2010年11月9日火曜日

11/6海賊研報告「福建の黒社会」

前回の海賊研は、ノンフィクションライターの小野登志郎氏を招いて、福建省の「黒社会」についてお話を聴いた。質疑やディスカッションも活発に行われ、たいへん盛り上がった。
私が印象的だったのは、いわゆる「中国マフィア」と「日本の暴力団」の質的な違いについてであった。小野氏の分析(あるいはこの業界では常識なのかもしれないが)によると、日本の暴力団は、「カタギ」と「ヤクザ」の境界が強く、世界でも例がないほど強固に組織化されている、という特徴があるのだそうだ。アメリカや中国など海外の「マフィア」は、「カタギ」との境界がもっと曖昧で、「犯罪」と「ビジネス」の境界も小さい。だから、日本のように疑似身分的集団が巨大なピラミッド組織を形成することは、海外ではありえないというのだ。「山賊か海賊か」という比喩で言えば、世界の標準は「海賊的」で、日本の暴力団は突出して「山賊的」ということになる。
では、なぜ日本の暴力団は、「海賊的」でなく「山賊的」な組織構成をとってきたのだろうか。これは本題からずれるのであまり深く議論できなかったが、小野氏は一言「国家権力の構成の問題だろう」とだけ指摘した。国家による暴力の独占の様態が、「アンダーグラウンドの暴力を規定する」(小野)。日本の国家が、暴力団組織を補助的な権力装置として利用してきたことが、「世界でも稀な近代的組織」(小野)を実現したということだろうか。とすれば、豊臣政権が行った「海賊禁止令」「刀狩令」のインパクトは、予想以上に大きな影響を及ぼしているということになる。
ここで私が含意させたいと思っているのは、日本の組織暴力一般の問題であって、我々に密接なところで言えば、労働運動の組織化の問題である。世界でも稀な高い組織率を実現した日本の本工労働組合は、労働運動の「山賊的」解釈を背景にしているだろうこと、それは暴力団組織がもつ「ナワバリ」「シマ」的想像力に近しいものであろうということだ。しかし、外国人・女性・若年労働者の労働運動は、本工主義と根本的に断絶した地平で、労働法を(正しく)再解釈し、「海賊的」な地域ユニオンを展開している。こうした海賊的な実践に見合うだけの理論的想像力・文学的想像力を、日本の左翼はどれだけ用意できているだろうか。私が「海賊共産主義へ」というのは、本当はすごくベタな暴力(=想像力)の話をしたいのだ。

ともあれ、二次会の飲みも含めて楽しい一日だった。この日はPAFF(フリーター全般労働組合)の山の手緑さんが、「みんなで飲んでくれ」と一万円も置いていってくれたのだが、すっかり飲みきりました。ごちそうさまでした。

次回の海賊研は、11月13日15時から。
P・L・ウィルソン『Pirate Utopias』の翻訳つきあわせです。

次々回はちょっと間隔が空いて、12月4日15時から。
クリストファー・ヒル『17世紀イギリスの民衆と思想』をやります。クリストファー・ヒルは、大きい図書館に行けば必ずあると思うので、「第8章 急進的な海賊?」の部分だけでも読んでおいてください。

場所はいつもどおり、新宿のカフェ・ラバンデリアに集合。