2013年2月16日土曜日

補足・防護活動の階級意識について

 前回の文章で、「放射線防護活動が共有する科学主義、人権意識、階級意識」というふうに書いたのだが、ここで「階級意識」と書いたことの補足をする。

 今回の公害事件やそれに先立つ原子力政策にたいして、錯乱した国民意識というのは、「私たちにも少しの責任がある」と言う。あるいは言わなくても頭の片隅でそういう内省に囚われている。とくに中途半端な新左翼は、こういう趣旨のことを言いたがる。

 多くの民衆・大衆について言うと、そうした考えはまったくの的はずれである。それは自意識過剰というものだ。おまえみたいな庶民に原子力政策の責任などあるものか、と言いたい。まず自分自身が徹底して被支配階級であることを思い出せ。次に、原子力政策というものが民主的な手続きなどお構いなしに金と暴力で強行されてきたことを知れ。
 いま国民的感情が亢進するなかでこそ、階級意識を呼びさまさなくてはならない。我々は重大な決定から排除されたアウトサイダーであり、我々が生きようが死のうが国家は一顧だにしない。それが被支配階級ということである。
 この原則的認識をいまゆるぎなく保持しているのは、左翼でも左翼政党でもなく、放射線防護活動にとりくむ人々なのである。