2010年11月12日金曜日

「渡辺党」伝説

今週末、私は田舎の法事にいくため、残念ながら次回の海賊研は欠席します。
廣飯くん、菰田くん、よろしくお願いします。
田舎の法事といっても、大叔母か大叔父かのもので、私にとってはほとんど面識のない方の法事である。が、愛知に住む母が新潟まで一人で遠出するのは不安だというので、私が付き添うことになったのだ。新潟の田舎には、子供の頃に一度か二度、行ったことがある。村中のほとんどの家が「渡辺さん」だったので、驚いた記憶がある。人の出入りの少ない場所だから、おそらく現在もそうだろう。この渡辺の集落に曾祖父が遺した小さな家がある。この家もいつかは私が相続することになるだろうから、法事のついでに掃除をしに行くというわけだ。

渡辺さん
「渡辺」という姓は、全国でも五本の指に入るほど多いポピュラーな姓である。あまり目立たないが、クラスに一人や二人は必ず渡辺がいる。大きな職場なら必ず一人渡辺さんがいて、中高年は親しみをもって「ナベさん」と呼ぶ。とてもありふれた名前だ。
おそらく明治のはじめ、「百姓もみな姓をつけて戸籍係に登録せよ」と言われたとき、百姓たちは考えたのである。「どうすんべなあ、なんか格好のつく名字はねえかな」「おら忙しくて考えてる暇ねえからよ、適当に頼むわ」「じゃ、おまえは、サカナ」「サカナって、それはなし」「じゃ、トアミ」「それもなしだろ」「うーん、フネ!」「違うだろ、もっと家らしい漢字っぽい名前にしろよ」「なんなんだよ自分で考えろよ」とかなんとかひとしきりやって最終的に、「じゃ、みんなワタナベってことでいいんじゃね」となったのが、現代の渡辺さんたちである(想像)。
ワタナベさんは人口が多いだけでなく、漢字表記のバリエーションも多く複雑だ。
渡辺、渡部、渡邊、渡邉、というあたりが標準的なものだが、実際に姓に使われている「べ」の漢字はもっと種類が多い。私の場合、10年前に戸籍を転籍するときに「邉」という標準的な表記に変更したのだが、もともとはちょっと違った。もともとは、「自」とその下の「ワ」を連結して書くタイプの「邉」であった。「邉」を確定するにあたって、戸籍係の窓口で見せられた「べ」の一覧表は、こういうちょっとだけ違う「邉」や「邊」が並んでいた。一画だけ欠けているもの、一画多いもの、「自」が「白」「目」「臼」になっているものなどが、とりとめなくえんえんと並ぶ。なんでこんなに多いのか、と。おそらく明治の戸籍登録の際に書記が書き間違えたか、あるいは、当該ワタナベさんが意図的に少しだけ字を変えて登録したのだろう。役所としては、できれば標準的な「辺」か「邉」に変更してほしいということだったので、私はもとの形に近い「邉」にしたのだった。

「渡辺党」伝説
「べ」のバリエーションが多い理由として考えられるのは、ワタナベさんが全国に分布しているということがある。瀬戸内から北陸、関東、東北まで、さまざまな地域でワタナベを名乗った人々がいる。
渡辺という姓でもっとも有名な武士は、源頼光の配下で四天王の一人に数えられる「渡辺綱」である。歴史に登場する有名な渡辺は、唯一この人だけだと言っていい。渡辺という姓はたしかに由緒ある武家の姓なのだが、室町や戦国期に渡辺某という武将がいたという話はほとんど聞かない。「渡辺綱」以降、渡辺姓の有名人はおらず、綱の次に有名なのは現代の渡辺恒雄(ナベツネ)という状態だ。
さて源氏の武将である渡辺綱は、のちに「渡辺党」と呼ばれる軍団を率いていた。「渡辺党」は、平氏掃討後の瀬戸内海の水運を支配する。中世のころ、渡辺さんは水軍だったのである。その後の水軍の多くが「渡辺党」を源流にしていると言われ、九州の水軍「松浦党」も「渡辺党」の流れを汲むらしい。瀬戸内海の水運を牛耳った「渡辺党」は、日本海・太平洋にも水軍を派遣し、あるいは海賊となり、列島各地に拡散していったのだという。
日本列島の沿岸に暮らす漁民や川筋に暮らす水運業者たちにとって、「ワタナベ」は特別な意味を持つ姓だったかもしれない。現代の我々が「山口組」というときのような意味を、「ワタナベ」は持ったのかもしれない。であるとすれば、おそらく多くの海賊・悪党が「ワタナベ」を騙っただろう。「俺は、古くは嵯峨源氏の流れを汲む渡辺綱の配下、渡辺党の流れを汲む○○党の、なかでも七人衆と恐れられた○○権兵衛の、手下○○じゃ」という男が東北の寒村にあらわれて、漁師を脅して屈服させたり、逆に袋だたきにあって殺されたりしただろう(想像)。


「ワタナベ党」宣言
ともあれ、水軍・海賊の権勢が、嘘と本当の混じり合う伝説を伴って伝播していったことは想像できる。陸地で闘われる明示的な権力闘争とは別に、海辺・水辺の権力闘争があって、そこは虚実の定まらない多分に暗示的な力の抗争の場であったはずだ。渡辺綱の武勇伝に羅生門の鬼を斬るという話があるが、こうした禍々しい妖気に満ちた武は、海賊の頭領に相応しいものだ。神秘的、というとちょっと語弊があるが、なにか常識の枠には収まりきらないけたはずれの力が想像されていて、このワタナベの妖気は、陸地の条理空間を牛耳る権力とは別の、無縁の、離心的なベクトルをもった暴力を育むための想像的な媒体、民衆・悪党のある種の「神話政治」を支えるための容器になっただろう。って自分でもなにを書いてるのかわからなくなってきたのだが、なんだっけ。そう、ワタナベはなんか怪しい。ワタナベは由緒ある武家の名であるというよりも、もっとずっと怪しい伝説じみたものとしてあったのだと思うのだ。
以上は私の勝手な妄想だが、妄想ついでに最後まで書いてしまおう。
そして明治のはじめ、ワタナベは復活する。国家の戸籍制度に組み込まれようとするときに、ある百姓は言葉にできない恐れと怒りを抱いたかもしれない。海辺・水辺に暮らす素性の怪しい流民百姓たちが、姓を名乗り登録することにまったく抵抗がなかったとは考えられない。なにが気に食わないって、はっきり言葉にすることはできないのだが、高度に抽象的な、あるいは象徴の次元で、納得できないことがある。そのときに、流民百姓たちの古い記憶のなかから「ワタナベ」という海賊の名が想い起こされたことは、ある必然性を含んでいるのかもしれない。それは「ワタナベ」と口にしたときの反語的な響き、なんとなくニヤッとしてしまう悪意や批評性も含めて、そうなのだ。
日本列島の各地で、膨大な数の百姓たちが、海賊「渡辺党」を想起しその名を騙った。ちょっとわくわくする話だ。

2010年11月11日木曜日

「日本経済」とは誰の経済なのか

TPP協議の是非をめぐって、マスメディアの論調の大勢は、推進に傾いているようだ。他人の財布に平気で手を突っ込む泥棒エコノミストたちが、みんなで盗めば怖くない式の自由化推進論を展開している。不快だ。
これからここで検討したいと思うのは、ネオリベ(泥棒)がどのようにナショナリズムに依拠しているかという問題である。まず例文を読んでもらおう。11月8日付、「ロイターコラムニスト田巻一彦」という署名での記事だ。

TPP対応で菅首相の指導性に疑問符

ここから一部を抜粋しよう。

「政府は来年10月をメドに国内農業の保護や改革を目指した行動計画をまとめる方針だが、そこまでTPP参加の決断を先送りしては、TPP交渉に入れぬまま”置き去り”にされるリスクが高まる。そうなれば日本経済にとっては大打撃で「長期低落」から「没落」の危険に直面してしまう。菅首相はトップの責任で来年春までに参加の決断をするべきだ。」

さて、「置き去り」、「日本経済」、「大打撃」、「没落」という言葉が踊る。こうした見立てがまるで自明であるかのようにして危機アジりをしているわけだが、どれも根拠が薄弱で、主観の域を出ない。ほとんど「言ってるだけ」のスローガンじみた「分析」なのだが、なかでももっとも曖昧で判然としないのが、「日本経済」とは何かということである。
「日本経済」とは、何なのか。それは「日本人」が関わる経済なのか、それとも「日本企業」が関わる経済なのか、あるいは「日本市場を舞台にした経済」なのか。その「日本経済」に輪郭はあるのか、あるとしたらどこからどこまでが「日本経済」だと考えるのか。いま危機感をもって声をあげている農家と地方経済は、彼らの言う「日本経済」に入っているのか、いないのか。いったい「日本経済」とは誰の金の話なのか、まずはそこをはっきりさせないことには、議論にならないはずだ。現在の自由化推進論は、エコノミストがただ自分たちの利権のために「日本経済」を勝手に僭称していると言われてもしょうがない状態である。
「日本経済」という論法は、ありがちだがとても危険で有害な論法である。これはたとえば霊感商法が高額な墓石を売りつけるときに、家族の話を持ち出すようなものだ。「家族によくないことが起きるかもしれない」と、霊感商法は言うのだ。真面目な人間は、自分のことだけでなく、自分の家族が平穏無事であってほしいと願っている。当然だ。「家族なんかどうなったっていい」というヤクザ者は、そうそういない。だから、家族の話を持ち出してそれとなく脅されれば、異常に高額な墓石を買ってしまう人もいるわけだ。
「日本経済」という脅し文句は、真面目な人ほどよく効いてしまう。書いている本人が日本経済のことなど少しも考えていなかったとしても、だ。よく思い出してほしいのだが、自由化・規制緩和を推進したネオリベエコノミスト竹中平蔵は、アメリカに籍を置いて日本の所得税住民税をバックレていた人間である。この手の泥棒エコノミスト連中が、日本経済の将来を真面目に考えたり、少しでも責任を負おうとしているとは、とうていありえない話である。そして、日本の経済に責任を負おうという意識がないからこそ彼らは、威勢のよい危機アジりと「改革」スローガンを、慎重さのかけらもなく号令できるのである。
あるいはこれは欺瞞(他人だけでなく自分を含めて欺くこと)なのかもしれない。エコノミストは「日本経済」という空疎な言葉を信じていないというだけでなく、同時に、「日本経済」という切り出し方以外に言葉を持たず、それなしには経済を見据えることができないという、彼ら自身の認識の限界を示しているのかもしれない。だとすればそれは経済学の問題である以前に、世界認識の問題、ナショナリズムの問題であると言えるだろう。

はっきりさせておくが、「日本経済」などというものは存在しない。仮にあったとして、それは一つではない。奴らの言う「日本経済」と、我々が生きて意識している「日本経済」は、まったく別物である。
そもそも「日本経済」などといういい加減で不明確な言葉を使うから、事態が見えなくなってしまうのだ。これはまるで自民党残党の市民右翼たちが、「我々日本人が」と勝手に「日本人」を代表したあげく、その言葉の定義の不明確さによって自縄自縛に陥り、何一つ有効な議論を提起できないでいるような、あのヘタクソぶりを想起させるものだ。この市民右翼たちには、「日本人」などといういい加減な言葉を使うな、と言っておく。また同様に、泥棒エコノミストたちに対しては、「日本経済」なんていい加減な言葉を振り回して悦に入ってんじゃないぞ、と言っておこう。
「日本経済」「日本人」。はあ。こんな脅し文句にすぎない気分だけの言葉に、いつまでも取り合っているわけにはいかない。「ナショナリズムは意識を眠らせる」という教科書どおりの話、イロハのイだ。繰り返し言うが、奴らの言う「日本経済」と、我々が生きて意識している「日本経済」は、まったく別物である。銀行・財界の経済があり、我々の生活の経済があり、奴らに譲るものなどなにひとつない。それだけの話だ。 

2010年11月10日水曜日

地図の改造

世界地図を改造した。
A1サイズの世界地図を壁から取り外して、日付変更線の付近の経線に沿って縦に切り落とす。次に、アメリカ大陸の脇にある余白を切り落とし、ヨーロッパ側の余白には糊を塗る。アメリカ大陸をヨーロッパの西になるように配置して、グリーンランドがずれないように気をつけて貼る。
こうして分割されていた大西洋を一体にしてやると、カリブは「西インド諸島」になり、日本は「極東」になる。
すっきりした。
もっとはやくやればよかった。

2010年11月9日火曜日

11/6海賊研報告「福建の黒社会」

前回の海賊研は、ノンフィクションライターの小野登志郎氏を招いて、福建省の「黒社会」についてお話を聴いた。質疑やディスカッションも活発に行われ、たいへん盛り上がった。
私が印象的だったのは、いわゆる「中国マフィア」と「日本の暴力団」の質的な違いについてであった。小野氏の分析(あるいはこの業界では常識なのかもしれないが)によると、日本の暴力団は、「カタギ」と「ヤクザ」の境界が強く、世界でも例がないほど強固に組織化されている、という特徴があるのだそうだ。アメリカや中国など海外の「マフィア」は、「カタギ」との境界がもっと曖昧で、「犯罪」と「ビジネス」の境界も小さい。だから、日本のように疑似身分的集団が巨大なピラミッド組織を形成することは、海外ではありえないというのだ。「山賊か海賊か」という比喩で言えば、世界の標準は「海賊的」で、日本の暴力団は突出して「山賊的」ということになる。
では、なぜ日本の暴力団は、「海賊的」でなく「山賊的」な組織構成をとってきたのだろうか。これは本題からずれるのであまり深く議論できなかったが、小野氏は一言「国家権力の構成の問題だろう」とだけ指摘した。国家による暴力の独占の様態が、「アンダーグラウンドの暴力を規定する」(小野)。日本の国家が、暴力団組織を補助的な権力装置として利用してきたことが、「世界でも稀な近代的組織」(小野)を実現したということだろうか。とすれば、豊臣政権が行った「海賊禁止令」「刀狩令」のインパクトは、予想以上に大きな影響を及ぼしているということになる。
ここで私が含意させたいと思っているのは、日本の組織暴力一般の問題であって、我々に密接なところで言えば、労働運動の組織化の問題である。世界でも稀な高い組織率を実現した日本の本工労働組合は、労働運動の「山賊的」解釈を背景にしているだろうこと、それは暴力団組織がもつ「ナワバリ」「シマ」的想像力に近しいものであろうということだ。しかし、外国人・女性・若年労働者の労働運動は、本工主義と根本的に断絶した地平で、労働法を(正しく)再解釈し、「海賊的」な地域ユニオンを展開している。こうした海賊的な実践に見合うだけの理論的想像力・文学的想像力を、日本の左翼はどれだけ用意できているだろうか。私が「海賊共産主義へ」というのは、本当はすごくベタな暴力(=想像力)の話をしたいのだ。

ともあれ、二次会の飲みも含めて楽しい一日だった。この日はPAFF(フリーター全般労働組合)の山の手緑さんが、「みんなで飲んでくれ」と一万円も置いていってくれたのだが、すっかり飲みきりました。ごちそうさまでした。

次回の海賊研は、11月13日15時から。
P・L・ウィルソン『Pirate Utopias』の翻訳つきあわせです。

次々回はちょっと間隔が空いて、12月4日15時から。
クリストファー・ヒル『17世紀イギリスの民衆と思想』をやります。クリストファー・ヒルは、大きい図書館に行けば必ずあると思うので、「第8章 急進的な海賊?」の部分だけでも読んでおいてください。

場所はいつもどおり、新宿のカフェ・ラバンデリアに集合。

G20サミット

G20サミットが明日から開催されるが、韓国の人々の動きが伝えられてきた。
私は直接に面識はないが、韓国の若い研究集団「スユ+ノモ」は、こちらでも有名だ。
おそらく日本の活動家も彼らのもとに合流して、街頭にでているだろう。
転送・転載歓迎ということなので、転載する。

*****転送・転載歓迎*****

ご存知のように、来る11月11日、
韓国でG20サミットが開かれます。
韓国の「スユ+ノモR」(http://commune-r.net/xe/)で一緒に勉強したり活動したりしてきた友人が、G20への抗議行動としてG20サミットの宣伝ポスターに「ネズミ」を描き入れたことを理由に警察に連行されました。

問題の「落書き」画像はここをご覧ください。
http://www.kwnews.co.kr/view.asp?aid=210110300167&s=801

なぜネズミか? それは、G20のイニシャルGの韓国語読みは「ジィ」で「ネズミ」を意味するからです。

この落書きだけで警察は彼を連行し、拘束令状を発布しようとしました。
当初は軽犯罪程度で釈放されると思いましたが、48時間以上も拘置所に拘束されました。幸いにも裁判所から令状棄却の判決が出て、現在は釈放されていますが、その後も警察に呼び出され、行くたびに6時間以上の尋問を受けている状態です。また、起訴手続きが進められており、すぐにでも裁判が始まると思います。

この動きは、一個人に対する暴力ではなく、韓国の治安社会化を示しています。
G20サミットを理由にしての運動つぶしの意図があるのは明確です。

国際会議を名目に民衆の表現の自由、生活の場を狭め、落書きという軽犯罪にたいして過剰な対応をとるこの状況に対して抗議の世論を形成するために、連帯メッセージを募集します。

* 送付先:suyunomo@daum.net
* 集める期間:
1) 第一次集約 :11月10日(火)※サミット開催前に、いったん集約します。

2)第二次集約:期限未定
※裁判が長くなることが予想されるので、10日以後も引き続き集めたいと思います。

* メッセージ:短くても結構です。使用言語は日本語で構いません。
(その他、英語、韓国語でも大丈夫です)

* お名前は実名、匿名(ニックネーム)を問いません。また、差し支えなければ、地域、団体名など所属先もご記入ください。

寄せたいただいたメッセージは、今回の問題に抗議する世論を喚起するために使わせていただきます。とりあえずはウェブマガジンで紹介させていただく予定です。今後、具体的にどのように対応していくかは、状況を見ながら考えていきます。


_____メッセージフォーム______

メッセージ:
お名前:
(お名前の公表可否:可/否)
居住地域:
団体名・職業など:
連絡先メールアドレス:
____________________

2010年11月8日月曜日

TPP報道

いまテレビを見ていたら、TPP(環太平洋戦略的経済連携協定)に関連した報道が。オーストラリア産コシヒカリと日本産コシヒカリを主婦に食べ比べてもらう、という様子を流していた。日本産とオーストラリア産を食べ比べて、味の違いがわかったのは、8人中4人。半数は違いがわからなかった。TPPによって米の関税が撤廃されれば、大規模機械農業で生産されるオーストラリア産米が、価格の安さで市場を圧倒するだろう。日本の米農家は壊滅。新自由主義が大好きな「ショック療法」というやつだ。
TPPに関してこういう具体的な報道はもっとやってほしいところだが、注文をつけるとすれば、消費者の安全の問題も特集してほしい。かつて、工業用のクズ米が学校給食に供給されてしまった「偽装米」事件というのがあったが、この事件は国内の業者を捜査することで流通ルートが解明し、一応の決着がついた。しかし国境を越えたところでは、捜査がどこまでできるかはわからない。たとえば異常プリオン体を含む「BSE牛肉」が、産地であるアメリカのどこでどのように流通して日本にやってきたのか最終的には解明できなかったし、中国産の「毒入り餃子」は日中の捜査機関がすったもんだした記憶がある。TPP後にも当然あらわれるだろう食品偽装事件について、日本の国家権力はどこまで管理できる自信をもっているのか。それともある程度安い食品はしょうがないということで、野放しにしてしまうのか。食品偽装事件は、最悪の場合、子供が死ぬ。日本はそういう経験をしてこなかったわけではないし、現在も世界中にある。トヨタや日産が自動車を輸出するために、我々はそういう「ショック」を受け入れなければならないのか。TPPは絶対だめだ。

追記
誤解のないように書くが、ここで私が言いたいのは、「国産は安全で外国産は危険」ということではない。日本の食料自給率は低く、現在すでに多くの食品が外国産である。注意するべきは、食品の安全管理というものはごく特殊な環境でのみ管理できるものにすぎない、ということだ。TPPによる自由化=規制撤廃は、これまで一国内でようやく達成された安全基準をも、ぐずぐずに破壊してしまうだろう。飯が食えなくなってしまえば、日本の農民がどんな犯罪に手を染めるかは予測できない。TPP後は、国内国外を問わず海賊版偽装食品が生産され、安く流通することになるだろう。まず低所得世帯の子供から、死者が出るのだ。

2010年11月7日日曜日

現代政治の海図

献本をもらった。
『殺すこと/殺されること 二〇〇九年からみる日本社会のゆくえ』(著=石原俊 東信堂)。
石原さん、ありがとう。
この本、2009年1月から12月まで、週刊『読書人』で連載された時評欄の文章をまとめたものだ。時評なので、ひとつひとつの文章が短くて、とても読みやすい。現代の政治・経済・社会を考えるためのさまざまな論点を整理した、良質な一般書。社会科学をやっている学生も、ざっと一読してほしい。自分の問題関心に触れるものが、きっとあるはずだ。
この前年、2008年の時評欄を担当したのは、白石嘉治氏。白石さんの時評もとても熱く鋭いので、どこか出版社がブックレットにまとめてくれたらいいのになあと思う。

さて、著者の石原俊氏は、本職は小笠原諸島研究。
『近代日本と小笠原諸島ー移動民の島々と帝国』(著=石原俊 平凡社)を出している。
 これはあまりに大著なので、まだ読了していない。すみません。「私が読んでレジュメ書くよ」という人は、うちに本があるので言ってください。石原氏は海の歴史の専門家なので、いつか海賊研に招聘して講義を聴きたいと思う。ペリー提督の背景とか、太平洋の捕鯨史とか、絶対おもしろいはず。