2010年10月15日金曜日

「キャンディーズとピンクレディー」、どちらが海賊的か

 宿題がたまっているのに、手がつかない。こういう時に限って、どうでもいい余計な考えが頭の中をグルグルしてしまうものだ。いま私の脳内をうずまき占拠しているのは、「キャンディーズとピンクレディー、どちらが海賊的か」という、ほんとどうでもいいような問題だ。若い読者からすれば「どっちも知らないし知ったこっちゃねーよ」ってところだろうが、こういう謎な小ネタに脳を占拠された私としては、さっさと雑文にして片付けておきたい。
さて、「キャンディーズとピンクレディー」、どちらが海賊的か。
結論から先に言ってしまうと、解答は「ピンクレディーが海賊」である。これはあらためて証明する必要がないぐらい完全に自明なので、いちいち頭を悩ます問題ではない。たぶん私が頭を悩ましているのはピンクレディーの海賊性ではなくて、「キャンディーズってなんなのか」という事だとおもう。

簡単におさらいしてみる。
キャンディーズは、1972年から78年まで活動した女性3人のグループ。76年の「春一番」が有名。ファンはほぼ若い男性で、揃いのハッピを着た「親衛隊」なるもの(今風に言えばキモオタ)が結成されたりしていた。解散の際には、後楽園球場に55000人のキモオタが集まり号泣したという。
ピンクレディーは、1976年に結成された女性デュオ。「ペッパー警部」、「S.O.S」、「渚のシンドバット」、「UFO」など、ヒット曲多数。ファン層は広いが、とくに女子児童に絶大な人気を誇った。ピンクレディーの振り付けは大流行し、サンダルやバック、自転車などのキャラクターグッズが作られた。79年にアメリカ進出、ビルボードTOP100で「Kiss in the Dark」が37位にランクイン。

こうして並べてみてわかるのは、キャンディーズとピンクレディーを並べること自体が不当、ということだ。なぜ並べちゃったのか。反省しきりだ。しかも、「ピンクレディーとキャンディーズ」と言うならまだしも、「キャンディーズとピンクレディー」と言う。順番が逆、失礼すぎるだろう。かたや、国内でミリオンセラーを連発し海外進出まで果たしたピンクレディー。かたや、ヒットらしいヒットもなくキモオタを集めただけのキャンディーズ。これはもう、キャンディーズが不当に下駄を履かされていると言わざるをえない。いや、急いで付け加えれば、悪いのはキャンディーズではない。問題は、我々の(紋切り型の)表現や認識が、キャンディーズを不当に高く評価する「キャンディーズ上位」に歪んでしまっていることである。

さて、若い読者にはもう完全に意味不明な話になっているだろうが、ここから敷衍するのでもう少しつきあってほしい。
70年代後半、歌謡曲文化のシーンで、二つの出来事があった。
1、日本中の女子児童が、ハレンチ(死語)な格好をした歌手をまねてブイブイ踊っていた。
2、若い男の集団が、女性歌手をおっかけて声援をおくったり感動したりしていた。
一般に、キャンディーズが不当に高く評価される背景にあるのは、2の「若い男が集団で感動」というできごとが「社会現象」として認知されてしまったからである。キャンディーズのファン(元祖キモオタ)が後楽園球場で号泣する。当時の大人は強い違和感をもっただろう。そしてそこに「いまどきの若者の姿」を見て、つい「社会現象」と言ってしまったのだ。しかし、よく考えてみてほしい。キモオタが集まって号泣したからって、それがなんなのか。彼らがなにか文化を破壊したり創造したりしただろうか。冷静に考えてみれば、彼らにはただ「気持ち悪い」という以上のものはないのである。
真に社会現象と呼ぶに値するのは、1の「ブイブイ踊っていた女子児童たち」である。この子供たちはその後、「ハレンチ」という言葉を死語に変え、「はしたない」という基準をなし崩しにしていく。彼女たちのピンクレディーフィーバーがなければ、80年代の音楽文化やダンスカルチャーは成立しなかっただろう。彼女たちはたんに挑発的であるという以上に、到来する新たな文化の形成・再編に関与していったのである。

「踊る女児」と「キモオタ」。ふたつの出来事は、確かに同時代に起きた出来事ではあるが、それぞれが属している時間の地層は全く異なっている。そして時代を表象するのは、より比重の軽い、表面的な(内容のない)出来事なのである。時代を表象する「キャンディーズ」に、語るべき内容はない。それは、歴史がナショナルな尺度を設けて「国民の歴史」として記録(記憶)されるときにのみ要請される、つじつまあわせの表象である。国民の歴史(国民男性の歴史)が、ピンクレディーとともに進行する文化的変動を充分に捉えることができないときに、その認識の穴を埋めるのが「キャンディーズ」だったのだろう。「キャンディーズ」と「キャンディーズに熱狂した俺たち」は、はじめから歴史化されていて、過去へむかう時間に属していたのである。