今週末、私は田舎の法事にいくため、残念ながら次回の海賊研は欠席します。
廣飯くん、菰田くん、よろしくお願いします。
田舎の法事といっても、大叔母か大叔父かのもので、私にとってはほとんど面識のない方の法事である。が、愛知に住む母が新潟まで一人で遠出するのは不安だというので、私が付き添うことになったのだ。新潟の田舎には、子供の頃に一度か二度、行ったことがある。村中のほとんどの家が「渡辺さん」だったので、驚いた記憶がある。人の出入りの少ない場所だから、おそらく現在もそうだろう。この渡辺の集落に曾祖父が遺した小さな家がある。この家もいつかは私が相続することになるだろうから、法事のついでに掃除をしに行くというわけだ。
渡辺さん
「渡辺」という姓は、全国でも五本の指に入るほど多いポピュラーな姓である。あまり目立たないが、クラスに一人や二人は必ず渡辺がいる。大きな職場なら必ず一人渡辺さんがいて、中高年は親しみをもって「ナベさん」と呼ぶ。とてもありふれた名前だ。
おそらく明治のはじめ、「百姓もみな姓をつけて戸籍係に登録せよ」と言われたとき、百姓たちは考えたのである。「どうすんべなあ、なんか格好のつく名字はねえかな」「おら忙しくて考えてる暇ねえからよ、適当に頼むわ」「じゃ、おまえは、サカナ」「サカナって、それはなし」「じゃ、トアミ」「それもなしだろ」「うーん、フネ!」「違うだろ、もっと家らしい漢字っぽい名前にしろよ」「なんなんだよ自分で考えろよ」とかなんとかひとしきりやって最終的に、「じゃ、みんなワタナベってことでいいんじゃね」となったのが、現代の渡辺さんたちである(想像)。
ワタナベさんは人口が多いだけでなく、漢字表記のバリエーションも多く複雑だ。
渡辺、渡部、渡邊、渡邉、というあたりが標準的なものだが、実際に姓に使われている「べ」の漢字はもっと種類が多い。私の場合、10年前に戸籍を転籍するときに「邉」という標準的な表記に変更したのだが、もともとはちょっと違った。もともとは、「自」とその下の「ワ」を連結して書くタイプの「邉」であった。「邉」を確定するにあたって、戸籍係の窓口で見せられた「べ」の一覧表は、こういうちょっとだけ違う「邉」や「邊」が並んでいた。一画だけ欠けているもの、一画多いもの、「自」が「白」「目」「臼」になっているものなどが、とりとめなくえんえんと並ぶ。なんでこんなに多いのか、と。おそらく明治の戸籍登録の際に書記が書き間違えたか、あるいは、当該ワタナベさんが意図的に少しだけ字を変えて登録したのだろう。役所としては、できれば標準的な「辺」か「邉」に変更してほしいということだったので、私はもとの形に近い「邉」にしたのだった。
「渡辺党」伝説
「べ」のバリエーションが多い理由として考えられるのは、ワタナベさんが全国に分布しているということがある。瀬戸内から北陸、関東、東北まで、さまざまな地域でワタナベを名乗った人々がいる。
渡辺という姓でもっとも有名な武士は、源頼光の配下で四天王の一人に数えられる「渡辺綱」である。歴史に登場する有名な渡辺は、唯一この人だけだと言っていい。渡辺という姓はたしかに由緒ある武家の姓なのだが、室町や戦国期に渡辺某という武将がいたという話はほとんど聞かない。「渡辺綱」以降、渡辺姓の有名人はおらず、綱の次に有名なのは現代の渡辺恒雄(ナベツネ)という状態だ。
さて源氏の武将である渡辺綱は、のちに「渡辺党」と呼ばれる軍団を率いていた。「渡辺党」は、平氏掃討後の瀬戸内海の水運を支配する。中世のころ、渡辺さんは水軍だったのである。その後の水軍の多くが「渡辺党」を源流にしていると言われ、九州の水軍「松浦党」も「渡辺党」の流れを汲むらしい。瀬戸内海の水運を牛耳った「渡辺党」は、日本海・太平洋にも水軍を派遣し、あるいは海賊となり、列島各地に拡散していったのだという。
日本列島の沿岸に暮らす漁民や川筋に暮らす水運業者たちにとって、「ワタナベ」は特別な意味を持つ姓だったかもしれない。現代の我々が「山口組」というときのような意味を、「ワタナベ」は持ったのかもしれない。であるとすれば、おそらく多くの海賊・悪党が「ワタナベ」を騙っただろう。「俺は、古くは嵯峨源氏の流れを汲む渡辺綱の配下、渡辺党の流れを汲む○○党の、なかでも七人衆と恐れられた○○権兵衛の、手下○○じゃ」という男が東北の寒村にあらわれて、漁師を脅して屈服させたり、逆に袋だたきにあって殺されたりしただろう(想像)。
「ワタナベ党」宣言
ともあれ、水軍・海賊の権勢が、嘘と本当の混じり合う伝説を伴って伝播していったことは想像できる。陸地で闘われる明示的な権力闘争とは別に、海辺・水辺の権力闘争があって、そこは虚実の定まらない多分に暗示的な力の抗争の場であったはずだ。渡辺綱の武勇伝に羅生門の鬼を斬るという話があるが、こうした禍々しい妖気に満ちた武は、海賊の頭領に相応しいものだ。神秘的、というとちょっと語弊があるが、なにか常識の枠には収まりきらないけたはずれの力が想像されていて、このワタナベの妖気は、陸地の条理空間を牛耳る権力とは別の、無縁の、離心的なベクトルをもった暴力を育むための想像的な媒体、民衆・悪党のある種の「神話政治」を支えるための容器になっただろう。って自分でもなにを書いてるのかわからなくなってきたのだが、なんだっけ。そう、ワタナベはなんか怪しい。ワタナベは由緒ある武家の名であるというよりも、もっとずっと怪しい伝説じみたものとしてあったのだと思うのだ。
以上は私の勝手な妄想だが、妄想ついでに最後まで書いてしまおう。
そして明治のはじめ、ワタナベは復活する。国家の戸籍制度に組み込まれようとするときに、ある百姓は言葉にできない恐れと怒りを抱いたかもしれない。海辺・水辺に暮らす素性の怪しい流民百姓たちが、姓を名乗り登録することにまったく抵抗がなかったとは考えられない。なにが気に食わないって、はっきり言葉にすることはできないのだが、高度に抽象的な、あるいは象徴の次元で、納得できないことがある。そのときに、流民百姓たちの古い記憶のなかから「ワタナベ」という海賊の名が想い起こされたことは、ある必然性を含んでいるのかもしれない。それは「ワタナベ」と口にしたときの反語的な響き、なんとなくニヤッとしてしまう悪意や批評性も含めて、そうなのだ。
日本列島の各地で、膨大な数の百姓たちが、海賊「渡辺党」を想起しその名を騙った。ちょっとわくわくする話だ。