはともかく、「言い分」としてしばしば登場する。
そもそも問題設定が間違いである。結論を言えば、汚染地帯から全員は退避できないし、全員が生きることはできないのだ。チェルノブイリ事件をみれば明白なように、これから大量の死者が出る。罪のない人間がたくさん死ぬだろう。それが「レベル7」ということだ。今回の被災で全員が助かることなど現実にはありえない。助かるものしか助からない。だからこそ退避を要請しているのだが、こういう肝心なときに、みんなで生きたいとかみんなで死にたいとかいう愛国的雑念に支配されるということがあるわけだ。
気持ちは分かる。
しかし現実は、そんな観念的で想像的な作業でどうにかなるものではない。
全員が助かるような方策はないし、私はそんなおおきな課題を請け負う義理はない。
自分の知る友人が、日本社会のことなど忘れて、生きながらえること。それだけで充分だ。



おまけ